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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
泥沼の運び屋と、壊れた味覚

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第91話:移動要塞、発進準備


「……おい、ネオン。そのモニターの輝度を下げろ。俺の死相がブルーライトで美白修正されてんだろうが。死んだ後に合コンにでも行く予定の顔になってるぞ」


ダンジョン遺失物管理センター、地下三階(B3F)。

この場所には、朝という概念が存在しない。あるのは、油の切れた換気扇が回る「キュル……キュル……」という断末魔のような回転音と、埃にまみれた蛍光灯が瞬く「ジジッ」というノイズだけだ。


だが、今朝の空気は、その無機質な音さえも吸い込むほどに重く、湿っていた。

原因は、ネオンが操る十数枚のモニター群だ。


青白い光が、暗い室内を不気味に照らし出している。

その画面に映し出されていたのは、難解な暗号でも、B4Fの地形データでもない。


黒い縁取り。遺影用の菊の花。

そして、昨日よりも一段と人相が悪く、それでいて肌だけがつやつやに加工された、ジンの「遺影(予定)」だった。


「……うるさい。今のうちに最高の一枚を作っておかないと、葬式の時に『この管理人、死んでもなお顔が犯罪者ですね。あ、死顔だけは無駄に美肌ですけど』って参列者に指差されるでしょ。これは私の最後の、クライアントワーク……いわば遺作なの。邪魔しないで。今、あなたの隈を何パーセント消すか、黄金比を計算してるんだから……」


ネオンの瞳は、泥沼の底に沈んだビー玉のように虚ろだ。

その指先は、まるで凍りついたかのようにキーボードの一段目に置かれたまま、ピクリとも動かない。

彼女の脳内では、ジンの「余命半年」という言葉が、再起動不能のシステムエラーのように無限ループしている。


「…………ああ、そうかよ」


ドサッ、と重いバケツが床に置かれる音が響いた。

その瞬間。


「ッぶおわァァァァァァ!? 冷たっ! ちょ、脳細胞が物理的に凍結したんだけど!? セーブしてないデータが私の脳内から消えたんだけど!!」

「ギャッ!? 私の導火線! 湿気たら爆発の芸術性が損なわれるでしょ! どう責任取ってくれるのよこの死に損ない!」


バケツ一杯の、氷水に近いキンキンに冷えた水が、ネオンの頭上から、そして高価なサーバー群をミリ単位で避けながら(ジンの精密な投擲技術だ)、彼女たちの顔面にブチまけられた。


「……誰が死んだって? 俺はまだ生きてるし、ついでに言うなら朝飯の準備もできてねえぞ。湿っぽいツラしてんなら、その湿気でセンターにカビが生えるだろうが。除湿機の電気代もバカにならねえんだよ。この不景気に葬式ごっこしてる余裕がどこにある」


ジンは空になったバケツを放り投げ、いつものように、耳を掻きながらだらしない足取りでセンターの中央に立った。

その足元には、埃を被り、錆びついた巨大な鉄の塊――『センター移動用連結プラグ』が、ドスンと重低音を立てて鎮座している。


「いいか、野郎ども。よく聞け。死ぬ死ぬ詐欺で同情買えるのは、せいぜい三流の悲劇ヒロインまでだ。俺みたいな薄汚い清掃員には似合わねえんだよ。そんなことより、仕事だ」


ジンは連結プラグを土足で踏みつけた。

その瞳の奥には、死を受け入れた者の絶望ではなく、死さえも「片付けるべきゴミ」として処理しようとする、プロの掃除屋の光が宿っていた。


「B100Fまで一階ずつ歩いて降りるなんて、俺の背中が先に炭になって灰皿に収まっちまう。だからよ……このセンターごと降りるぞ。家ごと引っ越しだ、コノヤロー」


一瞬の沈黙。

センターの壁にこびりついた埃が、その絶叫の余波で一斉に舞い上がった。


「「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 無理に決まってんでしょ!!」」」


「あんた、バカなの!? ここが何トンあると思ってるのよ! 物理法則を無視するにも程があるわ! ネットが遮断されてるからって、脳みその回線までショートしたの!?」


ピコとネオンの鋭すぎるツッコミが重なるが、ジンはどこ吹く風で「あー、聞こえねえ。マシロ、在庫表持ってこい。ここにあるガラクタ、全部『エンジン』に変えるぞ」と吐き捨てた。


