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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
電子の海と、虚構の王子

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第88話:新しいサムネイル

世界の終わりみたいな顔をして落ち込んでいても、腹は減るし、髭は伸びるし、燃えるゴミの日は無慈悲にやってくる。

 それが「日常」という名の、地味で、最強で、最悪の強制力システムだ。


 ヤクモによる「死の宣告」から、三日が経過した朝。

 ダンジョン遺失物管理センターの地下空間には、静寂という概念を粉砕する「破壊音」が轟いていた。


 ガァァァァァァァァァァァンッッッ!!!


 鼓膜ではなく、脳幹を直接シェイクされるような金属音。

 ピコ・デ・ガマの意識は、深海一万メートルのレム睡眠から、成層圏まで急上昇させられた。

 脳内物質が暴走する。

 アドレナリンとコルチゾールが血管内を駆け巡り、心拍数がbpm60から一瞬で180まで跳ね上がる。


「……ぐ、え……っ!?」


 ピコはソファから転げ落ちた。

 スローモーションで見れば、彼の身体は空中で一回転し、無防備な顔面からフローリングに着地している。

 鼻が潰れる感触。

 走る激痛。

 しかし、それすらも凌駕する第二波の衝撃が襲来した。


「オラァァァ!! 起きろニート共ォォォ!! いつまで寝てんだ! 太陽が中天に昇ってサンサンと殺人光線(紫外線)降り注いでんだぞ! お肌のゴールデンタイムはとっくに終了して、今は社畜のゴールデンタイムなんだよォォォ!!」


 音源の中心に立つのは、魔王――ではない。

 ボロボロの作業着を着た、ジンだ。

 彼の右手には、凹んだブリキのバケツ。

 左手には、武器と化したモップの柄。

 それをシンバルのように打ち鳴らしているのだ。


(……うるさい。画素数が粗い。音割れしてる……)


 ピコの視界が揺れる。

 二日酔いのような吐き気。

 視界の端で、埃がキラキラと舞っているのが見える。その一粒一粒が、ジンの怒鳴り声の衝撃波で振動しているのがわかるレベルの解像度だ。


「……おっさん……今、何時だと思って……」


 ピコは、床に這いつくばったまま、掠れた声を出した。

 喉が張り付いて痛い。


「まだ……朝の十時……」

「十時は『朝』じゃねえ! 世間一般では『労働』の時間だ! いいか、お前らは今日からタダ飯食らいの居候じゃねえ! 俺の部下であり、借金返済の共同戦線パートナーだ! 働かざる者食うべからず! 息をするなら金を稼げ! 二酸化炭素を排出するなら税金を払え!」


 ジンは叫びながら、ピコの顔面に濡れ雑巾を投擲した。

 ヒュッ。

 風を切る音。

 ビチャァッ!!


 雑巾は、ピコの顔面の凹凸に完璧にフィットした。

 冷たい。

 生乾きの臭い。

 カビと洗剤の混ざった、生活感の暴力。


「ぶべッ!?」

「顔洗ってこい! あとネオン! そこの引きこもり! いつまで段ボール要塞シェルターに篭ってんだ! 換気するから窓開けろ!」


 ジンは踵を返し、部屋の隅に築かれた「段ボールとPCモニターの城壁」に向かって、回し蹴りを放った。


 ドゴォォォォン!!


 城壁崩壊。

 段ボールが紙吹雪のように舞い散り、中からジャージ姿の妖怪ネオンが転がり出る。


「ひぃぃッ! 直射日光! 紫外線(UV)! 私の肌細胞のDNAが破壊される! テロメアが短縮する! 溶解するぅぅぅ!」

「カビが生えるよりマシだ! ほら、モップ掛けろ!」


 ジンは、もがくネオンの手にモップを握らせた。

 ネオンはそれを、まるで放射性廃棄物を持つかのように、プルプルと震える指先で摘んだ。


「……信じられない。私、国際指名手配ハッカーよ? 時給換算したら国家予算レベルの指よ? それを床掃除に使わせるなんて、資源の無駄遣いにも程があるわ。アフリカの子供たちが泣くわよ」

「うるせェ。俺の背中の治療費(ヤクモへの借金)は、お前の時給より高いんだよ。文句があるなら量子コンピュータ並みの計算速度で床を磨け」


 ジンは鼻を鳴らし、自分自身もバケツを持って窓際へ歩いていった。

 その歩調は力強く、背筋はピンと伸びている。


 ピコは、顔に張り付いた雑巾を剥がしながら、その背中を見つめた。

 時間が止まる。

 周囲の喧騒が、水の中にいるように遠のいていく。


(……なんでだよ)


