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シンデレラは振り向かない

作者:琴吹
 
「もしもし、そこのあなた。今何時かお分かりですか」
 女の子の声が聞こえ、僕は覚悟を決めて宙に浮かせた右足を地面につけた。
 そして、ゆっくり振り返る。
 就職祝いに父からもらった、僕には勿体無い時計は、痩せこけた貧相な左手首の上で居心地が悪そうに輝きを放ちながら、僕と同じように時を刻むのをやめていた。

「えっと…ごめんなさい、ちょっとわからないです」
青空に半分乗り出した体を立て直し、意味もなく見知らぬ女の子に謝罪をする。
「おや、時間がわからないから、こんな早くにパーティを抜け出そうとしてるのですね」
独特な喋り方が少し鼻に付く。

「私と一曲、踊りませんか」

 アメリカンな言い回しなのか、まだまだ肌寒い今日も、暦の上ではもうすでに春だということなのか僕にはわからなかった。

「えっと…今どういう状況かわかってるのかな…
 それとどうやってここに入ったのかな、聞きたいことはたくさんあるんだけど…」
「それはよくわかりませんが、靴が脱げていますよ」
 揃えて脱いだ僕の靴を指差し彼女は不思議そうにこちらを見つめている。
「あぁ…本当ですね。」

渇いた笑いを浮かべながら柵の内側へ戻る。
「おや、もう柵の向こう側に満足したのですか、では靴を履きましょう。
片方だけだはなく、両方脱げてしまうなんて、おっちょこちょいですね」

 そう言って彼女は腕を組み、ニコニコしながら僕の目の前に立ち塞がる。
「なんて今日は素晴らしい日でしょうか。
冬の寒さが嘘みたいに暖かい、もう春なんでしょうね。新しい季節ですよ。」

彼女の発言に違和感を感じた。なぜなら、まだ今日は寒い。
コートも必要だし、吐息は白いし、気温は真冬並みです。と答えようと考えたが
「…そうですね。」
グッと堪えて、足早に出口へ向かう。

「春ですね、春はいいですよね」
早歩きの僕に合わせて、相変わらず彼女は微笑みながらついてくる。
「お花見も楽しいですし、あ…でも私花粉症なんですよ。ティッシュが手放せなくて…。
そして夏ですね、夏はいいですよね、海とか爽やかで。あ…でも私暑いの苦手で、エアコンも風邪を引いてしまうんですよね…やっぱりティッシュが手放せないんですよ。次は…」
「ねぇ、君は誰なの」

 長々と話す彼女に見覚えはなく、しびれを切らした僕は、話をぶった切って声をかける。
「おや、質問ですか、いいですねぇ。未知なものに対する好奇心は生きる活力ですからね。では、私も質問をします。
 どうして自殺を試みたのですか。」

 一瞬時計の針が止まった。

深く息を吸い込み、一歩踏み出したことにより針が刻み出したが、
 僕は答えない。
「あれですか、上司にいじめられた、同僚は誰も助けてくれない、みたいなしょうもない理由ですか。」
眉間に雷が走り、歩みを止める。
「あとはなんでしょうね…。
 誰も理解してくれない複雑な家庭環境、一目惚れをしたがアタックする前に相手は結婚してしまった、会社の存続を揺るがす大事な資料を電車に置き去りにした、あと…」
「ほっといてよ‼︎」
自分でも驚くくらい大きな声がでてしまった。

 人間はどうして、図星を突かれるとこうも沸点が低くなるのだろうか。
 僕は生まれ変われるなら、瞬間湯沸かし器になった方が今よりも世の役に立てるのかもしれない。
  一瞬ビクッとした彼女を見て、後味の悪いなんとも言えない感情が僕を襲った。

 改めて彼女を見ると、僕よりも二十センチ近く小さな身体、顔つきも成人しているかどうか怪しいところだ。そして、何度見ても、

 知らない子だった。

「いやはや、あなたに自己紹介するのはこれで何度目でしょうか。その沸点の低さも相変わらずですね。
これも何度も言いますが、覚えていないと思うので、もう一度お伝えしますよ。
頭にきたらすぐに言い返さず、心の中で十秒数えるんですよ、だいたい…」
「だからあなたは僕のなんなの」
何度問いかけても流される大きな疑問を僕は苛立ちながら、食い気味にもう一度問いかける。
「おやおや…人が話してる最中にぶった切るのはよくないことですが、私があなたの話をスルーしているんですもんね、わかりました、答えましょう。
あなたは僕のなんなの…難しい質問ですね。
そうですね、私はあなたのファンとでもいっておきましょうか」
 僕は再び頭を抱えた。

