第47話 夢
湖から帰って来た次の日、真也は桜を肩に乗せて敷地を塀で囲まれた二階建ての廃墟の前に立っていた。もちろん天音は連れて来ていない。天音は特に後遺症も無く普通だった。今は楓と留守番をしている。声の事も聞いたのであの靄は忌み子関連で確定と真也は考えている。無差別なら出てきた時点で真也に聞こえないとは思えないからだ。
ちなみに天音は現在眠っている。真也が居る時はなんとも無かったのだが、まだ疲れが取れていなかったのか居なくなったら急に眠くなったのだ。なのでおとなしく布団に戻って眠る事にした。目を瞑るとすぐに意識は夢の世界に旅立っていった。
真也は現在、外から森羅が【探索】を行い建物を調査をしている。今の孤児院には忌み子は居ないと森羅の調査で分かっているので、この場の影響を考える必要は無い。建物への立入はもちろん無断で行う。隠蔽障壁で見えないのだから見咎められる事も無い。
「結構大きい建物だな。住宅と言うより宿舎に見える。昔の孤児院なのかな……。今は気にしなくて良いか。森羅、どんな感じだ?」
「今は何も反応ありません。これは湖でも同じでしたから入れば目覚めるのでは無いでしょうか」
その結果を聞いて真也はゆっくりと屋敷に侵入していく。扉は既に朽ちていて侵入を阻む物は存在しない。吹き抜けの広い玄関ホールは所々で天井が落ちていて建物自体がかなり老朽化しているのが分かる。
「だいぶ痛んでいるな。どのくらい放置されていたのか分かる?」
「資料にはそこまで詳しく記載されていませんでした。書かれている資料から三百年は経過していると推測出来ますが、資料自体の信憑性は不明です」
「必要なのはそこでは無いから良いか。倒壊しても防御出来るし。反応はあった?」
「いいえ、まだ反応はありません」
真也は頷くと奥に進み始め、玄関ホールの正面にある多目的スペースらしき大き目の部屋の中に入る。周囲は玄関と同じ様に朽ちていたが、玄関ホールには無かった砂のような白い物が中央の床に十cm程度の高さで堆積していた。
「ん? 外から飛んで来て積もったにしては場所がおかしいな。普通は部屋の隅に飛んでいくものだし、多すぎる」
首を傾げて調べようと近付いた所で、森羅が報告してきた。
「主様、反応がありました。地面から染み出てきて現在障壁に纏わり付いています。普段は地中の魔力に溶け込んでいるようです。【探索】に固有値を組み込みました。次からは地中にいても見つける事が出来ます」
森羅の報告に真也は目を凝らして周囲を見るが、何かが居る様には見えない。
「俺には見えないな。もしかして弱いのか?」
「はい、この程度なら普通の人がとりつかれても死ぬまでに一時間ほど掛かります」
いや十分強いからと心の中でつっこみを入れる。もしかしたら森羅の冗談かもと思ったが、間違えたときの被害を考えて自重した。実は森羅はしっかり心の声も聞いているので自重の意味は無い。もちろん森羅は小さく頷いただけで何も言わない。
「とりあえず障壁の検証をしよう。十分間完全閉鎖」
「了解、……完全に閉鎖しました。内部空間制御は安定しています」
空間を閉鎖すると障壁が鏡のように変化し外が見えなくなった。内部は明かりが灯され、温度や空気も森羅によって制御される。制御をしない場合、酸欠で倒れるか自分の体温で蒸し焼きになりかねない。指示はされていないが当たり前の事として森羅は行っている。
障壁に映る自分を見つめながら真也は無言で立っている。森羅も特に何も言わずに真也の肩で黙っている。話題が無いのではなく、必要ないのだ。
やがて指定した十分が経過したので森羅は障壁を元に戻す。真也の目には何も映らないが、森羅には障壁を戻した時には消えていた存在が、再び地面から湧き出して障壁を包み込んだのが分かる。
「一度消えた後、今は再び同じ状態になりました。やはり漏れ出た魔力等を感知しているようです」
森羅の報告に真也は頷く。原因さえ分かれば後はどうとでも出来る。
「それで解析の結果は?」
