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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
電子の海と、虚構の王子

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第81話:無限再生(アーカイブ)

ドゴォォォォォォォォン!!


 鈍く、重く、そして湿った打撃音が、サーバー室に響き渡った。

 それは、伝説の聖剣が魔王の首を刎ねた時の、あの金属的で清涼な音ではない。

 例えるなら、三日間放置して雑菌が繁殖した濡れ雑巾を、遠心力で限界まで加速させ、コンクリートの壁にフルスイングで叩きつけた時のような、生活感と暴力性が悪魔合体した音だ。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


 ジンは、肩で息をしていた。

 彼の手にあるのは、聖剣エクスカリバーでも、魔槍ゲイボルグでもない。

 近所のホームセンターの『新春初売りセール』で、先着五名様限定980円(税込)で売られていた、清掃用の業務用モップである。

 ただし、今のこのモップは、ジンの魔力――というよりは、労働基準法を無視した超過勤務に対する怨念を吸って、鋼鉄よりも硬く、チェーンソーよりも凶悪な形状に変貌している。先端のフサフサ部分は、針金のように逆立ち、触れるもの全てをミンチにする凶器と化していた。


 その凶器が、ラスボス・ゼロの頭部を粉砕した直後だった。


 ゼロの頭が、スイカ割りの失敗例のように弾け飛ぶ。

 ノイズまみれの体液データが飛び散り、巨大な身体が崩れ落ちる。

 飛び散る破片の一つ一つが、空中で静止し、キラキラと輝いている。スローモーションの世界。

 ピコの驚愕の表情、ネオンの開いた口、そしてジンの額から滴り落ちるドス黒い汗。

 全てが、一枚の絵画のように切り取られ、時間軸から切り離されていた。


「やったか!?」


 ピコが叫ぶ。

 その声が、引き伸ばされた時間の中で、低く、重く響く。

 お約束の死亡フラグ建設発言だ。言わなきゃいいのに、言うのが仕事だと思っている節がある。


 案の定、空間が歪む。

 シュゥゥゥゥ……。

 逆再生されるビデオテープのように、飛び散ったデータが集束していく。

 物理法則の無視。エントロピーの逆流。

 砕け散った頭部が、パズルのピースがはまるように組み上がり、一瞬でゼロの顔が再構成される。

 その光景は、生理的な嫌悪感を催すほどに滑らかで、かつ冒涜的だった。


『……痛いねぇ。物理演算エンジンがバグりそうだよ』


 ゼロは何事もなかったかのように、首をコキリと鳴らした。

 HPゲージがあるとしたら、今の攻撃で1ミリも減っていないどころか、むしろ回復しているようにさえ見える。

 全回復ベホマとかいうチャチなもんじゃない。もっと恐ろしい「仕様」の片鱗を味わった気分だ。


『言ったはずだよ。私は「悪意」だ。クラウド上に私のバックアップは無限にある。君が私を一度殺すたびに、世界中のどこかのサーバーから新しい私がダウンロードされる。所要時間は0.02秒。5G回線の無駄遣いだと通信キャリアに怒られるかな?』


「……クソが」


 ジンは、モップを握り直した。

 握りしめた掌から、炭化した皮膚がボロボロと崩れ落ちる。

 

 痛い。

 全身の細胞が悲鳴を上げている。

 今のモップ一振りで、俺の寿命が三ヶ月くらい縮んだ気がする。いや、半年か?

 背骨が軋み、筋肉繊維がブチブチと切れる音が、骨伝導で脳に直接響いてくる。

 もはや立っているだけで奇跡。動いているのは医学への冒涜だ。


(あー、これ、あれだ。RPGでよくある「負けイベント」だ。絶対に勝てない仕様になってて、ここで全滅して、「くっ、なんて強さだ……」ってなって、回想シーンに入って、修行パートに入るやつだ。でも俺、もう修行する体力ねぇぞ。ていうか、このままイベント戦が続いたら過労死する。労災認定されるかな。いや、自営業だから無理か。国民健康保険料、もっと安くなんねぇかな……。確定申告の医療費控除で、この「全身炭化」は経費で落ちるのか? 税務署の職員になんて説明すればいいんだ? 「ラスボスと戦って焦げました」って言ったら鼻で笑われて追い返される未来しか見えねぇ)


 ジンの思考が、痛みと疲労でドロドロに溶け出し、現実逃避の旅に出ていた。

 目の前の不死身の怪物よりも、来月の税金と保険料の支払いのほうが恐ろしい。それが大人のリアルだ。


「オラァァァッ!!」


 ジンは思考を断ち切り、再びモップを振るった。

 考えるな、振れ。振れば当たる。当たれば痛い。

 横薙ぎの一閃。

 ゼロの胴体が両断される。

 だが、切断面から即座に新しいポリゴンが生え、一秒後には元通り。

 もはや、金太郎飴だ。切っても切ってもゼロが出てくる。


「……ハハッ、便利でいいな、テメェは。いちいち病院行かなくて済むもんな。待ち時間3時間で診察3分とかいうクソみたいな思いをしなくていいんだもんな」

『羨ましいかい? 君もデジタルになればいい。そうすれば、その醜い炭化した背中も、テクスチャの貼り替えで一瞬で治るよ。有料DLCスキンを買う感覚でね』


 ゼロの嘲笑。

 ジンの攻撃は、暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐に鎹、そしてブラック企業の社員に労働基準法。

