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短編集 詰め合わせ

向かい側の少女

作者: 忍者の佐藤

ヒグラシの()く夕暮れ時、

俺がいつも通り窓際(まどぎわ)の席に陣取り本を読んでいた時のことだ。

ふと椅子(いす)を引く、木で床をこする音がしてテーブルの対面に誰かが座った。


あと30分足らずで閉館(へいかん)するこの田舎の図書館に人が来るなんて珍しいなと思いながら、ふと本から顔を上げて相手の顔を確認する。


その瞬間 俺は息を飲んだ。

それは未だかつて見たことがないほど整った顔立ちをした少女だったからだ。

夕陽で照らされている彼女はこの世のものではないかのように(はかな)く、おぼろげだ。

黒く長い(かみ)(つや)やかで、本を読むために()せた目は優しく、どこか色気を感じさせる。

まるで中世の絵画(かいが)を見ているかのようだった。


ふいに少女が俺の方を向いた。

慌てて目をそらしたが俺の脈拍数(みゃくはくすう)は一気に()ね上がる。

あまりにも少女に見とれていたため気付かれたのだろう。


俺は汗でにじんだ手を胸に当てて心臓(しんぞう)高鳴(たかな)りを感じながらも、どうにか平静(へいせい)さを(よそお)っていた。

もう読書どころではない。

俺はどうしてもこの少女との(つな)がりが欲しいと思った。


話しかけるか?

いや無理だ。俺は友達と話す時であっても、どもってしまって上手く話せない。

こんな美少女に話しかけでもしたら緊張(きんちょう)興奮(こうふん)心筋(しんきん)梗塞(こうそく)を起こしかねない。

そもそもここで見知らぬ女の子に声をかけられるくらいなら、こんな時間まで一人で本なんか読んでいない。


……それならどっかのアニメ映画のイケメンストーカーみたいに この娘の借りそうな本を(かた)(ぱし)から借りて記載(きさい)された俺の名前を覚えてもらうのはどうだろうか?

いや、あれはイケメンだから許された事であって俺がやったら

刑事(けいじ)事件(じけん)逮捕(たいほ)起訴(きそ)だ。

この歳で人生を終えるのは少し嫌だな。


じゃあ、どうする?


そうだ、(くつ)(にお)いを()ごう。



確かにこの方法では彼女と直接的な知り合いにはなれないかもしれない。

それでも(かま)わない。こんな俺が彼女との繋がりを持てる方法は他にない。


俺はとても匂いフェ、いや(するど)嗅覚(きゅうかく)を持っている。

もう会えなかったとしても、俺の(はな)は一生彼女の匂いを覚えているだろう。


(ぜん)は急げだ。

俺はカバンの中からペンを取り出し、わざと机の下に転がした。


「おっと、ペンが落ちたぞ拾わなきゃ」


俺はかがんで机の下に入る。


一言。絶景(ぜっけい)だった。


薄暗(うすぐら)い机の下、短いスカートの中に(のぞ)(やみ)。彼女の靴につながる黒いレギンスは一層その細い足を際立たせてみせていた。

俺の脈が再び(はげ)しくなる。


それは俺にとってどんな官能小説よりも、映画のラブシーンよりも刺激(しげき)に満ちた光景(こうけい)だった。


俺はゆっくりと彼女の方へ進んでいく。

彼女の黒くツヤのある靴が近づくにつれ、俺の欲望は全てをさらけ出せと()え立てる。


自分を落ち着かせるように、俺は(しず)かに目を閉じた。

視覚を遮断(しゃだん)した俺の嗅覚はより鋭さを増す。


彼女のいる方からサウナの中にいるような、湿(しめ)った、ほのかに甘い匂いが届いて来る。


ああ。これが世界。


俺は急ぐ心を必死に制しながら

匂いを頼りに彼女の足元にたどり着いた。

そして(うで)を曲げ靴に鼻を密着(みっちゃく)させる。


今だ。


俺はまるで真空を作り出そうとするかのような(いきお)いで力一杯息を()い込んだ。


脳みそが()れる。

俺の全細胞がこの匂いを待っていたと歓喜(かんき)する。

立ち込める夕立、(けもの)のような激しさ、それはただの匂いではない。

もっと直接的な、そう。愛。


全てを悟り、平和を見出(みいだ)した俺が彼女の靴を()め始めたのは、

それは漁師が魚を捕ることのように自然な行為(こうい)だった。


俺は(した)をめいいっぱいに出し、彼女の靴をまるでカタツムリのようになぞる。

その瞬間、俺の口に広がる幸福感(こうふくかん)

俺はまぶたの下で確かに光を見た。

一筋に差し込む、高貴(こうき)な光、全人類の希望、ああ。


俺は子犬のように夢中で()め続けた。

それが俺のカルマであるかのように、あるいは(いの)りだろうか。


「き、君何してるの!?」


ふっ、気付かれたか。

しかし()いはない。俺の人生がこれで終わろうと

俺の体験した奇跡は真実で、永遠(とわ)だ。



俺はそこまできて声の主が男であることに気づく

目を開けるとそこには俺の唾液(だえき)湿(しめ)った革靴(かわぐつ)


顔を上げるとそこにはハゲたおっさん。


「!?」

声にならない声が出る。


思わず()び上がった俺は机で思いっきり頭を打ち、

その痛みが完全に俺の意識(いしき)を現実に引き戻した。


「なんか足がムズムズすると思ったら、君が四つん()いになって僕の靴を()めていたから(おどろ)いたよ」



俺は飛び出しそうなほど目を見開き状況(じょうきょう)を整理していた。

おそらく、少女はなかなか机の下から出てこない俺を気味悪(きみわる)がり席を立ったのだろう。そして偶然(ぐうぜん)彼女の席に座ったこのオッサンの足を俺がババババババ


俺は絶叫(ぜっきょう)した。

それは体の全てを吐き出すかのような叫びだった。


この日のこの体験は何年経()っても俺の心に(かげ)を落とす(やみ)となるだろう。


紫色(むらさきいろ)入道(にゅうどう)(ぐも)が浮かぶ空の下、

(あざ)やかに色づく憧憬(どうけい)の中で

ヒグラシの(かな)でるレクイエムは果たして夏のためか 俺のためか。


終わり


最後までお読みいただきありがとうございました!

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