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補給長 御手洗の憂鬱

何となく書いてしまった風波シリーズ第3弾です。


だって、カレーは本当に美味しいですもの♡


出港して1週間ほどたったある昼下がり。大海原を漂いながら、今日は今のところ平穏な時間を送れている。



――今夜は綺麗な星空を拝めそうだな――



などと呑気のんきにそんなことを考えていた矢先、




「み、御手洗みたらい補給長!」


「なんだ近藤、さわがしい」



穏やかな日常を打ち破り、男が一人転がり込んできた。


昼から戻ったばかりの御手洗は、手に持っていたコーヒーを置きたしなめる。



「失礼しました!」



慌てて敬礼する近藤士長は、この艦に配属されてからそろそろ1年を迎える。まだまだ若さが表に出がちだが筋はよく、御手洗も特に目をかけている隊員のうちの1人だ。今日は奇しくも金曜日。近藤は、今週交代となった士官室係のうちの1人……となれば。



「高橋一尉か」


「はい、本当に微動だにせず睨みつけてるんですよ、親の仇みたいに」



困り果てた様子の近藤に、御手洗も頭を抱える。



――やれやれ、今日もか。しかし、一体全体なんなんだ――



御手洗はにわかに憂鬱ゆううつになりながらも、近藤に持ち場へ戻るよう告げ、重い腰をあげ追従する。近藤を部屋へ戻す際、そっと室内なかを伺うと。確かに、他の幹部に混じって座る高橋が、腕組み目の前のトレーを睨みつけている姿が目に入った。


“ひと口ふた口食べた後、収納された食堂の椅子の如く動かなくなる”というその奇行が、初めて御手洗の耳に届いたのはひと月ほど前のことだった。何か不手際でもあったのかと、その日のうちに高橋本人にも確認したのだが、



――いえ特に何も。今日も美味しく頂きました。ご馳走様、――



と話はそこで終わってしまい。 他の隊員からはなんの苦情もない以上は、御手洗としても引き下がるしかなかったのだが。


しかし、その後も金曜が来るたびにその儀式は続き、漏れなく報告を受ける形となった御手洗にしてみれば結構な頭痛のタネだ。


この珍妙な儀式が始まった当初は、周囲の幹部たちもなんだかんだと構っていたらしいが、理由わけを知ったのか、それとも時間内に残さずきちんと食べ終える為なのか、今ではすっかり放置されている様だ。



――これじゃあ、伝統ある我が艦のカレー曜日が、魔のカレ曜日ーになっちまう――



御手洗は、



――ここは一度、専任に相談するしかないか――



そう判断し、その日のうちに専任伍長の元へと向かった。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



「あー、あれか。確かに不気味だよな」



御手洗の持ち掛けた相談に、専任伍長の榎本えのもとは肩を揺らして笑う。



「専任!笑い事では、」


「いや、すまんすまん。いや、まあ分かっちゃいるだろうが給養になんら落ち度はない」


「専任は理由わけをご存知なんですか?」



榎本は、困ったようにうーん、と唸る。



「知ってる。知ってるが、極めて個人的な理由なんでな。勝手にベラベラしゃべる訳にもいかん。そうは言っても、あんな形相で誇りあるカレーを毎度毎度睨まれたら、お前たちだって堪らないよなぁ」



少し考え込んだ榎本だが、膝をパン!と打ち立ち上がる。



「まあ、ちょっと俺に預からせてくれるか」



専任にそう言われたら、任せるしかない。というか、任せれば間違いなく解決する。


これで糸口が見えたと確信する御手洗は、



「ご面倒おかけします!」



と一礼し、部屋を後にする。少し軽くなった肩を揉みながら、残してきた業務へと意識を戻していった。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



「補給長、少しお邪魔しても構いませんか」



御手洗が専任へ相談を持ち込んだ、その翌日。


提出書類のチェックをしていた御手洗のもとを、なんとコトの元凶である高橋本人が訪ねてきた。



「高橋一尉、どうされましたか」



実は御手洗は、誰に対しても礼節を忘れず細かに心を配る、何年経っても謙虚で真っ直ぐなこの高橋に対して、かなり前から好感を持っていた。それは運命共同体云々(うんぬん)以前のものであり、恐らく他の補給員も同じ気持ちだろうが。


