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ロバート&ニキータ 4

 局後の記者会見でロバートは多くを語らなかったが、「チャンピオンには一切の疑問手も悪手も無い、最善手だけだった」などと第三者のように言った。ニキータも言葉少なだった。

 ラモスはロバートに、まだマッチは始まったばかりだなどと労りの言葉をかけたが、真田はそうはしなかった。彼はロバートの手抜きを疑っていた。

 続く第二局で白番のロバートはまた消極的に指した。観戦しているヴィクトールは「まるで私みたいな棋風だ」などと皮肉った。誰もがロバート二連敗を確信する中、ロバートはエンドゲーム(終盤)で誰も見えてなかった手順からステイルメイトに持ち込んで引き分けにした。ニキータは眉を吊り上げて、机の下で足をのばしてロバートの足を踏んだ。

 真田はステイルメイトに持ち込んだ手順を見て確信した。

『ロバートは手を抜いている!』


 三日目はレストデイで対局は休みだった。真田は朝からロバートを誘ってモスクワ市内を歩いていた。

「新聞とテレビ見たか?」と真田が言った。「史上最強のチャンピオンニキータが初めて勝ちを逃したって大騒ぎだ。史上最強の挑戦者ロバートだってさ。ステイルメイトに持ち込む手を見た時のニキータの驚きようは面白かったな。椅子から三十センチは浮いたんじゃないか?」

 これにロバートは「光栄だね」としか答えなかった。ロバートはようやく見知った道に入ったとわかった。真田は行先を秘密にしていた。

「もしかしてあそこか?」とロバート。

「ああ」と真田が言った。「今日はジュニアの大会をやってるんだ。気分転換に見学するのも良いだろう」

 彼らはモスクワチェススクールに来たのだった。


 二人は広いホールで大勢の子供達が対局しているのを見た。壁際には我が子を見守る保護者達がそわそわしていた。ロバートと真田の姿を見ても子供らはあんがいおとなしく、保護者らの方が色めき立ってヒソヒソと騒がしくなった。

「お前にもこういう可愛い時期があったのか」

 と真田が言った。

「うーん」とロバートは唸って「ちらほらとFM、IMクラスの子たちもいるな」

 と真田の言葉を無視した。

「見ろよこの子たちの目を」と真田が言った。「みんながお前やニキータに憧れてる。未来のSGMになろうとしてる」


 二人はホールを出てひと気の無い廊下に行き当たった。

「さて本題だ。用件はわかるな?」

 と真田が言った。

 ロバートは笑って、

「なんだバレてたか。さすがサトシだ」

 と言った。

「俺だけじゃない。ニキータは当然として、ヴィクトールも気が付いてる。もしかしたらアーロンとレオニードもわかってるかもな、お前の手抜きに」

「ただ気分の問題だ」とロバートは言った。タバコを吸わない彼はこういう時に自分が喫煙者だったらと思った。「サトシの気持ちはわかるが個人的な問題さ」

「怖いんだろう?」と真田が言った。ロバートの眉がぴくりと動いた。

「怖いんだろう? 勝つのが」

 ロバートは真田と目を合わせていたが、すぐに逸らした。そして革靴の踵をわざと床に打ち鳴らしながら行きつ戻りつした。大きくため息をついてこう言った。

「こういう時、タバコが吸えたらなあ! 今だけアーロンの野郎が羨ましいよ」

 ロバートは置き所に困った手をコートのポケットにしまった。

「そこまで俺のことがわかってるなんて、まるで恋人だな。それも理想的な」

「そうだな」と真田が言った。「だけど女に夢を見るのはやめとけ、お前の親友の俺だからわかるんだ」

 ロバートは鼻で笑って、

「ああ、怖いよ」

 と言った。

「今になってわかるんだ」とロバートは傍らにあった柱に身をもたれて言った。「あの時、ヴィクトールがここで言ってたことが......ニキータは寂しい想いをすることになる、そう言ってたな。それは頂点にいるがゆえの孤独だろう? なににおいても、理解者がいないというのは辛いことだ。今度は俺が孤独になる番なんだ」

「そうか。お前がそう考えて悩んでるのはわかってたが、もう少しニキータを信用しろ」

 直立不動のまま背筋を伸ばして動かない真田を見て、ロバートはぶらぶら動く自分を子供っぽく思った。ロバートはタイトル戦の第一局、第二局共に自分の勝ち筋を見つけていた。敢えてその筋に突入はしなかった。黙ったままのロバートに真田は言葉を続けた。

「もしニキータが今のお前に全く歯がたたないとしても......お前が頂点の孤独を味わうとしても、十年待ってろ。仕方ないから俺が追いついてやるよ」

 やや沈黙があってロバートが口を開いた。

「わかったよ。仕方ない......からな」

「そうか、じゃあ第三局、黒番だから最低でもドローだな」

真田はグーでロバートの胸を軽く小突いた。

「ああ」

 ロバートは苦笑いした。真田は、子供達を見てくると言ってホールに向かって行った。ロバートはその後ろ姿を見送って、階段の上にある人の気配に気が付いた。彼は階段を上がった。そうして、階段の折れ曲がった先に腰掛けて棒についたキャンディーを口にしているニキータを見つけた。

「ハイ、ロバート」

 と少年は欧米風の挨拶をした。ロバートはまた苦笑いして、

「ここで何してるんだ?」

 と言った。

「なんかのインタビューだよ。なんかの雑誌に載るみたい。今は待機中」

 ニキータはキャンディーの棒を咥えたままフガフガと言った。

「また唇を切るんじゃないぞ」

 この言葉に少年は微笑した。

「優しくなったもんだね」とニキータは言った。「でも、僕はそんな優しさいらないなあ。本気でやりたいようにやればいいのに......」

「本気で......」とロバートは言った。彼はニキータがさっきの真田との話を聞いていたのだと見当をつけた。「俺が本気でやって、ついてこれるのか?」

「さあね」とニキータは笑って言った。「僕が見たことのない世界を見せてくれればいいんだよ!」

 これにロバートも笑って言った。

「わかった。第三局、楽しみに待ってろ」

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