第55話 決意
三日後の昼頃、真也はいつも通り情報収集を行っていた。既にあの本の事は真也の中では無かった事になっている。それでもルードの店には近寄らなかったのだから、その傷の深さは相当である。
「流石にすぐには変わらないな。そろそろ他の所からの情報が届き始めるだろうから、ここからが大変になるだろうな。……さて、そろそろルードさんの店に行こう。逃げても始まらない」
市場調査を終えてから真也は覚悟を決めてルードの店に向かった。半年間気が付いていないのだから問題無いと分かっていても、割り切れないのが感情と言うものだ。
そう言う訳で、重い足取りで店の前まで歩き、到着した所で一度立ち止まった。そしてその場で気合を入れてから、こっそりと店に入る。真也としてはリフィアに見つからないようにと思って静かに移動した訳だが、無意識に身を縮めたり周囲を見回したりしたので挙動が普通の客と違うものになり、実は余計に目立っていた。
「「……」」
そんな真也をミリルとリシルはしっかりと目撃していたが、どちらも温かい微笑みを浮かべ、優しい心で放置した。そして客に目撃されない様に、さりげなく動いて店内に居る客の視線を誘導する。これも森羅が行った教育の賜物である。
そんな不審人物になっている真也は、店内を見回してリフィアが店内に居ない事が分かるとほっと息をつき、やっと背筋を伸ばして普通になった。ちなみにリフィアは現在休憩中である。
特に変わらない店内に安堵しながら再度見回し、ティリナが手隙になっているのを見つけると近づいて話しかける。
「こんにちはティリナさん。売れ行きはどうですか」
「あ、こんにちはノルさん。全体的に少し落ちていますが、今の所は目立った変化はありません。商品は春物が中心で後は冬の残りと夏の走りが少しずつ出ています。意外と小物が多く出ていますね。やはり価格が低いので買いやすいんだと思います。後、私たちが着ている服も何着か売れています。新規商品の売り始めなので、どのくらい売れるかまだ分からないのが難点ですね」
ティリナは微笑んで淀みなく返答する。毎日の売り上げや商品動向はレジに記録されるので、閉店後の打ち合わせで毎日店舗側店員全員で確認している。それを見て次の日の行動や商品の陳列に繋げているのだが、普通の店ではこんな面倒な事はやらない。
これも真也が一例として教えた事をティリナなりに考えて決めた事だ。ティリナもきちんと成長し、今では立派な店舗側のリーダーだ。小さいのは相変わらずだが、これは種族的なものだから仕方がない。
実は何よりもこれがルードの店が繁盛する秘密なのだが、内容を知らない人が毎日打合せをしている事を知ってもその意味を理解する事は出来ない。そしてとりあえず形だけ真似ても成果はでない。結果として重要な事とは思わないのだ。
ティリナが常に商品動向を把握しているので無駄な在庫が少なく、資金と時間に余裕が出来る。そうすれば職人達の負担も減り、良い物が出来る。辞めていった職人達も打ち合わせの事は知っていたが、職人はルード以外参加しないので行われている内容は分からず、重要な事とは認識していなかった。
他店舗では責任者が決めた事をそのまま実行するのが普通で、責任者も全体は見ても細かい事を把握しようと考えない。そのためそこまで考えが至らないのだ。稀に気が付いて取り入れようとしても、実行するための下地作りで挫折する。これは手動では面倒の方が先に立ってしまうから仕方が無い。それに現状で特に問題の無いやり方を変えるのは難しいと言う理由もある。そんな様々な理由で秘密は保たれている。
この間相談された服も早速売れていると聞いて真也は少し驚いたが、ティリナの言う通り、少し待たなければ本当に売れる商品かは分からないと結論を出した。真也としては気に入ってもらえるなら嬉しいと思っているので、売れて欲しい所だ。
「分かりました。ルードさんが暴走しないようにうまく調整してください。忙しいところを済みませんでした」
「大丈夫です。暴走は食い止めますから安心してください」
