第54話 日常
湖を調べてから二週間経過した。真也は本当ならすぐにアランの所に行って調査したい所だったが、あの時点ではまだ商業ギルドも混乱していたようなので、その時は用件と次に訪れる日だけ言伝して後日伺うと言う事にしていた。
街に流れる噂では、この国ではあれから襲撃は無いが、他国では深刻な被害が出ているとの事だった。情報の伝達も人力なのでとても遅い。そのため正確な情報がほとんど伝わっていないのが現状だ。真也が普通に流れている噂を集めた時、内容を精査しなくても誇張されてかなり不正確な情報になっているのが分かるくらいだ。
現在、真也は森羅を連れて街を歩いている。天音は楓と桜と一緒に留守番だ。真也としては、こう言うどろどろしたものに出来るだけ巻き込みたくないのだ。身勝手だとは分かっているが、せめて大人になるまでは世の中に絶望して欲しくないと真也は願う。
「わざと不安を煽っているのが居るな。食料品の値段が倍近くになっている物もあるぞ。流通が減っているとはいえまだそこまで値が上がる程でもない。そんな事をすれば騒ぎが終わった時に信頼を失う事になる訳だが、その時の事を考えていないのだろうか?」
真也は値上げした商店が積極的に悪い噂をばら撒いているのを見てため息をつく。買い手側も馬鹿ではない。やがてその商店から買わなくなる。そして高い金を払わされた恨みはいつまでも尾を引くものだ。商業ギルド加盟店と大部分の店は通常の値段で売っているので、おそらく噂に踊らされた人だろうと推測している。
「例の組織も悪い噂に一役買っているようだし、これはあの組織が元凶で確定か?」
精神操作を行った工作員からの情報で、彼らが各国で積極的に悪い噂をばら撒いて不安を煽っている事を知っている。そしてシーヴァラス王国を奪還してシーヴァラス統一帝国と名乗り、各国に戦争を仕掛けた事もすでに真也は知っている。強大な力を持つ指導者が復活したと言う内輪の話も聞いているし、魔物を操る魔道具を所持している事も分かっている。
兵員は見ていないので実際に魔物を使役しているかは分からないが、現状を考えるとそうとしか思えない状況だ。もしそうなら多面作戦を展開するのも頷ける。兵士は有限だが魔物はある意味無限だ。多面作戦を行っても押し込める戦力があるならば、国同士の協調を阻害できる。自国を犠牲にしてまで他国を助ける者は普通いない。
情報伝達の悪さもあり、未だに正確な情報は王都の民まで伝わっていないが、上層部は知っているだろうと真也は推測している。そうでなければ国などすぐに滅ぼされる。
「何にしても情報待ちか……」
真也は周囲の状況を確認しながら、頼んでいた情報を聞くために商業ギルドへ向かった。
「こんにちは。アランさんいらっしゃいますか」
「はい。承っております。どうぞこちらへ」
受付に聞くと即座に別室に案内された。さすがに慣れた様で、今では普通に応対できるまでになっている。たまに脅された新人が青い顔で若干震えながら案内する時もある。いったい何を言ったのだと問い質したくなるが、今の所は墓穴を掘りそうなので真也は何も聞いていない。
真也が部屋に案内されてからそんなに待つ事なくアランが入ってきた。今ではこれまでの実績から来る貫禄を身に纏っている。
「お久しぶりです。申し訳ありませんお待たせしまして」
「いえ、こちらも無理を言っているのでお互い様と言う事で」
真也とアランは共に笑う。それなりに分かり合った仲なので冗談も言いやすい。
「こちらが資料になります」
椅子に座ったアランが前置き抜きで提示してくる。その顔は真剣だ。真也は受け取って目を通す。
そこに書かれていたものは各国の被害状況と今後の予測だ。この国以外ではかなりの被害が出ている。襲撃で目撃される魔物は予想通り黒山犬と暴れ猿の二種だけだが、その数が違う。今では少なくとも百の単位で群れを形成して襲撃が行われている。通常は多くても五十と考えればその異常さは明白だ。
シーヴァラスの事も書いてある。反抗組織が突如として現れ王都を占拠したとあった。その後全ての国に対してシーヴァラス統一帝国の名を宣言し、王権を返還して軍門に下る事を要求してきた。
当然どの国も相手にせずに鎮圧する準備を行っていた訳だが、準備が整う前にシーヴァラスから少数の部隊に率いられた大量の黒山犬と暴れ猿が押し寄せて来て、その対処に各国共精一杯となった。今では反抗組織を鎮圧するどころの話では無くなっている。この事で反抗組織が魔物を使役できる事実が知れ渡った。
