ロバート インモータル 4
『右の者、真田智史は、要監視社会主義勢力に属する母を持つロバート・フリッツの関係者である。真田智史は二十六歳まで日本で過ごし、高い知能を持ち、高度な大学教育を受け語学に堪能であり、記者職を得てアメリカに渡ってきたものである』
真田に対する報告書はこのような文面から始まる。それに加えて、彼が頻繁に外国でロバートと会っていたこと、彼がロシアのインテリ層と頻繁に連絡を取っていること、度々一人でロシアに渡っていること、現在ではロシア語を身につけてしまっていること......、等々、彼が社会主義勢力と直接又は間接に繋がっているのではないかという疑いを示す事例が並んでいた。
報告書を受け取った男は車の中でタバコを吸いながら言った。
「マス・メディアってのはどうしてあっち側の思想が多いんだろうな?」
「恵まれて育ったんだろ。人間の醜さを知らないのさ」
もう一人の男が言った。
この二人の捜査官は、真田が要監視社会主義団体の幹部と接触するという情報を掴み、彼らが約束の喫茶店に現れるのを車内から窺っていた。
やがて真田ともう一人、初老の男が現れて店に入った。捜査官の内一人が車を降り、彼らを追いかけて近くのテーブルに着いた。
やがて真田と共にいた男は去った。二人の会話内容はただの取材でつまらないものだった。それも当たり障りのないもので、電話かメールで済むようなものだった。
捜査官の男は真田が店から出て、しばらくしてから店を出てもう一人と合流する予定だった。
真田が立ち上がった。捜査官は彼の横顔をチラと見た。捜査官が驚いたことには、真田は踵を帰して彼の隣に体を滑り込ませてきたのだった。
彼は驚きもつつも、一瞬で無礼な人間に対する怪訝の表情を装って、反対側から席を離れようとした。しかし反対側からは黒髪パーマの男が滑り込んで来て、挟まれた彼は身動きが取れなくなった。
捜査官は座ってしまった。興奮した様子で両側の二人を首を振って見やった。
「なんだね君たちは! 私はこれから会計を済ませるんだ!」
捜査官はそう言って立ち上がったが、両側の男に肩を掴まれ座らされてしまった。
彼はまた首を振って二人を交互に見た。また立ち上がったが、また肩を掴まれて座らされた。
「まあ、待てよ。マイフレンド」
と真田。
「そうさ我々は社会主義者ではない。安心したまえ」
とラモス。ラモスは名刺をテーブルに置いた。
捜査官の両肩は二人の男の手の下で、荒い呼吸と共に上下していた。
「何なんだね! 君たちは」
と捜査官。
「だから友達だって言ってるだろ。いつも一緒だったろう? 海外でも......そうだな、ロシアとか」
と真田は微笑して言った。
「海外まで追い掛けるとは、なんて厚い友情なんだろうか」
とラモス。
捜査官は目を見開いたまま小刻みに頷いた。
「そうだ。そうだね。マイフレンド。私は用があるんだ。また会おう」
そう言って立ち上がったが、肩を押さえつけられまた座らされてしまった。
「何が目的なんだ!」
「落ち着けよ。お前たちだって俺とロバートが監視する必要のない人間だってもうわかってるだろう? でも上の指示なら仕方ないよな。俺もサラリーマンだからわかるよ」
「私も元は雇われ弁護士だったが、そういうのが嫌で独立したんだ。何か困ったら是非頼ってくれ」
捜査官はゆっくりと首を回して二人を見た。
「わかった。あの団体の男と会っていたのは俺たちを近くまで誘き寄せるためだったと言うのか」
「その通り。ルアーリングってタクティクスがチェスにあるんだ」
真田は捜査官の肩を叩いた。捜査官は舌打ちをして、
「チェスプレーヤーめ」
と言った。
「さて、質問だ」
真田の言葉に捜査官は眉をしかめた。真田は続けた。
「君は、アメリカを愛しているか?」
......。
翌日、真田とラモスの二人は湖畔のコテージを前にしていた。日本人の真田から見ると、湖の青は濃く、水ではなく硫酸銅を湛えているのかと思う程だった。
「どす青いな......」
と真田は日本語で言った。
「『青い』はわかるが、なんとも聞き慣れない日本語をつかったねサトシ」
と日本かぶれのラモスは言った。
真田がコテージのドアを叩いた。屋内から重い、怠そうな足音が聞こえてきた。
『クリフトンとやらは太っているらしい』
と真田は思った。
ドアを開けて現れた老人は驚いた顔を見せた。
「どうも」と真田は言った。「ここにロバート坊やがいると聞きまして。お話できます?」
「ああ、構わない。いやあ、ワールドカップ準優勝のミスターサナダじゃないですか。どうぞ中へ。ロバートは今、外を散歩していますよ」
中に入った真田とラモスが驚いたことには、部屋の床がチェス関連書籍で山脈を築いていて、本棚になっている壁がほとんど隠れてしまっていたのだった。書籍以外にその中には紙が散らばっていて、印刷された局面図に手書きでメモがびっしりと書かれていたのが大量にあった。走り書きで、密に書き込まれ過ぎているので判読は難しかったが、真田にはそれがロバートの字だとわかった。
「これはすごい......」とラモスが見回して言った。「すべてあなたのですか?」
クリフトンはコーヒーを淹れながら、
「まさか......床に散らばっているのは全部ロバートのものです」
と言った。
真田はメモが書かれた紙を何枚も拾い上げ、目を通していた。
「チェスを......続けていたんだな。よかった......」
丁度二人の客人がコーヒーを飲み終えた頃、ロバートが外から帰ってきた。真田はロバートの顔に陰鬱な表情を見なかった。海外を転戦していた時のアスリートの顔、前回の挑戦者決定戦に挑む時のロシア選手団に対する敵意を露わにする顔、自分の高知能とチェスの実力を鼻にかけた顔、つまりチェスプレーヤー、ロバート・フリッツそのものだった。