 ファンというのはなんだろうか、
 僕はアイドルでもミュージシャンでもないただのサラリーマンである。
この短期間で何回頭を抱えたのだろうか…。
螺旋階段のように同じところをぐるぐると回って、一向に話が進まない…。
 少し早い春の陽気に当てられた人間だけではなく、もともと電波な気質の人かもしれない。
本当に大変な状況になると人間冷静になるものなのか、僕はこの状況を整理し、一番すべき質問を探す。
「えっと、質問を変えますね。
あなたは僕のことを昔から知ってるような口ぶりですよね。だけど、僕はあなたを知らない。
あなたの中で僕はどういう人間ですか。」

女の子は一瞬キョトンとした顔をして、
「あなたはシンデレラです。」
と言い放った。

 みぞおちに氷の棒が通るような感覚が僕の中を駆け巡る。
彼女の屈託のない笑顔と、翳りのない言葉が、本当に危ない人だと警笛を鳴らす。
「私の知っている限り27回の生まれ変わりを繰り返しています。そしてどの人生も自殺で締めくくっています」

「納得いただけましたか。」
 僕は彼女の問いかけには答えず、どうしたらいいのかわからない時に日本人がよくする乾いた笑みを浮かべた。
 そして、かかとを翻し、さっきよりも足早に歩き出す。
 階段へと繋がるドアに手をかけた時、僕はあることに気がついた。
身体が軽いのだ。
おかしい。階段を上るときはとても憂鬱で、とにかく身体が重たかったのに。とにかく全てが嫌になった。人も仕事も環境も嫌になった。

そして、そんな自分が一番、嫌になった。
この状況を打破するためには、終止符を打つためには、仕方ない、これしかないんだ、と階段を上った。
 言い訳に言い訳を重ねて僕は、重たい身体を懸命に動かし、柵の向こう側に立った。

  なのに、まだ生きてる。

 可笑しい。笑える。生きてる。

自分よりも小さな女の子に怯えて、まだ、生き延びてる。
そして生きるために、自らドアを開こうとしている。

 振り返ると、さっきまで強気だった女の子が不安そうな表情で僕を見つめていた。
「…えっと…生まれ変わりとか…。さすがに頭がおかしいと思いましたよね…。」
か細い声で囁く彼女がなぜか可愛らしく、とても可笑しく見えた。
  全ての人が嫌になった僕にそんなことを感じる心が残っていたのかと心底驚く。
そうか、これは一日限りの夢なのだ。
明日になったら解ける魔法。

「あなたのことは、頭はおかしいと思うけど、僕は今なんだかとても気分がいいんだ。
…今日は靴を磨いて寝ようと思う」
「よかった…その靴はガラスの靴ではないかもしれないけど、今のあなたにはよくお似合いですよ。
また、あなたが目の前からいなくなるのは勘弁していただきたい。
私の望みはただ一つ、もうあなたが一人で泣かないように、見守ること。」

 彼女がおかしなことを言っているのは、正常な判断が難しい今の僕にもわかる。
 B級映画のヒロインが言うであろうクサイ台詞、そんなこともわかっている。だけど、
「あぁ、泣かないでくださいよ、シンデレラ。
でもやっぱり私の前なら泣いてもいいですよ。」
一筋の涙が頬を伝う。
誰にも必要とされていない僕に、そんな台詞を言ってくれた。この広い世界を探しても、僕のことを想ってくれるのは頭が春な彼女だけなのではないか。

 僕の中で春の足音が響く。
 彼女は優しく僕の涙を拭き取り、にっこり微笑む。
「えっと…僕がシンデレラの生まれ変わりなら…
あなたは何度も僕を探してくれる王子なんですか…」
 少し照れくさくて、彼女の足元を見つめながら質問してみる。
「え、違いますよ」
 頬に添えられた手を全力で振りほどいた。






