表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/101

世界タイトルマッチ挑戦者決定戦 11

 駒がぶつかり中央の戦力は清算され、クイーンだけが戦場に立ち尽くしている。レオニードはこの局面までいけば白に負けはないと考えている。ロバートの超人的な読みの力も、事前の超研究には敵わないのだ。

 そう思った。

挿絵(By みてみん)

 この時点ですでに対局開始から1時間半が経過していた。ニキータなどは8連勝を決め、舞台を降りていた。

 記者席にいた真田も席を立ち会場を出た。彼が味方するロバートの素晴らしい1局を見ずに会場をあとにしたのは、もう心配する必要がなくなったからだ。ファンならば、ロバートとレオニード両者の持ち味を存分に出し合うこの1局を見逃すまい。彼はすでに親のような心境なのだ。

『こうなれば、ロバートは誰にも負けない。もう安心だ』

 ロバート自身は対等な友情を求めているのだが......。


 外に出ると、まだ夕方の時間帯だと言うのに夜のように薄暗い。街灯は早くも明かりを頭に輝かせアスファルトを黄色く照らし、自動車はその光をボディに流して去って行く。涼しい風を顔に受け、辺りを見回すと噴水が現れた。もうこの会場に出入りして4日にもなるのに、初めてその存在に気が付いた。

 噴水は白い石で造られている。その凹凸(おうとつ)にどこから現れたかもわからない(さび)を引っ掛けて、水を暗赤色に染めている。噴水を囲むベンチのひとつにニキータ親子が座っていた。

 ニキータはベンチに体育座りをして、両腿(りょうもも)でスケッチブックを支えている。光をやわらかく受け止める白い肌に、黒い(つや)を輝かせる髪が揺れていた。長い睫毛(まつげ)の奥の瞳に少しの熱が見えた。熱は噴水とスケッチブックに対象を向けている。女がそうであるように、夜は官能的な美を際立たせるが、ニキータもこの夜に()えていた。横に座っている父セルゲイはニキータを守る護衛の騎士のように見える。

 真田は親子の近くに歩いた。セルゲイが真田に気が付き、お互いに軽い挨拶を済ませた。チェススクールの他に真田は取材で何度かセルゲイと会っている。

「ニキータ、何を書いてるんだい? 」

 真田が言った。ニキータは噴水を見ながらスケッチブックに何やら描いているが、それは数式だった。数学は門外漢(もんがいかん)であるが、優秀な大学を出ている真田に、それが関数であることはわかった。

「噴水だよ」

 ニキータが言った。

「もしかして、その関数をグラフにすると噴水になるのかい? 」

 真田がこう言うと、ニキータは勢いよく振り返り、

「見えるの? 」

 と言った。目が大きく開かれている。

「いや、ちゃんと描いてみないとね...... 」

「そう...... 」



 会場の舞台上ではレオニードが頭を抱えていた。ロバートのナイトを動かした手が見事なコンビネーションアタックを決めていたのだ。レオニードは事前に研究をして優勢を築く手順を知っていた。しかし、ロバートの読みは彼の事前研究のさらに先まで瞬時に見通していた。

挿絵(By みてみん)



「そう言えば、ニキータは数学も好きだったね。お父さんと一緒だ」

 真田の言葉にセルゲイは少し笑みを見せた。

「数学とチェスはどっちが楽しいかな? 」

 ニキータはペンを止めた。

「わからない。僕はいつも人の跡をなぞって......眺めて......それだけだから。独創性を見せてくれる人がいるなら、チェスかもしれない。けれど、最近はつまらない」

「つまらない?」

「僕のチェスは過去の焼き直しでしかない。序盤(オープニング)中盤(ミドルゲーム)終盤(エンドゲーム)それらの公式(セオリー)をただ結びつけてるだけ......それだけなのに......みんな、僕に(こうべ)を垂れるんだ」

 ニキータは退屈そうに語った。

「このお喋りは記事にしちゃいけないよ」

 セルゲイが言った。

「ええ、わかりました」


「リザイン」

 レオニードが投了した。

 研究は読みに敗北したのだ。

挿絵(By みてみん)

 レオニードは自分のチェス人生を円錐に例えた。かつてはその頂点に帝国の悪事が(いただ)いたが、それを投げ捨て頂点をアメリカの天才青年に突き付けた。しかし、見事にその頂点は折られた。

 ロバートは立ち上がり、握手の手を差し出した。

「良い対局だった。ロシアにもあんたみたいなプレーヤーがいるんだな」

 レオニードも立ち上がり握手に応じた。

「ありがとう。吹っ切れたよ」

 2人は笑顔を交わし、舞台を降りた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