貴族ってそういうものでしょう?
──夏の眩しい日差しはよく茂った大木に遮られて優しい木漏れ日となり、フランチェスカの美しい金色の髪を照らしている。
「中庭の東側ですと、日傘が要らなくてようございますわね」
そう呟いたのは、マルグレーン侯爵の次女、ヨアンナ嬢だ。
家格が同じで領地も近いこともあり、ヒューストン侯爵家のフランチェスカとは幼い頃からとても仲がいい。
「そうね。日に焼けたらお母様が卒倒しちゃいますもの」
「うふふ、我が家もですわ。ああ、そう言えばお聞きになりました? 殿下はあの騎士爵家の娘を召し上げるおつもりだとか」
殿下とはフランチェスカの婚約者であり王太子。
次期国王である。
「ああ、ペリーナ嬢ですね。一応殿下から打診はありましたの。私が正妃なのは予定通りですけれど、ペリーナ嬢を召し上げたいと」
「まあ。婚姻前から……」
「良いのです、政略結婚ですから」
フランチェスカはそう言い、上品な笑顔を浮かべた。
もうじきお昼休みが終わる頃だ。
「さ、教室に戻りましょう。来週からは卒業試験ですから真面目に授業を受けなくては」
ヨアンナの言葉にフランチェスカは頷き、再び日傘を開き陽光あふれる中庭をゆっくりと立ち去った。
とは言え、王妃教育を済ませたフランチェスカにとって卒業試験など障害にもならない。
よって、聞き入る素振りでノートをとりながらも頭の中は今後の予定でいっぱいだった。
(良いとは言ったけれど……それは条件が整えば。現状、王太子殿下は一人っ子で交代要員はいない。ペリーナ嬢は一代騎士爵の令嬢だから、側妃にはなれない)
フランチェスカは赤ペンで授業内容を写した文面に赤線を引いた。
知っている内容でも、ノートはきちんと取っておかなくてはいけない。
提出を求められることもあるのだから。
「…………」
(良くて愛妾。それより高い身分の公妾は既婚でなくてはならない。だとしたら、提案するのは我が家に縁のある家の後妻になっていただくか、なんの後ろ盾もない愛妾か……)
殿下はおそらく悩まれるだろう。
ペリーナ嬢をどこか伯爵家以上の家格の養子にすれば、もしかしたら側妃になれるかもしれない。
が、王国の法に則って処理するなら側妃奏上の条件は正妃が男児を二人産んだ後、もしくは正妃が五年以上子を産まなかった場合に限られる。
(あんなに夢中なんですもの、五年も待てるわけがないわ)
フランチェスカは文字で埋まったノートをめくり、新しい頁にしながら考えを巡らせた。
(公妾だった場合、子が生まれれば婚家の嫡子になる。愛妾の場合は実家の籍に入れられる……側妃だとちょっと厄介ね)
側妃の子であれば、王家の籍に入り王位継承権が与えられる。
そこだけは容認したくない。
(ペリーナ嬢に永遠に子供を産ませないよう子断薬を飲ませても良いけれど……あれは非常に苦いらしいから、何かに混ぜてもバレるでしょうね)
やるならある程度自由の利く学生のうちに処理しなければならない。
(うん、子断薬はチャンスがあればでいいわ)
授業が終わり、チャイムの音と共にフランチェスカはノートを優しく閉じた。
迎えの馬車に乗り、湯浴みのあとに制服からドレスに着替える。
「まぁ、叔父様が?」
聞けば世界中を放浪している父の弟が戻ってきているという。
この叔父の話はとても面白く、フランチェスカはいつも会えるのを楽しみにしている。
夕食の席で世界各国の不思議な話を聞かせてもらい、デザートが出てきた頃──父である侯爵の合図で使用人たちが下がった。
食堂にいるのは侯爵夫妻、叔父、兄、フランチェスカである。
「で、どうなんだ? アラミス殿下は。相変わらず騎士爵の庶子の尻を追い回しているのか」
