第40話 試練再び
店を飛び出したルードはしばらく走った後、立ち止まりアランを待った。アランが追いつくと近くの飲食店に入り、席に着くと軽い昼食と飲み物を二人分注文する。
「ルードさん、ノルさんを追いかけたのではないのですか?」
アランが当然の質問をしてくる。ルードが迷うことなくこの店に入ったので、ここに真也が居ると思っていたのだが、店内には居なかったのでルードの行動に困惑している。
「お前も注文しとけ。心配しなくても、もうすぐ来る」
その返事にアランは何かを理解したのか、頷くと自分の分を注文する。注文した品がテーブルに並べられる程度の時間が経過した時、店に真也が入ってきたのでルードが呼び、真也は席に着く。今回は天音を連れて来ていない。もちろん森羅は付いて来ている。乗って来た楓は姿を隠して店の外で待機中だ。
真也は店を出た後、大急ぎで家に帰り、天音用に森羅が昼食と夕食を作るとまたもや大急ぎでルードの居る飲食店まで戻ってきたのだ。天音には桜を付けて、明日の朝までの指示は出してある。
「お手数をお掛けしました。とりあえず食べながら話をしましょう。その後の様子はどうでしょうか」
真也の言葉にルードが答えようとした時、アランが手を上げてルードの返事を遮る。
「申し訳ありません。その前に説明をお願いしたいのですが」
その言葉に真也は首を傾げてルードを見る。
「まだしてなかったのですか?」
「そういえば忘れていたな。いつも言わなくても通じていたから分かっていると思っていたんだ。すまなかったな」
髭を触りながら謝るルードにアランは苦笑する。
「いえ、最初にノルさんから目配せもありましたから大雑把には理解しているのですが、勘違いしていれば時間の無駄ですので」
確かにその通りと真也は頷き、説明を始める。
「まず今回のリフィアさんに関する事は最初からルードさんに協力をお願いして実行した演技です。途中でティリナさんが暴走し始めたので、その辺りの調整もお願いしました」
「突然テーブルの下から手紙を渡された時は驚いて叫びそうになったぞ。全く、あの状態でどうやってあんな手紙を書けるんだ?」
ルードは呆れた様な声を出す。
「その手紙を見てもよろしいですか?」
アランの問いに真也はルードに見せても良いと頷く。ルードから手紙を三通受け取るとアランは素早く読み進める。ルードが手の中に握って隠していたのでくしゃくしゃになっているが、読む事に支障は無い。
「やはりルードさんの発言はわざとでしたか。いつもなら言わないような事でしたので不思議に思っていました。それにしてもあの状態で本当にどうやって書いたのですか?」
手紙を見ながらアランは自分の予想が合っていたことに安堵した。手紙の一枚目には、今から一芝居うつので黙っていてほしいとあり、二枚目には話を軌道修正するため『遊んでいないで早く解決方法を言え』と、笑いながら冗談の様に言ってほしいと書いてある。最後はリフィアの感情を強く揺さぶるために責め立てて一度外に出るので、アランを連れて外に追いかけてきた後、この飲食店で待機していてほしいと書かれている。注意書きとして、リフィアに誰も話し掛けないようにとある。
アランは目配せがあった事と、似たような交渉術を知っていたので黙って見ていた訳だが、成功させるためには協力者との事前の打ち合わせが必要になるので、即興で舞台を作り上げた事に感心している。
「それは秘密です。とりあえずアランさんも理解したようなので、続きをしましょう。どうでしたか」
真也は真面目な顔でルードに再度問いかける。あれだけやって駄目ならもう有効な手は考え付かない。
「おう、しっかり泣いていたぞ。あれで良いのか?」
ルードの返事に真也は安堵しながら頷く。
「ええ、あれで駄目なら国に戻ったほうが幸せです。心から泣けたのなら希望はあります」
「何で泣かなかったら駄目なんだ?」
