魔理沙の異変計画
幻想郷の古道具屋「香霖堂」の店主「森近霖之助」は半人半妖という幻想郷でも類い稀な存在であるが、魔理沙が生まれる前に魔理沙の実家「霧雨店」で奉公をしていた経緯があり、幼い頃からずっと何かと魔理沙を気に掛けていろいろ手助けをしている。人妖という属性で昔から見た目も変わらず、そろそろ魔理沙にとっては兄貴と呼べるくらいの雰囲気になって来たが、その実年齢ははるかに上らしいので、好奇心旺盛で博識な面も合わさって様々な立場からのアドバイスをくれる貴重な存在だ。
魔理沙だけが彼を「香霖」と愛称で呼ぶが、それが関係の深さを物語る要素である。だから、どこにでも現れる魔理沙の出現度は博麗神社並みに高い。実家を出て魔法の森でマジックアイテムの店を営んでいることになっている魔理沙の商売は実際のところ霖之助の真似事に過ぎない面も多々ある。霖之助には「道具の名前と用途が判る程度の能力」があるので、魔理沙が拾ってきたり、どこぞで強奪?してきた物品を鑑定させられることもしょっちゅうだ。
しかしながら、魔理沙の審美眼や目利きも時々は馬鹿にできないこともあり、何となく良さそうだと言って持ってきた品物が信じられないくらい貴重な代物だったこともあるので、なかなか油断できないと思っている。
「こーりーん、邪魔するぜー!」
「邪魔するなら帰ってくれないか。」
「わかったぜー、じゃあなーって馬鹿野郎!」
「魔理沙か…。やっぱり来たのか…。」
「何だ?最近なぜかお前のお気に入りの掛け合いに今日も乗ってやったのに、ずいぶんテンションが低いぜ。って言うか誰構わず仕掛けるのはどうかと思うぜ。」
人里で不定期に開かれる芝居小屋で、人混みの嫌いな香霖が唯一観に行く演目の「シンキゲキ」でお約束のやり取りなのだそうだ。やり過ぎて条件反射になってしまっているのは本当にマズいと思う。
「魔理沙、早く中に入るんだ。」
「ちょっ、わわっ!」
霖之助は魔理沙の腕をグッと掴むと、店の中に引き入れ、辺りを見渡してからガラガラと店の入り口の扉を閉じて、鍵を締めて簾まで降ろした。
元々明るい方では無い店内が急に明かりを失ったせいで目が眩む。
「魔理沙…。」
耳元で霖之助が囁く。吐息が届くほど近い距離だ。
「ななななな、どどどどどうしたんだよ香霖!」
「しっ!静かにするんだ。」
すると、霖之助が魔理沙の両肩に手を添え、少しだけ力が入る。その双眸は眼鏡の奥で怪しく光り、じっと魔理沙の瞳を見つめる。
「な、何だよ香霖?肩もみなら後ろからやるもんだぜ。」
「真面目な話だ。心して聞いて欲しい。」
「ちょっ、ちょっと待てよ。これはどんな状況だ?わ、私にも心の準備って物があるだんだぜ。だわよ。」
予想外の展開に頭が真っ白になる。語尾が変だ。顔に血が昇って熱い。耳まで真っ赤になっていることだろう。部屋が暗いせいで見えていないかもしれないが、顔が近い。全身の血管という血管がバクバクと脈打つようだ。完全に乙女の表情になってしまっているのが自分でもわかる。香霖は一体どうしたというんだ?
