河童と蛙の唄
カッパにとって魚を捕まえるのは難しいことではない。元々が水棲属性の種族であるからと言ってしまえばそれまでだが、世の中には飛ぶのが苦手な鳥もいれば、歌が下手くそな歌手もいるので、カッパだから水の中では何でもできると思われては困る。
さりとて出来ないことは何かと聞かれれば思い付かないのだが、修練の末に身に付けた技も生まれ持った性質ということにされてはたまらない。人間が社会に出るために様々な教育を受けるように、カッパがカッパであるために乗り越えるべき試練だってある。
「はぁ、しかし、釣りというのはなかなか難しいものだね。」
にとりはタライの中で泳ぎ回る八ツ目鰻達を横目に見ながらため息をつく。
八ツ目鰻はいる場所が凡そ決まっているから掴まえるのは簡単だった。魔理沙が戻ってくるまでまだまだ時間がありそうだったので、夜の宴会用の分を確保してから、にとりが向かったのは玄武の沢の上流の「九天の滝」の裏、犬走椛とよく将棋をしている場所だった。詰所というか待機所とでも言うべきか。
その片隅にあるロッカーのような用具入れから取り出したのは一本の竹竿だ。握りの部分は布袋竹で、胴から穂先にかけては根から掘り出した矢竹が使われている。特に目立った意匠が施されているわけではないが、表面は艶やかさや滑らかさを感じるほどにツルツルで、ピンと張っていながら曲げた時のしなやかさはえもいわれぬ絶妙感がある。銘を書く部分には漆を混ぜた墨で「一平」とだけ書かれていた。
外の世界から玄武の沢に流れ着いた物だったが、かなりの業物に違いない。普段は魚を釣るという発想が無いので、コレクションとして保管しておいた物である。それをどうしてここに置いていたかと言うと、将棋の指し手を考えるのに集中している時に滝壺に降り注ぐ瀑布の音に混じって、何か大きな生物の跳ねる音が聞こえたことがあるからである。それは一度や二度では無いし、見張っている時には姿を表さない。見に行った時には波紋すら瀑布に掻き消された後だ。警戒心が強いのだろう。
虫や蛙などを補食する時だけ水面近くに現れる様だ。ただ、正体の見当は付く。たぶん、あれはイワナの成熟個体だ。あの滝壺は流れ込む水とは別に水底から地下水が湧き出ているので特に水温が低いし、水深もかなり深い。イワナであれば平気な個体もいるだろうが、ヤマメやニジマスでは厳しい生息環境だ。とある機密事項で他のカッパが潜ることも殆ど無いので、手付かずになっており、うまくその環境に馴染んだイワナが何年もそこで生きている可能性は高い。
いつかそいつをあの竿で釣ってやろうと思っていたが、今日は良い機会だ。
と、思ってお手製の毛針を携えて滝壺にせり出した大きな岩の上に座って釣り糸を垂らしているのだがー。
カシャッ。
「!?」
「カッパが釣りしてる画なんて、そうそう無いわよね。」
「おやおや、これはこれは、そちらこそ珍しい方のブン屋さんではありませんか。」
「妖怪網タイツ女は、あの顔で取材をしても誰も真面目に答えてくれないからってフテ寝しちゃったわよ。」
驚いて振り返ったにとりに対し、カメラのレンズ越しにニヤニヤしながら皮肉混じりに文の動向を伝えてきたのは幻想郷のもう一つの新聞『花果子念報』の「姫海棠はたて」で、能力は「念写をする程度の能力」だ。
「間が悪いのはどちらの天狗様もお変わりございませんね。せっかく今に針に食い付こうかというお魚さんが逃げちゃいましたよ。」
「あのさ、あなたが天狗に対してどう思っているかはわからないけど、そういう慇懃無礼な態度はやめてくれない?」
「誠に恐れ入り奉りまする。」
「全く、私は妖怪の山の序列なんてどうでも良いんだけどさ、そんな風にされると嫌だし、ちょっぴり寂しい気はするものよ。」
「天狗様は妖怪の山の組織の長として尊敬されてますよ。しかしその中でも二羽の烏がですね、片や嘘や出鱈目を書き立て、片や知られたくない真実まで念写で暴露しようとする。どちらも人が嫌がることでは?」
「痛いとこ突くわね。でも念写専門の私が今日はこうして現場に来てるわけなんだし、少しは普通に接してもらえるとありがたいんだけどなぁ。」
「十分検討の上、善処します。」
にとりはプイッと滝壺の方へ向き直ると、仕掛けを打ち直す。
「ねえ?それって楽しいの?」
「………。」
「帽子がいつもと違うけど、どうしたの?とっても可愛いわ。」