ルードは首を傾げている。これにはアランが答えた。
「少し前までのリフィアさんは私があえて怒る様な物言いをしても無反応でした。これは言われている内容が自分の事では無く、他人の事と思っている場合にこの様な反応が返ってきます。これでは何をしても効果はありません。だから駄目なのです」
興味の無い事を憶えようとした場合と、興味がある事を憶えようとした場合、どちらが学習効率が上かは言うまでも無い。
「今までのリフィアさんは状況に流されるだけで、自分から何もしていないのと同じでした。国を出たのもご両親に言われたからです。店をたらい回しにされても文句のひとつも言わずに淡々としていました。これでは庇護者が居なくなれば悪人に食い物にされるだけです。独りで生きるためには、どんな事でも自分から動いて選択をしなければならないのです」
アランの説明ではルードはまだ分からない。普通の人は当然の様に自分の行動は自分で決めているので実感が湧かないためだ。一応真也はアランの説明に補足を行う。
「私は最後の質問で、わざと自分で選択しなければならない様にしました。それまでの質問は簡単に言えば答えが決まっている問いかけだったので、だいぶ戸惑っていたようでしたね。そこで彼女は初めて自分で選んだ答えを言った訳です。それを私が『あなたが悪い』とかなり強く否定したため、今までに無い衝撃を受けて泣いたのです。泣くと言う事は心が動いた証拠ですからね。今までは何をやっても心に響かずに変わらなかった性格が、変わる準備に入ったと言う訳です」
ルードはやっと理解して感心している。真也はそんなルードを笑いながら見ているが、内心は冷や汗をかきっぱなしだった。
油断している状態でそれまでの行いを否定されると、普段なら絶対に騙されない事でも自分が悪いと刷り込まれやすい。その時に『良い方法』を提示すると人は驚くほどそれに食いつく。似た様な事を真也は講習会で経験し、当時は誘導が上手だと感心したものだ。今回真也が否定したのは現在のリフィア自身の事だ。何を対価に選んでもこじつけて否定した。
真也はリフィアの期待が高まっているのを知っていた。だから精神を強制的に圧迫し、リフィアを悪者にして一気に御破算にしたのだ。この手法は否定した事が心に響かない事だったり、気付かれると全く効果を発揮しないので、うまく行くかは分からなかった。なので吊橋効果を期待して先程知ったばかりの威圧を保険として加えた。
真也の見立てでは、現状でも時間があれば十分対処可能な程度になっている。しかし肝心の時間が無い。なので現状を打破するための方法が強攻策しか思いつかなかった。うまく行き、物事を受け入れる下地が出来れば、短時間でも驚くほど成長する事が出来る。但し、失敗した場合は拒絶されて聞く耳を持たなくなるので安易に行える方法ではない。
「後はこのまま店に戻り仕上をしてから指導すれば、覚えは良いとの事なので何とかなるでしょう。私が話をしますので、それまで黙っていてください」
「おう、分かった。よろしく頼む。それにしてもいきなり服を脱げは酷すぎないか? あそこに居る全員が目を丸くしていたぞ?」
ルードの言葉にアランが苦笑して賛同している。真也は頬を掻きながら言い訳をする。
「あれは最後に否定するために、なるべく予想出来ない事と考えたらあれ以上の物が思いつかなかっただけです。予想外の事を言えば、思考が固まるのは分かっていましたから。うまく行かなかった場合は他の方法を考えなければならなかったので、うまく行ってほっとしました」
実際あれはかなり無理がある。普通の精神状態では通用しない。かといってあれ以上は目を覆わなければならない事しか考え付かなかったので、真也にはあれが精一杯だった。
そんな真也を見ながらルードは笑っている。もちろん酷いというのは冗談だ。
「ところでよ、なんでリフィアはあんなへんてこな性格になっちまったんだ? あれが無ければ大分楽だったのによ」
