第13話 研究開始
「うむ、実に良い出来栄えだ」
真也は出来た品物を細部まで確認して呟いた。
「これで……、これで快適に生活を送れる!」
森羅は黙って真也を見ている。普通の人なら、たぶん後退りしているかもしれない真也の様子を見ても平然としている。実に出来た子である。
そしてこの異変の元凶とは……。
『再循環式水洗便器』である。
この家のトイレは要するに『おまる』である。現代の水洗トイレに慣れた者に果して耐えられるだろうか。答えは否。まず耐えられない。
理由を言おう。まず臭いがある。水洗トイレはすぐ水の中に入るのでそれ程でもないが、おまるはむき出しでたまるのでいつまでも臭気を放ち続ける。汲み取り式は深いので意外と上まで強烈な臭いがこないのだ。
次に浅いので注意しないと付いてしまう。何がと聞かないでほしい、ラッキーとだけ言っておこう。
最後は後始末である。真也は魔法で何とかしたが、気分は良くない。
という諸々の事情で真也は便器を作ることを決意したのだ。最初は座ってできるおまる型浄化式を作る予定だった。しかし森羅の力を目の当たりにした真也ははっちゃけた。凝りに凝って設計し、出来たのが『再循環式水洗便器』である。
「説明しよう! この便器は【元素】魔法を使用し水を常に循環させてある。水の中に入った汚物は後ろのタンクに送られ【時空】魔法で一瞬で発酵し、その後【浄化】魔法で今回は水と有機肥料分に分解されるのだ。
浄化された肥料水は【分類】の魔法で肥料と水に分けられ水は再循環され、肥料は水気のないサラサラの砂状になって便器の斜め後ろにある箱に入っていく。
箱の中には袋があり、【時空】魔法によって収納バッグもどきになっているので一人ならば年に一回程度中身を空ければ問題ない。汚物を一切出さず、水の補給もいらず、なおかつ肥料を作ることが出来る! 俺はなんてすごいものを作ってしまったのだろう……」
森羅しか居ないのに説明をする真也。森羅はぱちぱちと拍手をしながら黙って見ている。本当に良い子である。
実際作られた『再循環式水洗便器』は良い出来である。一般的にある背中に水タンクを付けた便器の形に肥料収納用の箱が取り付けられた形状でコンパクトにまとめられている。これ一つあれば工事もなく設置できるのでどこにでも置ける。収納すれば屋外でも使用できる優れものだ。材質は木だが常に浄化されているため腐らない。水も全て制御されているため浸み込まない。欠点は重さ位だろう。
「これは売れる……だが、魔道具で再現できなければ売ることが出来ない。今は全部魔法に頼っているからな……。要検討事項か。
まあいいや、森羅、作った物と買った服を記録してからこの便器をトイレに持って行こう。本来なら防水加工もしたいが後にする。素体があれば何とかなるからね」
「はい、記録開始します。……完了しました。それでは持っていきます。重力術式起動」
真也は不要な物をリュックにしまい、魔法で少し浮かべた便器を押してトイレに設置する。元からあったバケツは隅に置いておく。
「完成だ! 素晴らしい! ……もう遅いからご飯と風呂を済ませて寝よう」
「はい、主様」
妙なテンションは冷めやすいものである。
その後夜食と風呂を済ませ、真也はいつもの寝る体勢になる。そしていつも通り検討を始める。
(今日は大分収穫があった。特に資料が簡単に手に入ったのは良かった。お金も臨時収入でそれなりに増えたから、後はゆっくり増やしていこう。
ルードさんの店はあれで大丈夫だろう。感覚のズレを直せばそれなりに売れるようになる。
ニフィスさんに卸す薬草は週一で良いか。あまり頻繁でも余るだろうし、そうしよう。
自分の技能が意外に使える物だったのは良かったな。森羅の魔法がなければ微妙だけれど、それでも十分実用的だ。後でゆっくり調べることにしよう。
そういえば資料に魔物を飼い馴らす方法があったな。商人の荷車を引いていた動物がかなり大きく飼うのが大変だろうと思ったが、使役魔なら餌が不要になるから利益が上がるし運搬と移動も楽になる。将来を見据えて早めに手に入れておくか。
この辺で良さげなのは黒山犬かな。やっぱり爬虫類系や虫系より動物系が良いし、頭が良く馴らすのは難しいようだが、成長すれば騎獣としても優秀らしいし昔から犬を飼ってみたかったからな。明日山に入って試そう。となると泊りになるか。食料も忘れずに買って行こう。
……とりあえずこんなものか。寝よう、お休み)
次の日、日の出と共に起きた真也は買って来た服に着替えてその良さに驚く。採寸だけしかしていないのに真也の身体にぴったりなのだ。今まで来ていた服より着心地が良いのでこれからはこれを着ることにする。
食事を終えた真也は早速食料を買いに町に出る。開いている店は食料品の店が多い。もしかしたら朝食用に早く開けているのかもしれない。真也にとっては嬉しいことなので野菜を中心に購入していく。調味料類はあまり無いようで、内陸だからか塩は高いがある。香辛料系は唐辛子程度で後は香草類が調味料の中心になっているようだ。