「………。」
「潜って掴まえればいいじゃない。どうしてわざわざ釣りしてんの?」
「………。」
「だいたい、この滝壺って魚いるの?瀑布の水飛沫と波で上から全く見えないんだよねー。」
「………。」
「ちょいとこの中を念写で…。」
「やめてよ!この中で泳いでる魚は長い時の間に補食者や捕獲者の目から逃れながら警戒心と知恵を育んで生きてきたんだ。潜って掴まえたり、念写で先に姿を見ようなんて無粋の極みだよ。私はヤツと対等に勝負がしたいんだよ!」
「わ、悪かったわよ。でも無視すること無いじゃない。」
「一つ勘違いを正したいんだけどさ、君が念写にとても集中している時に、何撮ってんの?ねえ?ねえ?って話しかけられたら、君はまともに返事をするのかい?」
「………。無視したわけじゃないのね。ごめんなさい。でも、やっとくだけた口調になったわね。そっちの方はちょっと嬉しいな。」
「………。」
「あらら…。また黙っちゃった。」
はたては少し下がってちょうどいい大きさの岩に腰かけた。にとりは時々毛針を交換したりしながらいろんな場所に仕掛けを打ち直している。そんな姿をぼんやりと見つめながら、写真を撮ったりしていた。そもそも、念写でなかなか良い画が撮れないので気分転換で外に出てみたのだが、滝壺で釣りをしているにとりを見かけたのはたまたまだ。特に仲良くも無かったが、紙を作る機械や印刷機はカッパが作っているため、メンテナンスに訪れるにとりと話す機会は時々ある。普段はビジネスライクな話や機械の扱いに関する小言が多いが、今日は特にツンツンした態度を取られてしまった。しかし、何だか尖りきれていない感が可愛い。だから、この邂逅は自分にとっては新鮮で良い刺激だと思う。
それに、ここはとても癒される場所だ。滝が流れる所はその水気とはまた違った清々しいものを含んだ空気が漂う。かなりの高さから芯が通った様に真っ直ぐと降り注ぐ瀑布、その傍らには石仏のような彫刻が納められた小さなお堂がある。苔むしていて、石仏もそのように見えるという程度にしか形を留めてはいない。今にも朽ち果てそうだが、溶け込むかのように周りの環境と融合しようとしている感がある。しかし、その前には頻繁に取り替えられているであろう一輪の花と水の入ったコップ、お菓子が供えられている。
「はたては知らないか。もうかなり昔のことだけど、滝壺まで迷い込んだ子供がいて、ここで溺れて死んでしまったんだ。」
「え?そんなことがあったの?でも、子供だけで九天の滝まで来るなんて、そもそもたどり着くまでに妖怪に襲われて食べられちゃう可能性の方が高いんじゃ?」
「カッパと人間は古来から盟友だといつも言っているだろう?私もそこにいたわけじゃないけどさ、昔は人間とカッパももう少し気安い関係だったみたいだよ。」
「カッパが子供をここまで引き入れたのね。」
「もっとも、気安いと言っても一定の線引きはあったから、こんなところまで連れて来るのはいけなかったね。カッパが子供にあげようと思って自分が作った玩具を滝裏に取りに行っている間に足を滑らせてしまったんだ。瀑布の音で助けを求める声も掻き消されてしまった。発見した時は既に手遅れさ。」
「それで、どうなったの?」
「悲しんだカッパは子供の尻子玉を抜いて、それを供養した。それがあのお堂だよ。カッパはそれほど信心深くは無いんだけどさ、人間のやり方を真似たんだろうね。」
「その遺体の方はどうしたの?」
「一緒に遊んでいたとはいえ、どこに住んでいた子かもわからないし、妖怪が人里まで運ぶわけにもいかないから、小舟に乗せて川に流したんだ。花を添えてね。」
「悲しい話だけど、カッパって意外と情緒的なのね。人間と仲良くなるには十分な素養だと思うけど、あんた達って博麗の巫女や魔法使いが乗り込んで来るまでほとんど人と関わろうとしなかったじゃない。」
「尻子玉を抜いたのがまた良くなかったのさ。子供の遺体を発見した大人達は、綺麗に整えられた遺体の姿よりもその事実に注目して、カッパが子供を川に引き入れて溺死させて、尻子玉を抜いたと思ったんだ。まあそう疑われても仕方ない状況だし、冷静に判断できる心境でもないだろうからね。それ以来、カッパは人に必要以上に恐れられるようになってしまって、妖怪の山もより排他的になってしまった。」
「なるほどね、だからあんたはそれを知っているから草葉の影から人間達を見ていて、危ない場所に近付かないようにたまに脅かしていたのね。」