 全く意味をなさない消耗戦。

 ジンの体温計はとうに43度を突破し、体内では内臓が煮え滾る音が聞こえている。

 グツグツと。まるで闇鍋のように。


「ダメ……! ダメよ!」


 後方で、ネオンが悲鳴のような声を上げた。

 彼女はPC画面にカカカカカッ! と残像が見えるほどの速度でコマンドを打ち込んでいた。

 その指先からは煙が出ている。比喩表現ではなく、物理的に摩擦熱で煙が出ている。


「消せない! コイツのデータ、世界中に分散しすぎ! アメリカのデータセンター、中国のサーバーファーム、ロシアの軍事回線、南極の観測所、さらには一般家庭のスマート家電まで! 世界中のあらゆるIoT機器がコイツのバックアップになってる!」


「はぁ!? 冷蔵庫!?」

 ピコが素っ頓狂な声を上げる。「僕んちの冷蔵庫もかよ! 昨日買ったプリンが人質に取られてるってことか!? あと、トイレのウォシュレットも!? 僕のお尻事情が筒抜けってこと!?」


「プリンもお尻も無事よ! でも、こいつを完全に消去するには、世界中の全デバイスに同時にアクセスして、同時に削除コマンドを実行しなきゃいけない! 必要な計算リソースは……えっと、スパコン『富岳』を一万台使っても……計算終了まで約100年!」


「100年!?」

 ピコが絶叫する。「待てるか! 僕が死んでるわ! ていうか孫の代まで戦わせる気か! 『ドラゴンボール』でもそんなに引っ張らねぇよ! フリーザ戦だって5分だぞ! 尺稼ぎにも程があるだろ! 作者は文字数稼ぎのためにこの展開にしてるんじゃないだろうな!?」


「メタいこと言わないで! 無理ゲーよ……。こんなの、スプーン一本で太平洋の水全部汲み出せって言われてるようなもんよ……」


 ネオンの手が止まる。

 絶望。

 技術的な「詰み(チェックメイト)」だ。

 相手は無限のリソースを持つネットワークそのもの。対してこちらは、型落ちのPCと、瀕死のおっさんと、役立たずの元アイドルと、引きこもりのハッカー。

 勝てる要素が何一つない。

 麻雀で言えば、配牌が全部「字牌」のバラバラで、相手が「国士無双」をテンパイしているような状態だ。


『理解したかい? 諦めろ。人類がいる限り、悪意は消えない。誰かが誰かを妬み、匿名掲示板に誹謗中傷を書き込むたびに、私は強くなる。私は不滅だ。君たちが生きている限り、私は君たちの隣にいる』


 ゼロが、勝ち誇ったように両手を広げた。

 その姿は、まさに全能の神。

 あるいは、絶対に炎上しない無敵のインフルエンサー。


 その時。


「へっ、不滅だァ?」


 間の抜けた、しかしとてつもなく神経を逆撫でする声が響いた。

 ピコだ。

 彼は、武器も防具も失い、ただのジャージ姿の少年のくせに、ポケットに手を突っ込んで、チンピラのようにゼロを睨みつけていた。

 足はガクガク震えている。膝が笑っているどころか爆笑している。

 だが、その口だけは、マシンガンのように回り続けていた。


「ただの『構ってちゃん』だろ、お前」


 ピコが鼻で笑った。

 その嘲笑のスキルだけは、カンストしていた。


『……なんだと?』

「図星かよ。ネットの悪意? 崇高なこと言ってるけどさ、要するに『僕を見て!』『僕の話を聞いて!』って騒いでるだけじゃん。メンヘラかよ。深夜二時に『もう疲れた……』とか意味深なポエムツイートして、リプライ待ってるタイプだろお前。翌朝冷静になって『昨日のツイートは忘れてください(汗)』とか言って消すんだろ?」


 ピコの口撃ラップバトルが始まった。

 物理攻撃手段を持たない彼に残された、唯一の武器。

 それは「煽り」。

 炎上系配信者として培った、相手の最も痛いところを突き、冷静さを奪い、顔を真っ赤にさせる、最底辺かつ最強のスキル。


「世界中にバックアップ? 寂しがり屋かよ。一人じゃ寝れないからって、みんなのスマホに寄生してんじゃねぇよ。ストーカーか? キッショ。マジでキッショいわー。通報レベルだわー。LINEの既読無視されただけで連投してくるタイプだわー」


『き、貴様……神に向かって……』


「神? 鏡見てみろよ。ツギハギだらけのバグ野郎じゃんか。お前みたいなのをな、ネットスラングで『イキリト』って言うんだよ。黒コート着て『俺はソロだ……』とか言ってそうだけど、実際は友達いないだけだろ? クラスのLINEグループに招待されてないだけだろ? あ、ごめん、図星すぎて泣いちゃう? ハンカチ貸そうか? あ、僕持ってないや。雑巾でいい?」


