ロバート・フリッツ 2
ロバートが短期間で急激に実力を上げたのには、彼の生まれ持った才能ともう一つ秘密があった。彼はほぼ毎日夢を見ていて、夢の中でチェスをしていた。短手数局や定跡を並べたり、今まで対局したことのある相手が夢に現れ、何度も対局することができた。
ロバートの見る夢は不思議なもので、そこは彼とチェス盤以外は基本的に何もない真白な空間だったが、ある晩に辺りを見渡すと、チェス盤から遠く離れた場所で、茶色の盤に向かって考え込んでいる会ったこともないアジア系の少年が見えることがあった。ロバートはそのアジア系の少年には全く気を留めなかった。
それよりも彼が気にしたのは、10歳になったころ、彼のチェス盤を横から覗き込む子供が現れたことである。黒い髪は首に届かない程の長さだったが、耳は隠れていた。髪の隙間から覗く肌は白く、見た目からマシュマロの弾力を連想させた。細く、長い指は時々リズムを刻むように動いていた。夢の中に会ったこともない少女が現れた! 彼は10歳の男の子らしく、あの少女はもしかしたら僕の将来のお嫁さんではないかと考えた。
その夢の「少女」がある時、顔を上げロバートの顔を見た。ロバートを見つめるその美しい瞳は青く、ロバートと同じ白人かと思われた。しかし、その目は純粋な、遊びのある男の子の目だった。それから彼はその少女のような少年にも構わなくなった。
天才ロバートは驚異的な成長を見せ、11歳でIMタイトルを獲得していた。世界ランキングも2000位台に名前が記されていた。そんな時分、世界トップの棋士達を集めた大規模な大会が開かれた。『ロシア代表VS世界代表』と銘打たれたその大会は世界ランキング上位のロシア人棋士10人と、ロシア人を除く上位10人の団体戦で行われた。当時の世界ランキングは上位10人中8人がロシア人であった。世界代表チームには全米王者で世界ランキング12位のブラック・ハーモンも含まれていた。
世界はこの大会に湧いた。世界タイトルマッチもタイトル挑戦者決定戦もロシア人の独壇場でイマイチ盛り上がりに欠けていたからである。ロバートもこの大会に心を躍らせた。母を籠絡した憎き社会主義国を打倒せよ!ロシアの鼻をへし折ってやるのだ!
結局、ロシアの8勝1敗1分で世界代表は敗れ、ロシアはチェス界における優位性をさらに強めた。この大会は興行的に大成功し、世界タイトルマッチと並ぶ世界大会として毎年行われるようになった。
ロバート少年はこの結果を受け、社会主義に負けるなんて情けない、数年後には自分が世界代表として出場しロシアを倒し、世界チャンピオンの座も奪わなければならぬと心に刻んだ。
この2年後、13歳になったロバートはレーティングを一気に200も上昇させ、出場する大会はことごとく優勝しGMに内定した。アメリカの天才少年はこうして世界に、そしてロシアの棋士達に名を轟かせた。