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33 雪霧のなかの邂逅


 町の中央にある小さな市場は、雪の早朝でも細々と開いていた。

 木の屋台に積もった雪を商人たちが払い落とすと、霧の中に白く散った。


 並んでいるものは華やかさの欠片もない。

 干し肉、燻製の魚、塩漬けの獣肉、乾燥野菜。湿地で採れた薬草。

 手編みの手袋や帽子など、どれも“生きるための品”ばかり。


 鉱夫たちの重いブーツが雪を踏み、白い息が方々に立ちのぼる。

 霧が濃く、数歩先が滲んで見え、市場全体がぼんやりと夢の中の風景のようだった。


 二人は大きな鞄を抱えて、駅舎へ向かっていた。

 無言のまま歩いていたエドガーが、ふいに足を止める。


「……ルシアン。先に行っててくれるか?」


 振り返ったルシアンは、訝しげに眉を寄せる。

 短い金髪に雪の結晶がいくつも光っていた。


「何をする気だ」


「最後だから、少しだけ。

 もう僕がここに来ることはないだろう」


 ルシアンは息を吐き、エドガーの鞄をひったくった。


「じゃあ荷物は預かる。……気をつけろよ」


「ふふ。本当に君は面倒見がいいな」


 ルシアンは肩を揺らし、駅舎へ姿を消す。


 エドガーは視線を市場へ戻し、ゆっくり振り返った。

 広場は霧が多くとも見晴らしがよく、視線が多い。

 それでも、彼は静かに微笑んだ。


「何か御用ですか?」


 屋台の影から、女性がこちらを伺っていた。

 深緑の古いコートの胸元を押さえ、灰色の毛糸のスカーフが風に揺れる。


 実用性のためだけに選ばれた服装。

 その一方で、袖口だけは丁寧に縫い繕われていた。


 エドガーが手招くと、女性は一度頭を下げ、小走りで近づいてくる。

 頬は雪に焼けて赤く、髪は赤茶に近い茶色。束ねた毛先に雪が溶けて光った。


「あの……以前、ルシアンと一緒にいた方ですよね?」


 震える声。

 胸元を押さえる指先が、手袋越しに強張っているのが分かる。


 エドガーはわずかに目を伏せた。


「ええ。何かお話でも?」


 群青の瞳に見つめられ、女性は肩を小さく震わせた。


「わ、私は……マリエル・エーレン。

 この町の学校で、教えています」


「……そうですか」


「昔……ルシアンと……」


「聞いていますよ」


 マリエルは唇を噛んだ。


「私は……最低です。

 ルシアンが戦死したと報告を受けて……別の人と結婚しました。

 でも……彼は帰ってきた」


 エドガーは静かに言う。


「それを私に話して、どうするおつもりですか。

 私は貴女を知らない。

 戦時中のこの地の事情も知らない。

 労うことも、責めることも、どちらもできませんよ」


 マリエルは目を閉じ、大きく頷いた。


「……謝りたいんです。

 どうしても、ルシアンに」


 エドガーの視線が、彼女の腰の帯に向く。

 実用一点張りの結び──軍人の婚約者らしい名残。


 そして袖口の丁寧な補修。

 辺境で必死に生きてきた時間が滲んでいた。


 エドガーは顔を上げ、正面から彼女を見る。


「彼が、それを望むとは思えません。

 その謝罪は……彼のためではなく、貴女が楽になりたいからでは?」


「それでも……ケジメをつけたい。

 自己満足だとしても」


「残念ですが、時間がありません。

 私たちは汽車に乗らないといけない」


 エドガーは市場全体を一瞥した。

 都会の人間──その象徴のような彼は、嫌でも注目を集める。


「私は貴女を歓迎しません。

 ――それでも来る覚悟がありますか?」


 マリエルの瞳に、震えながらも強い光が宿った。


「行きます。必ず」


 エドガーは小さく息を吸い、静かに頷く。

 

 感じる多くの視線。


 ――レンドール侯よ。貴方も僕を見ているか?


「私は、王立裁定院法務官、エドガー・レイブンズ。

 王都オルドンにいます。

 ――逃げも、隠れもしません」


 マリエルは迷いなく手袋を外し、手を差し出した。


 エドガーも革手袋を外し、その手を取る。


 辺境の女性の手。

 荒れ、強く、温かかった。


「……ありがとうございます」


 深く頭を下げる彼女に背を向け、エドガーは手袋を戻す。


 ――王都オルドンへ戻るために。




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