 ピコの胸の奥で、黒い感情が渦巻く。

 怒り? 悲しみ? いや、困惑だ。


 あの診断結果を聞いたのは、つい三日前だ。

 余命半年。

 背中の神経は炭化し、いつ爆発してもおかしくない状態。

 普通なら、集中治療室(ICU)で管に繋がれているか、少なくともベッドで遺書を書いているような状態のはずだ。


 なのに、この男は。

 窓枠に足をかけ、ゴム手袋をして、鼻歌交じりに窓を拭いている。

 その背中からは、「死」の気配なんて微塵も感じられない。

 むしろ、これまで以上に生命力バイタリティに溢れているようにさえ見える。


「……馬鹿なのかな、やっぱり」


 ピコは呟いた。

 でも、その馬鹿さに救われている自分がいることに気づいて、苦笑した。


「……おい、作者」


 ピコは虚空に向かってボソリと言った。


「……この『日常パート』、尺使いすぎじゃない? 冒頭から1000文字近く、おっさんが暴れてるだけなんだけど。読者が飽きる前に、早く僕の『イケメン描写』入れてくれない?」


 メタ的なツッコミを入れて、ピコは自分を奮い立たせた。

 そうだ。湿っぽいのは似合わない。

 この男が「日常」を演じるなら、こっちは「最高の観客」になってやるまでだ。


「……よし」


 ピコはポケットから、一台のスマートフォンを取り出した。

 ネオンが裏ルートで調達してくれた、IMEI(端末識別番号)を書き換えた「足のつかない端末」だ。

 SIMカードはない。Wi-Fiのみの運用。

 世界との繋がりは限定的だ。


 ピコは、画面をタップした。

 指先が、微かに震える。

 これまでは、カメラアプリを起動するたびに「武装」していた。

 美肌フィルターLV100。

 小顔補正MAX。

 瞳のデカ目効果。

 それらの鎧を着込んで、「虚構の王子様」に変身していた。


 でも、今は。


 フィルター、OFF。

 補正、OFF。

 エフェクト、なし。


 画面に映ったのは、少しクマがあって、寝癖がついた、ありのままの「ピコ・デ・ガマ」の顔。


「……地味だなぁ」


 でも、嫌いじゃなかった。

 ピコは深呼吸をして、録画ボタン(REC)を押した。


 ***


 赤いランプが点滅を始める。

 ピコの視界ファインダーが切り取った世界が、記録され始める。


 まず、カメラがパン(横移動)する。

 床を這いずり回る、緑色の物体。


「ケロケロォォォッ!!(貴様ら! 俺様の高貴な身体をモップ代わりにするな! 粘液でワックス効果があるだと!? ふざけるな! 俺は騎士団長だぞ! 元・人間だぞ!)」


 レオ・ライオット(両生類形態)。

 巨大なオタマジャクシに筋肉質な手足が生えた、神のデザインミスとしか思えないクリーチャーが、高速で床をスライディングさせられている。

 ヌメヌメとした質感。床に残る粘液の光沢。

 4K画質で見ると、SAN値が削れるグロテスクさだ。


 次に、カメラは暗がりへ。

 崩壊した段ボール城壁の跡地で、体育座りをする妖怪。


「……ブツブツ……あ、この予約サイトのセキュリティ、ザルじゃん。……SQLインジェクションの脆弱性ホール放置とか、管理者やる気あんの? ……制裁として、トップ画像を『グミの画像』に差し替えてやる……」


 ネオンだ。

 独り言が怖い。やってることはサイバー犯罪そのものだが、彼女の膝の上にはコロコロ(粘着クリーナー)があり、無意識にジャージの毛玉を取っている。

 ハッキングと毛玉取りのマルチタスク。

 シュールすぎる。


 そして。

 カメラは最後に、窓際へ向いた。


 逆光。

 強烈な朝の光が、レンズフレアを起こしている。

 光の粒子が画面いっぱいに広がり、その中心に、男のシルエットが浮かび上がる。


 ジンだ。

 彼は、高い位置にある窓を、背伸びして拭いていた。

 ヨレヨレの作業着。

 筋肉質な腕。

 そして、広い背中。


 ピコの心臓が、トクン、と鳴った。

 ファインダー越しのその背中は、肉眼で見るよりも、何倍も大きく見えた。

 

 あの作業着の下にある、腐り落ちそうな皮膚。

 炭化した神経。

 いつ止まるとも知れない心臓。


 ――痛いだろうに。

 ――苦しいだろうに。


 想像するだけで、ピコの奥歯が鳴る。

 「痛い」という感覚が、共感覚のようにピコの背中に走る。

 もし自分があの状態なら、一秒だって立っていられない。泣き叫んで、誰かに助けを求めて、絶望して死んでいくだろう。


 でも、ジンは立っている。

 当たり前のように。

 今日が続き、明日が来ることを疑わないように。


(……映えないなぁ)


