第58話 最後の選択
「さて、まず邪魔者は退場願おう」
パチン。
真也が指を鳴らすと、玉座の周囲に居た人々が一瞬で消え去る。単に森羅が閉鎖空間に入れて処理しただけだが、術式の展開と発動が速すぎてノーヴォテインには何をしたのか全く分からなかった。
「ぐっ、なめるなぁ!」
ノーヴォテインの怒声と共に大量の雷、炎が真也に殺到する。そこに込められた力が解放されれば、王城は半分消し飛んだだろう。だがそれは実現しなかった。真也から放たれる圧倒的な魔力によって、到達する前に魔法が自然に消滅してしまったのだ。
ノーヴォテインはそれを理解すると、初めて怯えを表情に出した。真也が行った事は、理論では可能でも実際には不可能とされている事だからだ。当然ノーヴォテインには出来ない。
次は見えない刃を飛ばし、ノーヴォテインの左耳に大きな切れ込みを入れる。ノーヴォテインはその痛みに叫びを上げて、王錫を放り出して膝をつき傷を押さえる。
「どうした。神なら器の痛覚程度、どうとでも出来るだろう?」
今度は右手の小指を切り裂くと、再び絶叫が周囲に響き渡る。それを聞く者は目の前の処刑人しかいない。
「この程度で叫ぶな」
次は空気の塊を横から腹に叩きつけた。ノーヴォテインは以前の真也のように壁まで吹き飛ばされて激突した後に、剥がれる様にゆっくりと床に落ちる。
ノーヴォテインは内臓が傷ついたのか、嫌な音の咳を出した。それでも真也は手を緩めない。魔法で床から強制的に立ち上がらせると、玉座の所まで放り投げ床に叩きつける。痛みで朦朧としている相手を休ませる事無く、今度は腕を切り裂く。ノーヴォテインはまたもや絶叫をあげた。
真也は無表情のまま手を緩めずにしばらく同じことを繰り返し続けた。しばらくして真也が手を休めた時には、ノーヴォテインは先程の真也より酷い状態になっていた。
「どうした神様。そんなに大人しいとつまらないじゃないか。いつまで愚かで矮小な賎民にやられているつもりだ?」
真也の挑発にノーヴォテインは床に転がったまま静かに笑い、ゆっくりと身体を起こす。その身体はもう血で汚れていない所は無くなっている。真也は何もせずに、そんなノーヴォテインを無表情に見つめていた。
真也としては、そろそろ自分の方が精神的に限界なので終わらせるかと思っている。魔法の実行と制御は森羅が行っているとはいえ、自分が指示を出していて、目の前で絶叫されれば慣れていない真也は精神的に疲弊してしまう。怒りはあるが、それとは別の話である。
「ふふ、何も知らぬ愚か者よ。いくらこの肉体を傷つけようと我は死なぬ。いずれ甦る我が、貴様を必ず八つ裂きにしてやろう。闇に震えて待っているが良い」
やっと肉体の痛覚を遮断出来たノーヴォテインは、真也を嘲りながら宣言する。今は確かに負けている。だが不死身の自分には無限の時間がある。どんなに強い力を持つ者でも眠らずにいられる訳ではない。最後は必ず勝つ。そう確信しているからそう言い放った。
真也はそれを聞いて、心底おかしそうに笑い出した。それを見たノーヴォテインは眉をひそめる。予想した反応と全く違ったからだ。
「……何が可笑しい」
苛立ちの声に真也は笑みを浮かべたまま答える。
「お前の本体が高密度意思体であることは知っている。たとえ粉々に砕かれても甦る事もだ」
ノーヴォテインは秘密の情報を知られている事に目を見開いて驚愕する。そして知っていても恐れを抱かない真也の考え方が分からなくなり、心が乱れる。
「何故恐れない! 我は永遠の存在、何度倒されようと甦り、いつの日かお前を滅ぼすのだぞ!」
その絶叫に真也は呆れ顔になり、ため息をついた。そして表情を消して、その理由をゆっくりと良く分かるように教える。
「何故、たかが不死身なだけで、俺より弱いお前を恐れなければならないんだ。俺の世界では不死者の封印方法などありふれたものだ。お前を永遠に排除する方法はいくらでもある」
真也は表情を変える事無く淡々と言葉を紡ぐ。もちろん封印方法の出処は色々な漫画や小説であるが、森羅が居れば荒唐無稽な方法も実現可能となる。
「そうだな、今回は時の箱庭を使おう。それに封じられた者は外界と時間が切り離され、内界で永劫と言える時間が過ぎ去っても外界では瞬きの時間でしかない。さすがのお前も封じられて魔力を補給出来なくなれば、存在の維持に力を使い果たして滅びるだろう? たとえ滅びなくても、永劫の時を孤独に過ごせば精神が磨滅して、そこらの置物と変わらない存在になる。……ああ、神なら耐えられるかもな。ぜひ証明してくれ」