 冷たい冬の風が二人の間を吹き抜ける。

 お花畑な質問をしてしまい火照った僕の心にはとても心地よい風だ。

 ゆっくりと心の中で十秒数える、

「騙したな…新手の詐欺か何かか…‼︎
生きることに絶望してる人間にここまでするとは…」
僕は湯沸かし器としては、とても優秀である。
何故なら保温機能もあるらしく、十秒数えたくらいでは、まだまだ熱々であった。
 怒りで体が震えると言うのは決して比喩ではない。
「おやおや、十秒数えたのに、怒りは治りませんでしたねぇ。
 確かにファンとは言いましたが、私が王子であるとは言ってませんよ。本当昔から、せっかちおばかさんですね」
「…じゃあ本当に君は誰なんだ。」
 殴りかかりそうになる右手を抑えて、今出せる一番優しい声で問いかける。

「私は…、物語とはさほど関係ないので、そうですね町人だと思ってください。」
 予想外な答えに、苛立ちすら覚える。
「さすがにただの町人が僕のために何度も探してくれてるわけないだろ」

「あなたは紛れもなくシンデレラの生まれ変わりです。
はい、ところでシンデレラのお話しをご存じですか」

 腑に落ちない所も多々あるが、唐突に投げかけられた質問によって、怒りはまた保温機能に切り替わり、幼稚園のときの読み聞かせの時間を思い出した。

「あんまり覚えていないけど、
父が亡くなって…継母と義理の姉たちにいじめられてたシンデレラが素晴らしい魔法の力によって
…のし上がる話だよね」

 朧げな記憶を頼りにポツポツと喋る。

  僕の言葉を聞いた女の子は一瞬驚いた顔をして

「…ではその素晴らしい魔法をかけた、魔法使いのお話はご存知ですか」


 シンデレラに魔法をかけた魔法使いはとても優秀でした。
 成人魔法使いでも難しい魔法は教わらなくとも使えましたし、使い魔も誰よりも召喚することもできました。
 魔法使いには一つ悩みがありました。
 それは、優秀故に人の気持ちがわからないことです。親はとても不気味がっていましたし、もちろん友達はいませんでした。
 そんな魔法使いの唯一の趣味は、人間界の女の子を魔法の鏡越しに見つめることでした。

 魔法使いと同じくらいの年齢で、魔法使いと同じくらい賢い彼女は、周囲からとても愛され、他人を思いやる姿は非常に興味深く、研究対象として見ていました。

  ですが、次第に魔法使いは彼女を観察するのをやめてしまいました。

 完璧な彼女に対し、憧れと嫉妬、綺麗な感情と汚い感情が複雑に絡まり合い、自分の中でどうしようもなくなったからです。

 魔法使いは、研究をやめ、彼女になりきる実験を始めました。
 そして、彼女として日常生活を送ることで孤独な天才から友達の多い天才になりました。
  相変わらず、人の気持ちはわかりませんし、魔法使いは何も変わっていませんが、
 彼女の真似をするだけで、両親は打って変わって魔法使いのことを自慢し始めましたし、疎ましがっていた友達も集まってきました。

 月日が流れ、魔法使いは自分が孤独な天才であったことを忘れていました。
 そんな時、人間界の王家が舞踏会を行うという噂を聞きました。
 ついでに容姿端麗な王子が結婚相手を探しているという話も。
  魔法使いは、真っ先に彼女が浮かびました。
 そして久しぶりにあの鏡を覗いて見ました。

 魔法使いは愕然としました。

 あの美しくも賢く、そして優しかった彼女がみすぼらしい姿で物置で寝ていたのです。
 原因はすぐにわかりました。
 美しく優しかった彼女の両親はすでに亡くなっていて、似ても似つかない醜い人間が、家族に入り込んでいました。
  魔法使いは、自分のことのように怒りがこみ上げました。
 そして自分が彼女の幸せを奪ってしまったのではないかと不安になり、居ても立っても居られなくなりました。

 魔法使いは人間界に、彼女の元へ飛んで行きました。



「そして僕の知ってる話に繋がるんですね。」
「おや、さすが察しが良いですねぇ。
そうです、魔法使いはその後、あなたに馬車とドレスとガラスの靴を授けました。」
「そして熱狂的なファンではなく、あなたは…。」

