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ロシア再び 9

「喜んで」

 真田は誘いを受け、アレクサンドラと広間を出ると、ガラスで仕切られた喫煙スペースにアーロンの姿が見えた。筒型の立てられた灰皿は吸い殻の山で埋れていた。アーロンの顔は以前よりもやつれたように見える。

「アーロンったらまだ煙草吸ってたのね」

 喫煙所の彼に気付いたアレクサンドラが言った。

「彼ったらここに来たら、まずあそこで2時間以上も過ごすのよ。一体1日に何本吸ってるのかしら」

 (あき)れたようにアレクサンドラは言った。

 アーロンはこちらに気が付いた。アレクサンドラは手を振り、真田は会釈をした。彼はそれに遅れてぎこちない会釈を返した。


 モスクワの通りは人いきれが激しい。観光客らしき一団や散歩している老人、幼子を連れた親など。

  2人はホテルのレストランへ入った。アレクサンドラの勧めるままに真田はボルシチなど、定番のロシア料理を食べた。本来ならば喜ぶべき美女との2人での食事だが、真田はアレクサンドラの見せる女性特有の媚態(びたい)辟易(へきえき)としていた。彼女は真田と2人になってから妙にくねくねして甘えた声を出していた。最初は何かのおふざけか体を張った皮肉かと思ったが、どうやら違うようだ。勿論、真田は大人の男性だ。そんな感情は表には出さず表面上取り繕うことはできる。真田はただ、食べて美味しいというプラスの感情を前に出していればそれで良かった。

「あなた、まだロシアをきちんと観光していないんじゃないの? 」

 アレクサンドラが一々首傾げながら言った。

「そうですね。前回もホテルと会場の美術館の往復だけでしたし」

「それじゃぁこの後、赤の広場へ行きましょう」

 アレクサンドラは笑顔を見せた。3年前にトレチャコフ美術館で見た、『忘れえぬ女』のような高貴なものではない。ただの女性の笑顔だ。

 共に食事をするだけの話が、いつに間にかデートになってしまった。


 赤の広場からは、玉ねぎ状のドームを頭に持った塔がそびえ立つ、聖ワシリー大聖堂が見える。モスクワを観光するのであればここは外せない。広場では明るい太陽の下、花嫁ドレスを来た女性と花婿姿の男性を囲う一団がカメラの前に整列している。結婚式の記念撮影だろう。

「あら、いいわね。私も早く結婚したいものだわ」

 とアレクサンドラが笑顔で跳びはねて言った。

「君なら引く手数多(てあまた)だろう」

 真田は微笑んだ。

 しかし、真田は繰り返される媚態に嫌気がさした所だ。

『俺は彼女の女王としての精神性、気品を愛していたんだ。なのに、今やただの1人の女性に過ぎない。この女性の持つ性質の最大公約数とも言える媚態は、彼女の美の根拠である気品を殺してしまった』

 真田が昨夜のロバートとの会話で、アレクサンドラが自分に好意を向けてきても応えないと言ったことにはこのような理由があった。

 初めて出会ってから、取材やメールで彼女は段々と真田に対して、媚態を示すようになっていたのだ。

 もし、アレクサンドラが男性並の精神を持っていれば、人としても女性としても、真田に愛されたかもしれない。しかし、彼女が男性並の精神を持っていれば、彼女はきっと性的には真田を愛さなかっただろう。

 事実、アレクサンドラは真田に好意を持っていた。そしてそれは初恋だった。幼少よりチェスの世界に入り浸ってきた彼女は、およそ10代の内に少女が通るであろう道を歩んでいなかった。初恋、失恋、間違った異性へのアピールなどの誰もが経験する道だ。

 彼女はチェスで培った精神をそのまま見せていれば良かった。なのに、初恋という病は彼女の判断力を失わせ、雑誌やテレビの真似事をさせてしまった。


「そろそろバスで空港へ行きます。余裕を持っておきたいんだ」

 真田が言った。アレクサンドラがキッカケさえあれば手を繋ごうという動きを見せて困ったのだ。これ以上一緒にいると、記念などと言ってペアのちょっとしたキーアクセサリーなどを買うことになりかねなかった。

「空港まで見送りますわ」

アレクサンドラそう言って並んで歩く真田に近付いた。偶然を装ってか、お互いの手の甲を触れさせた。彼女の手は熱く、真田の手は冷たかった。

「あ、これは失礼」

真田はそう言って少し距離を開けた。

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