「うぐっ、ちょっと喋りすぎた様だね。もうすぐ魔理沙も戻ってくる頃だ。そろそろ引き上げないと。」
その時、急に辺りがざわめき出した。
ゲコゲコ、ゲコゲコ…。ゲコゲコ…。
ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ………。
ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ………。
「え?なに?なに?にとり、何だか滝壺の周りにカエルが大集結してるわよ!」
そんな慌てるはたてをよそに突然、なんと、にとりが唄い出した。
るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん♪
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん♪
「えー!?私は一体何を見せられ、聴かされているの??」
狼狽するはたてとは違い、にとりは鼻唄混じりに、毛針をカエルの形をしたプニプニのゴムみたいな物に取り替えた。
そして、また唄いながら、踊るような仕草で仕掛けを打ち直す。
すると…。
ざばぁ!と音がして、三~四尺はあろうかという黄金の魚体が水面から跳ね上がり、そしてー。
「よし!乗ったぁ!!!」
「ひゅいっ!?」
「キャー!のされるぅぅぅ!」
あまり聞いたことの無い口調で、どれだけにとりが慌てているかがわかる。
竿は半月のように弓形にしなり、穂先は右へ左へと方向を変えて荒ぶる。
「ちょっと、危ないわよ!しっかりなさい!」
はたては今にも滝壺に落っこちそうな体勢のにとりを後ろから抱き抱えるように支え、転落を食い止める。
「ありがとう、落ち着いた。もう大丈夫だから離して。」
再びにとりが唄い、踊り出す。
カエルもそれに合わせるように大合唱を始めた。
るんるん るるんぶ ゲコゲコ♪ゲコゲコ♪
るるんぶ るるん♪ ゲコゲコ♪
つんつん つるんぶ ゲコゲコ♪ゲコゲコ♪
つるんぶ つるん♪ ゲコゲコ♪
にとりはまた踊りながら滝壺の周りをぴょんぴょん跳ねて、魚の猛烈な引きをいなしていく。
魚も釣られまいと跳ね上がって首を振り、針を外そうともがいたり、水底の方へ突っ込んで行ったりして抵抗する。
見たところ竹でできた竿なのに、あの丈夫さは一体何なのだろう?いや、あのしなりが魚にとっての抵抗感を散らしているんだ。思いっきり引いても力がうまく伝わらないから、限界まで引っ張らない限り、竿にダメージが無いのだ。
それにしても、たくさんのカエルの見守る中で唄い、踊るように跳ね回るカッパ。大合唱。こんなエンターテイメントはなかなか見られるものじゃない。
はたてはカメラを構えて撮りまくる。
「こんなの念写だけじゃ撮りきれないわ!!大スクープよ♪♪♪」
四半時くらい経っただろうか。激しく抵抗を続けていた魚も観念したかのように大人しくなり、水面で口をパクパクさせながら岸辺に寄せられていく。
「はたて!タモ!」
「はいっ!って、重ーい!」
辺りが静まり返る。
難なくタモ網に収まったのは金色に輝くイワナの三尺七寸だった。
こんな大きな魚は見たことがない。
二人は顔を見合わせてガッツポーズした。
「はーい!こっちに魚の顔を向けてねー!いいよー、そのままそのまま!じゃあ撮るよー、天狗の鼻はー?」
「ロバの耳~♪」
カシャッ。
「ちょっと、そこは長いとか高いでしょうが、意味わかんない。」
イワナを抱き抱えてポーズを取るところまではえらく素直だったのに、最後はやっぱりひねくれている。しかし、良い笑顔だった。
竿を口に咥えていたり、魚と一緒に寝そべったり、細かい指示であーでもないこうでもないと何十枚も写真を撮らされた。念写以外でこんなに撮るのはいつ以来だろうか。はたてもノリノリで撮っていた感は否めない。この一部始終の目撃者であったことを幸運に思う。
「これ、記事にしたら、あんたしばらく釣り名人みたいな扱いになるわよ。」
「かまわないさ。実際間違っちゃいないでしょ。」
にとりはまだ興奮冷めやらぬ様子で薄い胸を張る。さっきまで私達の新聞に批判的だった割に、記事が出たら10部くらいよこせと言って来た。現金なカッパだ。
「さてさて、私が来たばかりの時とはえらく態度が変わったわね。私としては嬉しくて涙が出そうだわ。」