「今までの増加していた魔物の襲撃もシーヴァラスの仕業と見て間違いないでしょうね」
どちらも大量の黒山犬と暴れ猿と言う共通点があるので、ここまで来れば関連は明らかだ。
「ええ、どのような方法で使役しているのかは分かりませんが、恐らく今回の反抗のために何年も前から実験をしていたのだと思われます。国としては魔物に襲撃されるのはある意味日常だったので、散発的に発生した襲撃に対して今まで誰も関連を疑わなかったようです。また疑った人がもし居ても、予算や人の関係で動けなかっただろうと思います。今回はこの辺りの弱点を見事に突かれてしまいました」
前から暗躍していたのを知っている真也には痛い言葉だ。知らない人から責められても痛痒を感じないが、それなりに仲が良くなった人からの何気ない一言は胸に刺さる。もちろんそれを表情に出す事はない。
もっと襲撃の期間が短かければ早期に気が付いたはずだが、使用された魔物の数も少なく広範囲で散発的に実験は行われていたので、関連を疑うまでには至らなかった。そして襲撃された情報は国の防衛機密に属する事なので、各国間での情報のやり取りなどは行われていなかったのだ。
もし噂で広まっても正確に把握するためには人を派遣しなければならず、それを実行するためには予算が必要であり、日常的に発生していると認識している事をひとつひとつ確かめられるほど予算も人も余っている訳では無い。そのため今回は国だからこそ動きにくい弱点を突かれた形になった。
真也は気を取り直して読み進めていくと、予想外の文字が目に飛び込んできた。
「魔人が現れたのですか!」
真也は目を見開いて思わず大きな声をあげてしまった。そこまで予想外の情報だった。真也の予想では魔人は召喚された日本人だ。そしてそれは二百年前に終わっている。今現れるはずが無い。
資料には国境の砦に魔物と共に単独で魔人が現れたとある。戦闘を行い撃退する事は出来たが、砦の外壁は現在広範囲で失われていると短く記載されている。
アランは真也の驚愕を当然のように受け止めている。アランもまた報告を受けた時に驚いて声をあげてしまったのだ。それだけ魔人の恐ろしさが二百年経過しても衰えていない証拠と言える。
「はい。我々も耳を疑いましたが事実です。それと資料にはまだ書かれていませんが、シーヴァラスに隣接する国のうち二カ国が王都を落とされたとの連絡がありました。どうやらシーヴァラスから来た戦火を逃れる難民に混じって侵入したようです。暴れた魔人はその後、力を使い果たして死んだとの事でした。こちらにも難民が来ていますが、現在国境で国軍が流入を阻止しています」
真也はその事にも驚いた。強い魔人を使い捨てにする事もだが、侵攻が早過ぎるのだ。さすがにもう陥落している国があるとは思っていなかった。
このままでは国同士で連携する前に各個撃破されてしまうと国の上層部は必死になっている。補給を必要としない魔物はかなり優秀な兵器となることがこれで証明された。
その後も会話しながら読み進めて行き、礼を言って資料を返却した。
「それにしても随分詳細な情報ですね。見てもよろしかったのですか」
「秘匿情報ではないので大丈夫です。流通確保の為に全てギルドが独自に集めた物ですから、所属している人なら誰でも無料で閲覧できます」
現在の状況で一番怖いのは根拠の無い流言によって起こる不安の暴走だ。たとえ悪い情報でも、発信元がはっきりしていて信用できる所ならば、流言に踊らされる事も無い。
これは商業ギルドの目的が商業活動の活性化にあることが良く分かる事例のひとつだ。秘匿すれば儲ける事ができる情報だが、それでは経済は活性化しない。この目的とギルドからの素早い情報提供があるから商業ギルドの加盟店は安易に値上げを行わないのだ。今回のような商業ギルドが集めている情報は、所属していなくても情報料を払えば閲覧する事が出来るようになっている。
「なるほど、さすがですね。さて、今日はこの辺りで失礼します。貴重な時間を割いて頂き、ありがとうございました」
「こちらこそ今後もよろしくお願いいたします」
必要な情報を得た真也は、礼を言って商業ギルドを後にした。
