ニューヨークチェスクラブ 1
真田自身が元奨励会員ということもあって、彼の書いたコラムは将棋指しや碁打ちなど、文化を楽しむ人々から評判が良く、会社は真田にチェス界に関する連載記事を書くように求めた。真田はこれを了解した。
真田はチェスを知るために、将棋指しがもれなく持つ習性である、凝り性を発揮した。まず、USCF、アメリカ合衆国チェス連盟の発行するチェス雑誌『Chess Life』を読み漁った。そしてチェスの定跡書、棋譜集、参考書、問題集を何十冊も買い集め、読破した。
彼がチェスに出会い二ヶ月が経った頃、ニューヨークは冬になり、雪の中チェステーブルを利用する人は見られない。彼は取材のため、ニューヨークチェスクラブを訪れた。そこはアメリカチェス界の中で名門と名高い格式あるクラブである。クラブの建物の外観は、日本人からすると、小さな古城のように見えた。城門のような高さ三メートル程のドアを開くと、正面には大きな講堂が見える。壁や柱はもちろん、テーブルもすべて木製である。屋内は暖房が効いていて暖かく、オイル仕上げされた木製品の濃い飴色がこの空間の暖かさを増していた。そこでは子供から年寄りまでがチェスに興じている。中には一人でチェス盤に向かい、定跡の研究、棋譜並べをしている人達もいる。端のベンチでは問題集と睨めっこし、人差し指で紙面をつつきながらチェスプロブレムと戦っている人も見られた。真田は席主と思われる初老の男に話しかけた。
「席主の方ですか? 取材の予約をしました真田智史です」
男は読んでいた新聞を乱暴にたたみ、
「あぁ、あんたか。席料払って、あとは勝手にしてくれ」
真田は電話で取材の申し入れをした際に、日本人向けの日本語の記事になると伝えていた。この不遜な態度は、どんな記事を日本語で書かれようが関係ないという思いからくるものだろう。真田は、懐から出しかけた取材費の入った封筒をしまい、ポケットからくしゃくしゃのドル札を出した。
真田は対局をしている人達を見て回った。次の一手を思案している顔、うっかり指した悪手に頭を抱える人、様々だ。日本の将棋センターと同じ光景がそこには見られた。彼は講堂の端の席で、一人の白人の男が五人相手に同時対局しているのを見つけた。真田はこの男がマスター資格を持つ者だと思った。
チェスの世界は、将棋界とは異なり、プロとアマチュアの区別は存在しない。実力は段位ではなく、レーティングという数字で表される。ルールを覚えた初心者が500程とされ、2300を超えると国際チェス連盟よりFIDEマスターというタイトルが付与される。さらに上に行くと、レーティング2400を超え、かつ国際大会での実績によりインターナショナルマスター、2500を超えて同様に国際大会での実績を積めばグランドマスタータイトルが得られる。
真田はマスターらしき男が指導対局を終えるのを待った。しかし、指導対局と呼ぶにはそれは一方的なものだった。緩手を認めるとすぐさまそれを咎め、敵陣を粉砕して行く。生徒達は次々とメイトされた。生徒は男と二言三言、言葉を交わし握手して去って行く。生徒がいなくなると男は立ち上がり、伸びをした後、真田に気がついた。
「日本人がいるなんてね、取材か何かかい? 」
日本人はチェスなんてやらないだろという皮肉に聞こえた。
「ええ、そんなとこですよ。真田智史といいます。初めまして」
「こちらこそ、ステファン・ラモスです。これでもインターナショナルマスターやってますよ」
年齢はおそらく三十後半から四十前半、髪は黒いパーマで、短い口ひげは整えられている。ワイシャツにベストのセーターを着ており、カジュアルな格好でありながら彼がインテリであることがうかがわれた。