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モスクワチェススクール 2

「おや、君が負けたのかい? 」

 ヴィクトールが少年とニキータの終局の盤面を見た。

「新しい子が入ったようだし、丁度いい。アレクサンドラ、君、この子の棋力を測ってあげなさい」

「ええ、いいわよ」

 アレクサンドラは少年をよけてニキータと向かい合って座った。このチェススクールでは、新人はマスターと何回か対局して棋力を測ることになっている。

「お名前は?」

「ニキータ」

「ニキータちゃん、よろしくね」

 アレクサンドラは子供をあやすように喋った。ニキータはテーブルに前のめりに顎を乗せ、アレクサンドラを上目遣いで見た。椅子の上で、床に届かない足をぷらぷらさせている。


 対局が始まった。マスター側は勿論本気では指さない。棋力を測るのが目的なのだから、わざと、正解手を指せば有利になれる局面を相手に突き付けるのだ。

 アレクサンドラはオープニングから初級中級者が(おちい)りがちなトラップを仕掛けた。ニキータは正しく対応して()(くぐ)った。ニキータは上級レベル......それどころか、逆にトラップを仕掛ける手を(とが)める手を指した。トラップのような()め手は初級中級者には通じても、結局それは相手のミスがあって初めて成立する手だ。絶対的にそれは悪手である。

 序盤(オープニング)の段階でニキータが少なくとも上級者以上の棋力だとわかった。あとは中盤(ミドルゲーム)終盤(エンドゲーム)で徐々に指し手のレベルを上げて行けばいい。

 ニキータの指し手は速かった。相手が動かした駒を盤に置いた時には、もうニキータは次に自分が動かす駒を持ち上げていた。その異常な速さに対し、着手はすべてが正確だった。既に悪手を咎められているアレクサンドラは不利な局面を持っている。ここから徐々にレベルを上げて、終盤で手筋を問うような課題局面を作れればと考えていた。しかし、課題を与えるどころか、そのまま押し切られた。

「チェック」

 ニキータはアレクサンドラのキングをチェック(王手)した。アレクサンドラはキングを逃がしたが、またニキータはキングをチェックした。アレクサンドラは片方の眉を釣り上げた。右手は盤の上を泳いでいる。またキングを逃がすと、ニキータはまたテーブルに前のめりになり、

「Mate in 18(あと18手で詰む)」

 と言った。

 アレクサンドラは驚き、ニキータの後ろに立っているヴィクトールを見た。ヴィクトールは顎に手を当て、盤面を見て何度も頷いている。

「見せてくれるかい? 」

 ヴィクトールの言葉にニキータは盤面の駒を動かした。18手でチェックメイトになった。

「正解だ」

 ヴィクトールはニキータの頭を撫でた。

「お父様、もう少し時間を頂きます」

「ええ、どうぞ」

「さぁもう1局」

 そう言ってヴィクトールはチェス盤を回転させた。そしてテーブルに身を乗り出し、顔をアレクサンドラに近づけ耳元で(ささや)いた。

「女王、次は本気(・・)で......挑戦(・・)したまえ」

 いつもは消え入るような声が、重く胸に響いた。アレクサンドラは目を見開き、眉を釣り上げた。ヴィクトールはニキータを見ている。窓から差し込む光がアレクサンドラの背を、ニキータの顔を照らした。


 アレクサンドラは女子世界チャンピオンだ。女性の中でのチャンピオンとは言え、彼女のレーティングは2600を超えている。男性の強豪GM(グランドマスター)と対等に戦える実力を持っていた。彼女はアメリカの神童ロバート・フリッツとマッチをしても、一方的に負かされることはない。

 アレクサンドラはまたヴィクトールを見たが、彼は「どうした?早く始めたまえ」と眉の動きで語るのみだ。

 先の対局はニキータに白盤を持たせた。今度はアレクサンドラが白を持つ盤だ。日に照らされた美しく愛らしい笑顔を前に、女王の右手は盤の上を泳いだ。その震える手はキングサイドのナイトを繰り出した。未知の相手を前に、探りを入れる手、レティオープニング。

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