第86話:引きこもりの城(サーバー・ルーム)
男のロマンが「秘密基地」なら、引きこもりのロマンは「要塞」である。
そして今、ダンジョン遺失物管理センターの地下倉庫において、人類の叡智と怠惰の結晶が産声を上げようとしていた。
ゴオォォォォォォォォォォォ……。
重低音が、鼓膜ではなく骨を震わせる。
ジェットエンジンのアイドリング音ではない。
三十台連結された業務用冷却ファンが、死に物狂いで排熱処理を行っている悲鳴である。
室温、一八・〇度。
湿度、四〇パーセント固定。
空気中には、精密機器特有の焼けるような匂いと、微かなコーラの甘い香り、そして高濃度のマイナスイオン(自称)が充満している。
人間にとっては肌寒いが、CPUにとっては常春の楽園。
「……ふひ、ふひひ。……領域展開、完了」
その中心、ゲーミングチェアという名の玉座に、一人の少女が沈み込んでいた。
七色ネオン。
彼女の姿を、ハイスピードカメラで捉えてみよう。
ボサボサの黒髪の隙間から覗くグルグル眼鏡の奥、その瞳孔は極限まで開いている。
視線の先にあるのは、壁一面を埋め尽くす12面マルチモニター。
上、下、左、右、斜め。
視界の全てが青白い光で埋め尽くされている。
これはもはや「部屋」ではない。情報の羊水で満たされたカプセルだ。
(……完璧だ。完璧な配置だ……!)
ネオンの脳内で、ドーパミンが噴出する。
右手のマウス捌きは、コンマ一ミリの狂いもなくカーソルを操り、左手は目にも止まらぬ速さでポテチを摘み、口へと運ぶ。
サクッ。
咀嚼音さえも、ファンの轟音にかき消され、静寂の一部となる。
彼女は、この空間を作るために三日三晩、不眠不休で働いた。
配線の一本一本にまでこだわり、ノイズ対策のために床下にアルミホイルを敷き詰め(※オカルトではなく電磁波対策)、電源ユニットは変電所から直結させる勢いで強化した。
なぜそこまでするのか?
答えは、原子レベルでシンプルだ。
「外に出たくないから」である。
このコックピットにいれば、指先一つで世界中の情報にアクセスできる。
ピザの注文から、核ミサイルの発射コード(※見るだけ)まで、座ったまま完結する。
トイレ以外で立ち上がる必要がない。
これぞ、人類が数千年の進化の果てに到達した、究極のライフスタイル。
「……おい、作者」
ネオンは、ストローで2リットルのコーラを吸い上げながら、虚空を睨んだ。
「……背景描写、長すぎ。私の引きこもりスキルがカンストしてるのは、読者も百も承知でしょ? いつまでファンが回ってる音を聞かせる気? 電気代の無駄よ」
メタ的なツッコミが入った、その瞬間である。
空間が歪んだ。
物理的な歪みではない。「異物」の侵入による、空気の質の変化だ。
「へぇー。凄いね、これ」
背後から、場違いに軽い声がした。
ビクッ!!!
ネオンの心臓が、肋骨を内側からノックした。
ポテチを持った指が空中で静止する。
スローモーションの世界で、ポテチの破片がパラパラとキーボードの上に落下していくのが見える。
(……侵入者!? 馬鹿な、赤外線センサーは? 圧力センサーは? 私の城(ATフィールド)が破られた!?)
12面のモニターの1つに、背後の映像が映し出されている。
そこに立っていたのは、金髪ツインテールの少女――怪盗アリスだった。
「……いつ入った。セキュリティアラームが鳴ってない」
「ん? ああ、あれ?」
アリスは、人差し指でクルクルと「何か」を回していた。
切断されたセンサーの配線だ。
まるでリボンのように、赤と青のコードを弄んでいる。
彼女は悪戯っ子のように舌を出し、ひょいとゲーミングチェアの背もたれに飛び乗った。
その動きに、音がない。
重力を無視したような身軽さ。
「物理的な鍵は私の専門分野だからね。電子ロックだろうがなんだろうが、そこに『回路』があるなら切ればいいだけだし」
「……野蛮人。これだから脳筋勢は嫌いなのよ」
ネオンは溜息をつき、ポテチのカスを払い落とした。
心拍数が平常値に戻るまで、約三秒。
彼女は再びグミを口に放り込んだ。ハードグミの弾力が、顎関節を通じて脳に刺激を与える。思考加速のスイッチだ。
「で? 何しに来たのよ、泥棒猫。私の聖域を土足で踏み荒らすなら、PCの冷却水で水攻めにするわよ」
「様子見に来てあげたのよ。ほら、あんた今、世界的に有名なテロリスト扱いじゃない?」
アリスが、モニターの一つを指差した。
そこには、海外のニュースサイトが表示されている。
『サイバーテロ組織の幹部、逃亡中』という毒々しい赤文字の見出し。
その下には、ネオンの顔写真――運転免許証の、死んだ魚のような目をした写真が、4K画質でデカデカと掲載されていた。
「国際指名手配おめでとう。賞金額、私より高いじゃん。ちょっと嫉妬するわー。私の時は『美少女怪盗』って書かれたけど、あんた『不審なジャージ女』って書かれてるし」
「……うるさい」
ネオンは舌打ちした。
賞金額よりも、使われた写真の映りの悪さの方にイラッとした。
どうせなら、奇跡の一枚(加工済みアイコン)を使ってほしかった。
「……ふん。問題ないわ」
ネオンの指が動いた。
それは、ピアノの鍵盤を叩くマエストロのような優雅さと、マシンガンの引き金を引くような凶暴さを併せ持っていた。
タタタタタタタタッッッ――!
