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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
泥沼の運び屋と、壊れた味覚

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第98話:ドロシー婆さんのアイアン・マザー号



ガガガガガガガガガッ!!


視界がシェイクされている。

脳味噌が頭蓋骨の中でピンボールのように跳ね回り、三半規管がストライキを起こしてデモ行進を始めている。

ここは地獄のミキサーの中ではない。

泥沼の悪路を爆走する、センター要塞の船内だ。


前方を走るドロシー婆さんの『クイーン・コング号』は、キャタピラで泥を巻き上げながら突き進むが、牽引されている我がセンターには、その余波と振動がダイレクトに伝わってきていた。

震度で言えば常時5強。

普通の人間なら舌を噛んで気絶するレベルの振動だ。


だが、俺、黒鉄ジンは無事だった。

いや、これを「無事」と呼んでいいのかは、哲学的な議論が必要になるだろう。


「……おい。誰か答えてくれ。今の俺は、一体どういうカテゴリーに分類されるんだ?」


俺の声は、くぐもっていた。

なぜなら、俺の顔面以外の全てが、透明なビニール素材で幾重にも覆われているからだ。

気泡緩衝材。

通称、プチプチ。

ホームセンターでロール売りされているアレが、今の俺の衣服であり、皮膚であり、拘束衣だった。

俺は椅子に座っているのではない。

ネオンが開発した『多軸防振サスペンション付き台車』の上に、ミノムシのように直立不動で固定され、さらにマシロの念動力によって、床から数センチ浮遊させられていた。


「喋らないで、ジン! 顎関節がくかんせつがズレるわ!」


マシロが悲鳴のような指示を飛ばす。

彼女は俺の周囲を衛星のように旋回しながら、浮遊状態を維持することに全霊力を注いでいた。

その目は血走っている。

「揺れは敵だ。振動は殺意だ」とブツブツ呟くその姿は、爆発物処理班よりも張り詰めていた。


「いや、喋るわ! なんだこの姿は! 俺はアマゾンの倉庫から誤出荷された精密機器か!?」

「精密機器よりも繊細よ! 今のあなたの背中は、ジェンガで言えば一番下の段がウエハースになってる状態なの! くしゃみ一つで崩壊するわ!」


ピコが横から割り込んでくる。

その手には、赤ん坊が咥えるようなゴム製の器具が握られていた。


「マシロ姉、口論してる暇はないわ。ほら、ジン。口を開けて。特製マウスピースよ。これを噛んでおけば、振動で舌を噛み切るリスクが98%軽減されるわ」

「おしゃぶりじゃねーか!! 三十路のおっさんにバブみを感じてどうすんだ!」

「バブみとか言ってる場合!? いいから咥えなさい! さもないと、物理的に顎を固定するわよ!」

「ネオン! お前からも何とか言ってやれ!」


俺は最後の砦であるネオンに視線を送った。

彼女なら、この非科学的な過保護地獄に冷静なツッコミを入れてくれるはずだ。


「……ボス。安心してください」


ネオンは、台車のモニターを見ながら親指を立てた。


「現在、ボスの周囲の空間加速度はゼロに保たれています。この梱包材プチプチは、私が開発した『対衝撃・形状記憶ポリマー』です。たとえセンターが爆発しても、ボスだけは無傷で成層圏まで射出される設計になっています」

「俺だけ生き残ってどうすんだよ! 孤独死確定じゃねーか!」


俺は天を仰いだ。

ビニール越しの視界の向こう、窓の外では、ドロシーのトラックが泥の海を切り裂いて暴走しているのが見える。

排気ガスを撒き散らし、障害物を粉砕し、野生動物のように荒々しく進むその姿。

それに比べて、今の俺はどうだ。

プチプチに巻かれ、台車に乗せられ、おしゃぶりを強要されている。


(……殺してくれ。いっそ殺してくれ。この過保護地獄より、あの暴走トラックに轢かれる方がマシだ……)


俺が管理者としての尊厳を完全に失いかけた、その時だった。

センター内のスピーカーから、ガリガリというノイズと共に、ドロシーのダミ声が響き渡った。


『――おいクソガキども! 聞こえてるか!』


通信が入った。

俺は救世主の声を聞いた気分だった。


「ドロシー! 助けてくれ! 俺は今、家族という名の軟禁施設にいる!」

『ああん? 何言ってんだい。飯の時間だってよ。こっちに移ってきな! ウチの『母ちゃん(マザー)』が、客人に顔を見せろとうるさくてね』

「移る!? この揺れの中でか!?」


マシロが即座に反応する。


『鎖の上にゴンドラを出してやる。さっさと来な。……もっとも、タマ無し野郎はそこで指くわえて見てな!』

「行くに決まってんだろ!!」


俺は台車ごと叫んだ。

ここにいたら、俺は「保護されたまま腐る」ことになる。

どんなに危険でも、あの鉄屑の魔女の元へ行かねばならない。

これは生存本能だ。


「マシロ、俺を運べ! これは業務命令だ!」

「で、でも……!」

「プチプチのままでいい! 台車ごと浮かせろ! お前の念動力ならできるだろ!」


マシロは唇を噛み、数秒の葛藤の末、覚悟を決めたように頷いた。


「……分かったわ。絶対に落とさないから! ネオン、ピコ、援護して!」


 