逆を言えばそんな高橋だからこそ、何が理由であんな儀式になったのかと、怒りや怖れよりも戸惑いの方が大きく、ここまでの騒ぎになったという一面もあるのだろう。


部屋に入ったものの、冷静でその判断力にもけている普段の高橋らしくなく、どう切り出せばいいのかと迷った様子が伺える。



「どうぞ、お掛け下さい」



しかし 高橋は、勧められた椅子に腰掛ける事なく、



「この度は、ご迷惑をお掛けしすみません」



と、御手洗に深々と頭を下げた。



「高橋一尉、おやめください。お話は伺います。まずは腰を下ろされては」


「有難うございます、」



高橋が腰掛けるのを待ち、きっかけを作る。



「一尉がいらしたのは、カレーの事ですよね?」



直球の御手洗に、ピクリと高橋が反応する。が、直ぐに頷き



「実は、今カレー作りで悩んでます」


「一尉がですか?」



高橋が、いくら海自の艦艇ふな乗りであっても。補給員でもなく、ましてや諸事情で伸びていた入校がようやく決まったらしいこの彼が、今この時期にハマる趣味としては少しばかり意外に感じるが……まあ、気分転換にでもなるのだろうと御手洗は考えを巡らせる。しかしカレー作りでそこまで悩むとは、一体どういう事なのか。



「少し訳あって。美味うまいカレーをなるべく早く作れるようになりたいと思ってます。この艦のカレーも公開レシピ通り、帰る度に何度か作ってみたんですが……頂くものと何か違うんです。それが何なのか分からず、つい頂きながら考え込んでしまい。まさか、それが元で皆さんにご迷惑をおかけするとは考えが至らず、本当に」



階級が2つも下である御手洗は、再び頭を下げる高橋を慌てて制する。



「いや、もう分かりましたから、どうか頭を上げてください」



御手洗は、思い出していた。この高橋が一昨年結婚をした事。それを機に、人としてもより深みが増してきた事。



「一尉、少し立ち入った事を伺っても宜しいでしょうか?」


「自分に答えられる事ならば」


「その、美味うまいカレーを作って差し上げたいお相手がいらっしゃる?」



ボン!と音がしたかと思う程、目の前に座る青年の端正なその顔が、見る間に赤く染まる。



「……分かりますか」


「いやいや、ただの年寄りの勘ですよ。そうですか、カレーがお好きな方なんですね?」


「恥ずかしながら、相手は妻です。自分は知らなかったんですが、なんでも以前後援会へ所属していた頃から、カレーには煩いと少しばかり知られてたそうで、」



――後援会……カレー……――



「えっ、一尉の奥様って、まさか“あの”三枝遥さんではないですよね! ?」


「……補給長もご存知なんですか」



知ってるも何も。隠し味が隠せない強者あいてとして、その名を知らぬ古参の補給員は居ない。居たとしたらモグリだ。



――参ったな、――



と照れながら頭を掻く高橋を驚き眺めつつ、しかし、どうしても自分の手で作りたいというその理由が、



――いつで笑顔で自分を支えてくれる、カレー好きの彼女に。なんとか入校前までにささやかなサプライズをしたい――



というものだと知り。なんとも健気なその理由に、これはひと肌脱がねば男がすたる、と御手洗のスイッチが入る。聞けば、一般社会では、年度末が目前に迫るこの時期、高橋の奥方も定時で終わる事は先ずあり得ないのだとか。しかし、どんなに疲れていてもカレーなら食べるらしい。



「分かりました。艦の宝である秘伝のレシピをまるごと伝授する事は出来ませんが、任せてください。但し、次の帰港まで暫く厨房に通って頂くことになりますが、宜しいですか?」


「いや、忙しいのに個人的なことで煩わせる訳には、」


「一尉、他の補給員ものでも同じ事を言うと思います。ここはどうぞお任せください」


「……本当に良いのでしょうか」


「もちろん、上の許可も貰いますからご心配なく」



よほど行き詰まっていたのだろう。まずは艦内の給養員にも事情を説明することへの承諾を得た御手洗は、高橋の自宅の調理器具や火力、自宅にあるスパイスの種類など、分かる範囲で構わないので情報をくれるように、と頼み。どこかホッとした面持ちの彼の背中を見送る。御手洗は、金庫から、歴史のある、ボロボロのノートを数冊取り出し机の上でパラパラとめくる。