ノーヴォテインは自らの不死の秘密を知り、簡単に不死者を封じる事が出来ると言い切った真也に、もはや恐怖しか感じなかった。今の状況でそれが嘘だと思う事は出来ない。最強の存在と思っていた自分を真也は軽く超えているのだから。自分はいったい何を呼び出してしまったのかと混乱する意識で考えるが、もちろん答えがでるはずもない。
不死と言う精神的な拠り所を失った上に、真也の圧倒的な魔力に精神を圧迫され続けた結果、長い間忘れていた感情に支配され恐慌を起こし、最後には壊れてまともな思考を行う事がノーヴォテインには出来なくなった。もはや目の前に居る恐怖から逃げる事しか考えられない。
「ひゃああああ!」
突然、ノーヴォテインは大声をあげると目の前の床に対して力を放ち、床が大きな音を立てて弾け飛ぶ。それによって弾け飛んだ瓦礫が、勢い良く真也に降り注いだ。
「うおっ!」
予期していなかった行動に驚いた真也は、思わず腕を上げ視線を隠してしまった。飛来した瓦礫は全て障壁が防いだが、危険に対する反射行動は大丈夫だからといってやらなくなる訳ではない。そして真也が腕を下ろした時には、ノーヴォテインの姿はその場から消えていた。
「どこに行った?」
「奥の扉を抜けて、下へ向かっているようです。かなり速いので、おそらく飛行しています」
森羅の報告に真也は油断したと反省する。戦闘経験が無いので、相手が一目散に逃げる可能性を全く考慮していなかったのだ。
ちなみに森羅達が何故手を出さなかったのかと言うと、ノーヴォテインを倒す行為は全て真也の意思で行われなければならないからだ。途中で手を出すと、無意識の領域に解消されない後悔が残る可能性がある。決着を自らの手で付ける事で、過程や結果の良し悪しに関わらず全てがあるべきところへ収まる。だから動かなかったのだ。もちろん結界があるので外に逃げられる事は無い。
「次からはきちんと動けなくなるようにしないと駄目だな。急いで追いかけるぞ」
双子が居れば『現状でも普通は動けません』と言われそうな事を言いながら、即座に次の行動に移った。真也は森羅に飛行を指示し追いかけ始める。楓と桜は一m程度になり、速度を合わせて並走している。
「森羅、追いつくまでに詳細な解析結果を教えてくれ」
「分かりました。まず、『あれ』の精神構造は半ば壊れていました。具体的に言いますと、重要度の低い記憶を少しずつ失い続けているのですが、その事を認識できなくなっています。そのため断片的な情報しか読み取れませんでした。これからの話は今まで集めた情報と断片からの推測となります。よろしいですか?」
真也は頷いて続きを促す。
「事の初めは『あれ』が帝国直系の神子でありながら、他の神子に比べて力が劣っていた事です。これによってかなり劣等感を持っていたようです。このため力を求めた『彼』は研究に没頭しました。そして偶然発見した召喚の術式を用いて、異世界から強者を呼び出す事にしたようです」
ノーヴォテインは真っ直ぐに成長していれば、その術式構築の才能によって歴史に名を遺せた程の天才だった。しかし、それはもはや叶わぬ未来だ。
真也はそれを聞いて首を傾げる。いつも不思議に思う所だ。
「何で異世界からなんだろう。この世界にも強い者は居るだろうに」
「敵対する相手は同じ創造神の直系です。神子以外のこの世界の者では、神子が持つ神としての力によって、かすり傷をつける事すら出来ません。神子の魔力を枯渇寸前まで失わせれば、一時的に力が消失するのでこの世界の者でも殺害は可能となりますが、成人している神子をそこまで追い込む事がそもそも難しいです。そのため世界の概念に縛られていない異世界の者を求めました」
そんな理由で連れてこられたら堪らないと真也は思う。自分勝手も甚だしい。
「召喚陣を作り上げた『あれ』は世界から他の神子を排除し、永遠を手に入れるために研究を行いました。その結果が魂魄練成器と高密度意思体となります。準備が出来たので自らを高密度意思体に練成してから召喚を実行し帝位を簒奪すると、神子を材料にして魂魄練成器を各地に作りました」
聞いている真也には、単に劣等感から逃れるために穴を掘っている行動としか思えない。自分を高めるのではなく、相手を引き摺り下ろす最低の方法だ。