移動は、まさにサーカスだった。

暴風雨のような泥飛沫が舞う中、センターとトラックを繋ぐ極太のチェーンの上を、ゴンドラが滑っていく。

その中には、直立不動でプチプチに巻かれた俺(台車付き)と、必死にそれを支えるマシロたちの姿があった。


「ヒャッハァァァ! 来たねえ、命知らずども!」


トラックの助手席側のドアが開く。

俺たちは、転がり込むようにしてドロシーの城へとお邪魔した。


そこは、コックピットというよりは、巨大生物の「体内」と呼ぶ方が相応しかった。

錆びついた鉄板の床。

計器類の隙間からは、コードではなく、赤黒い「血管」のようなパイプが這い回り、ドクン、ドクンと脈動している。

天井からは油と粘液が混ざった液体が滴り落ち、生臭い熱気が充満していた。

そして何より異様なのは、ハンドルの中心、ホーンボタンがあるべき場所に埋め込まれた、バスケットボール大の「眼球」だ。

ギョロリとしたその目玉は、忙しなく動き回り、車外の状況と、乗り込んできた俺たちを交互に睨め回している。


「な、何これ……!?」


ピコが悲鳴を上げて後ずさる。

ドロシーは葉巻を咥え直しながら、愛おしそうにハンドル(眼球)を撫でた。


「紹介するよ。こいつがアタイの相棒、『アイアン・マザー号』だ。ダンジョンの遺失物と、モンスターの核を融合させた『ゴーレム・トラック』さ」


生物と機械の融合。

禁忌の技術だ。だが、このB4Fでは、生き残るために使えるものは何でも使うのがルールだ。


ドロシーは、プチプチ巻きになって台車に固定されている俺を見ると、腹を抱えて爆笑した。


「ギャハハハハ! なんだそのザマは! ミイラ男のコスプレか!? それとも、これから自分自身を宅急便で送りつけるつもりかい!?」

「笑うなクソババア……。これが俺のチームの『愛』の形らしいんだよ」

「愛ねぇ! 重すぎて胃もたれするわ! 過保護な幽霊に見張られて、まるで籠の鳥だねえ、ジン!」


マシロがムッとして反論する。


「笑わないでください! ジンの背中は今、振動ひとつで崩壊しかねないんです! 私たちは、万全を期して――」

「はんっ。男はなぁ、傷の一つや二つあった方がモテるんだよ。無傷の男なんざ、値札のついた新品の革靴と一緒だ。味も素っ気もありゃしない」


ドロシーは鼻で笑うと、ハンドルの目玉に向かって声をかけた。


「おいマザー。挨拶しな。アタイの可愛い弟分とその保護者たちだ」


すると、スピーカーからではなく、車体の鉄板そのものを震わせて、不気味な合成音声が響いた。


『……ウ、マ……ソウ……ナ、肉……』

「食欲じゃねえか!!」


俺のツッコミが響き渡った瞬間、マザー号の眼球がカッと見開かれた。

同時に、ドロシーの顔つきが変わる。

獲物を見つけた猛禽類の目だ。


「おっと、無駄話はそこまでだ。……来るよ」


ドロシーが指差したフロントガラスの向こう。

泥の海が、不自然に波打っていた。

何かが来る。

泥飛沫を上げて迫ってくるのは、無数の背びれだった。

サメだ。

だが、海にいるようなスマートな流線型ではない。

泥と土塊で構成された皮膚を持ち、岩をも噛み砕く鋸状の歯を持つ、B4Fの原生生物『マッド・シャーク(泥鮫)』の群れだ。

その数、三十体以上。


「敵性反応多数! シールド展開……間に合いません! 装甲を食い破られます!」


ネオンが叫ぶ。

通常の車両なら、タイヤを食いちぎられて立ち往生し、そのまま集団リンチに遭って終わりだ。

だが、このトラックの運転手はドロシーだ。

彼女はブレーキを踏むどころか、さらにアクセルを踏み込んだ。


「ちょうどいい、燃料が切れかけてたところだ。……いただきまァす!!」


ドロシーが真鍮製のレバーをガチャンと引く。

ガギョンッ! と重い音がして、トラックのフロントグリルが上下に割れた。

そこに出現したのは、鋭利な金属の牙が並ぶ、巨大な「あぎと」だった。

捕食形態。

トラックそのものが、巨大な肉食獣へと変貌する。


「うおらぁぁぁぁぁ!! 噛み砕け、マザーッ!!」


ズドォォォォォン!!