帰港まであと3週間もないが、やる事は山ほどある。部下含めて日頃から何かと世話になっている高橋の力になりたい、という気持ち“も”紛れもなく御手洗の本心だが。


しかし、この艦の補給長として。あの伝説ともいえる相手と、間接的にでも対峙する機会を得られたこの偶然に。長年給養員として培った、給養員魂が燃え上がる。



――これは、非常呼集だな――



この、魂を掛けた一大イベントに力を注ぐべく、御手洗は昔この艦に勤務していた女房に連絡を取る。


御手洗との結婚を機に、



――家庭を守るのは妻の役目――



と、ひと足先に陸に上がった彼女は、今は艦の母港で給養員をしている。が、嘗て共に包丁を握っていた彼女は噂話も苦手なタイプであり、十分情報共有の許容範囲だろうと判断する。何より、独特の発想をする彼女の意見はなかなか鋭いものもあり、この手の作業には必要不可欠だとも思えた。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



「だだいま〜。涼介、いつ帰ったの、って。なに、やだもう良い香り!」


「お帰り、」



高橋がそう言い終える前に、パタパタと転がるように駆け込んできた遥が後ろから抱きついてきた。



「涼介もお帰りなさい。あ~、本当に涼介だ~。あ、ねぇねぇ、カレー?カレー作ってくれたの? 」


「ああ、お腹空いたろ?一緒に食べよう。早く手洗っておいで」



抱きついたままスリスリして離れない頭を撫でると、



――は〜い――



と、照れくさそうに洗面所へ飛んでいった。


あんな姿見ると、一瞬、今すぐふねを降りてしまおうかとの誘惑にかられるが、まあ実際にはそれはない。



――さて、と――



2週間ほどの間にみっちり叩き込まれた、御手洗補給長のオリジナルカレー。具材の切り方、それらを炒める手順、ルーの作り方、水加減、アク抜き、火力調整。そして忘れてはならない、ご飯の炊き方。全て手順通りにやり切ったと自負する高橋は、評価待ちさながらに、緊張しながら盛り付ける。ちょうどそこに遥が戻って来た。



「嬉しいなぁ。涼介のカレー、楽しみだったの」


「カレーくらいいつでも作ってやる。さ、明日も仕事だろ、食っちまおう」


――頂きま〜すっ――



パクッと食いつきの良い遥の様子を盗み見る。が、余程お腹を空かせていたのか、実に嬉しそうに、夢中になって食べている。


高橋も何食わぬ顔で食べ始めるが、鬼の御手洗の特訓のお陰で完璧に出来たと思う。……多分。



と、半分くらいまで食べ進めたところで遥がふと手を止めた。


高橋は、何気にどきりとする。


少し考え込むような遥に、思い切って声を掛けてみた。



「遥、どうした?」


「え、ううん、ごめん何でもない」


「口に合わなかったか?」


「まさか!今日のカレーもすご〜くすご〜く美味しいです!美味しいんだけど、」


「けど?」


「作り方変えたでしょ。あと、もしかして……」



高橋は、遥の推理を聞きながら。

彼女のカレー愛と知識レベルの高さというか、カレーに対する執着というか。桁違いだったかと思い知る。


しかし、心底幸せそうにカレーを頬張る遥の顔を見れば、そんな事はどうでも良く。



「今までのカレーも本当に美味しかったんだけどね、今日のカレーが一番好きかも」



そんな可愛い笑顔で褒められたら、本当についうっかり艦を降りてしまいそうだ。


今回の甲羅干しは3日しか猶予がない。その後は短期の航海を経て帰港し、高橋は入校のため艦を、そして此処を離れる。


時間が遅かったため、泣く泣くお代わりを我慢せざる得なかった遥が風呂に入っている間に。多めに作ったカレーから、幾つかのフリーザーバッグに取り分ける。



――よし。明日はシーフードのヤツを作るか、――



今回、御手洗から叩き込まれたカレーのレシピはあと1つある。毎日カレーでも幸せだという遥の為、数日間分のストックを用意する予定だ。



しかし。今更ながら、あの艦の人数分の食事を、毎日3食きっちりと賄う給養員というのは実に凄いもんだと感服する。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



