17 帰らぬ故郷
ガス灯がかすかに揺れ、車輪がレールを刻む音が規則正しく響いていた。
石炭の煤の染みついた木床。蒸気と薄い煙草の匂いが混じり合い、くすんだ空気にわずかな温もりを与えている。
車窓の向こうでは、雪原が淡く光り、その反射がルシアンとエドガーの横顔に交互に揺れて落ちていた。
向かい合わせの四人席に腰を移してから、二人はしばらく言葉を交わさなかった。
色褪せた葡萄色の座席は硬く、静けさだけが流れていく。
「……あの、エドガー」
外を見ていたエドガーがゆっくりと群青の瞳を向ける。
「うん?」
「……何故ここに?」
「君が行くと言ったから」
「裁定院はどうした」
「マルコム卿が休暇をくれたよ」
「……何故、休暇を取った」
「フェルンウォルドに行くために」
「何故お前がフェルンウォルドに行く必要がある」
「君が行くと言ったから」
エドガーはすっと姿勢を正して向かい合い、穏やかに微笑んだ。
「僕の調査官は、やんちゃでね」
ルシアンは言い返そうとして、結局うなだれた。
「……お前こそ、どうしようもないわからず屋だ」
エドガーは胸元に軽く手を置きながら、ふと思いついたように続ける。
「それより。下宿先のマッケンジー夫人に相談して、こういう服を買ったんだ。慣れなくて……変じゃないかな?」
ルシアンは改めて彼を見る。
いつもの上質なフロックコートも、整えられたクラヴァットもない。
代わりに、粗い織りのジャケットと汚れの目立たぬスモークブルーのズボン。
革靴ではなく短靴とゲートル。完全に“辺境を歩く者”の格好だ。
だが――。
「……なぜだろうな。服も靴も辺境向きなのに……お前は都会の空気が抜けない」
エドガーは僅かに目を瞬かせた。
「そうか。……難しいものだな」
真面目に裾を直す姿に、ルシアンは思わず吹き出した。
汽車が北東へ向かうにつれ、窓外の世界はゆっくりと色を失っていった。
白でもない。灰でもない。
“無音の森の色”――フェルンウォルド特有の幽暗な景色が、車窓いっぱいに広がっていく。
地平を埋め尽くす針葉樹は、本来は深い緑のはずなのに、霧が全てを覆い、青黒い影と化していた。
湿地は雪に閉ざされ、凍りついた水面が鈍い鏡のように光り、倒れた幹が白霧の中にぼんやりと横たわっている。
汽車が停まり、二人は並んでホームに降り立った。
その瞬間、ルシアンは息を止めた。
――帰ってきた。
しかし、胸の奥で別の声が囁く。
ここはもう“帰れる場所”ではない。
細かい雪が針のように舞い、曇天の闇に溶けていく。
ルシアンの琥珀の瞳も、その曇天を映して揺れた。
エドガーはその横顔にそっと手を添えるように、背へ軽く触れた。
「行こう。……寒い」
ルシアンはわずかに笑った。
「……そうだな」
横目で見ると、本当に寒さに弱そうな男が震えているのがわかる。
「ここは、都会と違って骨に染みる寒さだろ?」
「……うん。すでに後悔してる」
その言葉にルシアンは、久しぶりに心から笑った。
ここへは帰ってきたのではない。
――真実を追って来たのだ。
そう思い直し、ルシアンは前を向いた。




