第18話 説明と説得
重い沈黙が店内を包んでいる。ティリナは頭を下げたまま動かない。ルードは混乱している。真也はどうしようかと悩んでいる。森羅は当然気にしていない。
「ええと、ティリナさんでしたか。いきなりの事でルードさんが事情が呑み込めないようなので、とりあえず落ち着いてから改めて話をしましょう。飲み物をお持ちしますのでそちらの椅子に腰かけて少々お待ちください」
「は、はい分かりました。ありがとうございます」
真也の提案にほっとした表情で顔を上げ、礼を言って真也が座っていた椅子に座る。真也はそれを見届けてから飲み物を三人分淹れるために奥に行く。
勝手知ったる他人の家ということで迷うことなく台所に辿り着き、気分が落ち着く香草茶をポットで淹れてカップと共に持っていく。途中店に入るところでこっそり中を覗き込むと、二人は視線を合わせることなく下を向いて沈黙している。どうみても空気が重い。
「森羅、何か場を和ますような事が書かれた本はある?」
さすがにあの状態のまま平然と話を始める事が出来る程の度胸は真也には無い。
「『これであなたも気配り名人』と言う本があります。同調しますか?」
「お願い。他にもいつもの奴と恋愛関係もあればそれもお願い」
「恋愛関係はあまりありません。『心の機微』を追加で同調します」
過去の自分に文句を言いながら下準備を終えた真也は、店内の空気に気が付かない振りをして戻り、テーブルにポットとカップを置いてお茶を注ぎ、二人に差し出す。
「それではごゆっくりお寛ぎ下さい。私はこれで失礼を……」
「行かないでくれ!」「行かないでください!」
場を和ませようと冗談を言った真也だが、必死な形相の二人に両方から縋り付かれてしまった。真也はその様子にため息をつく。真也は森羅のおかげで今現在それなりに対応出来ているが基本的に人付き合いは悪い方で、他人の事情に干渉しないのが真也の主義である。特に今回は男女の事である。関わりあいになりたくない事柄の筆頭と言っても良い。
だがこのまま放っておけば最悪になる未来しか思い浮かばない真也は、ルードには世話になっていると思い、準備も一応したので助け船を出すことにする。
「とりあえず帰らないので手を放してください。今椅子を持ってきます」
両方から無言の要請を感じながら奥から椅子を持ってきて二人の間になるように座る。ルードとティリナが向い合せになる形だ。
「さて、まず落ち着くためにお茶をどうぞ。一杯飲み終わってから始めましょう」
「わかった」「わかりました」
三人は無言でお茶を飲む。真也はさてどうしようかと考えながらティリナを観察する。旅装だが武器の類はとりあえず見えない。腰まである長い髪は邪魔にならないように二つに結んでいる。髪と瞳はルードと同じ茶色だ。妻になるのだからティリナもドワーフなのだろうと推測する。
考えているうちにお茶を全員飲み終えたので真也は始めることにする。
「落ち着きましたね。ではまず自己紹介からいきましょう。私の名はノル、人間の男で今はこの店の臨時店員をしています。ルードさんどうぞ」
「おう、俺はルード。この店の店主だ」
自己紹介が終わった二人に見つめられてティリナは恥ずかしそうに俯きながら自己紹介をする。
「私はティリナです。ドワーフの村からルードさんの妻になるためにここに来ました」
それを聞いたルードは何か言いたそうな顔をしたが真也は構わず質問に入る。
「それでは私の方から質問をティリナさんにしますので、ルードさんは何も言わずに聞いていて下さい」
「わかった」「わかりました」
先程と同じ返事をルードとティリナがする。二人の息はぴったりだ。
「ではティリナさん、あなたはルードさんと初対面のようですが、ルードさんの事を誰に聞いてここに来ましたか? また、来たのは誰かに言われたからですか?」
「……村の会合で決まったので来ました」
俯いたまま短く答えるティリナ。傍から見れば真也が子供をいじめているように見える。会合という言葉にルードは眉を上げて反応している。
「その会合で言われた言葉や状況を最初から最後まで、憶えている分で良いので話してみて下さい」
「は、はい。……最初は村の会合で嫁取りの打ち合わせがあったんです……」
