39 雪解けの声
「ルシアン」
ストーブの前で手をかざしていたルシアンは、呼ばれて顔を上げた。
整髪料で整えた金の短髪。外部調査局特別調査官の深いオリーブグリーンの制服。
“いつもの彼”の姿を、法務官室に戻ってきたエドガーは静かに見つめた。
扉口に立ったまま、エドガーはゆるやかに指を組む。
「なんだ?」
「君に会いたいと言う人が来ている」
ルシアンの眉が僅かに寄る。
「俺に? ……しかも、ここにか?」
エドガーは小さく頷いた。
「君が会わないのなら、それで構わない。帰ってもらうよ。
――どうする?」
書架に並ぶ裁定集や書類ホルダーがきちんと並び、影を落とす。窓からの薄い光が机を白く染めていた。
外では雪がしんしんと降っている。
沈黙のなか、二人の息遣いだけが落ちていた。
「……誰だ?」
静かな群青が彼を映す。
「マリエル・エーレン」
ルシアンの琥珀の瞳が揺れた。拳がわずかに固まる。
「君に、どうしても謝罪したいそうだ」
ルシアンは視線を落とした。
エドガーは小さく息を吐き、囁いた。
「正直に言えば……僕はその謝罪に価値を見出せない。
だけど―― 一言くらい、罵ってきたらどう?」
ルシアンはぽかんと目を瞬かせ、遅れて吹き出した。
「それ、“法務官”の言うセリフじゃないだろ」
「法務官として言ったんじゃない。
――“友人”として言ったんだよ」
少しの沈黙。
ルシアンは額に手をあて、深く息を吐いた。
「……会いに行く」
「分かった。応接室で待ってもらっている。案内するよ」
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裁定院二階。
暖炉に火が入ったばかりの応接室はまだ冷たく、テーブルの紅茶はもう湯気を失っていた。
白漆喰の壁。最小限の装飾。
深い藍色のソファに、マリエルは身を縮めるようにして座っていた。
深緑のワンピースは彼女の一張羅のはずだが、この荘厳な建物のなかではどこか頼りなく見える。
ノック。扉が開く。
マリエルは反射的に立ち上がった。
絹が擦れる音が、やけに大きく響いた。
金ボタンが光るオリーブの制服。
ルシアンはしばし彼女を見つめ、それから何も言わず正面のソファに腰掛けた。
「遠かっただろう?」
懐かしい声。
マリエルは息を呑んだまま座る。
「あの……ルシアン、私……」
「もう、五歳か?」
ルシアンの琥珀の瞳は静かだった。
暖炉の火が爆ぜる小さな音。橙の光がその横顔を照らす。
マリエルは膝の上で手を握りしめた。
「……そうよ。もう五歳。
――あなたが“戦死した”って聞かされたの。だから私は……」
言葉が震える。
琥珀の瞳は、静かにその言葉を受け止めた。
かつての無鉄砲で明るい青年ではない。多くのものを背負い、変わった目だ。
「……ごめんなさい」
涙がひと筋、落ちた。
「ごめんなさい。ルシアン……
本当に……私が愚かだった……」
「マリエル」
掠れた声が落ちる。
「俺は……お前の謝罪を受け入れない。
裏切られた事実は変わらないからだ」
マリエルは唇を噛み、静かに頷いた。
「だが――」
ルシアンは小さく息を吸う。
「幸せになってくれ」
マリエルは息を呑んで顔を上げた。
そこにあったのは、かつて愛した誠実さと優しさをそのまま宿した、澄んだ琥珀。
ルシアンは立ち上がり、それ以上何も言わず、部屋を去った。
窓の外では雪が降り続けている。
暖炉の橙光が白い壁に揺れ、残されたマリエルは声を殺して泣いた。
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廊下に出ると、腕を組んで待っていたエドガーが小さく微笑んだ。
「……格好つけちゃって」
ルシアンは苦笑した。
「エドガー……。
ありがとう」
エドガーはただ静かに笑った。
その瞳に映るルシアンは、少しだけ穏やかに見えた。
「これでやっと……俺の戦争は終わった気がする」
エドガーは彼の背にそっと触れた。
「さぁ、仕事に戻ろう」




