第36話 研究と息抜き
ルードの店に行った次の日、真也は朝から庭に出てテザの種を蒔いている。テザとは砂糖大根モドキの名称である。一応大量に購入しているが、実験する上で一日ごとの様子と鮮度も確認したかったためだ。畑仕事のために軍手を用意する程度にはやる気がある。
「しかし、こんな一mm程度の種が六日で十五cmになるとはやっぱり信じられない。がしかし、実績があるのだから仕方がない。受け入れよう。温度管理も必要ないようだしとんでもない作物だ。元の世界の砂糖大根とは似ているだけで別物と考えた方が良いな。森羅、これから一日ずつ収穫しておいて」
「分かりました」
種の蒔き方は資料にある通り、単純に一直線にばらまくだけだ。間隔を空けて植えてもばらまいても一定間隔でしか発芽しない。抜けば次の種が発芽するという実に不思議な生態を持っているのだ。
真也は種を蒔き終えると今度は水田に行き、稲の様子を確認する。稲は順調に成長している。後三月もすれば収穫出来そうだと稲を触りながら真也は笑みを浮かべる。ポチャポチャと鳴る水音も心地良く聞こえるのだから相当楽しみにしている事が分かる。
「うん、大丈夫だな。さて、戻って実験に入るか」
真也は家に戻ると軍手を外して移動しようとする。その時に床にパラパラと何かが落ちた音がしたので見てみると、テザの種が落ちていた。
「軍手の隙間に入っていたのか。まあ小さいからな。次からは気を付ける事にしよう」
軍手を見ると中まで入っている種もあった。その後、種を拾って片付けてから台所に行き実験を開始する。成分分析は森羅に任せてある。都度味見していると渋みで味覚がおかしくなるからだ。
「まずは普通に作ってみよう」
真也は水洗いしたテザを薄くスライスしてお湯で煮る。おろしても良かったが疲れるので薄切りにしたのだ。煮終わったら煮汁からテザを取り出して煮汁を冷ます。指に付けて舐めてみると、確かに渋い。この渋みのために甘みを感じる事が出来ない。
「そういえば渋みの大部分は水溶性だったような……。と言う事はこちらの残骸の渋みは抜けるが、煮汁には溶け出す事になるな。砂糖も水に溶ける。……まあ、色々試してみよう」
まず真也は煮汁に複製した焼酎を加え、時間を加速して試した。結果は失敗。次に灰を入れてみた。またもや失敗。冷凍した。失敗。重曹を入れる。失敗。煮詰めて放置。変わらず。
「……後何があったかな? 渋み成分のみ吸着する物質なんて知らないしな。そもそも成分までは分からないし、分子ふるいはさすがに手が出ない。森羅、渋みの詳しい性質なんて分からないよね?」
「はい、解析で分かるのは記述されている物だけなので、『渋み』に分類がされていない現状では、渋みがあること以外は分かりません」
例を挙げると、渋柿と山菜等は渋みを持つが、その成分は違う。そのため渋抜きの方法も異なる物になる。柿と山菜を解析した場合、元の世界ならば成分名や性質が記述されるが、この世界では同じ『渋み』である。精々『渋みその一』『渋みその二』としか記述されない。
これは読み取る情報が『人』を基準にしているためである。そもそも成分の名称自体人が名づけた物なのだから仕方がない。森羅は真也の記憶から元の世界の情報も参照出来るので、砂糖等の同じ物質はこの世界の認識以上に解析できるが、その他は似たような種類程度としか解析できない。つまり現状では『山菜の渋みに似た物質』程度の認識である。
まとめると、誰も知らない未知の物質は何かあると分かっても、性質は全く分からないという事になる。逆に言えば、自分が知らなくても誰かが知っていれば分かるという事だ。ちなみに過去に一度でも知られてさえいれば情報が世界に残されるので参照可能となる。
こんな矛盾が頻出する様な設定にしたのは、もちろん過去の真也である。よくある病気の一つ『無駄に凝った設定が格好良い病』に罹患していた証だ。実に馬鹿である。
「……これは駄目だな。単純には行かないらしい。森羅、砂糖のみ分離出来る?」
「溶けている物は、固形物と違い全体で一つの物質と定義されるので無理です。消去する場合は浄化で対処出来るのですが」
これも設定の一つである。最後の希望も無くなった真也は、余ったテザを用いてさまざまな方法を試すことにする。煮出した後放置したり、ずっと熱を加え続けたり、煮汁に油を加えたり等、考えつく事を行ってみた。
そして六日が経過した……。
「全滅だ。結局渋みを取ることも出来なかったし、砂糖のみを分離することも出来なかった。所詮素人には無理な事だったか……」
