日本チャンピオン 1 (カロ・カンオープニング)
坂平の案内で3人は洋風の小洒落たレストランにやってきた。坂平はこの店に馴れているらしく、店員に使いたい席を指定していた。3人は店の奥の壁で仕切られたほとんど個室のような座席に案内された。テーブルも壁も艶のある黒で統一されており、椅子には柔らかいクッションが施されている。真田と坂平は向かいあって奥の席に座り、次いで国実と岡部が座った。
「ここいいでしょう。個室みたいなものですよ」
「なるほど、ここでこっそりチェス盤を使ったりするんですね」
岡部が笑いながら言った。
「その通りです。チェス仲間とよくここに来ます」
そう答えると、坂平は鞄からポータブルの折り畳みチェス盤を覗かせた。
「真田さんと1局と思っていたんですがどうでしょう? 」
「いいですよ。飲むのは対局の後になっちゃいますね」
真田はこの提案を快く受けた。
「俺もその対局に興味があるな。料理の注文は対局後にしましょう」
国実がそう言うと、岡部も了解した。
坂平が白と黒のポーンをそれぞれ左右の拳に握り、真田は左手の拳を選んだ。坂平が拳を開くと白のポーンが出てきた。
「俺が白番ですね」
「真田さんレーティングはいくつですか? 」
坂平が駒を並べながら真田に聞いた。
「まだ公式戦に出てないので、ゼロですね」
「なるほど、私はFM(FIDEマスター)で2340です。真田さんのコラムに載ってた棋譜見ましたよ。あれを見て、あなたは私と同じくらいかと思いましたよ」
駒を並べ終わり、坂平がチェスクロックを盤の横に置いた。
「持ち時間5分の1手10秒増加でいいですか? 」
「ええ、構いません。お願いします」
2人は握手をして対局を始めた。
真田は初手e4と伝統的な1手目を指した。ポータブルの安い駒は軽くて小さく、気をつけなければ指が当たって他の駒を弾いてしまいそうだ。
これに対し坂平は初手を伝統的なe5ではなくc6と指した。この指し方は『カロ・カンオープニング』と呼ばれる。この定跡を研究したイギリスのカロと、オーストラリアのカンにちなんで名付けられた。
2人は持ち時間をほとんど使うことなく序盤の手をどんどん指して行く。真田がe5としたところで、センターポーンの動きは硬直した。センターが硬直すると、激しい戦いにはならず、堅実な戦いとなる。この後は、お互いが優勢を築くために陣形を整える駒組みが続く。
激しい戦いとなれば坂平は将棋士のズバ抜けて深く速い読みと勝負しなければならなくなる。この日本チャンピオンは将棋士の土俵で戦うことを避け、チェスのセンスを競う戦いに真田を誘導したのだ。
坂平はc5と指した。この手は、もし白がdxc5とポーンを取ればBxc5とキングサイドのビショップを手順に展開しようという手である。白の真田がが守りを固めようとしている内に、黒の坂平は積極的に仕掛けて来た!