「聞くんだ魔理沙。悪いことは言わない。今すぐ足を洗うんだ。」
「へ?風呂なら今日は霊夢のところで入って来たんだぜ。だわよ。」
「ボケをかましている場合じゃない。今すぐ悪事から足を洗うんだ。」
「あ?悪事だって?何のことかわからないんだぜ?心当たりは無いことは無いが、最近は紅魔館の図書館から魔術書を持ち出そうとすると、小悪魔に貸し出しカードを書かせられるようになったから、正式に借りてるんだぜ。」
「とぼけるな。いいから自首するんだ。これはきっと僕にしか忠告できないし、それが使命だと思う。」
「自首?そんなの誰にどんな理由でだよ?」
「飽くまでシラを切るのか?僕と君の仲だ。洗いざらい打ち明けて欲しい。」
いい加減、何だか腹が立ってきた。さっきのバクバクで思いもよらず自分という人間を丸々と晒け出されたような気がしてしまった。香霖にその自覚が無いのが悔しいのだ。
「だから!何のことだかさっぱりわからん!そこまで言われて一生懸命思い出そうとしたり、考えたりしたが、全くわからん!これっぽっちもキノコの胞子一粒ほどもわからないんだぜ!」
「そうか…、そうまで言うならこれを見るんだ。」
霖之助が懐から取り出したのは、妖怪の山の天狗が発刊している『文々。新聞』の「号外」だった。
あいつは最近何でも号外にしている気がする。
『博麗神社で闇兵器製造か?』
昨日の昼過ぎ頃、幻想郷の空に七色に輝く怪しい破壊光線が放たれたのを大勢の人々が目撃し、幻想郷に多大な恐怖をもたらした。それは冥界の白玉楼の屋根の一部を消し飛ばす威力で、更に天界の雲に穴を空けた後に霧散したとの報告が寄せられている。その他、星屑のような小さな粒が落ちてきたという目撃情報を得た我々は、その痕跡からこの度の容疑者と思われる魔法の森の魔法使いを捜索した。博麗神社でその姿を捉えた記者が目撃したのは衝撃の場面だった。神社の床下には秘匿された地下室があったのだ。そこから運び出される謎の神器の数々。漆黒の闇を思わせる太い黒鉄の新型封魔針を持った赤服の巫女が妖しく嗤うその横では、白黒の魔法使いが凄まじい火力を誇るという魔導兵器を手にし、汚れ仕事は任せろ、幻想郷を狩り尽くすと息巻いている。そんな魔法使いの相貌は紅魔館の主のお株を奪うがごとく無邪気な悪魔そのものだったのである。これはこれまで数々の異変解決の中心となっていた博麗神社がついに自ら大異変を起こすための準備に他ならない。あの破壊光線による被害はほんの序章に過ぎないのである。
既に犠牲者も出ている。見て欲しい、これがそのスクープ写真である―――。
「………。」
「あの破壊光線は僕も見た。以前のマスタースパークの比ではない威力だ。まさかと思ったが、冥界や天界にまで届いていたとは。」
「………。あのな、香霖さんよ。」
「この写真は魔理沙だろう?黒く目線が入れてあるけど、間違いない。そして、両手で重そうに抱えているこのイモムシのような袋はどう見ても死体袋じゃないか。」
「もしもーし、こーりんサーン。」
「僕は何を間違ったのだろう?君の隠れたひたむきな向上心を僕は密かに応援していたんだ。だから、君が少々やんちゃなことをしでかして来ても、咎める気は無かったんだ。それが、どうしてこんなことに…。」
「森近霖之助さん!!」
「えっ?」
「無いわー。」
半分は本当なので、誤解を解くのには苦労した。虚空に放ったはずのマスタースパークがまさか白玉楼や天界にまで達していたなんて思いもしなかったぜ。あそこの庭師に会ったら斬りかかられるな。絶対に邂逅を避けねばならない。天界の穴なんかその辺の雲でも千切って埋めりゃ良いんだぜ。
「魔理沙、もしかして星の魔法を同時に発動させたのか?ちょっと八卦炉を僕に見せてくれ。」
霖之助は自ら製作して魔理沙に与えたミニ八卦炉を受け取って状態を確かめる。
「やはりそうだ。調整弁の術式がイカれてる。これはしばらく預からせてもらうぞ。こんな状態で魔法を使ったら最悪は暴走して君の魔力が続く限りマスタースパークを撃ち続けるぞ。」
「えー?マジかよー。それが無いと家でキノコも焼けないんだぜ。」
「さっきの話にあった魔導兵器もとい携帯式カマドでも使えばいいじゃないか。」
「あれは使い方がよくわからないんだぜ。って言うか、本来はそれを調べてもらうために来たんだぜ。バカ天狗の新聞もありったけの捏造ばかりだったけどよ、あれを信じるお前もどうかしてるんだぜ。」