そこからの数時間は、地獄という名の魔改造ワークショップ、あるいは「宇宙戦艦を作ろう」という狂気の子供部屋と化した。


「ネオン! そこに余ってる軍事用ミサイルポッドをブースターに改造しろ! 加速装置だ!」

「できるわけないでしょ! ……って言いたいけど、あんたのそのクソムカつく余裕を黙らせるためだけに、やってやろうじゃない……! 見てなさい、このセンターを音速で走る粗大ゴミに変えてあげるわ!」


ネオンの指が光速を超え、キーボードから火花が散る。

一方で、ピコは元アイドルの怪力で、本来なら重機で吊るような巨大な鋼鉄のスパイクを、人力で外壁に打ち込み始めていた。


「あんたが死ぬ前に、このセンターを宇宙戦艦にしてやるわよ! 具が飛び出しても知らないからね! 棺桶ごとB100Fまでデリバリーしてやるわ!」


「待て! 待てと言っているだろう! なぜ私の水槽が、よりによって排気ダクトの真横なんだ! 排熱で私がお吸い物になってしまうではないか! 貴様ァ、騎士を煮込むつもりか!」


水槽の中で、レオが熱風に煽られて激しく泡を吹き、エラをパクパクさせて抗議する。

だが、その「主君」の声に耳を貸す者は一人もいない。


喧騒の真っ只中。

センターの重厚な鉄扉が、ギィィ……と嫌な音を立てて開いた。

現れたのは、この地下三階という「墓場」にまで荷物を届ける、命知らずの配送員だ。


「……あー、遺失物管理センター、黒鉄ジンさん。お荷物です。サイン……は、もういいです。この空気、死にそうなので帰ります」


配送員が置いていった細長い段ボール。

ジンはそれを乱暴に引き裂いた。

中から現れたのは、白銀に輝く刀身――ではなく、何の変哲もない、ホームセンター『カインズ』のロゴが入った、大型スクイージー(水切りワイパー)だった。

先端には厚手のゴムがついており、価格は税込980円。


ジンはそれを、まるで伝説の聖剣でも手にするかのように、うやうやしく掲げた。


「……五代目、黒鉄聖剣『スクイージー・マークV』だ。最高じゃねえか。これなら血を拭き取るのも楽そうだし、何よりゴムの弾力が、俺の寿命みたいで趣がある」


「……ただの980円の水切りじゃない。あんた、もう武器を買う金すらないわけ?」


マシロが呆れたように、しかしどこか悲しげな瞳でジンを見つめる。

前の戦いで、愛用のモップを失った。今の彼に残されているのは、この安っぽいプラスチックとゴムの塊だけだ。


「金なんか、あの世には持っていけねえからな。……おっと」


ジンがスクイージーを鋭く一閃、素振りをしようとした瞬間――。


【時間の凍結】

世界が、スローモーションに切り替わった。


ジンがスクイージーの柄を握る指先。その第一関節の皮膚が、極限の緊張で白く強張る。

彼の背中。作業着の下で、炭化した筋肉が「ミシミシ」と音を立てる。

それは、焚き火の終わりの炭が、最後に崩れ落ちる時の音に似ていた。


パキッ。


神経を直接、真っ赤に熱された針で貫かれたような衝撃。

脳内が真っ白に、あるいは真っ赤に爆ぜる。


(あ、これ……。5年前の事故の時と同じだ……)


