第59話 願い
周囲を覆っていた螺旋の光が消滅する。真也の体感時間では起動から終了まで十秒も掛かっていない。しかし確実に時間が違う。向こうは昼過ぎだったため外からの光が入っていたが、今は僅かな明かりがあるだけでとても暗い。薄暗い周囲を見回すと、先程まで居た場所よりは多少狭い円形の部屋で、床に描かれた模様で同じ用途の部屋だと分かった。
「……誰もいないな。森羅、隠蔽。出現まであと何分位だ?」
「隠蔽障壁起動完了。出現は三十分位です。それと十五分程で人が来ます」
「それがこの時代のあいつか。では、来るまでこの部屋を調べておくか」
真也は薄暗い部屋を動いて明かりの所まで移動する。明かりはとても暗く、物は見えても字は読めない程度だ。おそらく常夜灯の様なものだろうと用途を推測する。次に中央に移動して床の模様を調べた。
「これは召喚陣だよな。完成しているのか?」
「まだですが、召喚の方は完成しています。残りの高密度意思体になるための魔法陣は後ほんの少しで完成するようです。連動しますので、現状では異世界の存在はまだ召喚されていません」
真也は森羅が読み取った情報を聞き、指で示す所を見ると、僅かに模様が途切れている箇所があった。
「なら念のため完成しないように、気が付きにくい箇所を差し替えて無効化しておこう。それで大丈夫かな?」
「はい。無効化するだけならば、それで十分です。ただ、今改造すると時間転移に影響が出る可能性があります。出現してから改造した方が確実です」
「ん? ああ、そうか、そうだな。なら場所だけ決めておこう」
ノーヴォテインはこの魔法陣を目印にして時間転移してくるので、今改造して未完成にすると転移がずれる可能性が発生する。そのため出現してから改造することにして、場所だけを決めておく事にした。
真也の指示を受け、森羅は良く見ないと改造が分からない所を探し出し、何箇所か決めておいた。複雑な魔法陣は少し違うだけで発動しなくなる。そのため似ているが意味のない物に変えるだけで込められた概念が寸断され無効化できる。魔法陣は全体の模様自体が一つの大きな機械で、個々の文字等が構成部品と考える事ができる。形だけ似せた別の部品にすり替えると機械は動かなくなるのと同じようなものだ。
「準備はこんなものかな。後は待つ事にしよう。森羅、現れたら逃げられないように封鎖してくれ」
「分かりました」
真也は壁際に寄ると、腕を組んで静かにその時を待つ。やがて足音が入口の方から聞こえ始め、ランタン状の明かりと小さな手荷物を持った青年が現れた。白髪金目、背は普通程度で痩せている。青年は模様が途切れた所まで歩くと、明かりを置いて道具を取り出し何かを呟きながら作業を始めた。
(『あれがこの時代のノーヴォテインか? 雰囲気がまるで違うんだが』)
一心不乱に作業を行っている青年からは、あの強烈な傲慢さが欠片も感じられない。代わりに感じたのは、どこまでも暗い狂気のような雰囲気だ。
(『はい。読み取った記憶にある姿と一致します。それと簡易的に解析した情報でも本人と出ていますので、間違いありません』)
あの奇妙な精神支配はこれが根幹にあったからかと真也は納得した。支配しても考える力を奪えば、いずれ破綻する事くらい分かるだろうにと不思議だったのだ。
ノーヴォテインは力の無い時の劣等感から、力を持っても陰で悪く言われることに耐えられなかったのだ。だから他者を支配する事にこだわった。彼に本当に必要だったものは、自分を信頼してくれる誰かだった。それに気が付く事はもはや永遠に無い。
(『力はどの程度なんだ? あんな事を本気で実行できるのだから、平均よりかなり低いのは分かるが』)
(『普通の人間の魔力を十とすると、五千程度です。予想では普通の神子が一万程度と思われます。高密度意思体の時で五万です。ちなみに天音と主様はもっと上です。天音が高い理由は分かりません。先祖帰りかもしれません』)
真也は天音の存在を知られなくて良かったとほっとした。多くの神子を生贄にして得た力なのに、自然に生まれてきた子に敵わないと知ったら、確実に殺しに来ただろうと思った。
実際は予備として確保しようとしていた時はそんなに魔力は大きくなかったので、行方不明になっても執着しなかった。そのため存在を知ってはいたが忘れる程度でしかなかった。天音の魔力が大きくなり始めたのは、真也と生活し始めて魔力制御が出来るようになってからである。
(『気にしなければ良い、が出来ていればこうはならないだろうな。どのみち同情出来る理由ではないな。同情出来ても結果は変わらないが』)
劣等感と言うものは当事者には重要な事だが、他者からすれば些細な事である場合が意外と多いものだ。視点を変える事が出来れば克服も出来るだろうが、当事者にはそれに気が付くこと自体難しい。
