第41話 苦難
ティリナとリフィアの特訓を終えた真也は、夜が明けないうちに急いで家に戻った。賢くても天音はまだ子供なので、桜が一緒に居るとはいえきちんと留守番出来たか心配だった。
静かに家に入ったはずなのに天音が寝室から飛び出して来たのを見て、まだ長時間の留守番は無理だなと真也は思った。天音としては眠るまでは良かったが、普段と違う寝心地に何故か不安になってしまったのだ。お陰で寝付けずに布団の中で起きている事になった。
しばらくすると天音が落ち着いたので朝食にして、その後で真也は風呂に入って仮眠を取る事にした。布団に入るとすぐに意識は闇に包まれていった。真也が眠る横には天音も当然の様に一緒に眠っている。これは真也が寝てからこっそりと布団にもぐり込んだのだ。流石に不安で眠れなかったとは心配をかけるので言えない。楓と桜は邪魔をしないように横で静かにしていた。
二人が寝ている間に森羅はいつも通り庭の作物を収穫してリュックにしまう。森羅がいなければ砂糖の量産計画も頓挫したに違いない。作業が終わると森羅もいつもの位置で眠りに就く。これだけは誰にも譲るつもりは無い森羅だった。
昼前に真也が目を覚ました時には、真也の腕は天音にしっかり抱き枕にされていた。苦笑しながら天音を起こして昼食を食べ、一緒に出かける。
今日の目的は店の敵情視察である。王都に来てから一月経っているのにすっかり忘れていたのを思い出したため、急遽行ってみる事にしたのだ。本当は来てからすぐに見に行くつもりだったのだが色々な出来事が連続してあったため、頭から抜け落ちてしまっていた。事前にアランからある程度の情報を教えられていたとはいえ、全くとんでもない出資者である。
「そろそろ店では試験が開始されている頃かな? まあ、あれだけやれば心配ないか」
昨日の騒ぎを思い出しながらも、あっさりと放っておく事に決め視察を優先する真也だった。やれる事は全て行って、一応合格点を出せるまでになっていると思っているので心配は全くしていない。
標的の店に到着した真也達は隠蔽障壁で隠れたまま店に入り、細かい所まで観察していく。当然仕事部屋にも入る。森羅に解析を任せ、真也は天音を連れて店内を回り情報を集めていく。通常なら店内を見るだけだが、今回は相手を潰す事が最終目標になるため遠慮はしなかった。
その結果分かった事は、どちらの店舗も大差ないという事だった。店に居た客は金持ちそうな身なりの人が多かった。そして販売されている商品は、見栄えが良く高そうな服が売られていた。客に気付かれない様に安物の布地やパターン品を流用するなど、原価を下げる努力には頭が下がる。ただ、客は良い物を買いに来ているはずなのにそれで良いのかとは思う。その他にもルードの店で売っている様な比較的安めの品物も売っていた。こちらは買う客層が違うようで、普通の人達が購入していた。
見た所、今は競争が膠着状態になっているようだった。さすがに安売り競争は息が続かなかったのだろうと真也は推測した。
実際は少し違う。実は両店舗とも品質が悪くなって来た事に気が付いた上客が店を離れ始めたのだ。その為収益が徐々に悪化してきて、価格を安易に下げられなくなった。愚かな事にどちらの店主も原因に気が付いていない。下降が緩やかだったために特定出来ていないのだ。上客は逃げても見る目が無い者や安ければ良いという客は増えていたので見た目上は忙しくなっている。利益に目が眩んで管理を杜撰に行ったつけが今返って来ているのだ。
「なんだか思ったより簡単に行きそうな気がする。時期も良かった。流石に潤沢に資金がある時なら体力もあるし難しかっただろうな。客層も基本的にかぶらないし、職人の腕もルードさんと比べると落ちるように感じる。現在の脅威は知名度とそれに伴う影響力程度かな」
人は権威に弱い。古くからある有名店が『こうだ!』といえば、知らない人は特に怪しむ事なく正しいと思い込んでしまう可能性が高い。影響力というのは意外と厄介なものなのだ。
