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ロシア再び 7

「ワガママとは? 」

「囲碁の相手をしてほしい......。アジア人......それも日本人ならルールくらいわかるだろう? 」

 ヴィクトールは机の下から折りたたみの囲碁盤と碁笥(ごけ)を出した。

「まぁ、わかりますが......日本人でもルールを知らないのが多数派ですよ」

「なんと......学校では習わないのか? 」

 ヴィクトールは、それは意外だという顔を見せた。

「君は打てる人でよかった。棋力は? 」

「小学生の時に、初段になりました。それ以降は石に触ってません」

「ショダン?......ああ、1danのことか。いやいや、漢字は難しいね。私はこの前ネット碁で5danになれたよ。」

 チェスの世界チャンピオンはネット碁の実力を子供のように自慢した。

「チェスのチャンピオン、ヴィクトールが囲碁の愛好家であることは有名ですが、そこまでの実力だったとは知りませんでしたよ」

「5子置こう。君が先手番の黒だ。」

 真田は黒の石を中指と人差し指で挟み、碁盤に打ちつけた。ヴィクトールはその指の運びを眺めていた。

「やはり......東洋の......こういう所作は美しくていいなぁ」

 対局が始まった。

「ネット碁以外では中々相手がいなくてね。実際に人と向かい合って、石を打ち合う機会は滅多にないんだ。何か聞きたいことがあれば、対局しながら話してくれて一向に構わない」

 ヴィクトールはさっきからお喋りだった。

「囲碁を打とうと誘われて驚きましたが、私とチェスを指そうとは? 」

「ふむ......君と私がチェスを指したって仕方がないだろう」

 何の悪びれもなく言った。世界チャンピオンにとって、タイトルを得たばかりのGM(グランドマスター)など、対等にチェスをする対象ではないのだ。

「なるほど......囲碁は始められたきっかけは? やはりチェスのポジショナルプレーと通じるところがあると考えたからですか? 」

「そんなことはないさ。ただ単純に......盤上遊戯が好きなだけさ。ただし、運の要素が絡まないものに限ってだが。チェスプレーヤーの中にはバックギャモンに()まる者も多いが......私は好かないな。まぁしかし、囲碁を通じて、盤上の支配領域を見る目は鍛えられるかもしれないね。私は囲碁をもう15年続けているが、特に意識したことはないがね」

 ヴィクトールは碁石の触り心地、木製の柔らかな盤に打ち付ける感触を味わっていた。気を良くしているこの男は今なら、酔っ払いのようになんでも話してくれるだろう。


「ロシアチェス界では今、チェス人気の維持と、選手の育成環境整備に力を入れてますね。チェスに入れ込んだ挙句、結果を残せずにチェスを捨てるも......その人生にはチェス以外何もない......このような現状では、いつかチェス人気は衰えるてしまうと危惧している。世界チャンピオンはどう考えているのでしょう? 」

 真田の自身の経験から出たこの言葉には鬼気迫るものがあった。ヴィクトールも何かを感じたのか真剣な顔になった。

「ふむ......チェスというものをひとつの文化、競技として捉えるなら......スポーツ競技のように選手と......トップを目指して腕を磨く者には何かしらの保護と恩恵があるべきだ。環境を用意するのは......とても良いことだ」

 教科書通りの言葉を出した後、ヴィクトールは頬杖をついて言葉を続けた。

「しかしだね......真田くん。我々人間の生活に、このチェスと言うものはいかほどの価値があると考えるかね? 言ってしまうが無価値だよ」

 真田は目を見開いた。世界チャンピオンの言葉とは思えなかったのだ。ヴィクトールは真田と目を合わせ、眉を上げた。

「チェスは一種の悪行なんだよ。あの小さな盤と駒が描く世界は有限ではあるが、無限のように広がっている。それは最早ひとつの宇宙だ......我々人間ごときが宇宙を模写して、その真理を解明しようなんて、神への冒涜に等しいと思わないかね? 君にも経験はあるだろうけど、悪行ってのは独創性を要求するんだ。その独創性を見せた時、悪魔は喜ぶんだ」


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