それでも今に至る選択を行ったのは己であり、その責任は自分自身にあると真也は思う。どんな環境で成長したかを知ってもその考えは変わらない。所詮は他人の事であり、被害を受けた側が考慮する事ではないからだ。それをどうにかするのは家族や友人の役割だと思っている。
そんな事を考えていると、先程まで作業をしていた青年が膝立ちになり、暗く歪んだ顔に愉悦を浮かべ、哄笑する。
「フッ、フフッ、フハハハハッ。遂に、遂に完成した。これさえあれば、これさえあれば今まで俺を蔑んだ目で見た奴らなど障害にもならない。見てろよ、今まで俺を蔑んだ事を後悔させてやる……」
これを見た真也は、間違いなく本人だと確信した。頷きながら、あの性格は元かららしいと冷静に観察している。そんな時に森羅から知らせが入った。
(『主様、来ます』)
その言葉より二呼吸ほど後で、突然魔法陣の中央付近が光を放つ。光が収まったそこには血まみれのノーヴォテインが目に狂気と恐怖を浮かべて座っていた。突然の出来事に青年は驚き固まっている。何とか搾り出した誰何も、変な調子になっていた。
「な、なんだ貴様は!」
「アァアアヒャアアアァ!!!」
ノーヴォテインは誰何に重なるように絶叫すると、胸が裂けて心臓付近から黒い塊が勢い良く飛び出した。そして飛び出した勢いを緩める事無く、驚いていた青年の胸に突き刺さり中に強引に入り込んでいく。当然青年は絶叫し、胸を押さえて床をのたうちまわった。その様子を真也は手で目を覆って、指の隙間から見ていた。そんな隙だらけの状況を利用して、森羅はしっかりと魔法陣の改造をしている。
(『えぐいな……』)
(『どうやら逃げること以外考えられなくなっていたようです。逃げるために今の身体を捨て、手近な肉体に憑依したのではないかと推測します』)
(『ん? と言う事は過去の自分に憑依したのは偶然か?』)
(『最初からやり直す事を強く願ったからこそ、暴走した力によって過去に転移してきました。むしろ必然ではないかと思います』)
改造を終えて戻ってきた森羅と真也が話し合っているうちにいつの間にか絶叫は止み、代わって哄笑が響いていた。
「フッ、フフッ、フハハハハッ。素晴らしい、素晴らしいぞ。力が溢れてくる。この力さえあればもはや障害となる物は何も無い!」
何故『力』がもたらされたのかを疑問に思うことなく、ノーヴォテインは立ち上がって笑い続けている。真也はそれを見て、もう隠れて観察する必要は無いと結論を出し、姿を現す。もちろん既にこの区域は封鎖済みだ。
「相変わらず単純な頭だな」
真也の声にノーヴォテインは笑いを止め、真也を見る。そしてニタリと笑うと、どこかで聞いた事がある台詞を言った。その様子は、真也がここに居る事に不審を抱いたようには見えなかった。
「ふん、誰かと思えば人間か。どうやってここまで来たのかは知らないが、丁度良い時にやって来た。本来なら聖域に侵入した罰として八つ裂きにする所だが、我は今、とても気分が良い。我の糧となる栄誉をくれてやろう!」
そう言ってノーヴォテインは右手を高々とあげると、魔力を魔法陣に流し始める。最初はにやけていた顔がいつまでも魔法陣が起動しない事にいぶかしむ顔になる。それでも魔力を流し続けるが、全く反応しない事が分かると怒りの声を上げた。
「何故起動しない! 陣は完成しているはずだ!」
「うるさいぞ」
真也はその一言でノーヴォテインの身体をその場に固定し、空気の塊を顔と腹に拳代わりに叩き込んだ。もちろん制御は森羅が行っている。真也の心を読むことは簡単に出来るので、見た目は真也が魔法を使っているように見える。この時点で森羅と楓と桜も姿を現した。
そのまま袋叩きにして、両手両足の骨を砕く。砕かれても身体は固定されているので立ったままだ。ノーヴォテインは現れた森羅達にやっと気が付いて驚愕している。痛覚はまだ繋がっていなかったので痛みは感じていない。ここで真也は推測の検証を行うために嘲りの表情を浮かべ、わざと挑発するような言葉を選ぶ。
「やっと静かになったな。気分はどうだ、最高だろう?」
「ぎ、ぎざまぁ!」
ノーヴォテインは激高して魔法を放とうとするが、森羅が都度干渉して無効化している事には気が付かなかった。そのため暫く試していたが何度試しても発動しないため、最後には諦めて真也を睨みつけるだけになった。
この状態で恐怖に陥らない所を見ると、綺麗に以前の事は忘れたらしいと真也は仮説が正しかった事に満足した。さすが森羅と心の中で褒める。森羅は特に変わらないが、もちろんしっかり聞いている。真也はこれだけでも大丈夫だと思ったが、念のためもう少し演技を続ける。
「さて、優しい俺がお前の疑問に答えてやろう。まず魔法陣を壊しておいたのは俺だ。おまえの間抜け顔は傑作だったぞ」
ノーヴォテインがそれに反応して声を上げようとした時に、真也は容赦なく顔に空気の拳を叩き込む。