真也とティリナは互いに笑い合い、真也は小さく頭を下げてその場を立ち去った。その後店内を見回して今の所はいつもと変わらない事を再度確認してから、素早く店を出て行く。結局、双子が温かい眼差しで見守っていた事には気が付かなかった。
店を出た真也は特に当てもなく通りを歩く。歩きながら周囲を観察しているが、立ち並ぶ店も通行する人達も変わった様には見えない。後は特に調査する事もないので、家に帰って今後の検討や研究の続きをしようと考えている時に、珍しく森羅が割り込んできた。
(『主様、大きな魔力反応を検知しました。これはこの世界の人が持つ魔力量を大きく上回っています。魔物ではありません。人です』)
真也が内容を理解して質問しようとしたその時、突然響いた轟音に思考が中断される。その音は、間近で見る花火から受ける音圧よりも大きな衝撃を周囲にまき散らしていた。その後にガラガラと何かが崩れる音が続いた。その後も散発的に大きな音が聞こえている。
外にいた人は驚いて立ち止まり、全員音のした方を向く。建物の中にいた人も外に飛び出してくる。真也も何事だと音が聞こえた方に視線を向けると、大きな土煙が上がっているのが見えた。
「……何か変だな」
真也は見慣れた風景がどこか違う様に感じ、瞬きして周囲を見渡した所でやっと分かった。最初見た時は土煙に注目していたので分からなかったが、落ち着いて良く見ると王都のどこからでも見える外壁が広範囲で消失していた。
(『森羅、さっきの魔力反応は忌み子か?』)
真也が大きな魔力と言う事でとっさに思いついたのは忌み子である。全員が天音程度の魔力を持つならば、この程度は簡単に出来る。
(『いいえ、天音ほど大きくはありません。ですが周囲に発散される魔力によって、普通の人間では身体が竦んでしまう程度はあると思われる大きさです』)
(『……行って見るしかないか。隠れて空から偵察しよう』)
真也が建物の陰に移動すると森羅はすぐに隠蔽障壁を張る。そして真也を連れて空中に浮かぶと、土煙があがっている場所に素早く向かった。周囲は混乱していて全員の視線は土煙に向けられていたので、誰も真也が消えた事に気が付かなかった。
「これは……」
外壁上空に到着した真也が見たものは、二十m程を完全に吹き飛ばされた外壁と崩れた建物、破壊に巻き込まれたであろう人の残骸だった。街の方を見ると、駆けつけた兵士が黒髪の人物と戦っている。黒髪の人物はたった二名だが、縦横無尽に動き回り目に付いた人を無差別に攻撃していた。
黒髪の二人は互いに距離が離れているので兵士は集中して攻撃することが出来ないでいる。黒髪の二人から時折放たれる魔法は、人と建物を簡単に吹き飛ばして被害を一気に拡大している。いつも感じの良い門番の姿は戦う兵士の中には見えない。
「駄目か。恐らく最初の攻撃で門が吹き飛ばされた時に一緒に……」
真也は無意識に唇を噛む。通行する時だけしか会った事は無いが、良い人だと思っていた。兵士だから戦いで死ぬのは当然とは思っていない。そんな事を考えていたのは短い時間だったが、被害は見る間に拡大して、いつの間にか外壁から結構離れた所まで黒髪の二人は移動していた。その進行方向の先には王城がある。これは悠長にしている暇は無いと判断した真也は、即座に介入を決意する。
「森羅、とりあえず遠くに放り出せ。被害が大き過ぎる。それと倒壊した建物を除去して、彼らを治療してくれ」
「分かりました。時空術式、精神術式起動、分類術式、生命術式広域起動」
森羅は動き回る黒髪の人物を、それ以上の速さで捕捉し閉鎖空間に一瞬で閉じ込める。戦っていた兵士には敵が突然消失したように見えた。閉じ込めた後は中で気絶させている。後は王都の外に移動してゆっくり調べれば良い。
その後で倒壊した建物を人ごと取り込まないように分類して閉鎖空間に放り込み、【生命】の魔法を広域で起動する。これは肉体の欠損も修復できるかなり強力な魔法だ。但し、死者は蘇らないし体力も回復しない。それでも傷が無くなれば生きていくのに十分な体力を持っている兵士にとっては役に立つ。