「そして全て成功したと思っていた所に、神子の生き残りが命を懸けて戦いを挑み『あれ』の核を粉々に砕きました。このため最近まで大きな力を振るう事が出来なかったようです」
「復活に二千年かかるのは短いと言えるのか? 十分長いと思うんだが」
二千年と言えば歴史が伝説となるのに十分な時間だ。
「本来は一年程度のはずだったのですが、完全に核が安定する前に粉々に砕かれたので、不具合が多く出たようです。力の方は魂魄練成器が発生させている魔力量から考えて、現在は当初の半分程度と思われます。しかし、その事は認識していません。砕かれた事で魔力を受け取る機能もおかしくなり、魂魄練成器から漏れ出した余剰魔力によって大異変が引き起こされました」
ある程度予想通りだったので、真也は頷きながら聞いている。もし完全体だったなら大異変は起きなかっただろうが、その代わり世界全体がこの国のようになっていた事は簡単に想像できる。それならまだ今のほうが良いと、名も知らぬ神子に感謝した。
「なるほど、欠陥品だったのか。もし完全体なら苦戦したかもな」
本当にそう思った訳ではないが現状の力も結構大きかったので、その場合はそれなりに苦労はしただろうとその場面を想像する。しかし、森羅は簡単にそれを否定した。
「いいえ?」
「……え?」
「せめて現状の十倍は無いと、障害とは呼べません」
予想しなかった森羅の短い返答に、真也は思考が一時停止してしまった。いったい自分はどこに向かっているのだろうと本気で考えた真也だった。
「話を戻します。核を砕かれた後は四百年ほど眠りにつき、その後は旧シーヴァラス王国の王家に憑依して、国民に対して精神操作を千年以上かけて行い、あんな状態にしました。二百年前には力がある程度戻ったので召喚陣を作成し、魔人を召喚して戦争を仕掛けています。結果は逆に攻め込まれて城を落とされ、その時の器も壊されたので手近な者に憑依して逃げ出し、地下に潜伏していました。そしてやっと適合する肉体を手に入れて復活し、今に至るとなります」
話を聞き終えた真也の感想は『居るだけで害悪な存在』だった。普通はそれなりに役に立つ側面があるものだが、今の所全く思い浮かばない。実際居ない方が平和だったのだからこれは仕方が無い。
「同情出来る所がひとつも無いというのも、ある意味すごいな」
真也は聞いた情報に納得すると速度を上げるように指示を出し、追跡を早める。入り組んだ王城の中を下方向に降り続け、行き着いた一番奥の行き止まりに両開きの扉が開け放たれた直径三十m程の円形の部屋があった。窓から明るい太陽の光が入って来ているので、距離があっても中の様子ははっきりとわかる。その部屋の中心には複雑な魔法陣が描かれ、その中央にノーヴォテインは居た。全身の力が抜けたかのようにうなだれて床に座り、背中を真也に向けている。
更に速度を上げた真也が部屋に到着する前に、気配に気が付いたノーヴォテインが急激な動作で後ろを振り向いた。その顔からは既に正気は失われ、狂気と恐怖が張り付いている。
「ヒィイアアアァァァアアア!!! 来るな、来るなぁ!!」
手を滅茶苦茶に振り回しながらノーヴォテインが絶叫すると、真也を阻むように厚い氷の壁が発生し、そこから無数の氷塊が真也に向けて殺到する。それと同時に床の魔法陣が輝き出し、部屋の内部が光で見えなくなった。
「させるか!」
真也はそのまま突進し、飛来した氷塊を魔力で消し飛ばす。その先にある氷の壁は森羅が衝撃波で吹き飛ばした。それでも間に合わず、光が収まった時には部屋の中央に居たはずのノーヴォテインは既に姿が見えなくなっていた。
「再召喚ではなかったのか。……しかし今度は何処へ行った。今の方がよほど手強いぞ」
真也は逃げ足の速さに呆れた声を上げる。部屋の中には真也達以外は誰も居ない。床の模様から再召喚と思い阻止しようと急いだ訳だが、予想は外れてまたもや逃げられてしまった。
「しかし失敗続きだな……。やはり素人が急いで考えても裏目に出る確率の方が高い。森羅、魔力を制御してくれ」
「はい、分かりました」
二度の連続した失敗で、慣れない直接戦闘を行った為にいつの間にか高ぶっていた心に気が付いた。当初は恐怖を持続させるために魔力を解放したまま追跡したのだが、ある程度冷静になった今なら悪手だったと分かる。逃げる相手に気付かれてどうすると、深呼吸をしながら判断の甘さを反省する。