「まず分類としては死霊になります。ただ、複数の魂が融合している為なのか明確な意識はあまりありません。強く出ているのは寂しさから他者を己に取り込もうとする本能のような感情です。この点は湖の靄と異なります。あちらには少なくとも敵意が感じられました。死霊の記憶を読み取りましたが、明瞭なものはありませんでした。大部分が捨てられた子供のようです。また、己の存在を維持するために大地からも魔力を吸い上げています。これを行うと大地に縛り付けられて一定以上の距離を移動出来なくなります。このため屋敷内のみの被害で済んでいたものと思われます」
その報告に真也はおそらくここに子供を直接捨てた者が居るのだろうとため息をつく。死霊の力は強い。一度取り込まれれば対策をしていない人は逃げる事すら出来ずに殺されてしまう。真也は中央の白い砂を見つめ、それが何であるか大体理解した。ちなみにこの建物は忌み子の呪いが染み付いているとして放置されている。
「では、あれが犠牲者か」
「はい。解析した結果、肉体が風化したものと判明しています。おそらく取り込まれてあの場所に縛り付けられたのでしょう。現在私達にも引き込む力が掛かっています。砂のように朽ちているのは、全てを吸い取られたため腐敗する間もなく一気に風化したからだと思います」
血肉すら取り込む力の強さを目の当たりにして、真也は最初の一人はどれだけの無念を抱いて死んだのだろうと考えるが、今はそれを考える時では無いと首を振って思考を中断する。
「全く、救いようが無いな。しかし結局忌み子との関連は不明と言う事になるか……」
「死霊の中心にある魂は自分を受け入れてくれる存在を求めて泣いています。在り方に天音との類似が多数見受けられるので確定して構わないと思います」
確かにそれなら確定して良さそうだと真也は思う。死んで死霊になるなら呪いも納得だ。現在ここにある力は十分呪いと言っても良いものだ。
「もしかして孤児院の忌み子が死ぬのは近くで仲間になってと延々と呼ばれるからなのかもな。そうなると天音を連れて来なくて正解だったな。答えを知るために無理をさせる必要も無い。ところで森羅、人は死ねば簡単に死霊になれるものなのか? 忌み子は死の呪いの話が正しければ確実になるように感じるんだが」
「普通の人は死ねば世界に溶け込んで転生します。よほど未練が無ければ留まる事は出来ません。忌み子は天音を調べた限りでは少なくとも魂は人と同じものではありません。肉体を持って生まれた精霊と言う表現が一番近いです」
ここで真也は天音が人ではないと知った訳だが、全く気にしなかった。既に家族として受け入れているし、その程度で恐れる理由は今の真也には無い。
「おそらく忌み子と呼ばれる存在は肉体を失っても死ぬ訳ではなく、魂だけで生き続ける事が出来るのだと思います。ただ、大抵は幼いうちに肉体を失うので変化に対応できず、恨みや寂しさに引きづられて死霊に変化するのではないかと思います。天音は本能で自分の身体を作り変えました。明確な意思が伴えば己の魂すら作り変えることが出来ると推測しています」
つまり人はわざわざ呪いを量産している事になる。もしかしたら忌み子は神の雛形の様な存在なのかもしれないと真也は思った。
「ふむ、分かった。後は……、ここが封鎖領域の定義に当てはまると思うか? 居るのは死霊だけだが」
「封鎖領域の定義は『忌み子が殺されて強い魔物が発生するようになった領域』ですので、魔物が発生していない現状では当てはまりません。しかしこのまま放置すれば力を増した死霊によって大地から魔力を吸い上げる量が増加して、漏れ出た余剰魔力でいつかは発生するかもしれません」
魔物は魔力の濃い所で発生する。その後、生存競争などで弱い場所に移動し適応する。一度適応すると弱い魔力でも発生するようになるので、現在は薬草が自生できる屋外ならどこでも発生する程度に拡散して存在している。もちろん核となる何かが無ければ発生しない。
「限りなく黒に近いということか」
推測を聞いた真也はここにいる子供達は悲しい存在だと思った。真也は親を求めて泣く子供が自分に縋り付いているのを幻視した。らしくないと首を振って感傷をしまい込み、眠りを妨げた事を子供達に詫びる。