「そ、それは、君が思ったより殊勝な感じだったからさ、ほんのちょっぴり、すげない態度を反省したと言うかさ、まあこういうのがお好みなんでしょ?カッパは期待に応える種族さ。」
「素直じゃないのをそこまで可愛らしくひねくれた態度で示してくれると、何だかあざとさまで感じるわね。ま、それは良いとして、その魚どうするの?」
「もちろん、美味しくいただくよ。今日の夜は宴会なんだ。」
「そう言えばあんた達、山の中で野宿しながら宴会するんだってね。さっき椛が差し入れするって、酒蔵から天狗乃舞を酒桶ごと持ち出してたわよ。」
「あれは良い酒だ。ありがたいね。今日の酒肴にピッタリだよ。しかし、魔理沙って不思議だね。あんなに図々しいのに、結局何だかんだで好意で物を受け取っていることも多い。もう椛まで手懐けるなんて、才能だよ。」
「全くね。でも、あんたもその一人でしょ。」
「カッパと人間は古くから盟友。」
「わかった、わかった。でも、さっきのカエル達は一体何?あれもあんたの盟友?」
その時、カエルの群れが一斉にぐぶぅ!と喉を鳴らして去って行った。
「カエルが集まればカッパは踊るものなんだよ。元来は月夜に踊るカッパをカエルが見に来るというのが正しいんだけど……、とにかくそういうものなんだ。そして、うっかりしていたんだけど、大きなイワナの好物はカエルさ。針をカエルの疑似餌に取り替えたのは、あれだけのご馳走に取り囲まれちゃあ目の前に飛んで来たカエルには一発で食いつくさろうと思ってのことさ。で、案の定その狙いがうまくいった。」
「でも、何で突然あんなにカエルが集まったの?」
「うーん…。イワナに日頃の怨みがあったとか?それで私の応援?それにしても河童と蛙の歌なんて久しぶりに唄ったよ。」
にとりはそう言いながらイワナの口から針を外している。そうして屈んでいるにとりの後ろを何気なく見ると、山の斜面から誰かがこっちを見ている。
あっ!と声を上げようとすると、その人物?はそれを静止するように唇に指を一本立てた。そして、片目を瞑ってそそくさと去って行った。
〈あれは守谷神社の「洩矢諏訪子」ね。カエルの化身みたいなもの(違うけど)だから、ああ、なるほどね。彼女の仕業なのか。〉
「持ち帰って魚拓を取りたいところだけど、人間の魔理沙も食べやすいように下処理しないとね。」
にとりは物凄い手際で魚の下処理を終え、塩を振って竹皮でグルグル巻きにした。内臓は瓶の中で塩漬けにして、蓋をして川に投げ込んだ。
「ちょっと!捨てちゃうの?」
「ああしておけば仲間が回収するよ。カッパが水からの恵みを無駄にするわけないじゃん。」
なんか、都合が良い処理の仕方のような気もしたが、はたては声には出さなかった。
「私はこれから魔理沙との合流地点に向かうけど、はたてはどうすんの?付いて来て取材でもするってんならご自由に。ちと、今日の獲物は全部食べるには量が多いしね。」
「うーん、そこは文もいるし、私はさっきの出来事を早く記事にしたいから帰るわ。あなた達のことに関して、文を出し抜くことにもなるから楽しくて仕方ないの。」
「はたても良い性格してるよね。じゃあ、これを君にあげよう。」
にとりはポケットから何かを取り出して、投げてよこす。
「何これ?カエル?えへ♪ちょー可愛いじゃん♪」
「溺れた子に見せようとしたのはカエルの玩具だったそうだよ。それを渡せなかったのが悲劇の原因だからね。無事を祈る意味も込めて渡すのが風習みたいになっているのさ。今後、カッパに話しかける時はそれを見せるといい。少しは融通が効くようになるはずさ。」
「へぇ~そうなんだ。そうだ!カメラの根付にしちゃお♪」
にとりは滝裏に竿を持って行った後、それじゃと、手早く荷物を束ねて、タライから八ツ目鰻をビクに移して山の方へ歩いて行った。
「にとりー!また遊びに行くからねー!」
振り返らず手を振るのを見届けてから、自分もそろそろ帰ろうと飛び上がる瞬間、ザッバァーーン!と水飛沫を上げて七、八尺はあろうかという魚体が滝壺で跳ね上がった!
はたては呆気に取られてその場から動けなかった。しまった、写真なんか撮れるタイミングじゃなかったわ。そうだ、念写で…。
いや、それは無粋だったわね。
今度、にとりに教えてあげよう。
その時はまた独占取材よ。
ところで魔理沙さんは無事なんでしょうかw