「叔父様ったら、尻だなんて……ええ、学園内でも仲良く密着しているようです」
言葉遣いに厳しい夫人が顔を顰めたので、フランチェスカは慌てて下を向いた。
「エヴァンズ一代騎士爵は婚姻前に息女をもうけたが、その後爵位を与えられ恋人と婚姻したとあるので実子なのは間違いないがね」
侯爵の補足に叔父は納得したように頷いた。
「ああ、だから庶子扱いに……」
「その後に生まれた男児は嫡子として載っているぞ」
「それで、やはりその娘を殿下は召し上げると?」
夫人の問いにフランチェスカは顔を上げ、微笑んだ。
「ええ。予定通り婚姻し、私は正妃に。ですがペリーナ嬢を手放したくはないそうですわ」
「婚姻前にこれでは、我が家が侮られるな……陛下に相談させてもらおう」
「あらお父様。私は構わないのですわ」
「そう言っておこう」
「だって、正妃になるのは予定通りですし後を継ぐのも私の産む子ですもの」
侯爵夫妻と叔父はまだ話があるようだったので、フランチェスカは挨拶をして私室に戻った。
◆
数日後、フランチェスカは婚約者と学園内の食堂で昼食をとっていた。
国王陛下の意向でそう決まったのだ。
卒業までの三ヶ月間はペリーナ嬢との接触は避け、フランチェスカと過ごすようにと。
「全面的に否定されなくてよかったのではありませんか?」
「ああ。君の家の評判もあるからね、僕が浅慮だった……卒業までの三ヶ月は君を優先するよ」
「それがよろしいかと存じます。生徒会は代替わりしてますが、まだお手伝いされているのでしょう? でしたら今まで通り、生徒会室でペリーナ嬢とお会いになれるのですもの」
「そうだな。ペリーナもそれで納得している」
「それで、卒業後ペリーナ嬢のお立場はどうなさるおつもりですの?」
「うん、僕としては側妃にと考えているのだが……」
「側妃、ですか」
「だって一度公妾や愛妾にしてしまったら、側妃には出来なくなるからね」
「殿下。側妃になさる場合、私が男児を二人産んでからになります。あと……五年ルールに関しては、我が家は白い結婚は容認しておりません」
「うん、婚約条件はちゃんと読んでるからわかっているよ」
「そうですか。であれば、ペリーナ嬢を寵愛なさるのは問題ありませんわ」
「君がそう言ってくれて助かるよ」
「ペリーナ嬢の養子先は殿下が決められますか? まだ決まってないのでしたらヒューストン侯爵家の寄子の伯爵家などいかがでしょうか」
「ああ、側妃は伯爵家以上の家格が必要だからね」
「ええ。サンバートン伯爵家でしたら、すでに成人した嫡男がいらっしゃるし、裕福で領地も王都から近くていいと思うのですけれど」
「何故サンバートンを?」
「我が家の寄子であれば、私の庇護下だと周囲が思うでしょう? ペリーナ嬢を守るには最適かと」
「……なるほど。君が認めていると周知できるということか」
「ええ。心ない攻撃から多少は守られると思いますわ」
「前向きに検討しておこう」
◆
殿下は愚かではないが、私を見誤っているわね。
(サンバートン伯爵家との養子縁組は済んでいると報告はあった。あとはそこで暮らしている間に処置をすればいいだけ)
ペリーナを排除しないのは、自分のためだけである。
下手に騒ぎ立てて不信感を持たれては困る。
彼女には私が絶対的味方だと思っておいてもらわなければ。
殿下もおおらかな私を信頼しきっているし、何の問題も生じない。
「ふふっ、貴族は貴族らしく……ね」
その後、フランチェスカはペリーナを伴い何度か孤児院や救貧院へ慰問に行った。
周囲は二人が仲良くしているのを何度も見ている。
ペリーナも穏やかなフランチェスカに気を許し始めた。
「こんなに良くしていただけるなんて」