ティリナは思い出しながらゆっくりとその時の事を話し始める。真也は出だしから疑問点が出てきたが、とりあえず後回しにして話を聞くことにした。
「その時の会合には村の女衆が全員集まって誰が誰に嫁ぐか決めていました。最初に約束している人や好きな人がいる方達を決めていって最後の方に特に相手がいない人をどうするか決める事になっていました。
最後まで来て相手がいない男衆の誰が良いかみんなで話していた時に、用事で村の外に出ていた人がルードさんのお店の話をしたんです。すごく繁盛しているし、品質もとても良かったから修業の途中で村を出た者だが一人前と認めても良いのではないかって。ついでにまだ独り者の様だし村が一人前と認めた者として嫁を出さないかと提案が出ました。
特に反対する人がいなかったので村から嫁を出すことに決まったんです。それで、その、残っている人達の中で誰が嫁ぐかということになったんですけど……」
ティリナはちらちらとルードを窺っている。その様子は言っていいものか迷っている、もしくは言いたくないことがあると言っているように真也には見えた。ルードは下を向いているので視線には気が付いていない。
「どうぞ、気にしないで本当の事を言って下さい。悪いのはあなたではないのですから」
真也は背中を押すように続きを促す。ティリナはその言葉に覚悟を決め、続きを話し出す。
「……残っている人達の中でルードさんを知っている人達が自分が行くことを嫌がりまして……、知らない世代で一番年長だった私が嫁ぐことになりました。後は居る場所を聞いて村を出てここに訪ねて来ました」
話し終えるとティリナは俯いて膝の上で手を握り締めている。ルードは変わらず下を向いたままだ。真也はその様子に何か地雷を踏みぬいたような気分になった。
詳しい事情を知らない真也の感想は、以下のようになった。
(半人前だったお前を一人前と認めてやるから相手の気持ちを考えずに結婚しろと言われたようなものか、確かにこれなら言われた方は怒るな)
とりあえず分からないことが多いので真也は結論を出す前に疑問点を解消することにした。
「ルードさん、私はドワーフの風習に疎いのですが、ドワーフは結婚相手を会合で決めるのですか?」
真也は一番の疑問をルードに尋ねる。ティリナに聞かないのはルードが肯定すれば正しいということになるからだ。
「ん……、少し違う。基本は好きな相手と一緒になる。ただ、大部分の相手の居ないドワーフの男は放っておくと鍛冶や細工に夢中でいつまでも結婚しようとしないから、女衆が男を見定めて一人前になった男に相手を見繕うんだ。但し、話にもあったように女は嫌いな相手にあてがわれることは無いし、相手の居ない男の方には選ぶ権利はない。そうなる前に相手を探しておけという訳だ」
真也はその話にある意味納得する。要するに自然に任せておくと子供が産まれず種族が滅びるから女性が積極的に動いているということだ。
「それと店の方に村の方が来たことに気が付いていましたか?」
「……いや、おそらくこの町にいる他の奴の所に来て話を聞いたんじゃないか? この町にいるドワーフは半人前の俺と交流を持ちたいとは思っていないから一度も店で見かけたことは無い」
真也はルードの言葉にさらに疑問が出てくる。話を聞いていると風習がかなり違うらしいということはわかる。
「ええとすみません、ちょっと疑問点を何個か言うので簡単に教えて下さい。一つ目は一人前の定義を、二つ目は半人前の扱いを、三つ目はドワーフは全員同じ故郷の出身なのか、です」
真也の質問にルードは頷いて説明する。その間ティリナは同じ姿勢のまま黙っている。
「ドワーフにとって一人前とは鍛冶か細工のどちらかをきちんと修業して親方から印可をもらう事だ。一人前になればドワーフは店を開くことも、弟子を取ることも出来るようになる。
次に半人前の扱いだが、修業中は特に何もない。が、俺みたいに途中で逃げた奴はドワーフの中からはじき出される。根性なしということだな。