「もー。そんなに気になるならメールでもしたら良いじゃない」



カレーの成果が気になり落ち着かない御手洗を、呆れ果てた妻が切り捨てる。



「バカ言うな、非常でもないのに休暇中の夜更けに連絡できるか」


「でも、いつも話しているあの高橋一尉なんでしょう?だいたい、今回助け舟を出したのはこちらなんだし、様子伺いくらいなら大丈夫なんじゃないの?」


「しかしな、やはりこの時間に邪魔するのもなぁ」


「まあ、それもそうね。しかし、本当に奥様一筋なのね、その高橋一尉って人」



笑いながら追加のツマミを手に、妻である雅美まさみが台所から戻って来た。



「ずっとお父さんが付きっ切りで叩き込んだんでしょ?それならきっと大丈夫よ」



さも自信ありげに断言する彼女に酌をされながら、御手洗も



――まあ、明日にでも様子を伺うか、――



と、ようやく手にしていた携帯を置いた。




この時御手洗はまだ知らなかった。苦心惨憺くしんさんたん、短時間で練り上げた割には結構な自信作となった、あのレシピの隠し味が……既に遥により突破されたことを。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



“魔のカレー事件”から暫く経ったある平日の午後。


埠頭には、出港を見送る隊員の家族たちが見送りに来ていた。


次の帰港は3ヶ月ほど先の予定となる。



「身体に気をつけて。また夕焼けとか星空の写真送ってね?」


「ああ、送る。お前も、余り無茶するなよ。また留守番頼むな」



久し振りに見送りに来た女房との暫しの別れに、ちょっと切なさを感じる。


御手洗が、柄にもなくセンチな気分に浸っていると、



「御手洗補給長」



そこへ、先日艦を後にした筈の高橋が近付いて来た。思い入れのある艦と仲間を見送りに来たのだろう。その横には、印象的な柔らかい笑顔の女性を伴っている。



――ああ、この方が――


「すみません、水入らずのところお邪魔してしてしまって」


「いえ、古女房ですからお気になさらず。一尉、妻の雅美です」


「初めまして、高橋です。補給長には本当にお世話になりました」


「とんでもございません、主人の方こそ、日ごろから高橋一尉には何かと気にかけて頂いていたとか。感謝しております」


「一尉、そちらの方が……?」


「はい、妻の遥です」


「初めまして、高橋の妻の遥です。お世話になっております。先日はカレーの件でもお騒がせしたみたいで。本当に申し訳ありません。奥様にまでご迷惑おかけしてしまって、」

 

「いえいえ、大した事をした訳ではありません。しかし高橋一尉の奥方が、まさかあの三枝遥さんだったとは驚きましたが」


笑う御手洗の横で、雅美も



――本当に驚きましたよねぇ、――



ウンウンとひとしきり頷く。



「ええと。私、いったいどんな人間だと思われてるんでしょう……そんな大したものじゃないのに、なんともお恥ずかしい限りです」


「いや、先日も全ての隠し味を当てられたと一尉から伺いましたよ。そこは是非自信を持たれては」


「本当にまぐれ当たりなんですよ、ねぇ?」


「いや、正直俺もあそこまでとは思ってなかった。なかなか大したもんだと思うが」



暗に援護を求めたつもりの遥は、高橋の返答に思わず苦笑いする。


実は、御手洗としてはまだ白旗を立てたつもりはない。仲睦まじく寄り添う2人に、いや“三枝遥”に。今この場で宣戦布告をする。



「奥さん、今回の航海の間にまた新しいの考えて来ます。出来上がったらまたお相手願えますか」


「え、また新しいカレー考えてくださるのですか? !もう、是非是非!お願いします!」



弾けそうな遥の笑顔に、御手洗も



――これじゃあ喜ばせたくもなるのも無理はないな――



と納得する。


すっかり意気投合したらしく、雅美と談笑する彼女の姿を目を細め、優しく温かい眼差しで見守る高橋を見ると。つい何でもしてやりたくなるのは謂わば親父心なのか。


御手洗は、この先の厳しい試練を乗り越えて、更にひと回りもふた回りも大きくなった彼と、いつかまた同じ艦で働きたいものだと心から思う。



――さて、次はどう攻めるか――



母港に別れを告げた御手洗の脳内は、食材の組み合わせやレシピで溢れ始める。


素材を持ち味を損なうことなく、深みのある味わいを出すには数々の行程や創意工夫が必要となるが、それこそ正に御手洗の至福の時間だ。


すっきりと憂の消えた御手洗補給長の戦いは、まだ暫く続く。







 

拙い文章をお読みくださり有難うございました。


またお会い出来たら幸いです☆彡

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