「いいのよ。二人で殿下をお支えしましょうね」
「はい!」
──とある日。
フランチェスカとペリーナはいつものように、孤児院への慰問に行った。
そして、たまたま子どもたちが出し物を見せてくれ、その感想を話しているうちに予定時間を大幅に過ぎて帰宅は夜になった。
ペリーナの暮らすサンバートン家は少し郊外にあり、いつものようにフランチェスカが馬車で送っていく。
そして不運にも野盗に遭遇してしまった。
馬車に火が放たれ、外に出たフランチェスカとペリーナは……。
ペリーナを逃がそうと、フランチェスカは賊の前に立ち塞がった。
「あなたは殿下の大切な方。お逃げになって」
フランチェスカは侍女が身を挺して守ったおかげで打ち身とドレスが切れた程度だったが、逃げ出したペリーナは片足の腱が切れる大怪我を負った。
◆
「わざわざお見舞いをありがとうございます」
ベッドで静養中のフランチェスカは、アラミス殿下に丁重にお礼を言った。
「もう大丈夫なのかい」
「ええ、あちこちに大きな痣や擦り傷程度ですの。ですが頭を打ったので、このように寝かされているのですわ」
アラミス殿下は少し安心したように、ベッドサイドの椅子に背を預けた。
「そうか。ペリーナにも侯爵家から医師をその場で手配してくれたと聞く」
「ええ、駆けつけた家の者にペリーナ嬢のところにも医師を行かせるよう申し付けましたの。逃がしたのは良いけれど、怪我などあっては大変だと思いまして」
「……すぐに医師が来てくれたおかげで、ペリーナは足を切断せずに済んだ」
「まあ、やはりお怪我を……私のせいだわ、あの日慰問に誘わなければ──」
泣き崩れるフランチェスカを、アラミスは優しく慰めた。
「慰問はいつも行っていたことだし、君のせいじゃない。賊が落としていった指示書の切れ端ではターゲットは君だったようだからペリーナが狙われたわけではなかった」
「まあ。でしたら巻き添えにしてしまったのですね。お怪我までさせてしまって申し訳ないわ」
侍女が紅茶を淹れてくれたので、アラミス殿下はカップを手に取った。
「君が手配した医師がすぐに来なければ、ペリーナの命はなかった。それにペリーナが君が守ってくれて、逃がしてくれたと言っていたよ」
「ペリーナ嬢のお怪我はもう良くなられたのですか?」
「ああ、命の危険はないそうだ。ただ……右足を深く切っていて、今後は今までのように動かすのは無理だろうという見立てのようだ」
「まあ……」
「傷が深く、出血も酷かったようですぐ医師が来なければ間に合わない状態だったようだ」
「お気の毒に。でも、命が助かってようございました。私のことは気になさらず、どうぞペリーナ嬢を優先して会いに行って差し上げて?」
「ペリーナは君に感謝していたし、足以外は怪我もなくて……感染症を防ぐ煎じ薬だけは苦くて苦くてたまらないと文句を言うくらいには元気だよ」
フランチェスカはサイドテーブルの缶を手に取った。
「その煎じ薬、ポットで十分ほど置くのですが……私も飲まされてますの。本当にとても苦くて。ほら、香りもなんだか美味しくなさそうでしょう」
アラミス殿下は缶の中身を覗き、顔を顰めた。
「うわ、確かに酷い匂いだ……僕も落馬した時に飲まされたが、何度飲んでも慣れない」
「あら。中身は王妃様からいただいた最高級品ですのよ。なので、ペリーナ嬢にも持って行かせましたの」
アラミス殿下は缶をテーブルに戻し、頷いた。
「ペリーナは数日熱を出して寝込んでいたけれど……医者は怪我のショックと感染症かもしれないと言っていた。もしかしたらこの煎じ薬のおかげで重大な感染症を免れたかもしれないな」
「私も三日ほど熱が出ましたの。ショックかもしれませんわね」
