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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
電子の海と、虚構の王子

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第85話:王子の引退会見

その瞬間、世界は再び「接続」された。


 それは、天使のラッパのような福音ではない。

 地獄の釜の蓋が開く、錆びついた蝶番の音に近かった。


 まず、部屋の隅で死体のように転がっていたWi-Fiルーターのインジケーターランプが、エラーから緑(正常)へと変色する。

 その光景を、スーパースローモーションで捉えてみよう。

 LED素子の中で電子が励起し、光子が放出され、プラスチックのカバーを透過して、薄暗い事務所の空気を緑色に汚染していく。所要時間、〇・〇〇一秒。


 直後。

 見えない電波の濁流(津波)が、ダンジョン遺失物管理センターの分厚いコンクリート壁を素通りし、室内へと雪崩れ込んだ。


 そして――破滅が始まった。


 ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブッッッ!!!


 テーブルの上に置かれていた最新型スマートフォンが、狂ったように痙攣を始めた。

 着信。LINE。DM。メンション通知。ニュース速報。未読メール。

 数日間、ダムのように堰き止められていた情報の汚泥が、一気に決壊したのだ。


 ガタガタガタガタ!

 スマホの振動がテーブルを揺らし、飲みかけの缶コーヒーが波紋を描き、積み上げられた古雑誌が雪崩を起こす。

 マグニチュード7相当(当社比)の局地的大地震だ。


「…………あ」


 ソファの端で膝を抱えていた美少年――ピコ・デ・ガマの瞳孔が、極限まで収縮した。

 彼の脳内で、過去のトラウマスイッチが連鎖的に起動する。

 炎上の記憶。

 アンチコメントの嵐。

 謝罪動画の撮影風景。

 「死ね」という文字のゲシュタルト崩壊。


 数日前までの彼なら、この振動は「快楽物質ドーパミン」の分泌スイッチだった。

 だが今、彼が感じているのは、生理的な「拒絶」だ。

 吐き気。目眩。

 胃酸が逆流し、食道焼くような酸っぱい味が口の中に広がる。


(うるさい……うるさい、うるさい!)


 耳鳴りがキーンと響く。

 視界がセピア色に褪せ、スマホだけが毒々しい赤色に発光して見える。

 これは「電話」ではない。「時限爆弾」だ。

 今すぐ爆発して、この薄汚い事務所ごと自分を吹き飛ばそうとしているのだ。


「……おい、ピコ」


 どこか遠くで、誰かの声がした。

 ネオンか? それともヤクモか?

 わからない。音が水中にいるように籠もって聞こえる。


「……出ろよ。うるせェな」

「……あ、ぅ……」


 ピコの指先が、意思とは無関係に動いた。

 長年の条件反射。

 「通知があれば即座に反応せよ」という、奴隷のように刷り込まれたプログラム。

 震える指が、画面上の「通話ボタン」を右にスワイプする。


 その瞬間、爆弾が炸裂した。


『――おいゴルァァァァァァッ!! 何してんだ貴様ァァァァァッ!!』


 鼓膜が破れるかと思った。

 スピーカーモードにしていないにも関わらず、スマホの筐体が物理的に振動し、空気を震わせ、ピコの三半規管を直接殴りつけてきた。


 音量マックス。

 音割れ上等。

 その声の主は、ピコが所属する芸能事務所の社長だった。

 脳裏に、脂ぎった中年男の顔がホログラムのように浮かび上がる。口角に泡を溜め、顔を真っ赤にして、血管を浮き上がらせている姿が、4K高画質で再生される。


『何日連絡バックれてんだコラァ! SNSも更新しねぇで何が「国民の弟」だ! 弟が家出してグレてどうすんだ! 株価大暴落だぞ! スポンサー激怒だぞ! 損害賠償いくらになると思ってんだ、あぁ!? テメェの内臓全部売っても足りねェんだよォォォ!』


 罵声の暴風雨。

 唾液の飛沫まで飛んできそうな臨場感。

 

 ――しかし。


(……あれ?)