突然地面が複雑な模様を描いて輝きだした事に人々は驚いて警戒したが、その光が傷ついた者達に集まって傷を癒していく事に気が付くと、やっと安堵し笑みを浮かべた。
真也が想定していなかった事の中に、死亡の定義がある。この世界では呼吸や心臓が止まれば死亡した事になるが、地球の一般的な医療知識を持つ真也にとってはその程度では死んだ事にはならない。そして行使される魔法を考えた時は整合性や理屈など考えているはずも無い。そのため【生命】の魔法では、細胞が完全に死滅した時が死亡と判断される。
その結果、瓦礫に押し潰されて死亡していた人も、身体を欠損して死亡していた人も蘇る事が出来た。そのありえない奇跡に、恩恵を受けた人達は涙を流して喜び合い、奇跡を起こした知らない誰かに感謝していた。
「効果が予想以上だ……」
真也は結果を見て上空で頭を抱えていた。真也は単に生きている人の治療をしようと思っただけで、どう見ても死んでいる人を生き返らせるつもりは全く無かった。
「再生速度は上げていますが、効果についてはそのままです」
森羅はいつも通りだ。ちなみに今回の結果になる事は知っていたが、何も言わずに実行している。教えれば真也は助けるかどうかを暫く迷い、最後には助けると分かっているので、言って悩ませる必要は無いと判断したのだ。やってしまえばもう悩む必要も無い。
真也は予想通り悩む事無く結果を受け入れると、頭を掻いて大々的に魔法を行使した事を反省した。
「やってしまったものは仕方が無い。今後はもっと目立たない様にこっそり使おう」
「分かりました」
今後は使い所を考えて使う事にして、今回は良い事にした。何度も起きなければ単なる奇跡で終わる。しかし今は効果を実感してしまったので、目の前で同じ事が起きたならば、たぶん助けてしまうだろうと予想している。そして何度も起きれば今度はそれに頼るようになるのは当たり前の事で、そうなったら面倒になって助けなくなるだろうとも思っている。そんな事になったら国が滅びかねないし、そうなる事は本意では無い。
「もう動くしかないか……」
真也は今後の予想を再度検討していったが、やはりそれが一番良い結果になるとの結論に至った。そしてまだ敵の居場所がはっきりと分からないが、もはやそんな悠長な事を言っている時間は無いと実感してしまった。そんな事を考えながらため息をついている真也を連れて、森羅は王都の外に移動していった。
「始めるか」
真也は人の居ない場所まで移動し、捕らえた二人を調べ始める。事前に森羅が周囲を探索したが、敵の偵察らしき集団は確認出来なかった。そのため少人数で来て騒ぎが起きる前に退却したと真也は結論を出している。
閉鎖空間から出された二人は両方黒髪の高校生位の若い男で、首には見た事がある首輪がはまっている。着ている服はこの世界の物だ。真也はその姿を見て息を詰まらせ、唾を飲みこむ。最初からそうだろうと予想はしていたが、改めて彼らを近くで見て、思っていた以上に動揺していた。
「彼らは日本人か?」
懐かしい顔立ちを間近で見て、真也はそう感じた。そして徐々に心臓の鼓動が速くなっていくのが分かった。
「お待ちください、精神術式起動……。分かりました。その通りです」
「……時間がずれて過去に召喚された者が今になって現れたのか、それとも新しく召喚されたのか分かるか?」
一度検討した事だが、確定するためにきちんと確認を行う。真也も出現が二百年ずれたので、可能性としてはありえない事では無い。
「おそらく新たに召喚された者と思われます。残された記憶では、初めから囚われてすぐに戦いに駆り出されています。時間転移の痕跡もありません。また、記憶からの推測ですが、この方達の生きていた時代は主様とほぼ同一です。この時間の矛盾は再召喚ならば解消されます。世界間で流れる時が違うからかも知れませんし、召喚時に何らかの方法で時間軸を固定しているのかもしれません」
森羅は残された記憶と真也の記憶を照合して、生活に差異があまり無いのでそのように判断している。真也はその報告に対して表情を消して頷く。彼らを見た時から、新たに召喚された者と予想していた。先程の問いは、そうであって欲しくないと言う願望が現れたに過ぎない。