「これならもう少し放置できれば自滅したかもしれないな。まあ、それを言っても仕方が無い。時間が無いのはどこも一緒だ」
現在は裏の情報で商業ギルドが動いた事が被害に遭った貴族に伝わっている。そのため貴族は動かないでいる。ただいつまでも動かないと言う保証はない。
「しかし予想はしていたけれど、本当に悪い噂を広めようとしていたとは……。ふむ、今は待機か。どうせずっと流し続けるだろうから、もっと広まってから仕掛けた方が効果が高い」
店の中では店員が販売交渉のついでにルードの店について話をしていた。この辺りの自然な話術は流石と感心した。素直なティリナ達にはまだ真似が出来ない技術だ。真也も森羅の補助無しではとても出来ない。そんな事を観察して店を後にした。
「後は油断しない様にしないとな……。噂作戦はかなり上手だったし、弱っているとは言え結構大変な相手である事に違いは無い。何が起こるか分からないし、もう少し上方修正して予想を立てよう」
今は隠蔽されているので真也の独り言を聞いている他人はいない。天音は真也の考えを吸収しているし、その他はもちろん気にしない。結果として家に着くまで真也は考えに没頭していた。そのため天音に色々教える事をすっかり忘れていた。戻ってからやっとその事に気が付いたのだから、全く駄目な師匠であった。
次の日、試験結果と忘れていた調理器の感想を聞くため、朝早くから天音を連れてルードの店に真也はお邪魔していた。
「無事、試験に合格できました。これも全て師匠から厳しくも優しく指導して頂いたおかげです。ありがとうございました!」
奥の部屋で出会い頭にリフィアから元気良くお礼を言われて真也は少し混乱したが、内容を理解した後は微笑んでリフィアを祝福する。ちなみに天音は大きな声に驚いていつも通り真也に張り付いて隠れた。ティリナはそれを見て微笑んでいる。ルードは仕事部屋だ。
「おめでとうございます。私は単に物事を教えたに過ぎません。それを自分の物にしたのはあなたの努力です。これで終わりではなく、これからが本番です。頑張ってください」
「はい! ありがとうございます」
真也は元気の良いリフィアの返事に良い事だと頷きながら、質問をする。
「ところで師匠とは何です? 弟子にした覚えは無いのですが」
「師匠は師匠です。生きるために大切な教えを受けた以上、師匠は私の師匠です」
実に良い笑顔でリフィアは断言する。真也はそれを見て、訂正は無理だなと心の中でため息をついて諦めた。ここで強引に否定すると元に戻りかねないし、支障がある訳でも無いので放っておく事にしたのだ。人はこれを問題の先送りと言う。そしてそのうち致命的な何かを呼び寄せるのだ。
「まあ、呼ぶ程度なら良いでしょう。恥ずかしいのであまり人前で連呼しないでくださいよ」
「分かりました」
にこにこと上機嫌なリフィアを見て、ちょっとやり過ぎたかと真也は心配するが、落ち着けば大丈夫だろうとあまり気にしない事にした。実際やれる事はもう無いのだから仕方がない。守破離の言葉の通り、後は時間をかけて少しずつ自分なりの方法を考えていくだろうと思っている。そう言う訳で真也はティリナの方に話を振る事にした。
「これで店舗の店員が一人増えましたから、後は二、三人と言う所でしょうか」
「そうですね。それくらいだと思います。ただ、開店までに見つかるか不安です……」
ティリナは去年の様子を思い出して、必要な人数を計算する。そして去年のように見つからないのではと思ってため息をついた。
「流石にそればかりは何とも。私の方でも良い人が見つかれば連れて来ます」
「はい。よろしくお願いします」
このままでは去年味わった地獄の再現になる可能性があると真也は考えた。そのため自分の方でも多少は探してみようと珍しく思ったりした。
「話は変わりますが、調理器の使い心地はどうでしょうか」
真也がティリナに質問すると、ティリナは目を輝かせて嬉しそうに感想を述べる。