真也は道を歩きながら、眉を寄せて検討し始める。得られた情報は予想以上のものばかりだった。これによって保留にしていた推測を進めることが出来る様になった。
(『魔人か……。予想が間違っていたのかもしれないな。精神操作でタガを外せば兵器と呼べるものが出来上がるのかも知れない』)
(『出来ない訳ではありませんが、確実に短時間の使い捨て暴走兵器になります。それに魔人の定義は黒髪黒目の人間です。人間の保有魔力量では暴走させても殲滅兵器とまでは言えません。伝言される内に内容が変質しているのではない限り、その可能性は低いと思います』)
森羅の返答に、真也はそう信じたいと思っていた気持ちを自覚してしまう。なぜなら、それ以外となると再び召喚が行われた可能性が高くなるからだ。真也としてはあって欲しくない事態となる。
(『それ以外としては、主様と同時期に召喚されて今まで隠されてきたという可能性があります。ただ、こちらは現実的ではありません。殲滅兵器と呼べる力を持った強者を長い間押さえておくのは難しいです。意思を奪ったとしても、生命活動を維持するのは大変です。封印が出来るならば別ですが、維持にはそれなりに大きな力が必要です。隠れている時に長期間貴重な人材をそれだけの為に確保するのは難しいです』)
その通りだと真也も思う。真也が兵器として運用するなら、都度召喚して使い捨てにする。そうすれば維持の手間が掛からない。ある程度の間隔は空くだろうが、いくらでも調達出来るのなら出し惜しみする理由は無い。
魔人が少数で王都を陥落出来るくらい強いならば、ある程度の数を確保できたら迷わず各地に投入した方が影響が大きくなる。どこに魔人が現れるか予測できないなら、相手は兵力を集中運用する事が出来なくなり、各個撃破の対象に出来る。真也はため息をついて考えたくない可能性を検討する。
(『現状では再召喚が行われたと言う事が一番可能性が高いか……。それにしても何故二百年も間があったのだろう? 都度召喚出来るなら二百年も放置するとは思えない』)
(『召喚方法が一度失われ、最近発見された。召喚用魔道具が壊されて修復に時間が掛かった。知識を持った者が偶然現れた等があります。可能性が高いのは高密度意思体が知識を保有していて、二百年前の戦いで器を破壊されたため力を失って召喚出来なくなり、最近になって甦ったと言うものです。一度壊れると器は即座に再生出来ても、意識が目覚めるのに時間が掛かるのかもしれません。帝国が崩壊してから二百年前まで大人しくしていた理由は不明ですが、魂魄練成器関連で感じた歪みと何か関係しているのかもしれません』)
(『なるほど。となると例の組織の黒幕は高密度意思体でほぼ確定か。力を持った指導者が復活したと言っていたからな。繋がりがありすぎる』)
もちろん真也は相手の事情など分からないから、侮れない相手と認識する。真也から相手を見ると、統一帝国時代から存在し、召喚を自在に行える知識と力を持ち、世界を相手に戦う意志を持った不死身の敵である。そして失敗を教訓として生かす知恵も持っている。
今回は二百年前の教訓をきちんと生かしている。前回は魔人を部隊として運用を行い、正面を蹂躙している間に後ろや側面を各国に突かれて本国が陥落してしまった。しかし今回は不足する兵士を魔物で補い、魔人を使い捨ての殲滅兵器として投入している。そのため各国は対応に追われて後手に回っている。
現状で真也が取りうる選択肢は『関わらない』『介入する』『協調する』『逃げる』『殲滅する』にほぼ集約できる。
『関わらない』は今更な事だ。『介入する』は時間が掛かり被害が拡大する。『協調する』は身動きが取れなくなる可能性が高い。『逃げる』は最後の手段だ。
これからの状況の変化を予想すると、やはり本丸を落とすしかないとの結論に至った。このまま何もしないでいても確実に巻き込まれてしまう。そしてせっかく知り合った人達も危険に晒される事になる。それなら守りながら戦うより、相手の所に行った方が自由に動きやすいと考えた。と言ってもすぐに行動に移す事は出来ない。確実に頭を潰すために、動くのはきちんと情報を収集してからになる。
この時点では魔人が新たに召喚されたと言っても真也にとっては関係のない赤の他人の事なので、悲惨とは思うがそれ以上の感情を持つ事は無い。これはどんなに推測を重ねようとも実際に魔人を見た訳では無く、伝聞でしか知らないからだ。目の前で起きた事と、話でしか知らない事ではどうしても抱く感情は違う物になる。
