第20話 判断が止まる場所
異変は、音もなく始まった。
三層の作業は、規定どおり進んでいた。
人数、装備、滞在時間。
すべて、帳簿に収まる範囲。
「……数値、問題なし」
管理官が告げる。
それを聞いて、誰もが頷いた。
四層。
通過層として使われる場所。
滞在は禁止。
素材回収も禁止。
ただ、通るだけ。
「……空気、少し重くないか」
作業者の一人が、低く呟いた。
だが、その言葉は記録されない。
規定項目ではない。
五層手前。
以前なら、誰かが足を止めていた場所だ。
だが今は違う。
「数値は?」
「問題なし」
「魔力計測、正常域」
だから、進む。
作業者の一人が、眉をひそめた。
「……嫌な感じがする」
言葉にした瞬間、
周囲の視線が集まる。
「規定外だ」
管理官が、淡々と言った。
「異常が数値に出ていない」
「でも……」
「続行」
それ以上、議論はなかった。
議論する権限がない。
通路の奥で、
壁が、わずかに軋んだ。
揺れではない。
崩落でもない。
前兆だった。
「……報告します」
管理官が、通信符を取り出す。
「王都管理局へ」
返答は、すぐには来ない。
待つ。
作業者たちは、立ち止まったまま。
戻る判断は、
管理官単独ではできない。
その時。
床に、小さな亀裂が走った。
「……来るぞ」
誰かが叫ぶ。
だが、声は掻き消された。
「撤退許可を――」
管理官の声が、震える。
だが、返答はまだない。
壁が、崩れた。
大規模ではない。
即死するほどでもない。
だが、十分に危険だった。
「下がれ!」
誰かが叫び、
作業者たちは我先に引き返す。
規定を破って。
全員、生還。
怪我人は一人。
軽傷。
数字上は、
事故ではなかった。
地上。
報告を受けたエルナは、顔色を変えた。
「……なぜ、戻れなかったんです」
管理官は、俯いたまま答える。
「許可が、なかった」
その言葉に、
部屋が静まり返る。
アルノルトは、報告書を読んでいた。
そこには、こう書かれている。
規定逸脱なし
重大事故なし
管理不備、確認されず
紙の上では、完璧だった。
「……誰が、判断した」
アルノルトは、静かに問う。
管理官は、答えられなかった。
夜。
作業者の一人が、ぽつりと漏らす。
「前は……
戻ってよかったのにな」
誰も、否定しなかった。
アルノルトは、はっきり理解した。
この管理は、
人を守るためのものだ。
だが同時に。
「……人を、
待たせる管理だ」
その日、
誰も死ななかった。
それが、
一番怖い事実だった。
迷宮の奥で、
魔力が、重く滞る。
まるで――
判断を、待っているかのように。
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