画面が切り替わる。
日本の戸籍データベース(のようなもの)の深層領域。
一般人が一生目にすることのない、行政の心臓部。
「七色ネオンは、三日前の事故で死亡しました。……死亡届、火葬許可証、埋葬記録。お寺の過去帳まで、全部セット完了」
ターンッ!
最後のエントリーキーを叩く音が、処刑の合図のように響いた。
画面に表示される『除籍』の二文字。
ネオンは、電子の海の中で、自分自身を殺してみせたのだ。
手続きにかかった時間、わずか十五秒。
カップラーメンすら作れない時間で、一人の人間の法的存在が消滅した。
「今の私は、法的には存在しない幽霊。……戸籍も、住民票も、マイナンバーもない。ただの『データ上のバグ』よ」
「うわぁ……」
アリスは呆れたように口を開けた。
普通、自分の死を偽装する時は、もっとこう、葛藤とか、涙ながらに過去を捨てるとか、ドラマがあるものだ。
それを、役所の書類仕事(事務処理)のような手際でやってのける。
この女の倫理観の回路は、とっくの昔に焼き切れているらしい。
「便利ねぇ、ハッカーって。……じゃあさ」
アリスが、ネオンの肩に顎を乗せ、猫なで声を出した。
甘い匂いがする。シャンプーの香りだ。
引きこもりの腐った空気に、異分子が混ざる。
「その神がかった技術でさ、頼みがあるんだけど」
「……断る。国防省のサーバーなら昨日ハックしたからもう飽きた。核のボタンも飽きた」
「違うわよ。……駅前の限定カフェの予約サイト、ハックしてよ」
「……はい?」
ネオンの手が止まった。
耳を疑った。
世界最高峰のハッカーに対し、こいつは何を言っているんだ?
「新作の『季節のフルーツタルト』がね、予約開始一秒で完売すんのよ! 転売ヤーのボットに買い占められてんの! ムカつくから、そいつらの予約全部キャンセルして、私に権利を回して!」
「……くだらない。死ぬほどくだらない」
ネオンは蔑んだ目でアリスを見た。
IQ5000(自称)の頭脳を、フルーツタルトのために使えというのか。
「……あのね、私は今、国家権力と戦ってるの。タルトと戦ってる暇はないの」
「報酬は?」
「……え?」
「タルト半分あげる。あと、限定のマカロンもつける」
ピクリ。
ネオンの眉が動いた。
脳内で瞬時に計算が行われる。
リスク:サイトへの侵入痕跡。所要時間:約十秒。
リターン:絶品フルーツタルト(糖分)+マカロン(糖分)。
結論:圧倒的黒字。
「……交渉成立」
チョロかった。
ネオンの指が、光速でキーボードを叩き始めた。
彼女にとって、甘味(糖分)は正義であり、法より優先される絶対ルールなのだ。
***
タルト争奪戦があっさり終結した後。
地下倉庫の空気が、ふわりと冷たくなった。
物理的な温度低下ではない。霊的な冷気だ。
モニターのバックライトが、不吉な紫色に明滅する。
「……ねえ、私のこと忘れてない?」
モニターの一つから、白い手がニューッと伸びてきた。
3D映像ではない。
正真正銘、心霊現象だ。
画面の中から、幽霊少女・マシロが顔面を押し付けている。ガラスにへばりつくナメクジのようだ。
『ここ! ここから出して! なんかファイアウォールがキツくて出られないんだけど! お札貼ってる!? セキュリティソフトが『南無阿弥陀仏』ってコード吐いてるんだけど!』
「あ、ごめん。セキュリティ設定を『対・悪霊クラス』にしてたわ」
ネオンが設定を解除すると、マシロがポンッという軽い音と共に、ホログラムのように実体化(?)した。
半透明の身体が、青白いライトに照らされ、サイバーパンクな幽霊として浮かんでいる。
「もう! 酷いじゃない! 私、ただでさえ影が薄いのに! データごと消去されるかと思ったわ!」
「はいはい、ごめんって。……その代わりと言っちゃなんだけど、これあげる」
ネオンが、足元に置いてあった布をバサリとめくった。
そこにあったのは、無骨な黒い箱。