今回はどこに居ても火の粉が降りかかり、知り合いにも被害が出そうだから元をどうにかしようと動くのであって、現時点の真也にとっては面倒事に過ぎない。真也は英雄になりたいとも、勇者になりたいとも思っていない。会った事もない人のために憤り、自分を犠牲に出来るほどの情熱はもうなくなっている。
「まだ情報が足りないな……。とりあえず今は横に置いておく事にして、ルードさんの所に顔を出しておくか」
今すぐ何かを出来る訳ではないので、一旦検討を中止して真也はルードの店に向かった。
店の方は現在それなりに繁盛している。愚かな争いが終わった事で新しい服店がどんどん開店しているが、他では真似出来ない会員制度と定価制度、接客の良さで固定客を掴んでいる。
たまに真似しようとする店もあるが、管理の大変さと教育の難しさで殆どの店は断念している。それならば店員を引き抜こうとする店もあったが、引き抜けたのは職人のみで知りたい肝心の部分を知っている者達は見向きもしなかった。
職人が抜けた穴はすぐに塞がった。ルードの店で働きたいと思う見習いは今では大勢いる。ルードは他の職人と違って教える事を厭わないのできちんと教える。それが見習い達の間で広まっているのだ。
抜けた職人は真也の方針で再雇用はしない事にしている。そのうちまた金に目が眩んで今度は盗みを働きかねないからだ。その辺りは一般的な考え方をきちんと観察して結論を出した。再雇用しない事は採用時に教えてあるので、今では辞める者は滅多にいない。
店に到着すると店内はそこそこの客入りだった。この程度が規模的に一番良い。あまり客が入り過ぎても客側の不満が溜まり、敬遠される理由になるからだ。そして崩壊は突然やってくる。何事も程々が一番である。
真也は店内にいたミリルとリシルに目線で挨拶すると、そのまま奥の部屋に移動する。ルードが居る部屋に入ると、真也を見つけたルードの方からにこやかに声を掛けてきた。
「おう、良い所に来たな」
「何かありましたか?」
ルードの言い方で何かあった事を悟った真也は、一応笑みを浮かべながら尋ねた。ルードはすぐには答えずに応接スペースに移動して座ると手を組んで話し始める。その顔はにやけていた。
「実はな、俺やティリナ達の着ている服が欲しいと言う客がちらほらと出てきてな。売ろうか相談したかったんだ」
成程と真也はルードがにやけていた理由に思い至った。ティリナ達の服装は何処にも売っていないこの店独自のものだ。要するに自分の腕が認められて嬉しいのだ。この相談も『売ろうか?』ではなく、『売ろう!』である事も分かった。
作ったのはルードだがそのデザインは真也の物である。勝手に売らずにきちんと話を通す所は見事に頑固一徹である。断りを入れずに勝手に売っても真也は怒らないと分かっているが、それとこれとは別の事と思っているのだ。
「良いと思いますよ。全く同じではなく模様や形はそれなりに変える必要がありますが、需要があるなら売るのは問題ありません。ただ上手に着れますかね? 意外と面倒な部分もありますが」
慣れないと簡単に着崩れを起こすと心配をした真也に、ルードは自信ありげに断言する。
「それは大丈夫だ。それなりに改良して見た目は同じだが着る手間は他の服と同じにしてある。今ではミリルとリシルが活発に動いても、少し直すだけで元通りだ。あのリボンは本当に参考になるな」
つまりルードは一式着ると見た目は同じだが、実はワンピースと変わらない着心地のなんちゃって和装を作っていたのだ。帯は飾りで本体は隠れたボタンでしっかり留められる様にしている。真也はその発想に感心してしまった。真也では思いつかない事だ。
「それなら良いと思いますよ。店の宣伝になりますしね」
「そうだろう、そうだろう。良し、早速何着か出してみる事にしよう。またな!」
ルードは挨拶もそこそこに、しまってあった服を持って店に走っていった。そんなルードを真也はため息と共に見つめていた。
「やっぱりもう作っていたか……。ティリナさんがうまく制御してくれる事を祈ろう」
真也が額に手を当ててティリナの苦労を思っていると、そこに休憩中だったリフィアが近付いてきた。その歩き方と笑みを浮かべた表情は、何処から見ても上機嫌ですと周囲に主張している。
