世界タイトルマッチ挑戦者決定戦 9
真田は廊下のベンチに腰を掛け、
「午後はここで見ますよ。アレクサンドラさんもどうです? 」
ベンチの空いたスペースを手で示した。
「じゃぁ、ちょっとだけ」
そう言ってアレクサンドラも腰を掛けた。
対局が始まると中継の解説2人は陽気に冗談ばかり言っていた。
「ニキータちゃんは、どれくらい早く終わらせてくれるかな? 」
「ハハハ、6連勝へまっしぐらだ」
「キャンディー何本食べる内に終わるか賭けようか」
「じゃぁ3本で」
「ハハハ、相手に失礼だ」
ここは英語字幕で流れず、真田には何を言っているのかわからなかったが、横にいるアレクサンドラがクスっと笑った。
「なんて言ってるんです? 」
「品のない話よ。ニキータが何本キャンディー食べる内に勝つか賭けようですって」
「それは......面白そうですね。8本で」
「あら、いやですわ。賭け事なんて......9本よ」
レオニードは午前に引き続き、また持久戦模様に持ち込んだ。
「おい若者! 攻めろ! アメリカにまた負けるぞ! 」
「ハハハ、タラスの二の舞いかよハハハ」
今日の解説はずっと冗談と皮肉ばかり言っている。ヴィクトールもそうだったが、あの場所にいると、冗談を言いたくなるらしい。
ニキータは8本目のキャンディーを食べ終え、9本目のキャンディーの包みを開けた。そしてそれを口に含んだところで相手が投了した。
「正解は......8本か9本のどちらでしょう」
真田が言った。
「正確に決めてなかったわね。引き分けよ」
アレクサンドラはそう言って、ベンチから立ち、会場に入った。
ニキータに次いで対局を終えたのはアーロンだ。次いでタラスがまた引き分けた。
ロバートとレオニードの2人が舞台に残った。ロバートは足を組んで、座っている回転式椅子を少し回したり、テーブルを指で叩いたりして不機嫌な様子を表している。持ち時間がなくなり、秒読みに入った時レオニードは投了した。
ロバートはスコアに自分の勝利の記号を書きいれた後に、レオニードだけに聞こえるようにこう言った。
「僕を舐めているのか。お前がその戦型で僕に勝てると思っているのか? 次は本気でこい」
レオニードの指は震えていた。アーロンは正当化するような台詞を吐いていたが、紛れもなく自分は今悪事に手を染めている。こんなことをするために今まで努力してきたわけではない。恵まれた才能、これまでチェスに捧げてきた時間、それらすべてが円錐状に集約され、その頂点に今の悪事がある気がした。
控室に戻ったロバートは椅子に腰かけ、
「今日はすぐに帰ろう。夕食も軽めがいい。早く寝たい」
「ああ、疲れは残すなよ」
「どうして、持久戦ばかり......もしや......そんなわけはないか......」
レオニードはアーロンの控室に集まった。
「よくやってくれたよ、レオニード。もう1日同じことをやってくれればいい。しかし、引き分けくらいもぎ取れないものか」
アーロンが言った。
「僕は元々持久戦は得意じゃないんだ。無茶言わないでください。それに!今日はロバートに......得意形でこい、舐めるなって言われたんだ。もう不自然過ぎてバレるぞ、こんなの! 」
「ほう」
煙草を咥えながら聞いていたアーロンが声を漏らした。
「なら、明日の白番の対局は得意形でやってみたらどうだ? 引き分け以上を取って来れるならね」
「ああ、やってるよ! 」
そう言ってレオニードは控室を出た。
「ふんっ、バカなやつだ」
アーロンは血気にはやる若者を鼻で笑い、その場にいる他の男達も次いで笑った。