ルードは笑った後で真面目な顔になり、首を傾げて真也に質問する。真也も冗談に笑っていたが、内容が重い話なので真面目な顔になった。
「彼女のような性格は常に自分の行いを否定され、行動を強いられ続けると形成される事がある様です。自分が考えても否定されるだけなので、そのうち物事を考える事をしなくなり、やがて他人から言われた事しか出来なくなります。そして考えなくても生きていける環境だったので、直らずに性格が固まってしまったのでしょう」
もちろん必ずそうなる訳ではない。元からの性格等、複雑な要因が絡み合う。リフィアの場合も偶々そうなったに過ぎない。
「だからといってそんな自分を嫌と思わない訳ではなかったのでしょう。おそらく彼女は昔から自由に憧れていたのだと思います。自由には責任が伴う事を知らないままで。ご両親が外に出した理由はそんな風に育ててしまった罪滅ぼしだったのかもしれません」
真也は一度飲み物を飲むために回答を中断する。二人を見ると真剣な顔で聞いているのが分かる。喉を潤した真也は続きを話し始める。
「おそらくこの一年で、何かを掴みかけていた筈です。そうでなければあそこまで懸命になりません。来たばかりの時に同じ事を仕掛けても、おそらく心に響かずに流されていたでしょう。変わりかけていたから『帰りたくない』と少しだけですが主張する事が出来たのだと私は思います」
ルードとアランは納得して頷いている。ちなみに真也が行った質問には簡単な心理学の問いも混ぜてある。これによって簡易的ではあるが、ある程度の性格の方向性を掴んだ。後は自分が受けた印象で真也は判断をしている。当然森羅の補助は最初から最後まで全開である。
「耳が痛い話です。教育と言うものがとても重要で、そして難しい事であると良く分かる事例ですね。うちのギルドでは逆に自己主張が強すぎて軋轢を生む者が大勢います。直そうにも話を聞きませんから中々直らないのですよ。ノルさんのおかげで大分良くなって来たのですが、まだまだ苦労しそうです」
アランは冗談を言うような口調で笑う。真也もルードもその苦労を思うと笑う事しか出来ない。
実際教育は難しい。押さえつければ考える力を奪い、自由にさせれば他人と協調出来なくなる。全てを否定する事も、全てを肯定する事も、どちらもしてはいけない事だ。丁度良いバランスになるように導ける事はあまり無い。どちらかに天秤が傾いて性格と呼ばれるものが出来上がる。
三人は急いで食事を終えると、気を引き締めてルードの店に戻る。先程までいた部屋には未だにリフィアの嗚咽が響いていた。真也が一人で静かに部屋に入り、残りは陰から覗く。ティリナはルードがこっそり連れてきて経緯を説明している。そんな状況で真也は気を引き締めて仕上げに取り掛かった。
「あなたは泣く事しか出来ないのですか?」
真也が多少責める様な口調でリフィアに問いかける。その声に驚いたリフィアは、顔を上げて真也を見つめる。真也は涙に濡れたリフィアの顔を見て、追い詰めた罪悪感が湧き上がったが、必要な事とそれを心の奥にしまった。
「え、あ……」
驚いて言葉にならない声を上げているリフィアに考える間を与え無いように、今度は優しい口調に変えて、微笑みながら最後の仕上げを仕掛ける。
「あなたにもう一度機会を与えましょう。何でもするといった言葉に嘘はありませんね?」
今度は先程と違い、質問ではなく確認に言葉を置き換え、考える必要の無い選択肢を提示する。
絶望の中に見えた希望の光を手放せる者はまずいない。当然リフィアはその希望に飛びついた。この手の仕掛けは前もって手法を知っていなければ対処する事は出来ないものだ。
「よろしくおねがいします!」
リフィアは立ち上がると涙声で答え、直角に頭を下げる。良く考えなくてもおかしな返事だが、混乱した人にとってはおかしくない。