まだ真也はこの世界の料理を串焼きと固いパン以外食べていないが、調味料の種類が少ない所を見るとあまり発達していないかもしれないと予想する。発酵系の食料もないが、これは魔法で保存が手軽に出来るので、保存食が発達しないのだ。見かけたのは果実酒程度である。
以前予想した通り、ある程度魔法を手軽に使用出来る事が全体的に技術の発達を妨げている。工夫する必要があまりないため研究するものがごく少数で、しかも情報が秘匿されるのも発達しない一因である。必要は発明の母という言葉がある通り、必要ないことは誰も見向きしないのである。
元の世界には保存食や発酵系調味料がたくさんあるが、保存技術が発達してからできた物はいくつあるだろう。下地は違うが、起きていることは同じことである。
また、文化が発展するためには贅沢と平和が不可欠である。常に魔物の脅威に晒されているこの世界では国家間の戦争はほぼ無いが、平和と言えるわけではない。必要がなく、無駄もない所に新たなものが生まれることはまずない。
真也は食事に関しては期待しないことにして、自分で何とかすることに決めた。目立つので広めるつもりはないが自分だけで楽しむ分は構わないと考えている。
(物語なら製法を伝える所だろうが、俺にとって自分の安全が一番優先だ。この手の知識は金になるから必ず面倒事になる。他の技術についても同じだ。自分の安全と天秤にかけた時、おそらく俺は恩人であろうとも見捨てるだろう。物語なら何とかなるが、現実では組織に個人は敵わない。人間の欲望を甘く見てはいけない)
真也は心に注意を書き留めながら町の外へ向かう。真也の価値観では自分の特別な能力を使わず見捨てる事は悪い事ではない。なぜならば、物語でも現実でも、人に安易に頼る人間は責任を取らないからだ。少なくとも真也の人生の中では一人もいない。
真也にとって助けたくなる人とはルードのように自分で何とかしようとする人であり、そんな人には言われなくても助けを出してしまう。要するに天邪鬼なのだ。
町の外に出た真也は人目が無い所で森羅に隠蔽をかけてもらい森の中に入っていく。目的は薬草採取と山の中にある黒山犬の巣から使役魔用に幼生体を捕ってくることだ。
森の中では【探索】魔法を使いながら移動していく。薬草採取が主で狩猟はついでだが、素材調達の機会を逃すのも馬鹿らしいのできっちり狩っていく。
森は平原と違い採取できる薬草の種類も多い。茸もあったので採取していく。森の魔物で新しく出会ったのは【まだら鬼蜘蛛】、【樹木蛇】、【岩百足】だ。
まだら鬼蜘蛛は全長二m程の大きさで木の上から襲いかかって来る。樹木蛇は体長三十cm程度で木に張り付いて擬態し、近づくと襲いかかる。岩百足は二m程度の大きさで草の陰から飛び掛かる。ちなみに全部毒持ちで奇襲が得意な魔物である。
隠蔽障壁で身を包んでいるので真也は怪我ひとつしなかったが、基本的に対策が無い人に森のこの位置の探索は出来ない。通常一番要注意な虫の対策として虫除けを使うが、その他は自力で対処しなければならない。
真也は人目に付かないように誰もいない所から森に入ったが、森のその部分は範囲は狭いが中堅の探索者でも難儀する危険地帯なのである。
後で真也はそのことに気が付くが、今は障壁のおかげで安全な為どんどん奥に進み続けた。
やがて危険地帯を抜け、太陽が沈む頃に山に入る手前で野営を行う。慣れた探索者ならもっと距離を稼げたが真也は一般的な体力しかないので彼らより大分遅くなっている。
野営はいつも通り結界と水クッションである。
「ふむ、大体予定通りかな。明日は黒山犬の巣に行って良さげなのをこっそり攫って来る。うん、極悪人だ」
【探索】魔法で作成された地図を確認しながら真也は明日の予定を決めていく。飼い馴らすというのは人間の都合に過ぎないので当の魔物からすれば仲間を攫う悪者だ。魔物は人を見れば襲い掛かってくるので真也としては自分のために利用する事に罪悪感は無いが、殺戮したいと思っている訳では無いのでこっそりと行動することにしたのだ。
「森羅、近くに人間がいるか分かるかい?」
「二km先に焚火と思われる熱源が二つあり、近くにあるので同一集団と推測します。資料によると探索者のグループは六人程度で一つ組まれるようなので、十五人弱の集団がいると思われます」
森羅は探索の範囲を広げ真也に答える。
「……狙いは同じかな? もしかしたら無駄足になるかもしれないな。なんにしても鉢合わせしないように注意しておこう」
「はい、わかりました」
真也は先行する者達と思われる位置と巣がある地域を見て、素人に出し抜く事は出来ないと判断した。明日はゆっくり行動することにして、リュックから魔石を取り出し昨日出来なかった明かりの魔道具の試作に入る。ルードとの打ち合わせではうまく出来たら使い、出来なければ市販品を使う事になっている。練習と研究も兼ねて作ってみることにしたのだ。
