22 静かな出会いの夜に
今から三年ほど前――。
王都オルドンの裏通りにある、静かなバー《ハロウズ・エンド》。
マスターは無口な元軍人で、妙に居心地のいい店だった。
辺境にはない、洒落た空気。
磨かれたカウンター、落とされた照明。
客は皆、静かに飲む。
俺はほぼ毎晩、そこへ通っていた。
「やぁ。君は昨日も飲んでいたね。隣、いいかい?」
声の方を見ると、丸みのある体型に茶色のコートを羽織った紳士が立っていた。左側頭部に立派な寝癖。どう見ても、うだつの上がらなそうな役人風の男。
「……どうぞ」
「ありがとう」
にこやかだが、その瞳だけが鋭くて、観察してくる。
“只者じゃない”と思ったが、この時点で俺が何に巻き込まれるかは想像もしていなかった。
紳士は天気の話や、駅の茶店のパイが美味いだの、取るに足らない話しかしない。
だが、気づけば毎晩のように隣にいて、一緒に飲むようになった。
そういえば名前も知らないな、と、ある日尋ねた。
「私に興味を持ってくれたかい?」
失敗したと思った。
「君は体格がいいね。軍人あがりかい?」
「えぇ……まぁ」
「今は仕事を探している?」
「……そろそろ、考えないととは思ってました」
その瞬間、男の瞳が輝いた。
“これは逃げられない”と直感した。
「私はマルコム・ヘインズ。王立裁定院で上級法務官をしている。
――君、特別調査官にならないか」
「特別調査官?」
「裁定案件の証拠収集や現場調査を担う部署の職員さ。独立した裁定権はないが、それなりの権限が与えられる。給料も悪くない」
「なぜ俺を?」
「話していて、いい男だと思ったからね。観察力もある」
胡散臭い。
だが続けて彼は言った。
「実はね、私が可愛がっている非常に優秀な青年が、史上最年少で法務官になるんだ。
彼の補佐を、誰か良い人間に頼みたくて」
「それこそ、経験豊富な調査官とかじゃなくて?」
「まぁ、普通はそうだが……」
この親父、何か隠している。
「すごく変わり者なんですか?」
「悪くないよ。賢いし穏やかだし、人当たりも良い。立派な紳士だ」
にこにこ笑いながら、寝癖をいじるマルコムさん。
ため息をつきつつ、その“史上最年少”に会ってみることにした。
---
翌日、《ハロウズ・エンド》に行くと、マルコムさんの隣に黒髪の若い紳士がいた。
深い青のフロックコート、刺繍入りのウエストコート。
高く結ばれたクラヴァット。
背に流れる長い青黒髪。
完璧な都会の紳士。
「はじめまして。エドガー・レイブンズと申します」
ゆるやかに頭を下げ、上げたとき――群青の瞳が柔らかく細められた。
……卒がなさすぎる。
何を考えているのか分からない。
これで二十五?
中身は爺さんじゃないのか?
俺の表情を見たのか、彼は口角を上げた。
こいつ……俺を試しているのか?
――なんて生意気な男なんだ。
---
結局、俺はエドガーの下で調査官をすることになった。
「ルシアンさん、申し訳ないですが、また一から調べてもらえませんか?
この案件、違和感があるのに、正体が掴めなくて」
――“一から”!?
――“違和感”!?
――どれだけ人を走らせれば気が済むんだ、この男は!!
---
……なのに。
「君には期待している」
そう言われると、不思議と応えたいと思うようになった。
群青の瞳が燃えると、一緒にワクワクしてしまう。
---
暖炉の火がゆらりと揺れる。
羽布団にくるまったエドガーが、欠伸を噛み殺しながら暖炉を見ている。
「いつの間にか、飼いならされちまったな……俺は」
「何の話?」
「なんでもない。もう寝ろ」
「うん。おやすみ」
エドガーはあっという間に眠りにつく。
指の間の煙草は、いつの間にか短くなっていた。
……明日も調査だ。