 魔法使いの彼女は、バツの悪そうな顔で笑ってみせた。

「僕、ずっと子供の頃から思っていたんですけど、物語では魔法は十二時に解けてしまいます、
でもガラスの靴は解けませんよね。
本当は解けない魔法もかけられたんではないですか」
全てを信じたわけではないが、目の前に物語の登場人物が現れるということなんて、滅多にあることではないので
純粋な疑問を彼女に投げかけた。
 彼女は、世界が終わると告げられた時のような表情で、ふふっと笑った。
「そうですね、なんせ魔法使いは天才ですから、
金銀財宝を授けることも、一生解けない魔法をかけることも、人間が想像できるくらいの魔法は容易に叶えられます。
ですけど、…その時は解ける魔法がいいと思ったんです。」
「どういうことですか」
 強気な姿はもう跡形もなく、ずっと泣いているような笑っているような、そんな表情で喋り続ける。
「魔法使いが憧れたシンデレラは、いくら落ちぶれてもきっかけさえあれば、また輝けると思っていました…。
 魔法使いは人の気持ちがわからない落ちこぼれですからね。」

 何かが、おかしい気がする。

 そんなに複雑な気持ちで語る内容ではないはずだ。
 魔法が解けたからって結局シンデレラは、狙い通りガラスの靴のおかげでみすぼらしい姿でも王子に見つけてもらえて、幸せになっているじゃないか。

 魔法使いはしばし黙り込み、そして重たい口を開いた。
「シンデレラは…あの後、自ら命を絶ちました。」
相槌を打つことも許さない、強い衝撃が心を襲う。

「さっきあなたが話してくれたシンデレラは、王子が書いた話です。
王子は死ぬまで結婚相手をシンデレラだと思っていましたし、なんら問題はありません。」

 僕は、次々と頭の中に爆弾を放り込まれ、今までの常識が全て覆ったかのような感覚に陥った。

「私は人の気持ちがわからない。
王子だって誰だってあの子を一目見れば好きになるはず、今は少し環境が悪いだけで、きらびやかな格好をさせて、みんなが羨むような人と幸せな時間を過ごせば、あの子が幸せになれると思った…。

 私があの子を殺した。」

魔法使いは震える声でそう言い放った。
「でも、王子はシンデレラを探しに来たんですよね?」
 だったら、魔法使いのせいではないのではないか、頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
「私はなにもわかっていなかった、
王子は一目見れば、どんな姿でも彼女を見つけられると思っていた。
 そして、着飾った偽りの自分が評価される虚しさ、そしてバレてしまうかもしれない怖さも、
女性の足のサイズなんて、さほど変わらないということも、目の前で自分以外の女性が選ばれる残酷さも、
 何もかもわかっていなかった…。
私があの日、再び彼女を見つけた時には、もう昔の彼女は死んでいたのに。」

「王子は町中の女性にガラスの靴を履かせて、ぴったりな女性と結婚したと言われていますけど…。
舞踏会に行ってないことになっているシンデレラには権利すらなかったということですか…。」
魔法使いは深く頷いた。

「心臓が動いていることだけが生きている証ではない、明るく優しいシンデレラは、もう死んでいたということですか…。」

 永遠のように長い一瞬が流れ、魔法使いはその場に崩れ落ちた。

「…私が二度も殺した、好きだった、憧れだった、あんな風になりたかった、大好きだった、恋とか愛とかわからないけど、私はシンデレラが好きだった、確かに好きだった。
私は人の気持ちがわからないから幸せにはできないけど、彼女からたくさんの幸せをもらった、本当に幸せになってもらいたかった、

 だけど殺した…。

 私はシンデレラを殺したのだ。」


 僕は、わんわんと泣く彼女になんと声をかけるべきなのかわからなかった。

 というよりも、かける言葉がないのだ。

 どの立場から僕は声をかけるべきなのだろうか、シンデレラは彼女のことを恨んでいるのだろうか、わからない。
「僕…思うんですけど…。
 辛いことがあると、たまに時が解決してくれるよ、一年後には笑えてるよ。
 みたいな的外れなアドバイスしてくる人いると思うんですけど、あれ…おかしいですよね…。」

 自分でもなんの話をしているのかよくわからなかったが、何か、なんでもいいから声をかけなければ、と思い、思わず漏れた僕の気持ちであった。
 下を向いて泣いていた彼女は少しだけこっちを向いてくれた。

「時がいつも健康だとは限らないと思うんです。
病気だったらどうするつもりなんだろう。
長い年月をかけて、時が人を殺すことだってあると思うんですよ。」
 彼女に言っているのか、はたまた自分に言っているのか、わからない。
 的外れなのは自分ではないのかと思いながら話を続ける。