三つ目はドワーフの国以外では大抵国毎に一つ村がある。基本的に旅に生きる奴はいないから人間の町にいるドワーフはほぼ全員修業のため村から出てきている者達だ。何年か毎に交代して店を出しているんだ。それが村の収入になる。だから同じ国の中で会うドワーフは同じ村の出身になる」
「ありがとうございます。……今の話ですとルードさんの店が繁盛したからといって一人前と認める事に反対が出なかった理由が分からないのですが、ルードさんは分かりますか?」
真也には半端者は村八分になるほど扱いが酷いのに、ちょっと繁盛したからといって一人前と認めようとする事とそれに反対する者も出なかったというのが理解出来なかった。このままでは間違った判断をしかねないので、渋々他人の深い事情に踏み込む覚悟を決めて質問をした。
ルードは最初言いよどんだがため息をついて話し始める。
「……おそらくだが、俺の母親が前の村長だった事と、今の村長が変わってなければ俺の姉だからだと思う。二人とも身内だからと言って甘い事を言うことは無いんだが、悪しざまに言われて機嫌が悪くならないわけじゃない。不満があろうとも自分より立場が上の者の不興を進んで買う必要もない。
誰も面と向かって反対するものが居なかったから結果的に反対が無いと言うことになったんだろう。……そうじゃないのか?」
ルードがティリナに問い掛ける。その問いにティリナは俯いたまま小さな声で答える。
「……その、たぶんその通りだと思います。私は意見を言える立場ではなかったので見ていただけですが、何となく納得していない人が居たように見えました。どうして不満があるのに反対しないのだろうと不思議に思いましたから」
「成程、分かりました。ルードさんの顔見知りは半人前との認識があるから嫁ぎたくないと思い、知らないティリナさんはルードさんが村で一人前と認められて、元々個人的な嫌悪感は無いし、自分に特定の相手もいないから嫁ぐことを拒否しなかった。とりあえずここまでは合っていますか?」
「はい。その通りです」
俯いたままのティリナの返事に真也は今までの認識を改める。
(ティリナさんがここに来たのはドワーフ特有の風習のためで、決まったことに従っているだけだ。彼女には少なくともルードさんに対する嫌悪は無い。従うのが悪いのではなくそれがドワーフの社会では当たり前なんだ。これは外野が否定する事ではない。となると後一つ確認すれば解決だ)
「話は変わりますがティリナさん、もしかして村の誰かからルードさんについて聞いていませんか。嫁ぐのですから何も知らないとは思えないのですが」
「その、村長から、……頑固者だから真正面からぶつかれと言われました。卑怯な手を使うと絶対に折れないから折れるまで正面からぶつかり続けろと……」
ティリナの言葉になるほどと頷く真也。だからあんなにティリナは緊張していたのかと一人で納得する。緊張するのは当たり前だ。要するに絶対断られるから相手が諦めるまで粘れと言われたのだから。
「なるほど、二人ともありがとうございました。とりあえずもう一度お茶にしましょう。ぬるいですがそれもまた良しです」
真也はポットを持ってお茶を注いでいく。注がれたお茶を三人は無言で飲む。ティリナは俯きがちにコクコクと、ルードは一気にぐいっと、真也は二人を観察しながら普通に飲み干した。
「さて、ティリナさんの事情は良く分かりました。結論から先に言いましょう。ティリナさんには今からここに住み込みで働いてもらいます。給料はルードさんが決めてください。以上です。お疲れ様でした」
「え? は、はい」
「ちょ、ちょっとまて。何勝手に決めてんだ、そんなこと駄目に決まっているだろ!」
ティリナは戸惑ったような反応を、ルードは真也の予想通りの反応をする。真也は微笑みながらルードを誘導し始める。
「ルードさんは村を自分の勝手で出たのだから世話になる訳にはいかないと思っているのですよね?」
「分かってんじゃねえか。その通りだ」
「話は変わりますが会合で結婚が決まったドワーフの男女が別れる時は、その事を男から言い出すことは無いのでしょう?」
いきなりの話題転換にルードは戸惑いながらも律儀に答える。
「当たり前だろ? そう言う事は手前で嫁を探した奴しか言えん事だ。いったい何の話だ?」