「あのイモムシ型の袋はどう見ても人が入っているように見える。血が染みてたりするように見えるのは、よく見たらところどころ合成されている写真の様だ。しかし、魔理沙のこの顔には目線を入れてあるが、犯罪者の顔だ。」
「目線を入れてしまったら誰でも犯罪者っぽくなるんだぜ。イモムシ袋、ありゃ確かにカビだらけで汚れちゃいたが、寝袋だ。中には他の割ときれいな寝袋がいくつか丸まって詰め込んであったんだ。」
「ふむ、やっと頭が冴えてきた。あまりにも衝撃的で、君のことだからやりかねないと気が動転してしまった。しばらく異変らしい異変も起こってなかったからね。そう来たかー!と妙に納得してしまったんだ。」
「お前は私を一体何だと思っているんだ?普通の魔法使いだぜ。」
付き合いが長いからお互いをよく分かり合えていると言うのは幻想だったんだな。まさに。
「魔理沙、君は星の魔法を修得して、以前よりも数段パワーアップしているんだ。もはや普通の魔法使いの看板は降ろした方がいい。星の魔法を掛け合わせたマスタースパークなんて、もはや魔砲だ。技としては究極の域に達している。」
「そうなのか。他人から言われると漠然とした自信が確信に変わるってもんだぜ。」
霊夢の背後に隠れて自分自身の評価がイマイチ定まらなかったことで抱いていた不安が少し解消されて救われた気分になる。
「しかしだ、魔理沙。それは幻想郷を揺るがす破壊的な武力であることに何ら違いは無い。君自身の身体にも大きな負担がかかる。しばらく初心に戻ってそれをよく考えるんだ。八卦炉は修理して調整して安全装置の術式を組み込めるようにしておく。そうだな、期間は2週間と言ったところか。」
「えーー!長ぇぜーー!予備の八卦炉とか無ぇのかよー?」
子供のように頬を膨らませてブーブーと不満を垂れる姿は、やはり、まだまだ未熟な少女だということの表れだった。
それに、今さらだが、少しはおしとやかな話し方ができないものだろうかと霖之助は心の中でため息をつく。
「無い。それにさっきの話をもう一度じっくり聞かせてあげようか?」
「わーった、分かったよ。私もどうやらやり過ぎたみたいだからちょっとは反省するんだぜ。ん?」
「どうした?魔理沙?」
「静かに。香霖、そっと、そーっとだ。入口の鍵を開けてくれ。」
魔理沙はゆっくりと入口に近付き、簾の下から引戸に手をかけて息を潜める。
霖之助は魔理沙の意を察して、促されるまま静かに鍵に手をかけて、目で合図を送る。
「今だ!」
霖之助が鍵を外した瞬間、魔理沙は思いっきり引戸を開いて、垂れた簾を引きちぎり、それごと入口の前にいた人物に飛びかかる。
「わやややややや!?うひゃぁぁぁぁ!」
「この悪徳バカ天狗め!あの新聞を読めばお前が朝から尾けて来ていたんじゃないかって、霊夢みたいに勘が良くなくても想定くらいはできるってもんだぜ。」
簾の下でひっくり返った亀のようにもがいているのは、妖怪の山の天狗、「文々。新聞」の編集長兼記者兼その他諸々の射命丸文だ。
「あやややや!ひぃー、鬼ぃー、悪魔ぁー!」
「あいにく幻想郷には鬼も悪魔も間に合ってんだぜ。神妙にお縄につきな。あんな大嘘ばっかり書きやがって!何が正義と真実の新聞だ?この野郎!焼き鳥にして地獄の穴に放り込んでやるぜ。」
「おいおい、魔理沙、もうやめるんだ、泡を吹いているぞ。」
簾の隙間からブクブクと泡が浮き立って、ピチュン!とあの音がした。
「あ、ちとやり過ぎた。」
―5分後
魔理沙がキノコから作った怪しい気付け薬でようやくブン屋が目を覚ました。
「はー、何だか小野塚小町さんにお会いしたような気がしたのですが…。」
「三途の川が見えたってのか?そのまま渡してもらって四季映姫にきつーい説教でも食らえば良かったんだぜ。大丈夫、死んでも妖怪の行き着く先は幻想郷だぜ。」
「冗談じゃありませんよ。しかしさすが魔理沙さんですね。幻想郷最速を誇る私でも避けられませんでしたよ。」
「不意を突けたからな。しかし、本当に懲りない奴だ。あの号外は何であんなことになっちゃったんだぜ?」
「いやぁ、誰も知らない博麗神社の床下に何が入っていたのか考えていると、どんどん想像が膨らみましてねぇ、ついついノリノリで書けちゃったのでそのまんま載せちゃったんですよ。あ、でも白玉楼の魂魄妖夢さんが激怒してましたよ。見つけたら魂ごと斬り刻んで桜の木の下に埋めてやるとだか。 」
残機を減らされたばかりだというのに、快調に喋る文は捏造に対して悪びれもしない。書いている記者がこうなのだから新聞も大して人気がないが、最近は他人を焚き付けて行動を促したり、異変のマッチポンプとして暗躍するスタイルが主流だったので、堂々と嘘を書くパターンは久しぶりだ。そうだ元々そういう新聞だった。