「だから、シンデレラを殺したのはあなたではない、時が殺したんです。
僕にはわかる。寂しさが人を狂わせるんです。
だいたいおかしい人間っていうのは寂しいんです。
人に優しくできるときは自分に体力があるときだと思います。
誰だって弱ってるときに優しくなんてできない。」
 息を切らしながら、感情に釘を打つかのように喋り切る。

 彼女は俯いたまま、ゆっくりと立ち上がり、膝を払った。

「少し前に、自殺しようとしていたあなたに
そんなことを言われるなんて思いもしなかったですね…。」


 彼女は青と緑の絵の具を零したような表情でクスクスと笑いながら、僕の目をじっくり見つめた。

「シンデレラが亡くなって、私は何度も何度もあなたを探しました。
そして何度も自己紹介をしました。
そして、何度も私の目の前であなたは死んでしまいました。」

 僕はたまらなくなった。
人が目の前で亡くなるなんて人生で体験するかしないかの出来事を、何度も何度も経験する辛さ。
 そして今回も死ぬのかと思いながら声をかけるしんどさ、想像を絶するものである。

「どうせあと数分で死ぬのかもしれない、
 だけど少しでも話をしたくて、少しでも生きていて欲しくて、怒った顔も笑った顔も見てみたくて、どんな声で話すのか、どんな歌を歌うのか、
 あなたのことが知りたかった…」



彼女は人の気持ちがわからないと言っていたが、

 実際誰も他人の気持ちなどわかるわけがない。

 世の中を平然と生きている人々は、
 さも、人の気持ちがわかるかのような顔をして生きている。

「シンデレラ、あたなと今日話してみて、やっとわかったんですよ。
私があの日かけるべきだったのは、あなたを着飾る魔法ではなく、
 おやおや、どうしたんですか。って声をかけるべきだったんだと。」
「そして、僕が言う。なんでもないよ。
今は少し辛いかもしれないけど、お母さんやお父さんは亡くなるときは、もっと辛い思いをしただろうし、少し寒いですけど寝るところもあります。
食べ物も一日一回は食べられます。
御姉様たちは私に仕事を与えてくださいます、
贅沢な悩みです、幸せです。と」
「魔法使いの私は続けてこう言います。
他人の不幸と、あなたの辛さを一緒にしてはいけませんよ。
贅沢な悩みなんて存在しませんし、あなたの心を蝕んでいるなら、それはれっきとした悩みです。
そして他人からかけられる苦労は、ただの迷惑です。
 私に話してくれませんか、決して笑わないから。」

 僕たちは目を合わせて、心の糸が緩んだように泣いた。
  僕の涙と彼女の涙は、違うかもしれない、だけど同じかもしれない。
 悲しいような、嬉しいような、寂しいような、複雑な感情が代わる代わる前面に押し出される。

「僕…思うんですけど…、シンデレラは、あなたに感謝していると思います。
魔法をかけて人生に彩りを添えてくれたこと、そして、自分ですら自分を見失っていたのに、あなたが見つけてくれたことに、
きっと感謝しています。」

 どこかで鐘の音が響く。
 そうか、もうこんな時間なのか。腕についている時計を見る。針は十二を指している。

 僕の生きている時代では、魔法は非現実的だと言われているし、王子も現れない。
 時代が進んだ今だって、人の気持ちはわからないし、聞いてもみんな本当のことを言わない。

 大きな人の流れに置いていかれないように、
 波を立てないように混ざって溶けて自分を消していく。みんなという流れに混ぜてもらえないと死んでしまう世の中、
そんな時代に生きている。

 今度は脱げないように、靴をしっかり履こう。
 まだ靴は新しい。底を減らして、しっかり自分の道を歩こう。


「私と少し踊りませんか」

 
  魔法使いが聞き馴染みのある台詞を唱える。そして僕はにっこり笑って

「鐘がなり終わる前に帰らないと。」

屋上の出口を開いてゆっくりと階段を下っていく。
シンデレラサイズの革靴は脱げる様子はない。

 お腹が空いた、今日は大好きなオムライスでも食べようかな、…その前に上司に謝りに行こう、気は進まないけど…。

 そんなことを考えながら階段の最後の段を下り終える。
 

 僕は名刺を一枚、階段に落として帰るのだ。

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