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真田智史 2

 年が明けた。

 年末年始、真田は語学書を読む以外はほとんど無為に過ごした。将棋はおろか、チェスの話題にさえ触れようとはしなかった。

 正月休み、将棋連盟の正月イベントも終わった日頃、山川九段の引退セレモニーがホテルの普段は結婚式の披露宴に使われるセレモニーホールで開かれた。

 山川九段の弟子でプロ棋士になったのは国実の一人だけで彼がこの会の幹事であったが、世界のチェス事情を中心とした記事を書きながら、GMタイトルを得た真田も弟子代表として運営を担わされた。真田は呼ばれて仕方なく来ただけであるのに......。


 会場は見渡す限りのプロ棋士達でごったがえしている。

 ホールの壁も床に敷かれた絨毯も明るく輝き、照明は騒がしい。


 ホール全体を照らしていた照明が突然消え、前面のステージを照らした。

「定刻となりましたので、山川光司九段引退セレモニーを開催致します」

 ステージ横で司会を務める将棋連盟の職員がマイクでアナウンスした。


 ステージの上には椅子に腰掛けた山川九段と門下の国実竜王、そして真田の3人がいた。国実がスタンドマイクの前に立ち、挨拶をした。

「えー、本日は、わ......わたくし共の師匠である、山川先生のために、お集まりいただき、感謝します」

 棋風とは異なり、たどたどしく言葉を並べた。時折くすくすと笑う声が会場のあちこちから聞こえた。

 国実が苦い顔をしてマイクの前から退き、次いで真田がマイクの前に立った。

「えー、国実新竜王の後で恐縮ですが、元奨励会三段の真田智史が次いで挨拶申し上げます」

 ここで「よっ! グランドマスター! 」と、酔っ払いのガヤが聞こえた。

「皆様ご存知の通り、棋士山川光司と言えば、『雷速(らいそく)の寄せ』で知られております。その雷の如き終盤力がもたらした実績、そして将棋というゲームの発展に対する功績は計り知れません。わたくしもその寄せに憧れ、山川先生に師事した者であります。

 将棋からチェスに戦いの場を変えても、山川先生の雷速の寄せの影響は如実に出ております」


 話しながら、真田は山川九段と久しく会った今朝のことを思い出した。

 朝、ホテル内のカフェに国実に連れられ師匠と対面した。数年振りに見る山川九段は痩せていて、かつて輝いていた勝負師の目は年相応の老人の目になっていた。

「やぁ、久しぶりだね。アメリカでの活躍は聞いているよ」

 山川は微笑みながら言った。プロになれず、別れの言葉もなく、日本を去った元弟子に対する叱責や責めの感情は見られなかった。

「山川先生。御無礼をお許し下さい」

 真田はテーブルに頭をついて言った。

「構わないよ。誰もお前を咎めようとは思ってない。むしろみんな心配してた。自殺でもされたら困るってね」

「本当にご迷惑をおかけしました。出来の悪い弟子で申し訳ありません」

 真田は謝罪を繰り返した。しかし心の内では引っ掛かっていることがあった。なぜ、山川先生は現役を引退するのかと。

 真田が奨励会員だった頃、山川九段は順位戦はA級に在籍し、齢五十を越えて王位のタイトルを持つなどトップ棋士として活躍していた。

 山川は時折窓の外を眺めた。木枯らしが路上のゴミを転がすのをぼんやりと見ている。真田は山川の表情に諦観のような感情を読み取った。

「私が引退するのは......」

 山川が真田の疑問を察したように口を開いた。

「成績不振だよ。どうせ将棋界のことなど耳に入れてなかったのだろう? あの時はA級だったが、今はC級2組で負け越しているよ」

「それだけですか? 先生はたったそれだけで引退するような棋士では......」

 真田が言った。

「成績不振は......加齢による読みの衰えによるもの......と言い訳をしているが、もっと根本的なのは、心がついていかなくなった。今や研究が進み、既存の定跡は修正され、有力だったはずの戦法が若手棋士の生み出した新戦法に(くつがえ)され、その新戦法も三月(みつき)もしない内に覆される。いつからか、研究に気持ちが乗らなくなった。そして実戦でさえもだ。こんな棋士はもうプロとしては不要だろう。それに、私には国実がいる」

 最後の一言は真田の胸に刺さるものだったが、山川門下で唯一プロになった国実を指して、「自分は一人プロを仕上げた」という意味だと推察した。


『自分はプロにはなれなかった。しかし、山川先生と国実さんはどうしてか、この俺に対して必要以上に構ってくる。現にプロ棋士でもない人間がステージ上で山川九段を語っている。もう心配する必要はないはずだ』

 真田は様々に定型分を散らしてステージ上での挨拶を終えた。

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