「魔道具が作動している時間は魔力密度と消費量によって決まる。消費量は込める概念によって決まる。つまり強く光るように概念を込めれば光は強く時間は短くなる。弱くしたときは逆だ。必要なのは同じ明るさの物だから、この場合魔力密度が違うと作動する時間が異なる物が出来上がる。
ふむ……。核の特性は電池に似ているな。森羅、この魔石の形を整えて魔力密度を一定にすることはできるかな? それと作成する明かりの魔道具の効果時間は【解析】でわかるかい?」
「はい、一定にする方は【改変】を使えば出来ます。一度融合してから切り出すような形です。一つにすることによって魔力密度は平均化されます。但しこの場合、【改変】の命令が概念を込めたのと同じ扱いになり魔道具の核としては用を成さないと思われます。効果時間の方は【解析】でわかります」
「……計画が最初から潰えてしまった。はぁ、別な方法を考えるか……」
真也は考えていた方法を駄目出しされてため息をつく。魔法が利用できないとなると量産が難しいということになる。だから市販品は高いのかと納得する。実際は複雑な物しか売れないし、売れないと生活できない。そうなると作り手も少なくなるので高価になっているのだ。
「主様、【作図】を使えば成形と概念込めを同時に出来ると思います。設計図は設計者の考え方が反映されたものなのでそれ自体が概念の具現と考えられます」
森羅が首を傾げて助けを出す。能力を十全に把握している森羅と詳しく知らない真也の違いが出た形だ。【作図】の出力の形式は任意。つまり概念を乗せて出力も可能なのだ。例えを出すと設計図に光量十と記載すれば真也の主観による強さ十の光を放つ魔道具が出来る。
「……なるほど、確かに言われてみればその通りだ。よし、実験してみよう。森羅、まず二つの魔石の密度を均質化して丸く成形してくれ。【改変】によって核に出来なくなるか検証しよう」
「わかりました、改変術式起動」
森羅は魔石を丸い形に成形し、真也に渡す。真也は普通の魔石と丸い魔石に『光』と記入し様子を見る。その結果、普通の魔石は記入し終えた時から淡く光り始めるが、均質化した方には変化は無い事が分かった。
「ふむ、これでただ均質化した魔石は核として使用出来ない事が確定した。ついでに魔道具として使用するためには、起動条件と終了条件も記入しないと駄目だという事も分かった。次は【作図】した物で実験したい訳だが……。森羅、詳細な【作図】は紙に書かなければ駄目なのか?」
今までは紙に書いていたが、紙に記入出来ない時に困るので聞いてみる。
「いえ、頭の中で考えただけで大丈夫です。ただ何かに記入した方が確認しやすいので、より正確になるだけです」
「それなら、こんなものは出来ないかな。何というか、ゲーム的というか未来的というか、見えるのは自分だけで思考で書き込み出来て、視覚で確認出来るもの……分かる?」
真也の実に抽象的な質問に森羅は首を傾げる。真也が思い浮かべているのは未来科学の映画にあるような網膜に投影される情報端末のようなものである。この手のものはそれを見た事が無い人には想像しにくいものだ。
「お待ちください、主様の思考と同調します……。……わかりました。術式を新たに追加すれば可能です。共有領域に新規術式構築、思考同調、疑似視覚認識、透過表示、……構築完了、術式名を【情報】としました。思考により情報窓を呼び出します。記録されている情報の閲覧、編集、新規記録が可能です」
良く分からなかった森羅は直接真也の思考を読み取り、望んでいたものをそのまま再現した術式を構築した。真也は出来たものを早速試し、その出来の良さに踊りたくなるほど喜んだ。例えるなら、ロボ好きの前に本物を与えた時の反応だろうか。
「うん、うん。実に良い。すばらしい。これがあれば簡単に情報を読み取ることが出来る。森羅、とても良く出来ている。ありがとう」
真也は森羅の頭を撫でながら新しい機能を堪能している。森羅は無言だが嬉しそうだ。
色々試した後、真也は魔道具の設計に入る。最初はスイッチ無しで作成し、比較する。結果は合格、普通の魔石と同じ核が出来た。次は光量を記入して変化するか試す。可能。これによって光源の明るさと持続時間が反比例することが判明した。
続いてスイッチと作動している時に調光出来るか試す。可能。指定された入力による入切と設定された範囲で光量を変えることが出来た。
ここまでで分かったことは、きちんと指定すれば意図した通りに作成出来るという事だ。但しスイッチのように設定しない部分で暴走する可能性もあるので十分検証が必要だ。
実験によってある程度魔道具の作成を理解した真也は、まだ遅いと言える時間ではないがとりあえず今夜はこれまでにして、今日は一日中森の中を歩き続けたので早めに眠りにつくことにする。
次の日は太陽が昇っても森羅に起こされるまで眠っていた。頼りになる者が傍にいると、駄目人間になるのも早いのかもしれない。




