23 二重に秘匿された道標
音がしない。
二重窓の向こうで雪が落ちる。
暖炉は時折、火の芯が細く爆ぜるだけで、橙の光は静かに呼吸しているようだった。
扉の外では宿の主人や旅人の気配がわずかに揺れるが、この部屋だけがぽっかりと切り取られたように静かだった。
自分の呼吸音だけが、妙に大きく響く。
ルシアンは聞き込みへ。
エドガーは一人で、灰羽隊駐屯地跡で見つけた紙片の“暗号”と向き合っていた。
部屋に備え付けの小さな机では手狭で、持ち込んだ資料の多くはベッドにまで広げられている。
紙片を机に置き、指先で凍りついたような文字をなぞる。
《FW–N11:ARA/GNA–3:EID》
「……“ARA”と“GNA”。
古アルストリア語の音に近いが、単語としては成立しない。
おそらく、単語の“断片”……」
古語辞典を開き、窓からの淡い雪光でページが白く照らされた。
「“ARA”は古語で『端』『境目』。
“GNA”は『雪』『白いもの』を意味する語根……。
だが、これでは文にならない」
地図を取り出し、机に広げる。
「地名かもしれない。“Ara-”で始まる集落……。
“Gna-”で始まる高地の記録も、旧地図には残っている」
手帳に走り書きを落としている途中、ふと指が止まった。
「あぁ、そうか。……“EID”。これは旧式の“移動指令コード”の語尾だ」
エドガーは身を乗り出し、ベッドの資料の山を探る。
以前に取り組んだ戦時中の未払い調査の際、取り寄せていた旧コード一覧が見つかった。
「……あった」
表を開き、紙片を照らし合わせる。
「“ARA”=旧軍コードで『補給線の端』……。
“GNA”=『高地区画』……。やはり古い軍用区画の表記だ」
すべてを机に並べ直し、静かにまとめていく。
「“FW–N11:ARA”
→ フェルンウォルド北区画N-11。補給線の終端。
“GNA–3:EID”
→ 高地区画G-3へ移動せよ」
北区画N-11――古い鉱山路。灰羽隊駐屯地があった位置と一致する。
「……灰羽隊は“捨てられた区画”に隠されていた。
そして、必要がなくなった瞬間、切り捨てられた……」
かすかに息が震えた。
資料を重ね、旧地図の上に置く。
「高地区画G-3の“正確な位置”は……古い文献でも曖昧だ。ここから先は、ルシアンの経験に頼るしかないな」
ペンを置き、紙片を持ち上げて光に透かす。
「……しかし、この暗号は古語として読んでも意味が通る」
紙片をもう一度見つめる。
「ARA=境界、GNA=雪の地。
つまり“境界の雪地”……。
地図上にも、軍用コード上にも一致する“二重の意味”になっている」
古語・地名・軍事コード。
いずれも齟齬がないように重ねられている。
「こんな“二重構造の暗号”を自然に書ける軍人は……昔からほとんどいない」
静かに息を吸う。
思考が、ひとりでに一つの名へと収束していく。
「語学、暗号、旧時代の文献……すべてに通じた高官。
……レンドール侯、なのかな」
確証はない。
だが紙片から漂う冷ややかな知性は、彼をどうしても思い起こさせる。
雪の降り続く音のない部屋で、エドガーだけがかすかに息を吐いた。