 ピコは、不思議な感覚に襲われていた。

 怖い、はずだった。

 いつもなら、この怒鳴り声を聞いただけで、パブロフの犬のように震え上がり、床に額を擦り付けて「すいません、すぐに更新します、あざとい自撮りをアップします」と涙ながらに懇願していたはずだ。


 だというのに。

 今のピコの心拍数は、驚くほど一定だった。

 まるで、ガラスケースの向こう側で暴れている珍獣を観察しているような、冷めた客観性。


(……画質が、悪いな)


 ピコはぼんやりと思った。

 社長の声が、ひどく低解像度なMIDI音源のように聞こえる。

 所詮は、電子信号の塊。

 0と1の羅列が、空気を震わせているだけに過ぎない。

 昨日の戦闘で聞いた、ジンの怒号や、ネオンの悲鳴や、ラスボスの咆哮に比べれば、この男の怒りなど、まるで迫力がない。


『聞いてんのかオイ! 今すぐ事務所に来い! 土下座動画撮るぞ! 涙流して「心配かけてごめんなさい」って言え! 嘘泣きはお前の得意技だろ! 目薬用意しとくからよォ!』


 嘘泣き。

 そう、嘘だ。

 ピコの人生は、全てが嘘で塗り固められていた。

 「国民の弟」という虚像。

 「みんな大好きだよ」という営業トーク。

 カメラの前で作る、完璧な角度のスマイル。


 ――でも、昨日のあの飴玉は、甘かったな。


 ふと、思考が脱線した。

 昨日、街で知らない婆さんから貰った、安っぽい黒糖飴。

 あの強烈な甘さと、ザラザラした舌触り。

 あれは「現実リアル」だった。

 スタジオで出される高級なケータリングの弁当よりも、ずっと重みがあって、ずっと価値のある味がした。


「……おい、作者」


 ピコは、スマホを耳から離し、虚空に向かってボソリと呟いた。


「……この回想シーン、いつまで続くの? 社長が電話の向こうで酸欠になりかけてるんだけど。尺の使い方が贅沢すぎない? これアニメならAパート終わってるよ?」


 メタ的なツッコミを入れることで、ピコは自分を取り戻した。

 そうだ。終わらせよう。

 この茶番劇を。


「……あー、社長」


 ピコは、相手の言葉を遮るように口を開いた。

 その声は、砂漠の砂のように乾いていた。


「……悪いけど、在庫切れ(ソールド・アウト)だわ」


『あぁ!? 何がだ!』


「『嘘』だよ。僕の心の倉庫、もう空っぽになっちゃったんだ。発注かけようと思ったんだけどさ、メーカーも生産中止だって。部品が手に入らなくてさ」


『……は? 何わけわかんねェこと言ってんだ、ラリってんのか?』


 社長の困惑が、電波に乗って伝わってくる。

 無理もない。

 今まで「はい」と「イエス」と「仰る通りです」しか言わなかった高性能ロボットが、突然、詩的な比喩表現を使い始めたのだから。バグだと思ったに違いない。


「だからさ、もう演じられないんだよ。天使のようなピコちゃんも、健気な弟キャラも。……今の俺にあるのは、性格の悪い、口の悪い、ただのクソガキの素顔だけだ」


 ピコは、自分の膝を見た。

 薄汚れたジャージ。泥だらけのスニーカー。

 爪の間に詰まった、ダンジョンの黒い土。

 映えない。

 フィルター補正もない。

 でも、これが今のピコ・デ・ガマの「最高解像度」だ。


『ふ、ふざけんな! 契約期間中だぞ! 違約金払えんのか! 億だぞ億! お前の人生、一生借金まみれの奴隷生活にしてやるからな! 業界干されるぞ! 二度と表舞台に立てると思うなよ!』