真也はその返答に苦笑しながら、誘導した意識が元に戻らないように飴を与えて作戦を終了する。
「分かりました。私が責任を持ってあなたを良い方向へ導きましょう。ではまずその顔を洗って、昼食を大至急食べて来なさい。時間は有限です。僅かな遅れが全てを壊す事があるのですから。ティリナさんこちらへ。昼食をお願いします」
ティリナは真也の呼びかけに飛び込んで部屋に入り、リフィアの手を握って喜んだ。リフィアも泣いて喜んでいる。その後二人は再度の真也の言葉で我に返り、ばたばたと奥の部屋に走っていった。
「これで解決か?」
ルードの問いに真也は首を振る。現状はまだ真也の言う事を素直に受け入れる準備が出来ただけだ。後はこれから形を整えなければならない。
「まだです。期限までに仕上がらなければ意味がありません。まあ、明日まではまだ時間があります。なんとかなるでしょう」
真也がにやりと笑うと、ルードはこの前の悪夢を思い出してしまった。心なしか震えるルードを見てアランは不思議そうに首を傾げている。
「アランさん、出来るだけ時間が欲しいので明日の試験は午後からにして下さい。ルードさんはいつも通りで良いですよ。それとも一緒にやりますか?」
「遠慮する! 断固として遠慮させてもらう!」
真也が笑いながら言うと、ルードは勢い良く首と手を横に振る。その様子に何かあったらしいと思いながら、アランは真也の要請に答える為にギルドに戻る事にした。
「では私は明日の準備に取り掛かります。ノルさんは立ち会いますか?」
「いいえ、アマネを放っておく事も出来ないので遠慮します」
「分かりました。それでは失礼致します」
アランは挨拶をすると店を出て行った。しばらくすると二人が戻ってきたので、早速真也は課題に取り掛かることにする。リフィアは良い笑顔だ。当初の表情から物凄く違くなっている。これなら大丈夫だろうと真也は安堵した。
「それでは今から指導を行います。時間が無いので辛いと思いますが、自分の為と考えてついて来て下さい」
真面目な表情で告げられた言葉に、リフィアは気合を込めて返事をする。
「はい! がんばります!」
「頑張って下さい!」
リフィアの元気の良い返事にティリナがこれまた元気良く応援する。そんなティリナを真也は一瞥して無慈悲な宣告をする。
「何を言っているんですティリナさん。あなたも一緒に受けるに決まっているでしょう。店内の責任者なのですから、今後入る新人に指導してもらわなければ困ります。私は出資者であって経営者ではないのですから、ある程度店が軌道に乗れば口を出す事はしませんよ?」
真也の宣告にティリナは身体を震わせている。そんなティリナをリフィアは不思議そうに見つめていた。
「そ、そんな……。そうだ! もちろんルードさんも一緒ですよね?!」
逃げられないと悟ったティリナは、道連れにルードを連れて行こうとする。実に仲が良い。ティリナの魂の叫びを聞いたルードは、実に良い笑みを浮かべて返事をする。
「俺はさっき、いつも通りにと言われている。まあ、頑張れ。骨は拾ってやる」
「え? え……」
ルードはそう言うとさっさと仕事部屋の方に消えていった。ティリナは呆然とその背を見送る。気が付いたときには部屋には真也とリフィアとティリナしかいなかった。
「う、裏切り者ー!」
ルードが消えた方向を指差しながらティリナが絶叫する。そんなティリナに、真也は無慈悲に試練の始まりを告げた。
「馬鹿な事を言っていないで始めますよ。時間が無いのですから。まあ、と言っても朝まであれば十分でしょう」
人の悪い笑みを浮かべる真也に、ティリナは最早『ひぃー』と両手を頬に当てて叫ぶ事しか出来なかった。分かっていないリフィアは不思議そうに首を傾げている。
次の日の朝、真也が帰った部屋にルードが入ると、口と頭から何かが出ているティリナとリフィアがいた。年頃な彼女達の名誉のために、詳しい事は秘密としておこう。