ちなみにリフィアは真也が来る前から休憩中で奥に居た。そして後学の為に、真也が来てからの行動を飽きる事無く静かに観察していた。
「師匠、お疲れ様です。これをどうぞ」
「ああ、ありがとう。 ……それで、この本は何ですか?」
真也は微笑んで差し出してきた品物を受け取った。リフィアが渡して来た物は、白い装丁に緑色の文字で題名が書かれた立派な作りの本だ。厚みは五cm程と意外と厚い。題名は『迷い子と温かき導き手』と書かれていた。
「はい、私が書いた本です。最初の一冊をぜひ師匠にと思って持って来ました!」
元気にリフィアが答える。真也が著者名を見ると、確かにリフィアの名前が書かれていた。真也はそんな才能があったのかと感心しながらページを捲り、内容を確認する。
要約すると、自分では何も出来なかった女の子が、ある時に人生の師に出会い成長していく物語だ。真也はその本を読んでいると、何故か既視感に襲われた。不思議に思い、首を傾げて暫くの間読みながら考えていたが、何度か読み返す事によってその原因に思い至った。
「リフィアさん、これの元の話はもしかして……」
真也は嘘であって欲しいと願いながら、固まった笑顔でリフィアに確認する。真也のそんな願いは知った事かと、リフィアは元気良く予想通りの答えを返した。
「はい、もちろん私と師匠の話です!」
真也は自分の顔が熱くなり、汗がふき出してきたのが分かった。リフィアはまだニコニコと真也を見ている。
(は、恥ずかしい、恥ずかしすぎる! 自分のした事をこうやって読むと転げまわりたくなる。しかも何だこの師匠は! どうしてこんな恥ずかしい事を平然と言えるんだ? 正気か?)
物語として脚色されているので完全に同じではないが、似た様な事をリフィアに言った事は棚に上げて本の師匠を罵倒する。そうしなければとても真也の精神は持たない。要するに忘れていた黒歴史を不意打ちで直視させられた様なものだ。
「な、なるほど。そう言えば本を作るのにはお金がかかると思うけれど、大丈夫でしたか?」
この世界には活版印刷はなく、全て手作業で作られる。そのためどうしても高価な物になってしまう。売値が高いのも、元々の製作費が高いからだ。そのためリフィアが用意出来る程度の金額なら、五冊も作られていないと真也は推測した。渡す人もティリナ等の身内だけだろうし、その程度なら何とか目を瞑る事が出来る。
真也の質問に対してリフィアは微笑んだ。それを見た真也は嫌な予感しかしなかった。
「あ、それは大丈夫です。原稿を見たアランさんが、商業ギルドで製作費を負担してくれました。確か『この手の物語は裕福な方々に需要が有る』と言っていました」
真也はそれを聞いて、『アランさん何やってんの!!』と危なく立ち上がって絶叫する所だった。しかしその行動は、今まで培ってきた巨大な仮面によって何とか未然に防ぐ事に成功した。真也は引きつりそうになる顔を何とか誤魔化して、笑顔をリフィアに向ける。
「そう、それは良かった。それで、これはいつ発売されるのですか?」
こうなったら買い占めるしかないと真也は決意した。この為なら破産も辞さない覚悟だ。商業ギルドが金を出すとしても、手書き製本の製作数などたかが知れていると頭の中で計算している。そんな真也の胸中を知る訳も無く、リフィアは止めの一撃をにこやかに放った。
「もう半年前に発売しています。今は大人気という事で何冊も追加販売されている所です。師匠は店に来てもすぐ帰ってしまっていたので、今まで渡せませんでした。けれど、これですっきりしました。……あ、休憩時間が終わりなので失礼します。師匠、本当にありがとうございました!」
リフィアは元気良く挨拶をして店に走っていく。残された真也が真っ白に燃え尽きていた事には遂に気が付く事は無かった。春なのに木枯らしが寂しく吹いた音が聞こえたが、もちろん気のせいだ。
その後、真也はどうやって家に帰って夜を過ごしたのか記憶が無かった。朝になって我に返ったが、天音達は特に変わらず接してくる。良く訓練された擬態が自失状態でも十全に機能したからだが、真也にそんな事は分からない。もちろん森羅は真実を知っている。
ちなみに天音達の態度が変わらないのは、真也が変なのは『いつもの事』だからである。