「誰が声を出して良いと言った。お前の返事はもう必要ない」
それでもノーヴォテインは嘲るように顔を歪め、強引に声を出す。
「ふん、そんなものはもはや不要だ! 我は永遠の存在となった! たとえ今の肉体が滅びようと必ず甦り、貴様を八つ裂きにしてくれるわ!」
真也は以前と同じ言葉を繰り返す様子を見て、演技では無く本当に記憶を失っていると確信する。そしてもはや検証は必要ないと結論を出した。
演技を止めた真也は大きなため息をつくと、表情を消して静かにノーヴォテインを見つめる。それを見たノーヴォテインは、変化した真也の気配に怯え、口を閉ざした。
「それももう聞いた。もう口を開くな。……もう一つ教えてやろう。そこに転がっている男は未来のお前だった者だ。二千年後の未来で俺と戦い、この時代に逃げてきた。俺はお前を滅ぼすために追いかけて来たんだよ。もう封印など面倒な事はしない。痕跡すら残さず消滅しろ」
「そ、そんな事が出来る訳がない。存在を消滅させる事など、創造神以外には不可能だ!」
ノーヴォテインは真也の気迫に飲まれながらも震える声で反論する。今のノーヴォテインは魔力さえあれば何度でも甦る事が出来る事を認識している。そのため記憶を失っている今は何をされようと恐れる事は無いはずなのに、心の奥底から這い出る恐怖が自然と身体を震わせている。それが何故なのか理解できずに混乱していった。
確かにこの世界の法則ではその通りだ。この世界の全ては創造神の一部と言って良い。在り方を変える事は出来ても消滅させる事は創造神以外には出来ない。神を一部とはいえ消滅させる事は、同じ一部である者では不可能なのだ。それが出来る者は、創造神の一部では無い異世界の存在のみ。だからノーヴォテインは召喚魔法を研究し、完成させたのだ。
真也はノーヴォテインの問いに答えずに、無表情のまま森羅に命令する。
「森羅、【消滅】の使用を許可する。『ノーヴォテイン』を完全に消し去れ」
「分かりました。消滅術式使用準備に入ります。共有領域に制御術式を展開、最終封印解放」
森羅は肩から飛び立ち真也の前に出ると、今まで封印されていた最後の制御術式を共有領域に展開した。すると身体から白い光の帯が飛び出し、繭のように森羅を包み込む。光の繭の表面には螺旋状に高速で文字が流れている。そして繭は一気に直径二mまで膨れ上がると、内部からの圧力ではじけ飛んだ様に飛び散って消失した。
繭が消えた場所には、身長が百五十cm程になった森羅が立っていた。装いも変わり、上着には銀糸で編まれた精緻な装飾が加わっていて、頭部には金色に煌く小さな髪飾りも追加されている。そして身の回りには羽衣のような白い光の帯を纏い、その中には輝く文字が認識できない速度で流れている。
「制御術式構築完了、完全状態に移行しました。現在正常に稼働中。制限解放、超過稼働許可、超高速演算開始、……正常稼働確認。消滅術式展開」
森羅がノーヴォテインを指差すと、ノーヴォテインの居る場所を中心として天と地にそれぞれ白く輝く魔法陣が現れ、その間には何重にも帯状の魔法陣が大きく螺旋を描いて回転していく。そして瞬く間に何十にも重なった積層魔法陣となった。それを見ていたノーヴォテインは、自身の理解を超えた光景に呆然としていた。
「展開完了。指示をどうぞ」
真也は驚きで思考が停止しているノーヴォテインを見据え、最後の言葉をかける。
「最後の質問に答えよう。俺は異世界の人間だ。この世界に属さない存在さ。だから滅ぼす事は簡単に出来る。それはお前が一番良く知っている事だろう。他の誰でもない、お前が俺を召喚したのだからな」
それを聞いて更にノーヴォテインは混乱する。そんな記憶は無いのだから当然だ。その前にしていた会話は驚きが続いたため既に記憶から抜け落ちている。そんなノーヴォテインを真也は表情を動かす事無く見つめると、森羅に一連の出来事を終わらせる最後の命令を静かに下す。
「これで疑問は解消されたな。では安心して消滅しろ。森羅、消滅術式起動」
「了解、消滅術式起動します」
「や、やめっ……」
ノーヴォテインは真也の答えにやっと自分がどうなるかを理解し、言葉を紡ごうとしたが、それが最後の言葉となった。
言葉の途中でノーヴォテインを取り囲んでいた積層魔法陣が回転を速めながら収縮し始め、眩い光を放って対象の存在情報を一気に消し去っていく。ノーヴォテインは自分の何が悪かったのか最後まで理解出来ないまま、その存在を欠片も残さずに消滅した。やがて光は膨張し、周囲の構成物と共に真也達も飲み込んでいく。
真也は魔力を急激に使ったために朦朧となった意識の中で、新たな世界で天音達が幸せになる事を願いながら、光の中で目を閉じた。その傍らには楓と桜がしっかりと寄り添っている。胸元の首飾りから淡い光が放たれ、真也達を優しく包み込んでいった。