 ピコが舌を出す。

 その表情は、全人類をイラつかせる天才的なクオリティだった。

 もし「ムカつく顔選手権」があれば、ぶっちぎりで優勝間違いなしだ。


 ブチッ。

 ゼロの額に、血管のようなノイズが走る音が聞こえた。

 理性が焼き切れる音だ。


『……黙れ。その口、縫い合わせてやる』


 ゼロのターゲットが、ジンからピコに移った。

 挑発成功。

 タンク(盾役)としての役割を、装備なしで完遂したのだ。

 ただし、代償として、ゼロの殺意100%の攻撃が飛んでくることになったが。


(ひぃぃぃ! 調子乗って煽りすぎた! 殺される! 絶対殺される! でも、これで少しはジンの負担が減るはず……! 僕ってば健気! 誰か今の僕を4Kカメラで撮ってて! 遺影にするから! 修正必須で!)


 ピコは内心で号泣しながらも、表面上は不敵な笑みを崩さない。プロ根性の塊だ。

 死ぬなら、せめてネタとして死ぬ。それが彼の矜持。


 だが、根本的な解決にはなっていない。

 ゼロがピコをひねり潰せば、またジンに矛先が向く。

 ジンの体力は限界だ。

 立っているだけで、足元の床が熱で溶けている。

 視界が明滅し、三途の川の向こうで、死んだはずの婆ちゃんが手招きしているのが見える。

 婆ちゃんの横には、なぜか飼ってた犬のポチもいる。ポチ、お前まだ生きてるだろ。なんでそこにいるんだ。


(……ああ、思考がまとまらねぇ。今日の夕飯、何にするつもりだったっけ。冷蔵庫に賞味期限切れの納豆があったな。あれ食って腹壊したら、ゼロに勝っても負けだな……)


 ジンの意識が、納豆のネバネバと共に暗黒へと沈んでいく。

 

「……ジンさん! 寝ないで! 今寝たら永眠よ! 二度と起きないロングスリーパーになっちゃうわよ!」


 ネオンの声が、ジンの意識を現実に引き戻す。

 ネオンは、ピコの煽りを聞いて、ある一つの「狂った作戦」を閃いていた。

 ピコの「寂しがり屋」「寄生」という言葉が、パズルの最後のピースを埋めたのだ。


「……そうか。消せないなら、遮断シャットダウンすればいいんだ」


 ネオンが呟く。

 彼女の眼鏡が、モニターの光を反射して怪しく光った。

 その光り方は、科学者のそれではなく、完全にマッドサイエンティストのそれだった。


「ゼロ、あんたは言ったわよね。『クラウド上にバックアップがある』って。それはつまり、常にネット回線を通じてデータを同期してるってこと」


 ネオンの指が、キーボードを叩くリズムを変える。

 防衛的なリズムから、破壊的なリズムへ。


「ここ(サーバー室)にあるのは、あんたのメインフレーム。いわば本体。ここから世界中のバックアップに指令を出してる。……なら、ここをネットから物理的に切り離せば、あんたはただの『巨大なスタンドアローンPC』になる! Wi-Fiの繋がってないスマホなんて、ただの板よ!」


「は? 切り離すって、LANケーブル抜くのか?」

 ピコがゼロの攻撃を華麗に(無様に転がって)避けながら叫ぶ。「そんな原始的な方法でいいのかよ!?」


「そんなレベルじゃないわ! このビルごと、ダンジョンごと、外部との通信を一切遮断するの! 光回線、5G、衛星通信、あらゆる電波をシャットアウトする!」


『馬鹿な。ここはダンジョンの地下深く。もともと電波は届きにくいが、私の有線接続は地下ケーブルで直接バックボーンに繋がっている。それを切断するには、物理的にケーブルを切るしかないが、その場所はこのフロアの床下30メートル……』


「知ってるわよ。あんたの足元でしょ」


 ネオンがニヤリと笑った。

 その笑顔は、引きこもりのオタク少女のものではなく、世界を壊すハッカーの顔だった。


「消せないなら、閉じ込めればいい。無限の海から切り離して、ただの水たまりにしてやるわ。……そうすれば、ジンさんのモップでも、あんたを『掃除』できる!」


 唯一の解。

 それは、デジタルの神を、物理の牢獄に幽閉すること。

 最強のセキュリティは、ファイアウォールではない。ハサミでケーブルを切ることだ。


 ジンが、朦朧とする意識の中で、その言葉を聞いた。

 モップを握る手に、再び力が戻る。

 視界の端で、走馬灯の婆ちゃんが「やっちまいな」と親指を立てた気がした。


「……へぇ。要するに、逃げ道を塞いで、袋叩きにするってことか」


 ジンが、獰猛な笑みを浮かべた。

 炭化した顔面が割れ、赤い蒸気が漏れる。

 その顔は、もはや人間のそれではない。

 獲物を追い詰めた、飢えた狼の顔だ。


「得意分野だぜ。……害虫駆除エクスターミネートの時間だ」

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