「解析します。お待ちください」
森羅は魔法陣の中央に降り立ち、床に手を付いて解析を始める。真也は近づいて結果待ちだ。無言の時間が十分ほど経過した後、森羅は立ち上がって結果を報告する。
「分かりました。時間転移を行っています。再出現時間は現時刻より二千七年百二十三日十時間三十八分二十六秒前です。この魔法陣は召喚と高密度意思体になる為の複合陣です。この繋がりを辿ったようです」
過去の魔法陣は破壊されたが、同一製作者によって全く同じ物が作成されたため、ノーヴォテインにとってそれは『同一の存在』になる。それを概念として使用し辿ったのだ。
真也は『時間が細かすぎる!』と心の中で突っ込みを入れ、次の対処を考える。突っ込みを言葉にするほど愚かではない。心の声をしっかり聞いている森羅は小さく頷いている。もちろんわざと細かく言ったのだ。
魔法陣については真也の予想通りなので問題は無い。そうなると残りは時間転移の事だけとなる。
「時間転移は簡単に出来るものなのか? もしそうならもっと早く戻っていてもおかしくないと思うのだが」
「使用される術式によって難易度は異なります。私が使用する術式は比較的簡単に使用できますが、通常は成功するか賭けになる程度だと思われます。それに同一存在が居る時間軸には、実行しようとしても術式自体が発動しませんので転移は出来ません。例外は完全に一致する時と場所に移動して存在が重なった場合のみです。恐らく先程の時間転移は主様から逃げたい、やり直したいと無意識に考えた結果、力が暴走して転移したと思われます」
つまり失敗したら戻ってやり直せば良いは出来ないと言う事になる。真也は説明を聞いて、ノーヴォテインが行った事を考察する。
「過去に逃げたと言う事は、歴史改変が行われたのか?」
「一度は成立したはずです。ですが、最終的には失敗したと思われます」
「何で失敗したと分かるんだ?」
真也は首を傾げる。時間の彼方へ逃げた相手の動向はさすがに察知出来ない。
「成功していた場合、主様が『過去へ逃げた』と言う認識を持つはずが無いからです。現時点で向こうに有利になった記憶はありません。失敗したから主様は逃げたと認識しているのです。それに『あれ』は主様が与えた恐怖で半ば壊れていました。過去に行き、誰かに憑依しても逆に取り込まれてしまいます。現状からの推測では過去の自分に憑依したはずです。これなら出だしに多少違いがあっても、二千年もあれば無視できる誤差になります」
要するに成功していた場合は、今の時間軸は消滅していると言う事だ。
「過去に居る存在と、自らを変えた存在では同一の者とは言えません。そのため時間転移する事が出来たと推測しています。厳密に言えば、今居る私達は先程までの私達とは違う存在かもしれませんが、認識に変わりは無いので問題ありません。また、現状では『あれ』は自らの存在を重ねる事で二千年の時の円環に囚われています。現在が成立している以上、二度と現れる事はありません」
つまりノーヴォテインは、先程時を遡り二千年前の自分に憑依して記憶を失う。そして二千年後に真也に倒され過去に逃げる。これを永遠に繰り返す存在となったのだ。
最初の時間転移の時は、その時点で未来は消滅した。しかし、二度目以降は出現点で存在が重なる事によって全く同じ歴史が繰り返されたため、改変が成立せずに未来は存続している。これは時間軸が閉じないようにと働いた修正力の一つである。
「……つまり、あいつは自分から永遠の牢獄に入った訳か」
真也は黙って考え込む。森羅達も沈黙し、次の指示を待つ。暫くの間無音の時が空間を支配していたが、やがて真也は顔を上げ、何かを決めた表情で言葉を紡ぐ。
「森羅、俺達が時間転移した場合はどうなる?」
「全て予想になりますが、関連する事象に干渉した場合、最悪は消滅します。ただ、今までも時間転移を行った者は多数存在するはずです。それでも世界は存在していますので、改変によって存在の矛盾が発生する場合、それを解消するための何かがあると思います。可能性は無限にありますので、それが何かまでは不明です」
頷きながら淡々と次の質問に移る。
「もし過去に行き、あいつを排除した場合、歴史はどうなると思う?」