脳が現実逃避を始める。

痛みがあまりに強すぎると、人間は「痛い」と思うのをやめるらしい。

ジンの意識は、なぜか「昔見た、夕方の再放送アニメのエンディング曲」を再生し始めた。

穏やかな夕焼け、終わらない日常。

だが、今の視界にあるのは、歪んだセンターの天井と、マシロの恐怖に歪んだ顔だ。


心臓が「ドックン!」と不規則な一撃を打ち、肋骨の内側を激しく叩く。

肺が酸素を拒絶し、喉が砂漠のように渇き切る。

視界の端から、色が剥がれ落ちていく。セピア色に変色した世界の中で、マシロの手だけが、彼を救おうとして虚しく空を掻いている。


(あー……回想シーン、長すぎ。これ、絶対ページ数調整に入ってるだろ、俺の脳内……)


ジンは、極限の苦痛の中で、自分自身の意識にメタな毒態を吐いた。

意識を現実に繋ぎ止めるための、唯一の錨。


「……ッ、がッ!」


彼は、手にしたスクイージーの柄を、自分の太ももに全力で叩きつけた。

新しい痛みが、炭化の幻痛を一時的に上書きする。

強制的にバグった脳を再起動させ、彼は力任せに体を直立の状態へと引き戻した。

額からは、油のような大粒の脂汗が流れ落ち、床に「ポタッ」と黒いシミを作る。


「ジン!? やっぱり無理よ、今のあなたは……!」


「……るせえな。埃が目に入っただけだ」


ジンは、マシロが差し伸べた手をわざと無視するように、力任せにスクイージーを振り回した。


「おい、マシロ。お前の新しい棲家だぞ。このゴムの間に挟まって、ワイパーと一緒にダンジョンの垢を掃除してこい。お前みたいな軽い幽霊なら、摩擦抵抗ゼロで動けそうだしな」


「なっ、何すんのよ! 誰がワイパーの付喪神よ! あんた、本当に死ぬ直前までデリカシーって言葉を辞書に載せないつもり!? もう、一生呪ってあげるんだからね!」


怒るマシロと追いかけっこを演じることで、ジンは自分の「震え」を誤魔化した。

彼は知っている。自分が足を止めれば、この連中は一瞬で「悲しみ」という名の泥沼に沈んでしまうことを。

だから、道化を演じてでも、走り続けるしかない。


数時間後。

そこにあったのは、もはや誰もが知る「遺失物管理センター」の姿ではなかった。


外壁には凶悪なスパイクが突き出し、屋根にはネオンが強奪してきた大型ブースターが、今か今かと点火を待って唸りを上げている。

入り口の受付デスクは、無理やり操縦席へと改造され、そこには中古のゲーム機から剥ぎ取ったジャンク品のモニターが、警告音をまき散らしながら明滅していた。


ジンは操縦席に深く腰掛け、ダッシュボードの上に、止まった懐中時計(No.001)を置いた。

チッ、チッ、チッ……。

やはり、彼にだけは、止まっているはずの秒針の音が、爆弾のタイマーのように聞こえている。


「さて……野郎ども。引っ越し作業の準備はいいか?」


ジンの手が、センター全機能を「連結」させるメインレバーにかかる。

指先の震えは、もう止まっていた。


「文句は移動中に聞く。……止まったら死ぬぞ。振り落とされるなよ!」


ド、ォォォォォォォォン!!


センター全体を、震度7を超えるような激震が襲った。

背後のブースターから、魔力を帯びた青白い炎が猛烈な勢いで噴き出し、数千トンのガラクタだった「家」が、階層連結ゲートへとその巨体を滑り込ませる。


B3Fの、あの湿ったカビの匂いが、急速に遠ざかる。

代わりに、ゲートの向こうから、B4F『腐敗した泥沼地帯』の、噎せ返るような泥臭い風が、センターの隙間から勢いよく吹き込んできた。


「目標、B100F! 暴走特急、発進だァァァ!!」


ジンの咆哮と共に、ダンジョン遺失物管理センターは、世界の常識と物理法則を置き去りにして、未知なる深淵へと墜落を開始した。

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