「すごく良いです! 火力調節の手間もそうですが、一定の火力を楽に維持出来るのが一番です。おかげで煮込み料理で火力の番をする必要が無くなりました。今までのはどうしても個々の魔道具の発動時間がバラバラなので、火力を一定にする事が難しかったから大助かりです」
これならそれなりに需要があるだろうと真也は安堵した。物が良くても使用者の需要から微妙にずれている為に売れない商品は意外とあるものだ。
「ありがとうございます。ちなみにどの程度の値段なら購入を迷いますか」
どんなに良くても高ければ検討もされない。真也が売りたいのは丁度ティリナ程度の金銭感覚を持つ購買層なので、迷う金額をついでに聞いてみた。それ以下なら売れやすいという事になる。
「そうですね、千Aでは手が出ません。五百Aなら買います。ただ、使ってみないと良さが実感出来ないので知らない人は百Aでも買わないと思います。手間を考えなければ無料で作れますから」
真也はその感想を聞いて、初期の炊飯器のようだと思った。聞きかじった情報では、当初は薪で炊けるからと売れなかったらしい。実演販売を商業ギルドはするだろうかと思い、真也は後で売り方をアランに相談する事にした。
「分かりました。ありがとうございます。預けた調理器は進呈しますので自由に使ってください」
真也の言葉にティリナは手を顔の前に組んで嬉しそうに笑う。
「本当ですか! ありがとうございます。大切に使いますね!」
今すぐ踊りだしそうな勢いでティリナは礼を言う。そんなティリナを真也は微笑ましく見ている。やはり若さかと変な感想を持つ事も忘れない。
「もしもっと欲しい場合はこれからギルドに販売委託をしに行きますので、そちらで購入してください。では私はルードさんと話をしてきます」
「はい分かりました」
小さく手を振って二人に挨拶すると真也は天音を連れて仕事部屋へと移動する。扉を開けると五人の職人が作業している。真也が中に入っても一瞥すらしない。ルードは職人の所で指示を出している。
「こんにちはルードさん、少々よろしいですか?」
「おう、今行く。あっちで座っていてくれ」
ルードが指し示した所はソファーとテーブルが置かれていて、簡単な応接スペースの様になっている。真也はそこに移動し、ソファーに座りながら職人達を観察する。ちなみに天音は奥に座らせて視線が届かない様にしている。
職人達は全員比較的若く、熟練の職人と言える人は居ないように見える。これは来る前にアランと打ち合わせた通りだ。
熟練の職人は嵐さえ収まれば自分で何とか出来るが、未熟な職人は雇う店が無ければどうしようもないと言う事と、熟練の職人は個々に拘りを持つものなのでルードと衝突する事は避けられず面倒が増えるというのが主な理由だ。
仮にルードと熟練の職人が喧嘩してルードから職人達の主導権を奪った場合、真也は確実にこの店に対する出資を引き上げるか職人を入れ替える。真也はルード個人に出資しているのであって、店に出資している訳では無い。そんな理由もあり、この店には若手が雇われているのである。
暫くするとルードがやってきて真也の正面に座る。機嫌は良さそうだ。
「待たせたな。結果は聞いたな?」
「はい、良かったですね。問題は無かったのですか?」
真也は国から来た審査員が何かしなかったかと思い、聞いてみる。
「ああ、結構無理を言っていたが完璧に応対していた。けちを付ける所が無くて、帰る時の将来を絶望した様な顔は見ものだったぞ。ありゃあ確実に難癖をつけてでも連れ帰る様に言われていたな」
ルードはその時の様子を思い出したのかニヤニヤと笑っている。真也もその光景を想像して笑う。
「なるほど、まあその件はこれで一安心ですね。話は変わりますが、昨日例の店を見て来ました。かなり資金的に弱って来ている様に感じましたので、あの位なら向こうが何もしなければ問題ないと思います。ただ、それなりの老舗ですので油断は出来ません。ルードさんはどう見ましたか」
