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真田智史 15 役割

 真田はワシントン公園のベンチに腰掛けていた。昼時であったが、曇り空のために薄暗く、風が強かった。

 チェスワールドカップは結局、世界チャンピオン、ニキータ・コトフが順当に優勝した。

 真田はロシアからアメリカに戻って既に一週間が経っていたが、会社に行く気にもなれず、疲労による体調不良などと仮病を使って欠勤し、外をぶらついていた。

 相変わらず、チェステーブルではホームレスと思われる人々が賭けチェスに興じていた。しかし彼らはすぐそばにいる、ワールドカップ準優勝のGMには声をかけない。全うなマスター様はお呼びではないのだ。真田は立ち上がって、公園内を歩き回った。噴水の前に行くと、身汚い老人がアコーディオンを演奏しているのが見えた。彼は老人が金に困ったホームレスだろうと考え、小銭でも恵んでやろうと老人に近づいた。


 真田がすぐ横のベンチに座り、ニキータの知恵の輪をいじりながら、しばらく老人の演奏に聴き入っていると、隣に腰掛けてきた黒髪パーマの男がいた。ニューヨークチェスクラブのメンバー、ステファン・ラモスであった。彼はスーツ姿にビジネスバッグを持っていて仕事中だとわかった。彼は弁護士である。

「探すのに手間取ったよ。連絡しても応えないのだから......」ラモスはそう言って、インターネット記事の画面を表示した、タブレット端末を真田に渡した。記事には『前世界王者ヴィクトール、挑戦者決定戦不参加を表明』と書かれていた。

「君はアメリカを愛しているか?」

 ラモスが口角と眉を吊り上げて言った。

 真田はチラとラモスを見たが、すぐに目を知恵の輪に戻した。

「嫌いではないですよ」

「あー、質問を変えよう。君は、ロバート・フリッツを愛しているか?」

 ラモスの質問に、真田は彼をじっと見て、今度は目を逸らさずにこう言った

「ええ、大事な親友です」

「我々には重大な使命がある。そう思わないか?」

「なんの話です?」

「君が、せっかく得た挑戦者決定戦の出場権を、ヴィクトールと同じように手放そうとしていると聞いた。 それは本当か?」

「あー、誰かに、そんな愚痴をこぼしたかも......」

「ミスター真田。君は文学部の出だったね。ルールというものに疎いようだ。だから一度私の話を聞いてほしい」

「何ですか? 確かに俺はもう決定戦に出るつもりはありませんよ」

「君にも悪い話じゃない。むしろ君の望むことだと、私は思う! ロバートを愛しているなら」ラモスは知恵の輪をいじり続ける真田の手を抑えて、

「挑戦者決定戦の出場権を......、ロバート・フリッツに譲るんだ」

 と言った。

 アコーディオンの演奏が止んだのが聞こえた。老人の方を見やると、親子連れが老人の前に置かれたケースにドル紙幣を入れたのが見えた。老人は何か宗教的な口上を言って、また演奏を始めた。

「そんなことが......」

「出来るんだ。君が勝ち取った枠は、アメリカが勝ち取った枠という扱いなんだ。相応しいランキングを持つ者なら、君とアメリカの協会が承認しさえすれば、ロバートは挑戦者決定戦に出られるんだ」

「しかし......、ロバートは行方知れずだし、それよりあいつ自身が出るとは思えない。前回の決定戦のロシアの共謀の件がある」

 ラモスは真田の言葉に笑みを浮かべた。

「ミスター真田。ロシアの共謀の件ならアメリカ人なら誰でも知ってる『事実』さ。私はアメリカを愛する弁護士だ」

 ラモスの言葉に、真田はすべてを察して、

「どうもヤリ手の弁護士らしい」

 と言って笑った。



 ラモスは、挑戦者決定戦の総当たり方式は不適当であるとして、勝ち抜きトーナメント方式への変更を訴える運動を展開していた。彼はまずアメリカの協会に働きかけ、そしてヨーロッパ各国やチェス強豪各国の協会までも巻き込んでいた。

「世界チェス連盟は、きっと我々の要求を受け入れるだろう。ロバートに、相応しい舞台を用意してやるんだ。言っておくが、これは陰謀じゃない。フェアな勝負を確保するための手段さ」

「あなたは凄い人だ......」

「ミスター真田。さっきも言ったが、我々には使命がある。そうだろう? 私は弁護士として交渉と手続きに当たった。君はチェスプレーヤーだが記者という職をもっている。君にも使命と役割はあるはずだ。我々は行動しなければならない」

 ラモスはそう言って、手をグーにして合わせた。

「頼むよ。頼むよ。アメリカの天才ロバートが、ロシアに負けたままでいいわけがない。頼むよ」

 祈るように真田に懇願するラモスを見て、彼は思い出した。ロバートが幼少の頃から、ラモスはクラブで天才児ロバートの面倒を見て、彼に期待していたことを。

「わかりました。俺もあなたと気持ちは同じです。ロバートを連れ戻しましょう」

 真田は笑顔でラモスと握手を交わした。


「ところで真田君。君は何をしているのかね?」

 ラモスは真田の手元を見た。

「知恵の輪です。難しくて、もう一週間以上も闘ってます」

「かしてくれないか?」ラモスはそう言って知恵の輪を受け取り、すぐに組み立ててしまった。

「何だ。簡単じゃないか」

「え? ちょっと見せてください」

「こういうのは、自分で考えてやるものだよ」

 ラモスは指輪をバラバラにして真田に返した。

「将棋のマスター候補、チェスワールドカップ準優勝の天才の意外な弱点発見だね」

※制度についてはフィクションです。

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