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モスクワチェススクール 3

 ニキータは先の対局と同じ様に、相手に喰い気味に指した。アレクサンドラは先の対局と今の対局で、ニキータは定跡にかなり忠実なプレーヤーだと勘付いた。

『定跡をはずすか......いや、あの速さで18手メイトを見つけるくらいだ、力戦は危ない。白有利だとされている定跡形に誘導するのよ! 』

 相変わらずニキータは即指しだ。だが順調にアレクサンドラの思惑通りに局面は進んだ。

『もう少し!あと1手! 』

 このまま進めば、白は優位を築ける。ニキータが駒を動かそうと手を伸ばした。その時、ヴィクトールがニキータの手を掴んだ。ニキータは驚き、青い瞳がヴィクトールに向けられた。

「ニキータ......チェスは、もっと深い」

 そう言ってヴィクトールは手を離した。ニキータは盤面に目を戻し、10秒ほどした後に着手した。アレクサンドラは自身の体の影が映る盤面に手が止まった。今のニキータの1手で全て(くつがえ)されてしまった。それから数手後にニキータは小指でルークを動かし、上目遣いで彼女を見て、

「Mate in 21(あと21手で詰む)」

 と言った。ヴィクトールは「おめでとう」と言ってニキータの頭を撫でた。

「負けましたわ」

 アレクサンドラは投了した。


「ニキータ君の実力はわかりました。いやぁ、アレクサンドラ、良い加減具合いだったよ」

 ヴィクトールはセルゲイに向かい、

「お父様、ニキータ君と一緒に、ちょっとついて来てくれます? 」

「ええ、構いません」

 セルゲイはニキータを椅子から降ろした。それからヴィクトールはセルゲイとニキータを連れて広間を出た。広間を出ると3人は石造りの階段を登った。7歳のニキータはセルゲイに手を(つな)がれて1段1段一生懸命に登る。3階に来た所で図書館のような場所に出た。大きな大学図書館のような規模だった。ヴィクトールは親子の方に振り返り、

「3階と4階は、すべて図書館になっていて、世界のチェス関連書籍は全て揃っています。ほとんどはロシア語に翻訳済みですが......英語、スペイン語など原書もありますよ」

 ヴィクトールは自慢気だ。それからヴィクトールはまた歩き出し、親子はそれについて行った。ヴィクトールは古い扉の前で立ち止まり、扉を開けた。開けた瞬間、部屋の中の埃が破裂したように飛び出した。

「ふふふ......さすがにひどいな」

 そこは小さな書庫であった。埃は床に薄い層を作り出し。部屋の隅は太く縁取られた蜘蛛の巣がいくつもあった。小さな窓がひとつあり、カーテンの隙間からこぼれる光が部屋を黄色く染めている。その窓の下に、小さなチェステーブルと2脚の椅子があった。

「ここは......チェスの古典書がおいてある場所です。一般解放はされてないが......子供の頃、私は毎日ここに侵入していた。ニキータ、君もここに毎日来るんだ」

「毎日ですか? 」

 ヴィクトールの言葉にセルゲイは驚いた。

「ええ、勿論(もちろん)ここは掃除させておきましょう。ニキータにはここの本をすべて読んでもらいますよ」

 ヴィクトールは棚から1冊本を取り出し、埃を払った。

「毎日は......私にも都合がありますし」

 セルゲイは言った。

「ご両親の都合がつかなければ......こちらで送迎しましょう」

「いや、何もそこまで......」

「優れた才能を伸ばすのも、我々マスターの仕事です」

 セルゲイは承諾した。毎日、小学校にチェススクールの人間がニキータを迎えに来ることになった。

 3人の後ろにアレクサンドラが現れた。

「ヴィクトール、もう研究会始まるわよ」

「おや、そうか」

 セルゲイはその会話を聴くと、挨拶をしてニキータを連れて帰った。親子を見届けたアレクサンドラはヴィクトールに質問をぶつけた。

「あの子は一体何者なの? 」

 ヴィクトールは埃を払った本を棚に戻した。

「何者か......1人の天才が現れた。ただそれだけだよ」

「それだけ? 」

「僕だって同じだった。チェスを始めてから......すぐにマスターと呼ばれる人に勝ってしまってね......驚かれたよ。僕は今でもそのGMを覚えているよ。君も......これで歴史に名を刻めたんじゃないかい? 」

「私が女子チャンピオンになった時も、そんなことは言わなかった」

「おや? そうだったかな」

 ヴィクトールは埃まみれの部屋から出て、扉を閉めた。

「僕はずっと......僕を世界チャンピオンの座から引きずり下ろしてくれるのは、ロバート・フリッツだと思ってた。どうやら違うらしい。僕に引導を渡すのはあの子......ニキータ・コトフだよ」

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