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日本チャンピオン 3

 将棋はサムライの一騎打ちである。刀の切っ先を見切るように一挙一動が生死を左右する、たった1手のミスも許されない。終盤ではどちらの刃が一瞬でも速く相手に届くかの勝負となる。そのためなら手がなくなろうと、足がなくなろうと、どんな犠牲も(いと)わない。光速の斬り合いのさなかの、たった一瞬、たった一ミリの差を争う。


 対してチェスは砲撃戦である。長い射程から敵陣を睨み、爆撃することで敵陣を乱していく。撃った弾は二度と返ってこない。爆撃戦の跡にどれだけ生き残れるか、どれだけ陣形を保つかの勝負となる。キングの首は必ずしも獲る必要はない。


 展開は坂平の作戦通りだった。しかし、予想外なことは、真田はこの終盤まで「チェス」という土俵で互角に渡り合って来たことである。


 今までチェスで対局した将棋のプロたちとは違った。プロ棋士たちは将棋独特の感覚をチェスに強引に持ち込み、坂平はそれに意表を突かれて負けていた。将棋指しの真田が自ら懐に飛び込んで来たことに困惑していた。

挿絵(By みてみん)


 局面は真田にとって互角か、やや優勢かとい所だった。持ち時間は既にお互い使い切っている。あとは1手10秒の読み合いだ。


 真田の目は小さなポータブルチェス盤の8×8のマス目を縦横無尽に飛び回る。顔は紅潮し、髪はうっすら逆立ち、脳の発火による火花が瞳に映るように思われた。


 光速の思考の最中、1つの疑問が湧いた。


 どうして俺はチェスなんかやっているのだろう。俺は将棋に挫折し、将棋を捨てた人間だ。チェスと物は変われど、なぜ同じことをしている。


 奨励会退会が決まったあの日、プロ棋士への道を断たれたあの日、青春のすべてを捧げた情熱を砕かれたあの日、俺は色を失っていたんだ。俺にはあの時、目に映るものがすべてモノクロにしか見えなかった。きっと千駄ヶ谷はいつも通り春の日差しに輝いていたさ。自分の足が考えてもいない方向に歩いて行くんだ。でも俺は冷静だったんだ。地べたに座り込んでずっと(つぶや)いてた、「変なことは考えるな。それはダメだ。惨めでもいいんだ。それだけはダメだ」


 そんな思いまでして、どうして俺はこんな夢中に次の1手を考えているんだろう! この脳の発火はなんて気持ちいいのだろう! 俺を盤に向かわせる、この原動力は一体なんだ?


 ああ、好きなんだ! 愛しているんだ! この、盤上の理性表現を!


 (いや)しさも、(よこしま)さも、あらゆる邪悪な人間感情が排された、この理性演劇を俺は愛しているんだ!


 もう悩むことはないさ。チェスはそこにあるのだから。


 真田はRd8+(ルークd8チェック)と指した。


挿絵(By みてみん)


 坂平の視線は盤面から離れ、天を(あお)いだ。椅子のクッションにもたれかかり、またすぐ姿勢を真っ直ぐに戻した。

「負けました」

 坂平は投了した。

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