「眠っている所を起こして済まなかった。もう眠ると良い。子供には眠りが必要だ。……森羅、楽にしてやってくれ」
「分かりました。幻影術式起動、浄化術式最大起動」
真也は放たれた優しい浄化の光の中で、子供達が暗く冷たい場所から解放されて笑っている姿を想像した。もちろん見えない真也には実際どうなったかは分からない。そうであって欲しいと願った。
「……敷地内の死霊の消滅を確認しました」
浄化の光が収まると真也は周囲を見渡す。真也の目には変わったように見えないが、森羅の言う事を疑う事は無い。浄化した事によって中央の白い砂が消滅している事実が目に見える唯一の証拠だった。真也は少しの間目を閉じ黙祷をすると無言で廃墟を後にした。
天音は夢を見ている。気が付けば暗く広い部屋の中にいて、そこでは沢山の何かの声が聞こえてくる。聞き取ろうとしても、まるですり抜けるような感じで意味が分かる声は聞こえない。ただ、寂しくて泣いているのだけは何故か分かった。
辛い、寒い、寂しい。聞き取れないがそう言っている様に感じた。天音は時間の感覚が曖昧なままその部屋の中で漂う。思考は働かず、ただあるがままを受け入れていた。いつのまにか天音は『彼ら』の中に入っていたが、それに気が付くことは無い。
しばらくすると周りから聞こえている声に変化があり辺りを見渡すと、部屋の入口から温かい『何か』が中に入って来るのが分かった。天音と一緒に居た『彼ら』が引き寄せられるようにそれを囲み、自らの中に温かい『何か』を取り込む。温かいそれに触れている時は『彼ら』は安らいでいる様に思えた。
自分達の中に囲い込んでいたはずの『何か』がいきなり消えてしまった時は『彼ら』は嘆き、再び寂しさで泣き始めた。しばらくして再び現れた時は、『彼ら』は競う様に再び囲い込んで『何か』を取り込んでいく。その行動はまるで温かい『何か』に救いを求めている様に感じた。
どれ位そうしていたか天音には分からない。『何か』がもたらす温かさを『彼ら』はいつまでも取り込み続けている。満たされない何かを補うために、冷えた自分を温めるために、『彼ら』は飽きる事無く縋り続ける。
天音の意識が更に曖昧になり始めた頃に声が聞こえた。いつも傍に居てくれる優しい声が。天音の曖昧だった思考が急速に働き始め、声が聞こえた『何か』を見つめる。姿は見えない。けれど天音には『何か』が誰か分かった。そして『何か』から急激に広がる温かく優しい光に包まれながら、天音は安心して目を閉じる。もう寂しさで泣く声は聞こえない。『彼ら』は喜びの声をあげ、光の中に消えていった。
家に帰るとおかえりなさいの言葉と共に天音が真也に近づいてきた。天音は無言で真也を見つめている。大体言われなくても真也は天音が何を言いたいか分かる様になってきたので、ただいまと頭を撫でて昼食を作るために台所に向かう。何故か優しい気分になった。
昼食には炒飯を作った。天音は残さず平らげ午後の勉強をしている。真也はその様子を見て、変わり無い事に安堵する。真也は天音から離れた所で森羅と情報の検討に入る。
「蒼炎湖についてだが、あそこは封鎖領域の成り損ねではないかと思うんだがどうだろう」
「そうですね。確かに湖底は随分濃い魔力が充満していました。地上に対する発散は水の層によって遮られているようでしたので、天然の防壁と言えるかもしれません」
通常の封鎖領域は人が封鎖を行っている。蒼炎湖は起点が湖の底なので強い魔物は水生となる。ゆえに周囲に出てくることは無く、今まで気付かれる事無く放置されて来た場所なのだ。
ちなみに領域毎に強い魔物は大抵一種類しかいない。生存競争は互いに共存する必要が無いため激しいものになる。複数いる場所は無い訳ではないが大変珍しいのだ。
「他の封鎖領域を確認するのが一番なんだが、入るのが面倒なんだよな……」
真也は額に手を当ててため息をついた。封鎖領域に入る為には隣接国の役所に出向いて許可を得なければならない。これは勝手に入って強い魔物を引き連れて戻られると壊滅するかもしれないためだ。