実際はもう仕掛けられている訳だが、こちらから対抗措置を行う時まで心配させても仕方が無いので、あえて真也はその事については何も伝えない。流されている噂も恐らく耳に入る事は無いと思っている。噂は陰で言うから面白いのであって、本人に直接言う者はいない。世の中には知らないでいた方が良い事柄もある。
ルードは真也の質問に顔を引き締めて腕を組む。流石にこの話題は笑える心境にはならない。もちろん真也も既に表情を引き締めている。
「そうだな、俺は顔を知られているから直接見てはいないが、取り寄せた物を見る限りではその通りだな。見えない所なんかは記憶にある品物より大分杜撰な仕上がりになっていた。あれでは見る目がある客は確実に離れているはずだ。ただ、腐っていてもその名には力がある。だから今でも売れているんだろう」
所謂ブランドと呼ばれるものだ。極端な話では全く同じ物でもブランドのマークが入っただけで値段の桁が違うものになる。その影響力は決して侮れるものではない。
「こちらとは客層が違うと感じましたが、多くの店が潰れたのはやはり何か仕掛けられたからなのですか?」
一応アランからは多くの店を巻き込んだと聞いてはいたが、具体的な方法までは聞くのを忘れていたので真也はルードに聞いてみる。
「そうらしい。今はやっていないようだが、安価に大量販売するために小さな店にはうちの仕事だけをやれと圧力を掛け、自分達に従わない中規模の店には価格競争を仕掛けたらしい。大抵の所は資金が余ってないから半年持たなかったと言っていたぞ。これのどこに格式が関係あるか俺には分からん」
どちらの店も通常品はそのまま売っていたが、対抗店が売っている価格帯の品物を新たに売り出してそこより大幅に安く売っていた。これでは体力の無い店は堪らない。有名店の方が大幅に安いならそちらに流れるのは当たり前の事だ。この時は資金もまだあったので品質もそれなりだった。今はそれが出来るだけの資金が無いので大げさに警戒する事ではなくなっている。肩を竦めるルードに真也も頷いて賛成する。
「よくもまあ、そこまでやって無事でしたね。相当各所に恨みを買ったと思うのですが。推測ですが、格式については一番売れている店が格式も上、という考えなのではないでしょうか。競争店舗が減れば自分達の売り上げが上がると思ったのかもしれません。私もその辺りは理解出来ません」
これは推測が当たっている。どちらの店舗の店主も利益重視の性格のため、価値観が同じなのだ。つまり売り上げが大きい方が上という考えを持っている。そして自分より下の存在を踏みつける事を悪いと思わない価値観を不幸な事に両方持っていたため、争いが拡大した。
「向こうが価格競争を仕掛けてきてもこちらの資金は潤沢にあるので全く心配要りませんが、何も手を打たない訳にも行きません。この店の事は既に伝わっているはずなので、念のため注意をしていてください。まあ、価格競争を仕掛けて赤字を拡大してくれたほうが楽なのですがね。赤字を垂れ流す店に融資する所なんて、まともでは無い所ばかりでしょうし。極端な話ですが、こちらは売れなくても支障は無いですから」
もちろん売れないと言うのは冗談だ。微笑みを浮かべた真也の冗談交じりの言葉にルードは明るい顔になり、同じ様に笑みを浮かべる。ルードも自分の作品が売れないとは思っていない。去年の事が今の自信に繋がっている。
「おう、随分頼もしいな。とりあえず分かった。職人達にも気を付ける様に言っておく」
「はい。それではこれで失礼します」
真也は部屋を出るとティリナとリフィアに挨拶をして外に出た。次の目的地は商業ギルドである。天音を連れていく事に不安があったが、要注意人物になったようだから大丈夫だろうと半分自虐しながら考えてそのまま行く事にした。
商業ギルドに到着して真也達が中に入り辺りを見回すと、真也を見た職員の顔が引きつっているのが分かった。そんなに怯えなくてもと思いながら受付に歩いていく。天音は真也の腕にしっかりと自分の腕を絡ませて、楓と桜は天音の肩に乗っている。