アラミスはまた来ると言ってフランチェスカの寝室を辞していった。
(ペリーナ嬢のところには何度も行ってらっしゃるのね……もう充分飲んでらっしゃるし、薬は早々に交換しておいて良かった)
子断薬は通常五回飲めばしっかり効く。
一日三回、三日も飲めば間違いないだろう。
飲んでいる間は熱が出るが、多く飲ませたところで毒になるわけでもない。
ペリーナは値の張る王家御用達のこの煎じ薬を飲んだことがないので、苦い中に別の苦さがあることに気が付かない。
薬はペリーナの部屋で管理していないので目に付くことも無いが、既に交換されているので殿下が持ち帰っても問題はない。
「まあ、私は熱など出ていないのですけれど」
フランチェスカは薬の入った美しい缶を眺め、天使のような微笑を浮かべた。
◆
とある夜。
卒業間近のフランチェスカは、侯爵の執務室で今後の予定の打ち合わせをしていた。
「卒業パーティでは殿下は私をエスコートなさるそうです」
「当然だろう。婚約者なのだから」
「あら。一応殿下にはペリーナ様をエスコートしてもいいと言ってあったのですよ、襲撃前にですけれど」
「あの娘、杖がなくては歩くこともままならんと聞いたぞ」
フランチェスカはにっこりと笑い、父親に頭を下げた。
「お父様の私兵は完璧でしたわ」
「ふん。お前は甘い。消してしまったほうが早かったものを」
「そうなっては殿下が疑うかもしれませんでしょう? 足を深く傷つけるように言ったのは、公式行事に出られなくするためだけですもの」
「公式行事にも参加できない側妃か……議会が承認するとは思えんな」
「ふふっ、通っても子もなせませんしお飾りになってしまいますわね? ペリーナ嬢は活発な方だったのに残念です」
「まあいい、落とさせた紙切れで狙われたのはお前になっているからな」
侯爵家は多大なお見舞いをペリーナの生家の騎士爵家とサンバートン伯爵家に送っている。
当主たちとペリーナ本人から感謝の手紙が最近届いたばかりだ。
フランチェスカは私室に戻り、姿見に映る自分を眺めた。
抜けるように白い肌。
手足の長い肢体は程よく肉感的で美しい。
黄金のような髪も豊かで、絵画のように整った小さな顔を華やかに彩っている。
「王城の部屋に飾るなら、野花より美しい花でしょう」
(おそらく側妃奏上は通らない。でも、その時になれば私はペリーナを推薦してあげるわ。殿下が五年後もまだペリーナを寵愛していたら……ね?)
愛し合っている二人を引き離せば、私が悪者にされかねなかったのだもの。
なら、二人はそのままにしておいて私は正妃としてしっかり足場を固めておかないと。
ペリーナが運よく側妃になったところで、使用人を差配するのは王妃たる自分なのだ。
多少冷遇したところで、最低限の人員を配していれば文句の出ようもないだろう。
虐めるつもりは毛頭ない。
ただ、取るに足らない存在になっていただいただけ。
(叔父様からいただいた、無味無臭の毒薬の出番はもうないかもしれないわね)
フランチェスカはもう一度鏡を見た。
紫水晶を埋め込んだような、美しい大きな瞳が見返してくる。
殿下は私を本当に見誤っている。
どこの世界に婚姻前から愛人を持つ男に何も思わない人間がいるというのか。
政略結婚なのだから、目を瞑るのは私の厚意に他ならないのだ。
愛情などは求めないし、愛する気にすらなれないのはお互い様だけれど。
もとより王家から持ち込まれた縁談で、私が好んで王家に嫁ぐわけじゃないのだから。
フランチェスカはそっと指を鏡に這わせた。
「貴族ってそういうものでしょう?」
フランチェスカの独り言は、侯爵家の豪奢なカーテンに吸い込まれていった。