もちろん森羅なら簡単に知られること無く侵入できる。だが、現地までは距離があるのでとにかく時間が掛かる。天音は置いていく事になるのでこれも不安だ。最近は双子もいるからまだ良いが、真也としてはなるべく傍にいてやりたいと思っている。
それに侵入して蒼炎湖と同じものがいた場合、浄化してしまえば騒ぎになる。調べるためには近寄らねばならず、取り込まれて逃げられない場合は浄化する以外の方法は転移するしかない。しかし相手は強い魔力を宿す存在だ。転移を阻害される可能性が無いとは言えない。
障壁を完全に閉鎖して隠れる事も考えたが、向こうに敵意らしきものがある以上、それで見逃してもらえる可能性は低い。廃屋に居た死霊と違う所があるため、魔力以外を感知していない保証がないのだ。
「森羅、浄化は問題なく出来るよな?」
「はい。魔法の最大強度は主様に依存しますので、主様の気分が悪くなるほど濃密な魔力が満ちる場所に、平気で棲んでいられるものでなければ大丈夫です。今でも主様の力は上昇していますので、対抗できる存在がいるとは考えられません」
森羅の説明に真也は微妙に困った表情を浮かべる。要するに自分はかなり規格外の存在と言われたからだ。いまさら喜ぶ歳でもないし、真也が欲しいのは波乱の無い平凡な日常である。
「転移は問題ない?」
「取り込まれれば多少は妨害されます。蒼炎湖に満ちる魔力量を最大とした場合は大丈夫ですが、予想では内部空間はその十倍以上になっているはずです。その場合は確実に転移座標が歪みます。安全を考えれば転移より浄化したほうが良いです。転移事故が起きた時の最小被害はこの屋敷の敷地全体を吹き飛ばす位です。最大は不明です」
真也はそれを聞いて安易に転移するのはやめようと心に誓った。事故の規模が冗談では収まらない。長距離の移動はきちんと門を作ることに決めた。
「とりあえずは現状維持しかないか。近寄らなければ問題無いようだしね。……そうだな、打つ手がなくなったら逃げだして国を興す為に問答無用で吹き飛ばす事にしよう。それなら目立たないようにと悩む必要が無い。そうならない事が一番だけれどね」
真也は近頃、最初の頃に誓った自重を忘れて色々やらかしている自覚があるので、見聞きした権力者がよほどのお人好しで無い限り、将来必ず厄介事が降りかかると思っている。自分ひとりの時ならばどうにでも出来るが、今は守らなければならない家族がいる。そのためあまり無茶な事は出来ないのだ。
この世界では封鎖領域を解放すれば名目上は簡単に建国出来る。国一番の権力者になれば自重する必要は無くなる。逃げるために国を丸ごと消し飛ばすより穏便だし、組織には組織で対抗するのが最も楽だ。もちろん何も起きないならば現状維持が選ばれる。
そんな事を言っても実際には逃げるだけだろうと真也は自分を分析している。建国なんてしたらそれ以上の厄介事が団体で押し寄せて眠れなくなるのは分かりきった事だ。それなら山の中にでも隠れ住んだほうが余程楽に生活する事が出来る。
だから国を興すなんて事はもちろん冗談だ。たまに何も考えずに行動する事を想像して楽しんでいるに過ぎない。現実でそれを実行するにはしがらみが多すぎる。
そんな馬鹿な事を考えながら、いい加減対策が出尽くしたのでかなり大雑把に方針を決めて検討を終えた。真也は首を左右に動かしながら、やれやれと背伸びをする。
「何もしていないのに結構疲れたな。寄る年波には敵わないか」
「主様の肉体年齢は二十歳前後です。それに最近は大分身体も引き締まって来ました。単に長時間検討したからかと。もうすぐおやつの時間のようですし」
真也の呟きに律儀に答える森羅。その視線は真也の後ろに向けられている。真也が後ろを振り向くと、そこにはカキ氷用の皿を構えた天音がいつの間にか立っていた。涎はまだ大丈夫だ。真也は苦笑して立ち上がると、天音の頭を撫でて一緒に台所に移動した。
真也は午前の出来事で感傷的になっていたので天音に対していつも以上に甘くなってしまった。たとえこれから何があっても問題は無い。子供は失敗を繰り返して成長するのだから。