「確実に変わると断言できる事柄は、召喚される者が居なくなり、魂魄練成器は作られず、結果として大異変が起きないのでシーヴァラス帝国が存続する事です。そのため神子は忌み子と呼ばれずに普通の生活が続きます。その後は不明です。もし帝国が崩壊した場合は、今より国同士の戦争が大規模になる可能性が高いです。理由は魂魄練成器が無いため強い魔物が発生せず、各地の魔物の被害が小さくなる事、神子が多くいるので大規模な魔法が使用されやすいためです。現状からの推測では、二千年もあれば時の修正力によって現在と似たような構成になると思われます」
真也はそれを聞いて薄く笑う。以前に聞いた時は問題外だった選択肢が、今は自分の中で大きく主張しているのが分かる。
「まったく、困ったものだな。俺には英雄願望なんて無いと思っていたのに。放っておけば平穏な日常が戻ってくると分かっているのに馬鹿な事をしようとしている」
真也はこの時に自分が変わった事を自覚した。以前なら確実にこれで良しとして帰っていた。
「あいつは今、楽しみながら二千年の牢獄に居る。最後は狂うとしても、実に生ぬるい牢獄だ。そんな牢獄はあいつに相応しくない。約束したからな、必ず滅ぼすと。……いや、そうじゃないな、単に俺は汚れた手を綺麗にしたいだけだ。全て無かった事にしたい。それが偽り無い本心だ」
真也は俯いて自分の手の平を見つめながら気持ちを吐き出す。価値の基準はそれぞれ違う。ノーヴォテインが居なくなれば全てが無かった事になる。分かってしまった以上、真也にとってその選択肢を外す事が出来ない。時間転移する前に倒していた場合は元々捨てていた選択肢なので、この可能性は考慮されなかった。
どんなに森羅が精神を強化して保護しようとも、大本が自覚している状態では傷は消えない。それを消す手段を明確に知っているからこそ、時が経っても消えずに少しずつ広がっていく。
「俺は弱い。このまま帰ってもこの悔恨は残り続け、いつか必ず心を壊すだろう。だから俺は自分の為にこの時間軸を消滅させる。この世界で、全てが故郷とは異なる世界で生きるために、他の誰の為でもない、自分の為にあいつを滅ぼしに行く」
手を握り締め、顔を上げる。森羅を見ると小さく頷いている。楓と桜も真也に寄り添っている。真也は森羅と楓、桜を撫でて微笑む。
「ふがいない主でいつも苦労をかけたな。悪いがもう少し付き合ってくれ。さて、行くとするか。……結局、天音には嘘をついてしまったな」
真也の呟きに、いつも通り森羅は答える。これはいつまで経っても変わらないだろう。
「天音には二千年後に会いに行けば嘘をついた事にはなりません。主様にとっては彼方の事でも、天音にとっては一瞬です」
森羅の前向きな返答に、真也は笑みを浮かべた。森羅にはいつも助けられているなとしみじみ思う。森羅が居なければ、この世界に来た段階で確実に死んでいた。いくら感謝しても足りない。
森羅は真也の本当の願いを知っている。弱い、自分の為、それは自分自身を納得させるためのごまかしだ。主のひねくれ具合は良く分かっている。しかしそれを指摘する事は無い。既に道は定まった。後は迷う事無く進むだけだ。
「それもそうだな。たとえ一緒に過ごした時間が消えても、俺の中の思い出が消える訳じゃないからな。でもさすがに二千年経つと忘れそうだから、忘れないように憶えていてくれ」
「分かりました。……全ての関連情報を共有領域に記録しました。これで失われる事はありません」
森羅の返事に微笑んで、真也はこれまでの楽しかった思い出を心の中に封印した。これを開封するのは全てが終わってからと、気持ちを引き締める。
「……良し、これで心残りは無くなった。森羅、時間転移。空間座標はそのまま追跡、時間座標はあいつの出現時間の前に転移してくれ。隠れてあいつがどうなるか確認する」
「分かりました。時空術式高速演算開始……、解析結果より該当座標を算出……、算出完了、出現座標を固定しました」
森羅は真也を静かに見つめる。これが最後の確認だ。真也は一度目を瞑り、深呼吸を行う。そして覚悟を決めてゆっくりと目を開いた。もうその瞳に迷いは浮かんでいない。真也は静かに森羅に命ずる。
「術式起動」
「了解、術式起動。過去方向へ転移開始します」
その言葉と同時に、床に白い輝きを放つ精緻な魔法陣が出現する。現れた魔法陣は眩い輝きを放ち、縁から立ち上る螺旋の光が真也達を外界から切り離していく。やがて全てを覆い尽くすと、次の瞬間には消滅した。
後には何も残らなかった。