「……うん、いいよ。クビで」


『は……?』


「違約金でも何でも請求すればいいじゃん。払えるもんなら払ってみるけど、今の俺、全財産このポケットの中の飴玉の包み紙だけだし。……ああ、あと借金まみれに関しては、心配いらねェよ」


 ピコは、チラリと横目でソファの方を見た。

 そこには、包帯でぐるぐる巻きにされたミイラ男――ジンが、死んだように眠っている。

 その寝顔は、借金取りに追われるプロフェッショナルのそれだ。


「借金取り(債権者)からの逃げ方は、世界一の師匠プロに教わる予定だから」


『おい! 待て! ピコ! お前――』


 ブツリ。


 ピコは通話を切った。

 それだけでは足りない気がした。

 この端末が生きてる限り、またあの「ノイズ」が繋がってしまう。


 ピコは、スマホの側面にあるスロットに爪を立てた。

 ガリッ、という音がして、小さなトレイが飛び出す。

 そこに乗っているのは、金色のチップが埋め込まれた小さなプラスチック片――SIMカード。

 彼と、虚構の世界ネットを繋ぐ、唯一の生命線(へその緒)。


 ピコは両手の親指と人差指でそれを挟んだ。

 指先に力を込める。

 硬い。

 意外と硬い。

 それは、彼が積み上げてきたキャリアの頑丈さそのものだったかもしれない。


 だが。


 パキッ。


 乾いた音が、静寂の中に響いた。

 あまりにも呆気ない、プラスチックが割れる音。

 

 ――通信、途絶ロスト


 これで、ピコ・デ・ガマは死んだ。

 国民の弟も、王子様も、もういない。

 後に残ったのは、ただの無職の少年だけだ。


「……ふぅー」


 ピコは長く息を吐いた。

 肩の荷が下りたような、あるいはバンジージャンプで命綱を切り落としたような、奇妙な浮遊感。

 彼は折れたSIMカードを、ゴミ箱へとシュートした。

 美しい放物線を描いて、それは「燃えないゴミ」の中に消えた。

 三ポイントシュート。得点、ゼロ。


 ***


「……随分と派手な引退会見だな」


 背後から、地を這うような低い声がした。

 ピコは心臓が口から飛び出るかと思った。

 ビクッ! と肩を跳ねさせ、バッと振り返る。


 ソファの上。

 ミイラ男が、半身を起こしていた。

 ジンだ。

 その顔色は、死人の一歩手前ゾンビだが、目はしっかりと開いており、いつもの不機嫌そうな光を宿している。


「! ……あ、起きたのかよ、おっさん」

「ああ。お前の下手くそな一人芝居がうるさくてな。安眠妨害だ。……あと、さっきからナレーションがいちいち大袈裟なんだよ。なんだ『世界一の師匠』って。俺はただのゴミ拾いだ」


 ジンは気だるげに首を回し、ボキボキと音を鳴らした。

 錆びついたロボットのような音がする。


「……で? どうすんだ、それ。SIMへし折っちまって。通信手段ゼロだぞ。これからは伝書鳩でも飛ばすか? それとも狼煙のろしか?」

「うるせェな。……もう、いいんだよ」


 ピコは唇を尖らせ、ソファの近くへと歩み寄った。

 足取りが重い。

 一歩進むごとに、重力が倍増していくようだ。

 

 ――ここが、正念場だ。

 

 ピコは、ジンの前で立ち止まった。

 そして、少しだけ躊躇ってから、膝を折り、深々と頭を下げた。

 営業用の、四十五度の美しいお辞儀ではない。

 背中を丸め、額を床に近づける、不格好な土下座に近い姿勢。


「……頼む。ここに、置いてくれ」


 事務所の空気が止まった。

 窓から差し込む陽光の中を、埃がキラキラと舞っているのが見える。

 その粒子のひとつひとつまで数えられるほど、時間が引き伸ばされる。


「掃除でも、洗濯でも、パシリでも何でもやる。ネオンの介護でも、レオの餌やり(生きた虫の捕獲)でもやる。……俺にはもう、帰る場所も、行く場所もねェんだ」


 声が震えた。

 惨めだった。

 つい数日前まで、何百万人もの人間に崇められていた自分が、薄汚い地下の事務所で、無職のおっさんに職を乞うている。

 プライドはずたズタだ。ミンチ肉だ。

 でも、そのプライドを捨ててでも、しがみつきたい場所がここにはあった。


「俺は……嘘つきで、性格悪くて、金に汚いゴミクズだけど……。でも、ここなら……この『掃き溜め』なら、俺みたいな廃棄物でも、置いておいてくれるんじゃないかと思って……」


