世界タイトルマッチ挑戦者決定戦 12
真田がニキータ親子と談笑していると、ロバートが現れた。
「記者席にもいない。控室にも来ないと思ったら、ロシア棋士へ取材か? 」
ロバートが皮肉っぽく言った。
「気を悪くするな。思ったより終局は早かったな」
真田はロバートの悪態にも微笑みでもって応える。
「まぁ、ロシア女としけこんでるよりはマシだな。さ、早く帰ろう。今日はゆっくり休めそうだ 」
ロバートが先立って歩き出した時、ニキータの視線に気がつき足を止めた。ニキータはロバートを見つめていて、また瞳に熱がこもっていた。
「ニキータはいつもこうやって人をジロジロ見つめるのか? 失礼だからやめさせた方がいい」
ロバートはセルゲイを見て言った。
「いや、すまない。気に障ったならやめさせよう。しかし、こんなにも見つめるのはミスターロバート、あなただけなんだ」
セルゲイがこう言うと、真田が笑った。
「ほう、ニキータちゃんはロバートにお熱かい? 」
真田はそう言って、ニキータの肩を軽く叩いた。
ニキータも微笑を浮かべ、
「アイラービュー、ロバート」
と言った。
真田はまた笑ったが、セルゲイとロバートは決まり悪そうに口角を上げるだけだった。
「ジョークを覚えるのは結構だが、もしアメリカに来たら、そういう類いのネタはよした方がいい。一応確認するが君は男の子だろう」
ニキータは頬に手を当て、微笑むだけだった。
真田はセルゲイにまた挨拶をし、ロバートと共に宿へ戻った。
2人の姿を見送ったニキータが口を開いた。
「ねぇパパ。この退屈なチェスの......僕の空白を埋めてくれるのは、やっぱりロバートだと思うんだ。そういう意味では、僕は彼にお熱だし、彼は僕の運命の人だよ」
「退屈だなんて、みんな一流のトップ選手じゃないか、そんなこと言ったらダメだよ」
「僕は特別だっていうのはもう知ってるんだ。同じ、特別な相手がいなきゃやだ」
それからというものニキータ、ロバート、アーロンの3人が勝ち続けた。ついに前評判の高いロバートとアーロンのマッチ1日目はロバートの1勝1分だった。
控室に戻ったアーロンは煙草を口に椅子に座り、貧乏ゆすりをしていた。控室にレオニードの姿はない。
「1つの引き分けを取った。やるじゃないか」
タラスが意地悪に笑いながら言った。
アーロンは不機嫌な目をタラスに向けて、
「それじゃダメなんだよ。あいつはもう疲労のピークに達してるはずだ! なぜ、まだ指し手が鈍らない? このままじゃ、ロバートどころかニキータなんてガキに挑戦者の座を渡すことになるぞ! 」
と言った。
「もうニキータに期待していいんじゃないか? そもそもニキータはワールドカップで君とヴィクトールを倒して、この決定戦に出てきたんだ。ロシアの新星登場ってことで......」
他のロシア人選手が言った。アーロンは何も答えず煙草と貧乏ゆすりでイライラを表している。
「そもそも君が言い出したこのロバート潰し。最終的な目的は君を挑戦者に据えることだっていうのはみんな気付いてるよ。だけどもみんな従ってきた。それは自分よりも祖国ロシアを第一に考えたからだ。だから......私達は君じゃなくて、ニキータが挑戦者に選ばれようが、歓迎なんだ」
ロシア人選手が言った。
「それじゃ、ニキータのためにロバートの体力を存分に削っといてくれ。引き分けを1つとれたんだ。アーロン、君は立派な帝国の勇士さ」
タラスはアーロンの肩を叩き、こう言って、控室から出て行き、他のロシア人選手もこれに従った。
控室で1人になったアーロンは椅子から勢いよく立ち上がった。
『俺は世界チャンピオンになるんだ! 俺は世界チャンピオンになるんだ! 俺は世界チャンピオンになるんだ!それだけを目標にチェスをやってきた。世界チャンピオンにならなければ、なんにもならない! ちくしょう! ロバート! ヴィクトール! ちくしょう! 』
アーロンは目の前のパイプ椅子を蹴とばした。
ロバートの疲労はアーロンの言う通りピークに達していた。彼は対局の前にコーヒーだけではなくカフェイン錠剤やエナジードリンクにも頼るようになっていた。時間いっぱい、そして秒読みを使ってたっぷりと延長された対局を休みなくこなして来たロバートは、明らかにやつれていた。頬はこけ、目の下にクマができている。カフェインが切れると溜め込まれた疲労は、決壊したダムから流れ押し寄せる水のように彼の体を地に押し付けようとした。
真田はロバート対レオニードの第4局が終わってから、レオニードがロシアの「検討」に参加しなくなったことを不審に思った。
『ロバートの言っていたことは強ち間違いではなかったのかもな。「検討」なんかではなく、なにか「共謀」があると考えたほうが良いな』