真也はこの六日間、家に閉じこもって実験を続けてきた。その姿を見ていた楓、桜、天音は空気を読んで大人しくしていた。森羅は手伝いがあるのでずっと真也に付き合っている。
この実験で分かった事は、甘味と渋みは比率を変えることなく成長と共に多くなるという事だ。大きくなるのだから当たり前と言える結果だった。
ちなみにこの六日間にアランが家の前まで来ていたが、門扉に呼び出し用のノッカーも何も無くなっていたので、報告は真也が店かギルドに出てきた時にしようと引き上げている。アランが胃薬を飲んでいたかは秘密としておこう。
「……気分転換が必要だ。便利グッズを考えて作る事にしよう」
真也は居間に戻ると、脳内にこの世界における生活が書かれた資料を呼び出して、何か良いものが無いか探してみる。
「冷蔵庫は自分達で作っているから不要だし、トイレはひとまず保留。風呂は……習慣が無いからこれも保留。照明は作ったし、冷房暖房も作った。となると残りは定番のコンロか。温度調整は目分量で調整しているようだし、レバー一つで変える事が出来れば多少は売れるかな」
現在の主流のコンロは、下に火の魔道具を入れて火かき棒で動かして調整している。薪が不要なので結構便利だ。欠点はいつまでも熱い事だろうか。もちろんこの家のコンロは魔力密度の大きい魔石を使用して自在に火力を調整可能にした贅沢品である。煮こぼれ防止機能も付いている優れものだ。
「基本は家のコンロを使うとして、魔石は拾ってきた物を使おう。表面はさすがに木は駄目だから金属か石だろうな。……金属にするか、石は割れやすいし重いからな。錆びるが補修部品にしてしまえば大丈夫だろう」
この時点までは一般的なコンロの範囲に入っていた。だが暫く検討していると、何処からともなく脳内に『良いアイデア』が浮かんだ。そして恒例の暴走が始まった。
「……いやまてよ、この世界の鍋類は鉄や銅だ。鉄の方は電磁調理器が使える。魔道具なんだから分からない原理の方がそれっぽく見える。従来品の豪華版なら簡単に類似品が出回るだろうが、これは分からないだろう。よし、そうしよう。どうせ息抜きだ」
売れない事が前提なので、深く考えずに仕様を決定する。真也が設計図を書き上げて魔道具の作成に入ろうとした時、天音が近くに寄ってきた。
「お師匠様、そばで見ていて良いですか?」
天音は今まで空気を読んで近寄らずにいたが、見てはいた。そして現在、真也の雰囲気が変わったので話しかけたのだ。短い間に観察眼が鋭くなっている。将来が実に楽しみである。ちなみに楓と桜はコタツの所でごろごろしている。
「ん? ああ良いよ。魔石の加工は森羅任せだけれどね。設計図を見せてあげるから、実物と見比べてみて。そうすれば分かりやすいよ」
「はい、ありがとうございます」
真也は調理器の設計図を森羅に作ってもらい、それを天音に渡す。天音は真面目に設計図を見ているが、文字は読めても意味が分からない。元になる知識が無いのだから当然だ。首を傾げて理解しようと努力している天音を真也は微笑みながら見た後で作成に入る。今回は天音が見ているので順を追って手作業で作成していく。
真也はまず魔石を六角柱に加工して概念を込めて核にした。次にそれを並べ、直径二十cmの磁界発生面を作った。高さは十cmなので安定感がある。明かりの魔道具の様に時間で切り替わる構造だ。この他に確認用のランプになる核と個別認識選択用の核も作成する。
魔石の下部は石を浅くくり抜いた物にはめ込んで固定する。これで下が重くなるので鍋を乗せても転ぶことは無い。最後に円形の木型に入れて建材として売っていた漆喰モドキを流し込んで魔石がむき出しにならないようにする。これで調理器の直径は三十cmになった。
この漆喰モドキはコンクリートより若干弱い程度の強度を持つ。軽く叩いた程度では割れないし、熱にも強いので鍋を置いても大丈夫だ。側面には魔道具が起動しているか分かるようにランプ用の魔石を一つと、火力確認用に同じく五つ、個別認識選択にダイヤル式の魔石を一つ付けている。
温度調整は音声入力で出来るようにした。離れていても調節出来るのは強みになると考えた。金属を使わないのは電磁誘導を起こさない金属が安価で手に入らないからだ。上面の漆喰は、核がむき出しでなくても音が伝わる程度の厚みなので問題ない。
それでも念のため手動で使う事も出来る様に、起動や火力確認の魔石に触れても使える様にはした。こうしておけば好きな使い方を選択できる。
最後に漆喰モドキが固まったら木型を外してケバなどを取り形を整える。天音は完成品と設計図を見比べて、意味を理解しようと頑張っている。残念ながら、見ただけでは分からないのが設計図と言う物なのだ。矛盾しているようだが、恐ろしい事に事実である。