「こんにちは。アランさんはいらっしゃいますか」
「し、少々お待ちください!」
ガタンと大きな音を立てて立ち上がった職員が、二階めがけて全速力で走っていく。真也はその様子を見て笑う事しか出来なかった。天音は予想外の行動に目を丸くして驚いていた。しばらくすると案内が来て応接室に通された。その時の職員が震えていたように見えたのは気のせいと真也は決めた。
応接室で出されたお茶を飲んでいるとアランがいつも以上ににこやかに入ってきた。気になった真也が挨拶もそこそこに聞くと、職員達の慌てようが面白かったと実に楽しそうにアランは答えた。リフィアの事も評価されてかなり上機嫌になっている。
先程までの職員の反応も、劇的に変わったリフィアの様子が試験を通じて伝わり、尾ひれが付いて恐ろしい評判が職員内で拡大した為だ。そんな内部事情を知らない真也は最初に来た時の影響のみと思っているのでその内普通になると放置を決め、たまっていた売り上げを受け取るとさっそく本日の話題に入る。
「今日は新製品の委託に来ました。申し訳ないのですが、今回の物は特殊なので完全な製造委託は出来ません。それにそんなに量が売れるものでもないと思います」
真也はそう言って電磁調理器の魔道具をテーブルの上に置く。アランは持ち上げて調べるが、用途が分からないようだ。ティリナも同じだったのでこれは共通事項だなと真也は思った。
「それは鉄鍋専用のコンロです」
「コンロですか。……確かに数は出ないかもしれませんね」
アランは頷いてテーブルに戻す。売れないと言わない辺りはさすがである。真也は当初、実演販売をやろうと思っていたが、製造委託が出来ないので大量に売れると苦労するのは自分だと思い当たり、売れなくても支障が無いので単純に委託しようと考えを改めている。
「ええ、なので今回は販売委託の形を取りたいと思います。一応二十個お願いします。期間は一月です。価格は八百Aでお願いします」
この価格はティリナの答えから設定している。見に来た時にきっと悩んでくれるだろうとちょっと意地の悪い価格にしてみた。
真也はテーブルに規定の委託料を置き、残りの魔道具を脇に積み上げ、その上に冊子を乗せる。アランはベルで人を呼ぶと商品の収納を命じ、契約書を作る。
アランは委託された魔道具を見て、今回は大丈夫そうだとほっと息をつく。毎回騒ぎが巻き起こっていたので警戒するのが当たり前になってしまっている。そんな自分を心の中で笑いながら契約を交わした。
契約を交わして一日目は全職員が固唾を呑んで商品が売れるか見守っていた。何といっても要注意人物が持ち込んだ品物である。全員がどうなるか興味を持っていた。しかし六日経っても売れないので『実はたいした事無いのではないか』と言う空気が流れた。アランはもちろんそんな職員達を笑って観察していた。
七日目、一台売れた。買って行ったのはティリナだった。丁度新しい店員の事で話を聞きに来た時に見つけたのだ。『ノルさん酷い』と呟きながら、設定された価格に悩みぬいて買っていった。その様子にアランは首を傾げながら思わずその場で質問してしまった。周囲には客が居る事は分かっていたが、悩んで購入したティリナが商品を悪く言う筈が無いので問題があるとは思わなかった。
聞かれたティリナは何を言っているんだと言う目でアランを見て、この魔道具がどれだけ素晴らしく、そして便利なのかを結構大きな声で身振りも交えて力説した。ティリナは料理をする者ならば火加減に悩まされない事がどれだけ楽な事とか、本当は二つ買いたいとか、自分ならプレゼントされれば泣いて喜ぶ等、我に返った時に真っ赤な顔のまま全速力で品物を忘れて逃げ出すくらい真剣に語った。
八日目、二台売れた。昨日のティリナの力強い商品説明を聞いて、夫婦喧嘩の仲直りの為に旦那が買って行った。まだ職員は誰も気にしていない。
