ニキータ・コトフ 5
それからニキータは父セルゲイと祖母によって育てられた。母が消えても寂しがる様子は見られなかった。
ニキータは小学校に入学し7歳になった。相変わらずニキータは必要最低限の会話しかしないものの、豊かな表情のおかげで学校には馴染んでいた。それには男の子のニキータがとても美しく、まるで少女のようであり、教師達に気に入られていたことも助けになった。
静脈が透けて見えるほどの白い肌に、長い睫毛から覗く大きな青い瞳、白に浮かぶ真紅の小さな唇、そして自分の世界に浸る時に見せる物憂げな表情。このおとなしい人形は皆に好かれた。
しかし、自閉症と診断される彼は授業中もずっと自分の世界に浸り続け、教師の話は耳に入らず、テストも解答することを知らず、全て白紙だった。ニキータは半年で特殊学級に移された。セルゲイもこの処遇を受け入れ、最低限の人との触れ合い方を学ばせてほしいと要請した。
セルゲイはニキータにとても甘い。ニキータの楽しみを決して邪魔はしないし、望むものはなんでも与えた。とは言っても、ニキータの望みは幻想の酩酊とチョコレートである。
ニキータ自身はと言うと、毎日が充実していた。セルゲイの部屋の数学書は日に日に増えるし、精神世界に見える妖精さんは美しい小宇宙を毎日見せてくれる。母がいなくなってからは誰もニキータの酩酊を遮る者はなかった。
文字と論理を得たことにより世界は、幻想的な酩酊をもたらすものから、明晰な酩酊をもたらすものに変わった。いずれこの内面世界は外界と親和していくだろう。いつものように妖精さんの操る小宇宙つまりチェス盤を眺めていると、ふと、自分にもその小宇宙を操れる気がした。
『今までたくさん見てきた。次はきっとこう変化する。ほら当たった! 僕もこの小宇宙の一員だ』
「ぜんぶわかった! 」
自然とそう言葉が出た。妖精さんはニキータを不思議そうに見た。
『このボードの中に広がる宇宙は......望んでいる。解明を、この闇の奥底にある小さな光明のひとつひとつの』
『誰かが、要求されている。誰が解明できる......? 僕だ』
ニキータはチェス盤の中央を指でつついた。忽ち盤は大きく広がり、ニキータを飲み込んだ。
その翌日である。ニキータがモスクワの公園で、日本人とアメリカ人の2人組と出会ったのは。
「ニキータ、チェスが好きなのかい? 」
セルゲイの質問にニキータは頷いた。
「じゃぁ、家に帰る前にチェスセットを買おう。お家でパパと勝負だ。他に欲しいものはあるかい? 」
「チョコレート! 」




