19 雪に埋もれた記憶
風が吹くたび、森全体がざわりと揺れる。
枝に積もった雪がぱらぱらと落ち、霧の奥に溶けて消えていった。
宿の小さな馬車に揺られながら、二人はフェルンウォルドの森の木道を進む。
どちらもほとんど言葉を発さない。エドガーは寒さに身を縮め、ルシアンは木々の合間を落ちてくる雪を、何かを確かめるように眺めていた。
やがて、宿の主人が言っていた通り馬車道は途切れた。
二人は馬車を降り、雪深い森の中を歩き始める。
「ここから先は歩きだ。気をつけろ」
「わかった……」
雪を踏む音。ときどき上からトサッと落ちる雪の音。
生き物の気配をほとんど失った、息の詰まるような静寂。
針葉樹の並木を縫うように進むと、見渡す限り木と雪だけの世界が続いていた。
ルシアンも無口だった。
この地では、記憶が雪の下から顔を出す。歩調が、気づけば速くなる。
ふいに、彼は目を閉じて小さく首を振った。
そしてまた、歩き出す。
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ルシアンは皮肉屋で、寡黙なタイプではない。
出会って三年。それなりにエドガーとは気安い関係だ。
だが――
軍時代の話だけは、今まで一度も聞いたことがなかった。
エドガーはそれを尋ねてみたこともない。
“触れていい領域ではない”と、直感で分かっていたからだ。
――“昔、俺が率いてた部隊が襲撃された。軍を辞めたのはそのせいだ。あの時、多くを失った。”
彼が失った“多く”が何なのか。
それは、今日もやはり聞くべきではない。
エドガーはただ、彼の背を追い、雪を踏むだけだった。
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ルシアンはふと振り返った。
昔の記憶に引きずられ、気づけば歩調が速くなっていたらしい。
後ろから追ってくるエドガーは、息が上がっている。
都会育ちには、骨に染みる寒さと深い雪は厳しいはずなのに、弱音を吐かない。
賢さばかりが目立つが、根性もある。
実際、根性がなければ裁定院の法務官は務まらないだろう。相手は厄介な連中ばかりだ。
出会った頃――彼は二十五歳で法務官になったばかり。
第一印象は、
“なんて生意気な男なんだ”。
その記憶を思い出し、ルシアンはふっと笑った。
エドガーは鼻を真っ赤にしながら顔を上げ、少し首を傾げて微笑んだ。
ルシアンはまた進む。
少し歩いては振り返り、遅れた彼を待ち、また歩く。
二人とも何も言わなかったが、それで十分だった。
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針葉樹の間を抜けると、そこに“それ”はあった。
何年も放置された木造兵舎。
屋根は半ば沈み、雪の重みで軋みを上げている。
壁板は色を失い、黒い影のように傾いていた。
入口にあったはずの部隊番号の金属板は外され、跡だけが残る。
玄関扉は外れ、風が吹くたびにかすかに揺れた。
覗いてみれば、中は雪と枯葉が床一面に積もり、掲示板には釘跡だけ。
命令書も連絡票も、もう何も残っていない。
急ごしらえで使われ、そして急に“捨てられた”場所。
使い捨てられた部隊の最後の痕跡が、凍てついた空気の中にひっそり横たわっていた。
ルシアンはそこで立ち止まり、膝に手を置いた。
仲間たちの声が、森の風と混ざり合う。
思考が雪の底へ沈みかけた瞬間、隣に白い息が立った。
やっと追いついたエドガーが、彼の隣に立つ。
「着いたね」
「……そうだな」
一人で来なくて良かった――
ほんの少し、そう思った。
遠い記憶にはいない誰かが、今は確かに、彼を現在へ引き戻してくれている。
「何かないか、探そう」
「……あぁ」