激突の瞬間、トラックはサメの群れを撥ね飛ばすのではなく、文字通り「食った」。

フロントグリルの顎が、飛びかかってきたサメを空中でキャッチし、プレス機のようなパワーで噛み砕く。

バリボリ、グチャリ。

鉄と骨が砕ける不快で暴力的な音が響き渡る。


『……ウ、マ……イ……!』


マザー号が歓喜の声を上げると同時に、車内のパイプというパイプが赤熱し、エンジンの回転数が跳ね上がった。

マフラーからは、未燃焼ガスではなく、青白い魔法の炎が噴き出す。

食べた魔物を、即座に魔力エネルギー(燃料)に変換しているのだ。


「す、すげえ……! 直火焼きどころか、エンジンの燃焼室で踊り食いかよ!」


その地獄絵図を見て、目を輝かせている男が一人いた。

ワン・チャンだ。

彼はリュックから愛用の中華鍋を取り出すと、赤熱するエンジンのボンネットに飛びついた。


「婆さん! その排熱、400度超えてるだろ! 最高の火力だ! チャーハン作らせろ!」

「ああん? なんだこの中華男は! ……いい度胸だ! エンジンルームの蓋を開けてやるから、勝手にやりな!」

「シェイシェイ! ついでに、その噛み砕いたサメ肉、ちょっと回してくれ! ミンチになってて使いやすそうだ!」


ワンはボンネットの上で中華鍋を振り始めた。

ドロシーがサメを轢き殺し、マザー号がそれを咀嚼し、その余熱でワンがチャーハンを炒める。

トラックの中は、鉄の焼ける匂いと、血の匂いと、焦がし醤油の香ばしい匂いが混ざり合った、カオスの極みとなっていた。


「……おい。誰か突っ込んでくれ。俺たちは何を見せられているんだ」


俺はプチプチの中で呟いた。

マシロたちは、あまりの光景に思考停止している。

これが、B4Fの日常。

これが、掃除屋の世界だ。


 

数分後。

サメの群れは跡形もなく消え去り(一部はスタッフが美味しくいただき)、トラックは再び安定した走行に戻っていた。

ワンが作った「泥鮫の鉄板チャーハン」を全員でかっこむ。

悔しいが、絶品だった。


食後の紫煙をくゆらせながら、ドロシーはバックミラー越しに、まだ梱包されたままの俺をじっと見た。

マシロたちがチャーハンの片付けをしている隙に、彼女は小声で俺に話しかけてきた。


「……おい、ジン。お前、焦げ臭いな」


ドキリとした。

チャーハンの匂いではない。

俺の体から漂う、魂の焦げる匂いか。


「……鼻がいいババアは嫌われるぜ。加齢臭だろ」

「フン。強がりなさんな。……ただの怪我じゃねえ。内側から燃え尽きようとしてる匂いだ。死に場所を探してる顔だねえ」


ドロシーの眼は、全てを見透かしているようだった。

彼女はこの泥沼で、何十年も「死」と「生」の境界線を走り続けてきたのだ。

誤魔化しは効かない。


「……だとしたら、どうする?」

「どうもしねえよ。アタイは運び屋だ。荷物が腐ってようが爆発寸前だろうが、目的地まで運ぶだけさ」


ドロシーは短くなった葉巻を窓から投げ捨て、ニヤリと笑った。


「だが、サービスしてやるよ。……次のエリアで『アレ』を使う準備をしな。私のマザーでも、次の波は食いきれねえ」

「……次の波?」


俺はフロントガラスの向こうを見た。

地平線が、徐々に「緑色」に染まり始めていた。

泥ではない。

植物でもない。

それは、波打つ半透明の緑色の壁――巨大な『スライムの津波』だった。

高さ十メートルはあるだろうか。

あれに飲み込まれれば、トラックもろとも消化液でドロドロに溶かされる。


「……へっ。上等じゃねえか」


俺はニヤリと笑った。

そして、不自由な体で力を込め、全身を覆うプチプチを内側から引き裂いた。

バリバリバリッ!!


「あっ、ジン! 何やってるの! 安静にしてなきゃダメでしょ!」


マシロが飛んでくるが、俺は止まらなかった。

梱包材を脱ぎ捨て、自由になった手で、懐から愛用の『ガードナーの懐中時計』を取り出す。


「仕事の時間だ、マシロ。……安静にしてる場合じゃねえぞ」

「え?」

「大掃除だ。例の『980円』を用意しろ。……あの緑色のゲロを、一滴残らず消毒してやる」


俺の目から、死人のような濁りが消え、代わりに冷徹な掃除屋の光が宿る。

ドロシーが満足そうにハンドルを叩いた。


「いい面構えになったねえ! さあ、見せてみな! センター管理人の底力をよォ!」


アイアン・マザー号が、緑の津波に向かって加速する。

衝突まで、あと三十秒。

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