「作り方は分かったかい?」
真也の問いかけに天音は頷いているが、設計図の意味が分からないので悩んでいる。そんな天音の頭を撫でながら、将来有望だと親馬鹿な考えをしている。
「今回は順番に手で作ったけれど、普段は森羅に原料から一気に作ってもらっているから、もっと精度は良くなる。森羅、これを設計図通りに修正してみて」
「分かりました」
先程作った魔道具を森羅が魔法で修正する。核は元々森羅が加工しているので直すのはそれ以外の部分だ。修正前はでこぼこが目立っていた表面が滑らかになり、側面の魔石もまっすぐに並んでいる。天音は手作業との差に感心して完成品を見つめている。
「さて、出来た所で使ってみよう。漆喰モドキが熱に強いと言っても実際使ってみないと分からないし、熱膨張で割れましたでは売り物にならないからね」
真也は調理器を台所に持っていき、平らな所に置いて水を汲んだ小さめの鉄鍋を置く。その様子を天音は熱心に見つめていた。
「『熱源起動』『火力最大』」
真也の起動文言を受けて側面の起動確認用の魔石が青く光り、火力確認の魔石が全て赤い光を放つ。しばらくすると鍋の中に気泡が現れて来た。真也が調理器の表面に触るとそれなりに熱くなっている。
「森羅、どうだ?」
「現状では動作に問題ありません。鍋からの伝導熱量も問題ない範囲です」
解析している森羅の報告に真也は頷いて沸騰するまで様子を見る事にする。最大火力での耐用実験がうまくいけば、とりあえず問題ないと言えるからだ。
天音は沸いていく鍋を見て、不思議そうな表情で首を傾げている。調理器そのものは手で触れる程度の熱さなのに鍋の水はきちんと加熱されている。設計図には魔石から磁界が発生すると書いてあるが、熱が出るとは書いていない。調理器が熱くないのにお湯が沸く理由が全く分からないのだ。
真也はそんな天音を見て微笑む。おそらく他の人も同じように悩むだろうと真也は思う。誰も真似出来ない魔道具を作る事が出来たと心の中で喜んでいた。
やがてお湯が沸騰する。沸騰するまでの時間は従来のコンロと比べて多少かかるが、気になるほどではないと真也は判断した。都度温度を調節出来ることを考えれば弱みにならないと考えたのだ。その後に火力調整を確認してからそのまま十分程放置して、鍋を下ろす。
真也はコップに水を汲んでまだ熱い調理器にかける。これは収縮によってひび割れが出ないかの確認だ。
「森羅、結果は?」
「大丈夫です。元々膨張もほとんどなかったのでひび割れは起きていません。熱に強いというのは嘘ではないようです。内部も問題ありません」
森羅の結果報告に真也は満足げに頷いた。天音も作業の意味を納得して同じように頷いている。天音は一連の作業をしっかり観察して、理由も含めて記憶している。
「ならこれで完成だな。割れるようならもう少し工夫が必要になったから、思ったより安くついたな。よし、とりあえずティリナさんに使ってもらって感想を聞く事にしよう」
真也が調理器をリュックにしまい、出かける準備をしようとした所で天音が質問をしてくる。天音は今まで考えていたが根本的な所の理由が全く分からなかった。
「お師匠様、どうして火が無いのにお湯が沸いたのですか?」
真也は微笑んで天音の頭を撫でながら答える。
「今は秘密だ。勉強しているうちに分かる様になるから楽しみにしていなさい」
天音はまだ最初の一歩を歩み始めた所だと真也は思っている。だから天音には自分で調べて理解する楽しさを知ってほしかった。安易に何でも教えると、自分で調べる事を厭う様になりかねない。
真也の経験では人に物を教える場合は、十の事柄のうち三を教えて、後は自分で調べる様にして勉強させた方が身に付くと感じている。
「分かりました、がんばります」
天音は真也を全面的に信頼しているので食い下がることなく素直に頷いてこの話題を終える。真也はそんな天音に頷いて、頭を再度撫でる。
「では出かけよう。天音、着替えて来なさい」
天音は嬉しそうに笑って頷くと、走って着替えに行った。楓と桜も起き上がって一緒に付いていく。その様子を、仲良い事は良い事だと真也は温かく見つめていた。
そんな事を思いながら居間に残った真也はと言うと、いつの間にか森羅がリュックより取り出していたいつもの外出着を手に取って、その場で着替え始める。脱いだ服は言われる前に森羅が汚れを浄化してリュックにしまう。一連の行動があまりに自然に行われているので、真也は森羅の動きに気が付いていない。
こんな真也を鈍いとか気が利かないとか言うなかれ、男なんてこんなものだ。