「お前の妄想力が一番恐ろしいぜ。妖夢の奴も庭師なんだから大人しく植木の剪定でもしてろなんだぜ。あー、謝りに行くのもだりぃなー。」
こちら悪いのは確かだが、普通は死なないと用事が無いはずの冥界にわざわざこっちから出向いて斬られるのもみょんな話だ。仕方ないな、ここは何とか事前に機嫌を直してもらう必要がある。
魔理沙は店先に立て掛けておいた箒に結び付けてあった唐草模様の風呂敷包みを解くと、ガラガラと中身が溢れ出す。
魔理沙はその中から二枚重ねの板を取り出して文に差し出すと。
「これを妖夢に渡してやってくれないか?壊した屋根の件は別として、仲直りの証なんだぜ。」
「そこの品々が昨日神社の床下から運び出していらっしゃった物なんですか?その泥棒風呂敷といい、仲直りに盗んだ板切れ2枚なんて、楼閣修理の材料としてもケチ過ぎやしませんかねぇ?」
「だからお前らは私のことを何だと思ってるんだよ。そいつは二つ折りになっているんだ。開いてみな。」
滑かな手触りの白木の板を開いて見ると、中に一振りの包丁が収められている。
「隠し武器?」
「違う!さてはお前料理したことねーだろ?そいつはまな板を包丁ケースにしたお料理セットなんだぜ。あいつにピッタリだろう?幽々子もあいつの料理にプラスになるなら喜ぶだろうし、一石二鳥なんだぜ。」
「なるほどー、そういうことですか。確かにそれは名案ですね。 了解いたしましたよ、これは確かに妖夢さんに届けておきましょう。 」
食いしん坊で有名な白玉楼の当主「西行寺幽々子」のせいで、庭師であり剣術家である妖夢も、最近は料理の方が刃物を振るう機会が多くなってしまっているので、妖夢は今の幻想郷でこのアイテムを持つのに最も相応しい相手だと言えるだろう。
「ははー、しかし、料理にこんな立派な刃物を使うなんて贅沢ですねぇ。さすが博麗神社の縁の物は一味違いますねぇ。」
「もう面倒くせぇからそれでいいぜ。あと、カッパの奴に明日うちに来るように言っておいてくれないか?」
「あやややー、天狗使いの荒い人ですねぇ。まあ帰り道ですし、良いですよ。伝えておきましょう。ところで天界には何もしなくて良いんですか?衣玖さんは当初、天子さんのいたずらだと思って叱っちゃったみたいですよ。」
「あいつは勝手にこっちに来るだろうから良いんだぜ。送料無料の娘なんだよ。それに、これから私がやろうとしていることを聞いたら簡単に乗ってくるだろうしな。」
「わややや?一体何をされるおつもりですか?」
「この新型炉を使って、破壊光線でお前を焼き鳥にする計画だよ。」
魔理沙は携帯型カマドを取り出して文に向けて不敵な笑みを浮かべる。
「ぎゃああああ!やめてくださいよ!」
「って、お前が妄想しそうなこととは全く違うから安心するんだぜ。これは頑丈に出来ているみたいだが、ミニ八卦炉みたいにヒヒイロカネで出来ているわけではないし、魔法的な術式もかかっちゃいない。飽くまで煮炊きに使うものなんだぜ。」
「また残機がすり減る思いですよ。っとそれも調理器具ですか?野外宴会でもなさるので?」
「ちょっと違うが、いい線いってるぜ。その時にはお前も呼ぶかもしれないから、飲むかもしれない酒でも準備しておくんだぜ。」
「何でそんなに不確実性の高い言い方なんですか?楽しいことならちゃんと呼んでくださいよ!」
「そいつはお前の態度次第だぜ。あの号外の記事、そのままだと今度は霊夢の奴に退治されることになるぜ。博麗神社が異変の最前線基地なんて、ますます参拝客が減るじゃないとか何とか言ってさ。元々来ねぇのに。」
「そのあんまりな物言いは魔理沙さんも怒られそうですけどねぇ。わかりましたよ。」
文はそう言うとカメラを取り出し、「その代わり、今日のお宝鑑定の様子はバッチリと取材させていただきますよー。」と、何だかんだで魔理沙の目的を理解している様で、強かな天狗としての性質は相変わらずだった。
ふと、魔理沙が当初二人の様子を見守っていた霖之助を見ると、既に広げられた風呂敷の品々を手に取ってブツブツ何か呟きながら、物色していた。
「香霖、何かわかりそうか?」
「大まかなことはすぐにでも。まあそこの記者さんに騙されたとは言え、疑ってしまった分は何とかするつもりだよ。ところで、天界の件は本当に良いのか?あの癇癪娘がこのまま黙っているとは思えないが。」
「へへん、大丈夫だぜ。あいつが乗って来ないわけがない。何せ家を出て大空の下で元気に遊ぶって話なんだから。」