見事に当たりを引くルード。真也は男に嫁を選ぶ権利が無く、頑固なドワーフならたぶんそう言う考えを持っていると予想し水を向けたわけだが、一発で引っかかった。
「なら問題無いでしょう? ティリナさんはルードさんの妻になる為にやってきた。村の中ではすでに二人は夫婦です。不甲斐ない男であるルードさんには断る権利は無いと今自分で明言しています」
「う、いや、まて、それとこれは違う。俺はもう村の世話になる訳にはいかねえんだ!」
中々しぶといルード。ティリナは心配そうに話を聞いている。
真也はわざとらしくため息をついて、最後の『口撃』をルードに叩き込む。
「ルードさん、今私達に必要なものは何でしょう?」
「何だ、藪から棒に」
戸惑うルードに真也は力強い声で告げる。
「今必要なもの。それは、信頼出来て長く勤めてくれる従業員です! 幸いな事にティリナさんは必要要件の全てを満たしている稀有な人です。これを逃せばどうなるか、ルードさんにも分かるでしょう!」
「お、おう、いやまて、今話している事は違う事だろう?」
ルードは真也の勢いに思わず頷きそうになったが、何とか踏みとどまる。しかしまだ真也の『口撃』は終わらない。
「ルードさん、私はルードさんに結婚しろとは言っていません。私が言っているのは、向こうからやってきた最高の従業員候補を採用すると言っているだけです。身元は確かで長く勤めてくれる。こんな人が今度いつ現れると言うのです!」
そこまで言うと真也はルードに近づき『こちらが本題』と言う様に耳元で囁く。それはとても甘い毒だ。但し今回も害は無い。
「それにティリナさんの外聞もあります。帰すにしてもルードさんを実際に見て嫌気がさして別れを切り出したと村の人が思える時間が必要なんです。今帰せば男に捨てられた女として今後に支障が出るでしょう?」
ルードの様な頑固者には、こじつけでも納得出来る理由が必要だ。別名逃げ道とも言う。
『嫁ではなく現在一番必要な従業員として最適だから採用し、住まわせる』
『今無理矢理帰せばティリナの名誉に傷が付く』
『自分のためではなく、ティリナのため。だから村の世話になる訳ではない』
傍から見れば単なる言い訳の様な理由だが、大義名分とは得てしてそんなものだろう。
「う、それもそうだ。俺は自分の事しか考えていなかったな。相手の後の事まで気が回っていなかった。ありがとよ、また気が付かないで馬鹿を晒すところだった」
ルードは真也の理由に納得した。またしても視野が狭くなっていた自分に気づいて恥ずかしさがこみあげてくる。
この時点でいつの間にか『自分の結婚』から『相手の名誉』に話の中心が変わっている。ルードはもちろん真也に論点をすり替えられた事には気が付いていない。後は最後の仕上げをすれば、この問題は時間が勝手に解決してくれる。
真也はティリナの方を向いて微笑みながら報告する。
「問題は解決しました。先程伝えたように、ここの従業員として働いてもらいます。よろしいですか?」
「は、はい。大丈夫です。よろしくお願いします」
ティリナは何が何だか分からなかったが、追い返される事は無くなったと感じて安堵する。真也はルードをつついてティリナに対する言葉を促す。ルードは頭を掻いてティリナに顔を向ける。
「……明日からよろしくな」
「はい! よろしくお願いします!」
ティリナは元気に返事を返す。先程までの緊張はもう無い。その様子に真也はほっと息をつく。いい加減綱渡りの誘導で胃に穴が開きそうだった。
二人はもう心配ない様なので真也はティリナの住む部屋と家の中を案内して注意事項を教えた後、帰ることにする。何故真也がしたかというとルードに任せると何時になるか分からなかったからだ。
帰りがてら真也はルードに嘘をついたことを心の中で謝罪する。
(自分に好意を持って尽くしてくれる女性を嫌いになれる男はまずいないから、最初に胃袋をつかんでしまえばルードさんのような男は絶対に帰れと言わなくなるとティリナさんに教えてしまいました。申し訳ありません。あと爆発しろ)
最後の仕上げもきちんと行い、夏の夜風に当たりながら真也は家に歩いていく。その肩には全てを知っている森羅が無言で座っていた。
真也に春が来ることはあるのだろうか……。