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ニキータ・コトフ 4

 ニキータはスケッチブックに「オイラーの公式」を書いて保育士に見せた。保育士はニキータの父親が数学教師であること知っているので、父の真似をして適当に数字と記号を書いただけと思った。

「上手ね。将来はパパと同じ数学の先生かしら」

 ニキータには予想外の反応だった。どうやらこの人には見えていないようだ。それからニキータは保育園では誰にも絵や数式を見せなくなった。

 家では母の前で数学に触れることは許されない。ニキータは頭の中でセルゲイの本の中身を反芻(はんすう)していた。そうしている時のニキータは、まるで意識が別の場所にあるようだった。


 文字を認識するようになったニキータは、読んだ本の中身をすべて頭に刻むことができた。ニキータの頭の中には広大な空間が広がっていた。そこは何もない真っ白な空間だったが、ニキータが取り込んだ知識や理論をそこに保存することができた。いつでもそこから必要なものを取り出せる。ニキータはこの空間で1人でセルゲイの本を読んでいた。

『ここは素晴らしい!もっと美しいものをたくさん集めよう! 』

 ニキータはそこに本などデータだけでなく、見たものなら何でも作り出すことが出来た。まず、我が家をコピーした。そこで本を散らかし、幻想に浸った。


 ある時、ニキータの空間に侵入者が現れた。白人の10歳ほどの少年だ。その少年は目が窪んでいて、耳が尖っている。保育園の絵本で見た妖精さんだとニキータは思った。その妖精さんは、白黒の64マスが描かれたボードの上に駒を並べて動かしている。始めは何をどう動かしているのかわからなかったが、1度見て駒の動きに法則があるのを発見した。

 ニキータは3歳で、この世の中が数学の公式通りに動いていることを理解していた。妖精さんの操る盤上の駒の動きに、ニキータは公式を見出した。ニキータが公式だと認識したものはチェスの手筋であった。

『この盤上の世界にも自然法則が存在する! 』

 それからニキータは、妖精さんが操る盤上の世界を観察するようになった。それぞれの駒のつながり、手筋や定跡という公式の理論が目の前の局面に応用されていく。静止状態が持つシンメトリーがねじれ、ピースが飛び出す。飛び出したピースははたらきを大きくし、鮮やかな軌跡を描き激しくぶつかりあう。ピースの命は尽き、やがて世界は収束していく。ニキータはすぐにその小さな宇宙に魅了された。


 4歳になり自分の精神世界に浸るニキータは、ついに医者に高機能自閉症と診断された。これを受けてエレーナはニキータを普通の子として育てることをあきらめ、ニキータに対して最低限の接触しかしなくなった。セルゲイはそんなニキータを溺愛し、ニキータの望む世界を与えた。そんな夫婦は勿論、毎晩のように言い争いをした。

「全部あなたのせいよ! あなたが変なものにのめり込むからよ! 私は普通の子供がほしかったのよ」

「変なものとはなんだ。それにニキータはギフテッドだ。普通なんかじゃない。素晴らしい子だよ! 」

 セルゲイは両親の喧嘩を見つめるニキータに気がつき、

「ニキータ、パパの部屋で本を読んでおいで」

 と言って、醜悪な喧嘩を見せまいとした。


 翌朝、エレーナが目覚め1階の居間に下りると、異様な光景が目に入った。居間は壁から床まですべて数式や記号のようなもの、グラフで埋まっていた。ニキータは夜中から今までマジックペンでずっと描いていたのだ。高い所も椅子と脚立を使って器用に描かれていた。途中でインクが切れたのか、黒1色ではなく何色もの色が使われていた。唖然とするエレーナにニキータは自慢気に話しかけた。

「ねぇ見て。綺麗でしょ。これを見てれば落ち着くよ。最近いつも怒ってる」

 ニキータの目は輝いていた。ひとつ仕事をやり遂げたという顔をしていた。

「ああああああ! 」

 エレーナは耳をつんざくような叫びを上げた。花瓶を掴み、ニキータの足元に投げつけた。幸いニキータには当たらなかったが、花瓶は大きな音をたてて割れた。エレーナの声と花瓶の割れる音を聞いたセルゲイは慌てて階段を下りてきた。

「どうした! 」

 セルゲイの目には数式で埋められた居間と、ニキータの足元に広がるガラス片だった。セルゲイはニキータに駆け寄り、ガラス片から遠ざけた。

「一体、どうしたんだ? ニキータ怪我はしてないか? 」

 セルゲイはニキータの足に傷がないか確かめてから、エレーナのほうを見た。

「エレーナ、説明するんだ」

 エレーナは興奮しているようだった。さっきまでニキータが立っていた所のすぐ前の床がへこんでいた。

「エレーナ、君が投げたのか? ニキータに向かって...... 」

「この子が悪いのよ! どうして......こんな、気味が悪い...... 」

「エレーナ! 」

 セルゲイは怒鳴った。

「君が、ニキータに向かって投げたのか! 」

「そうよ! あなた達が悪いのよ。こんな気味の悪いの嫌よ。こんな子いらない! 」

 セルゲイはその言葉を聴くと、ニキータを2階へやった。そしてガラス片を片付けながら言った。

「エレーナ。僕達は終わりだ。出て行ってくれ。ニキータは僕が育てる」

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