 視界が滲む。

 フローリングの床に落ちた涙の雫が、丸いシミを作っていく。

 ジュッ、と音がしそうなほど、熱い涙だった。

 

 長い沈黙があった。

 一秒が永遠に感じるような、重い時間。

 ジンが何を考えているのかわからない。

 「帰れ」と言われるかもしれない。「迷惑だ」と言われるかもしれない。

 心臓の音が、うるさいほどに鳴り響く。ドクン、ドクン、ドクン。


 やがて、ジンが大きな溜息をつく音が聞こえた。


「……却下だ」


 ピコの心臓が止まった。

 全身の血液が逆流する。

 顔を上げる勇気がない。

 そうだ、当然だ。散々迷惑をかけて、勝手に戦場についてきて、足手まといになった挙句に、養ってくれなんて虫が良すぎる――。


「掃除はマシロがいる。洗濯は俺がやる。パシリは……まあ、たまにはいいが、雑用係なら間に合ってるんだよ。レオもいるしな」


「……え?」


 ピコが恐る恐る顔を上げると、ジンは面倒くさそうに頭を掻いていた。

 その表情に、拒絶の色はない。

 あるのは、厄介事を前にした時の、あの「やれやれ」という顔だ。


「だが、うちは『広報』が致命的に弱くてな」


「……は?」


「見ろよ、この現状を。依頼人は来ない、近隣からは『異臭がする』だの『爆発音がうるさい』だのクレームの嵐だ。おまけに、俺たちはコミュ障のハッカーに、脳筋の騎士に、無愛想な俺だ。警察への言い訳ひとつ満足にできやしねェ」


 ジンは、ニヤリと口の端を吊り上げた。

 それは、悪党の笑みであり、そして共犯者を迎え入れる仲間の顔だった。


「クレーム処理と、近隣への言い訳、あと俺の借金の言い逃れ。……口八丁手八丁でその辺を丸め込む『詐欺師』が必要なんだよ。できるか? 元・王子様」


 それは、実質的な採用通知だった。

 しかも、ピコの「嘘つき」という才能スキルを、必要とした上でのヘッドハンティング。

 「正直に生きろ」なんて言わない。「お前の嘘を、俺たちのために使え」と言っているのだ。


 ピコの目から、堰を切ったように涙が溢れた。

 止まらない。

 拭っても拭っても、後から後から湧いてくる。

 鼻水も垂れてきた。

 アイドルとしては百点満点中のマイナス五億点くらいの酷い顔だ。


 でも、彼は笑った。

 グシャグシャになった顔で、しかし精一杯の強がりを込めて。


「……へん。任せとけよ」


 鼻をズズッとすすり、涙を袖で乱暴に拭う。


「口から出まかせは、俺の専門分野(十八番)だ。……あんたらの悪事、全部俺が『美談』に塗り替えてやるよ。泣いて感謝しろ」


「そいつは頼もしいな。期待してるぞ、新人」


 ジンはそう言って、再びソファに沈み込んだ。


 こうして、ピコ・デ・ガマの「第二の人生セカンド・ライフ」が始まった。

 スポットライトも、歓声も、高額なギャラもない。

 あるのは、カビ臭い空気と、社会不適合者の同僚たちと、山積みのクレーム処理だけ。


 けれど、ピコは思った。

 この薄暗い地下室こそが、自分にとっての本当の「ステージ」なのだと。


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