 ピコは、心の中で苦笑した。

 こんな動画、D-Tubeに上げても、誰も見ない。

 サムネイル映えしない。

 派手なタイトルもつけられない。

 ただの、汚いおっさんと、変人たちの掃除風景。

 再生数、ゼロ。

 低評価、多数。


 でも。


(……今の俺には、これが世界一の『傑作コンテンツ』だ)


 ピコは、口元だけで笑った。

 マイクに向かって、小声でナレーションを入れる。

 台本はない。

 嘘もない。


「……えー、どうも。元・国民の弟です」


 声が震えないように、腹に力を入れた。


「ここは、世界一底辺のゴミ捨て場です。出てくるのは、呪われた遺品と、社会不適合者のクズと、借金の督促状だけ。……おしゃれなカフェもなければ、映えるスイーツもありません」


 カメラのズーム機能を使う。

 ジンの横顔。

 眉間に刻まれた深い皺。無精髭。

 でも、その目は真剣そのものだ。ただの窓拭きに、命を懸けているかのような真剣さ。


「でも、ここには……世界一かっこいい、掃除屋がいます」


 その言葉は、誰かに届けるためのものではない。

 未来の自分たちが、いつかこの日々を思い出すための「くさび」だ。


「僕たちは、ここで生きてます。……泥水をすすって、地べたを這いずり回って、それでも笑って生きてます。……以上、現場からでした」


 ピコはそう締めくくり、動画ファイルのタイトルを入力した。

 指先が、キーボードの上で踊る。


 『遺失物管理センター日誌 Vol.1』


 Vol.1。

 それは、これから続いていく日々の、最初の1ページ。

 あと半年かもしれない。

 三ヶ月かもしれない。

 明日、終わるかもしれない。


 でも、「Vol.Final」と書くまでは、この物語は終わらない。

 これは、ピコなりの宣戦布告であり、ジンへの挑戦状だった。


「……おい」


 不意に、レンズが暗転した。

 影が差したのだ。

 ピコが顔を上げると、いつの間にか脚立から降りたジンが、怪訝そうな顔でスマホを覗き込んでいた。


「……また撮ってんのか、暇人が。掃除の手ェ動かせっつったろ。給料引くぞ」

「あー、バレた?」


 ピコは悪びれずに笑った。

 以前なら、慌てて隠していただろう。

 「仕事サボってすいません」と謝っていただろう。

 でも今は、カメラを堂々とジンに向けたまま、ヘラヘラと笑ってみせた。


「これは『広報活動』だよ、ボス。うちのセンターの魅力をアピールして、依頼人を増やそうっていう高等戦略だ。インプレッション稼ぎだよ」

「魅力だァ? カビと埃と、カエルの粘液しか映ってねえじゃねえか」

「そこがいいんじゃん。レトロで、エモくて、昭和ノスタルジー的な?」


 ジンは呆れたように溜息をついた。

 その溜息すらも、頼もしい音に聞こえる。

 

「……くだらねェ。そんな暇があったら、そこのレオを洗濯機に放り込んでこい。脱水かければ少しはスリムになるだろ」

「ケロォォッ!?(虐待だ! 動物愛護団体に通報するぞ! 訴えてやる!)」


 ジンは、ピコの頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でた。

 その手は大きくて、ゴツゴツしていて、固くて、そして温かかった。

 洗剤の匂いと、微かな消毒液の匂い。

 それが、今のジンの匂いだった。

 

「……ま、好きにしろ」


 ジンは背を向け、再び窓の方へ歩いていった。

 その背中。

 逆光の中で、輪郭が滲む。

 

 ピコは、スマホを持ったまま、その背中に向かって、無言で合図を送った。

 親指を立てる。

 サムズアップ。

 

 それは、SNSにおける「いいね(Like)」のマークではない。

 古代ローマの闘技場で、戦士が生還を許された時のサインであり、米軍パイロットが離陸する時の「準備完了(Good to go)」の合図だ。


(……任せとけよ、ボス。あんたの最期まで、俺が特等席で見ててやるから)


 カメラの画面が、ゆっくりとブラックアウトしていく。

 その闇の向こうで、彼らの騒がしい罵り合いと、笑い声がいつまでも反響していた。


 これが、彼らの「再生リスタート」の記録。

 通知の鳴らない世界で始まった、新しい物語のサムネイルだった。


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