タワー型のデスクトップPCだが、通常のそれとは明らかにオーラが違う。
側面は透明なアクリル板。内部には、極太の冷却パイプが血管のように張り巡らされ、七色に発光する冷却水がドクドクと循環している。
まるで、生きている心臓だ。
「……何これ? ラブホテルの看板?」
「違うわよ。『電子祭壇(ハイスペックPC)』よ」
ネオンは胸を張った。
「あんた、前に私のPCに憑依した時、熱暴走でショートさせたでしょ? 霊体っていうのは、高密度のエネルギーの塊だから、普通の半導体じゃ耐えられないのよ。あんたの未練が重すぎて、CPUが焼けるの」
「……うん、よくわかんないけど、私が熱い女だってことはわかった」
「だから、これを作ったの。CPUは液体窒素冷却。メモリは霊的干渉を遮断する結界コーティング済み。ストレージは、あんたの『未練』データをどれだけ詰め込んでもパンクしないペタバイト級」
ネオンは、愛おしそうにその黒い箱を撫でた。
冷たい。
でも、その内側には、膨大な熱量を処理するための優しさが詰まっている。
「これなら、あんたが憑依しても壊れない。……いつでも遊びに来ていいよ。私の城に」
それは、コミュ障で引きこもりのネオン精一杯の、「友達への招待状」だった。
リアルでは目が合わせられない。
会話も続かない。
でも、画面越しなら。
この最強のマシンを通してなら、繋がれる気がしたから。
「……ネオンちゃん」
マシロが目を丸くし、それからパァァッと花が咲くように笑った。
「やるじゃない! オタクのくせに気が利く~!」
「オタク言うな。クリエイターと言え」
「じゃあ早速、私の『死ぬまでに聴きたいアニソンベスト100』のプレイリストを入れるわね! あと、撮り溜めた心霊写真のアーカイブも! あと、呪いのビデオのバックアップも!」
「ちょ、容量の無駄遣い! ゴミデータ入れないでよ! ウイルスよりタチ悪いわ!」
ギャーギャーと騒ぐ二人(一人と一霊)を、アリスがニヤニヤしながら眺めている。
冷たい排熱ファンの風の中に、確かな熱気が混ざっていた。
それは、電子機器の熱ではなく、体温のある場所の空気だった。
***
夜が更けた。
アリスが帰り、マシロもPCの中でスリープモードに入った頃。
ネオンは一人、キーボードに向かっていた。
カチャカチャカチャ……ッターン!
最後のエントリーキーを叩く音が、静寂に響く。
モニター上の地図――ダンジョン遺失物管理センターを中心とした半径500メートルの3Dマップに、緑色のグリッド線が張り巡らされた。
網の目のような光が、センターをドーム状に覆っていく。
「……『不可視の盾』、展開完了」
それは、ネオンが独自に開発した防衛システムだ。
監視カメラ、赤外線センサー、Wi-Fiの電波干渉、振動感知。
ありとあらゆるセンサーを連動させ、センターへの侵入者を「虫一匹」レベルで検知する。
さらに、ネット上の検索結果からセンターの情報を削除し、地図アプリからも座標を消去する「認識阻害」の術式も組み込んだ。
「……もう、二度と」
ネオンは、モニターに映るセンターの外観を見つめた。
ボロボロの看板。
薄汚いシャッター。
世間から見れば、ただの廃墟だ。産業廃棄物だ。
でも、ここには居場所のない馬鹿たちが集まって、くだらないことで笑い合って、傷を舐め合っている。
かつて、世界中どこにも居場所がなかったネオンが、初めて見つけた「セーブポイント」。
電源を落としても、データが消えない場所。
「……特定させない。壊させない。私の……私たちの『家』は、私が守る」
ネオンの瞳の奥で、決意の光が揺れた。
その光は、モニターのブルーライトよりも強く、鋭く輝いていた。
彼女はヘッドホンを装着し、再びグミの袋に手を伸ばした。
引きこもりの城は、今夜も鉄壁だ。
この孤独で騒がしい夜が、少しでも長く続くように。
彼女は電子の海を見張り続ける。