「……この首輪もあの馬鹿共の仕業か?」
真也は腹の底から声を絞り出すように森羅に尋ねる。心の中は敵に対する怒りが満ちている。この世界にはいるはずの無い同じ故郷の人間だ。どのように扱われたのかを実際に目で見て知れば、たとえ赤の他人であっても怒りは湧く。
「そのようです。首輪は精神を操る魔道具です。但し人には単純な命令しか出せない様で、今回は目印を持った者以外の動く者や、中央の城を破壊せよと命令されています。残念ながら魔道具の副作用で、元の精神は既に消失しています。記憶では複数召喚された者がいるようなので、今までの情報からこの方達は各国に送られた者達ではないかと思います」
「元には戻せないのか?」
いきなり攫われて精神を壊されて死地に送られるでは救いがなさすぎる。可能ならば元に戻して生かしてやりたいと思う。しかし、それは叶わない望みだと既に理解している。
森羅はその想いをきちんと理解している。しかし、虚構の中で生きる事を真也は望んでいないと知っているから心地よい嘘を付く事は無い。
「残された記憶から擬似的に精神を構築することは可能です。ですが、それには永遠に自意識は芽生えません。一生命令された事を行うだけの人形になります」
その答えに真也は目を瞑り、彼らの事を考える。だがすぐには結論を出せなかった。このまま首輪を破壊して放置しても何も出来ずに死ぬ。精神を再構築してもそれは只の人形だ。命令された事しか出来ず、個人としては死んでいるのと同じだ。
真也は彼らの生死を決めなければならない事に泣きたくなった。この世界に馴染んだとはいえ、二度と会えないと思っていた故郷の人間である。全く知らない他人であろうとも、会えば自然と仲間意識が湧き上がってくる。
己の考えで明確に敵対した者なら故郷の人間でも迷わない。だがここに居るのは無理矢理連れてこられて、すぐに精神を破壊された唯の被害者だ。もしかしたら自分がこうなっていたかもしれない。それを考えると中々決断する事が出来なかった。
目を開き、しばらく彼らを見つめていたが、やがて結論を出した真也は無表情のまま森羅に静かに命じた。
「森羅、彼らを冥府へ送ってくれ。この世界に一片たりとも彼らを残すな」
森羅は黙ったまま二人を閉鎖空間に入れると、塵も残さず焼き尽くす。後には何も残らない。真也は彼らが消えた後も、その場所を見つめ続けた。
「恨んでくれて構わない。首謀者は必ず滅ぼすから、それで祝杯をあげてくれ。森羅、帰るよ」
今、真也の心は後悔で埋め尽くされている。この事態は自分の責任と真也は感じていた。自分が早く行動していれば今の惨状は起きなかったと。どの道同じ結果にするつもりだったのに、何故動かなかったのかと。
真也はまだ気が付いていないが、天音達と過ごした温かく穏やかな生活によって、随分と考え方が変わっていた。元のままなら全てを捨てて逃げ出していただろう。今の真也にその選択肢は存在しない。逃げれば今の穏やかな生活は失われ、知り合った人達が死ぬ事は確実だからだ。
真也は英雄でも勇者でもない。だから人のためでも、国のためでも、そんな大層な理由では動かない。自分を巻き込んだ。大切な何かを踏みにじられた。理由はそれだけで十分だ。今まではどちらかと言うと魔人の事は他人事だった。今は違う。二度と会えない同じ故郷の人間を、自ら決断して目の前で殺した。それを何とも思わない程ひねくれてはいない。
「……」
真也は無言のまま、元凶が居る大陸中央部の方向を睨みつける。それと同時に森羅に完全に制御されているはずの魔力が全身から吹き出し、周囲の景色が歪み始める。もし今の真也を見た者がいたならば、逃げる間もなくそのまま死んでいたかもしれない。
真也は心の中に吹き荒れた激情が収まるまで、身動き一つしなかった。
森羅は何も言わずにそんな真也の傍に居続けた。これだけは何があっても変わらない。その瞳に迷いはなく、遥か遠くを見つめていた。