九日目、三台売れた。喧嘩していた奥方が周囲に自慢したらしい。まだ職員は気にしていない。アランは購入者から話を聞き、嫌な予感がしたので真也をなんとか捕まえて保管料を無料にするので商品を追加納品してもらうよう依頼した。その数二百台。今は用事があるが、明後日には入荷出来ると聞き、ほっとする。ついでに五百台の追加発注もギルド負担で行った。職員達はアランの行動が理解出来ないでいる。
十日目、十四台売れた。買って行った奥方達は大変おしゃべり好きのようだ。職員は在庫が無い事を関係が無いのに客から責められている。アランも上司の一人に嫌味を言われた。なんとなく胃が痛くなる予感がしている。
十一日目、真也が納品にやってきた。あまりの歓迎ぶりに来た所を間違えたかと真也は思った。早く発注したアランに対する職員の評価はどんどん上昇している。上司は不満そうだ。次回の入荷は二週間後になる。二十台売れた。
十九日目、売り切れた。アランは次回入荷日を告げ、予約を行う。五百台もあれば大丈夫なはずと胃を押さえながら指示を出す。当然上司から嫌味を言われる。
二十三日目、予約分が完売した。アランはルードの店に来ていた真也を拝み倒して更に五百台追加発注を行った。次回以降入荷未定として最後の予約を行う。
二十五日目、納品された。即日完売した。その日、商業ギルドは専用の販売所を設けている。前代未聞である。追加の予約もすでに大分入っている。もう少し価格が上ならばここまで急激に売れないのにとアランは誰にと言う訳でもなく恨み言を呟く。もちろん嫌味を言う上司は健在だ。
三十日目、庶民だけではなく貴族も購入している事が判明した。大人買いの殆どが貴族であった。王宮からも注文が来た。わざわざ持ちかけた出所は嫌味上司である。アランは燃え尽きかけている。
三十一日目、またもや真也を拝み倒して核の納品に同意してもらった。流石に王宮に納品する物を通常販売品と一緒にする訳にはいかない。真也の目にはアランが今にも倒れそうに見えた。
三十九日目、一応最後の納品。おまけで千個納品。職員に泣いて喜ばれた。奥様パワーに大分やられたようだ。製作速度に誰も疑問を持たない。アランは休んでいる。職員はてんてこ舞いだ。商業ギルドの苦難は続く……。
「情報操作は大丈夫かな?」
「はい。王都内で魔法に抵抗して疑問に思う者は現在いません」
家に帰ってから真也は状況を確認し、森羅の報告にほっとする。実はアランが追加発注を頼んできた時に、実験を兼ねて広範囲の軽い情報操作を行ったのだ。内容は今回の製作速度に疑問を覚えない事。王都全域に張られた魔法は誰にも気付かれる事なく今も発動している。
「本当は強度も調べる事が出来れば良いんだけど、良い事にしよう」
「今回程度なら術を解除しても問題ありません。殺人等の強く印象に残る事は、おそらく解けると思います」
真也は頷いて今後の為の一手に加える事にする。使い所を間違わなければかなり強力な手札になる。もちろんくだらない事に使うつもりは無い。
「それにしてもアランさんは大丈夫だろうか……。いくらでも心労を和らげるために大量に納品したけれど、もう倒れていたとは思わなかったな。しかし何でこんなに売れたんだ?」
真也の疑問に森羅は首を傾げている。森羅も人の心の動きまで詳細に予測出来る訳ではない。真也としては結構高い価格設定にしたつもりだ。
確かに庶民には少し高かった。しかし貴族にはそうでも無い事をすっかり忘れている。この価格なら庶民は一台単位で購入するが、貴族は十台単位で購入する。貴族が絡むとろくな事が無いという言葉が、まさに具現化した事例であった。
騒動に火をつけたティリナは、上機嫌で二台の調理器を使って料理を楽しそうに作っている。やつれていくアランの様子は知っていたが、原因が何であるかは耳に入ることは無かった。
ティリナが料理を作りながら不気味に笑っている所をルードに見つかり、真っ赤になって言い訳をしているのはいつもの事なので省略しよう。




