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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
電子の海と、虚構の王子

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第80話:デジタル・トリアージ

ピロン、ピロン、ピロン、ピロン……。

 

 不吉なアラート音が、サーバー室に鳴り響いている。

 それは、アクション映画で時限爆弾のカウントダウンがゼロになる直前の音にも似ていたし、あるいは、徹夜明けにPCがブルースクリーンを吐いた時の、あの全神経を逆撫でするエラー音にも似ていた。

 もっと身近な例で言えば、カップラーメンにお湯を入れて三分待っている間に寝落ちし、ハッと目覚めた時のタイマー音の絶望感に近い。


 ネオンは、血走った目でキーボードを叩いていた。

 指先から火が出るほどの高速タイピング。彼女の愛機であるトリプルディスプレイのラップトップPCには、滝のようなエラーログと、真っ赤なグラフが表示されている。


「ちょ、待って! 待って待って待って! 数値がおかしい! これバグでしょ!? ねえ、誰か『テッテレー! ドッキリでしたー!』って看板持って出てきてよ! 今なら許すから! いや許さないけど、とりあえず安堵のあまり泣き崩れてからボコボコにするから!」


 ネオンが悲鳴を上げる。

 画面に映し出されているのは、ジンに埋め込まれた生体センサーからのフィードバック情報だ。

 心拍数、血圧、体温、魔力回路の負荷率。

 その全てが、レッドゾーンを振り切って、計測不能エラー領域に突入している。


「体温42度!? いや、上昇中……43度!? 待って、人間のタンパク質って42度で固まるんじゃなかったっけ? ゆで卵になっちゃう! ジンさんが固ゆで卵になっちゃうわよ!」


 ネオンの脳内知識ベース(主にWikipediaと深夜のネットサーフィンで得た偏った知識)が、残酷な事実を突きつける。

 43度。

 それは発熱というレベルではない。生体活動の限界点だ。

 脳細胞が熱変性を起こし、多臓器不全が始まるライン。


(あー、どうしよう。もしジンさんが死んだら、私がお葬式の手配するのかな。喪服持ってないよ。しまむらで買えるかな。いや、ネット通販なら翌日配送いけるか? でもサイズ合うかな。最近太ったからな……。ていうか、香典いくら包めばいいの? 相場は三万? 五万? いや、身内みたいなもんだから十万? 無理無理無理! 私の貯金残高、今月のガチャ爆死で三桁なんだけど! 消費者金融? アコム? いや待て、そもそもジンさんの宗派どこよ!? 仏教? キリスト教? それともダンジョン教的な何か!? 香典袋の表書きは『御霊前』でいいの!? 『御仏前』だと四十九日過ぎてからだっけ!? あああああ、マナー講師に怒られる幻覚が見えるゥゥゥ!)


 ネオンは、目の前の危機とは全く関係のない「冠婚葬祭マナー」の迷宮に迷い込み、パニックを起こしていた。

 人は極限状態に陥ると、脳を守るために思考をあえて矮小化させるというが、今の彼女はまさにそれだった。


「心拍数が……200超え!? F1マシンのエンジンかよ! このままじゃ心臓が焼き切れる! ポンプが破裂する! 誰か冷却水持ってきて! いや、ラジエーターごと交換しないと!」


 ネオンは自分の頬を張った。パァン! と乾いた音が響く。

 痛い。でも、目の前で倒れているジンの痛みには及ばない。


 ジンの体内で、『死者の共鳴』の反動が暴走していた。

 少女の怨念という名の高純度燃料を投下され、ジンの魔力回路が臨界点を超えて稼働し続けているのだ。

 いわば、原子炉のメルトダウン。

 制御棒(理性)はとうに溶け落ち、炉心(心臓)が融解を始めている。


「マシロちゃん! どうにかして! あんた幽霊でしょ!? 霊的なアレで、こう、冷気とか出せないの!? ほら、怪談話でよくある『急に部屋が寒くなった』的なやつ! クーラー代わりになってよ!」


 ネオンが叫ぶ。

 その声に応えるように、宙に浮いていたマシロが動いた。

 彼女もまた、半泣き――いや、既に泣いていた。幽霊だから涙は出ないはずだが、その表情は完全にデパートで親とはぐれた迷子の子供のそれだった。


「わ、わかってるわよ! 私が冷やす! 憑依して、内側から霊力で冷却する! 私だって伊達に何十年も浮遊霊やってないわよ! ポルターガイスト検定三級の実力見せてやる!」


 マシロが、ジンの身体に向かってダイブする。

 普段なら、スゥッと身体に吸い込まれ、心地よい冷涼感と共に同居が完了するはずだ。

 まるで実家に帰るような安心感と共に。

 だが。


 バチィッ!!!!!


 激しいスパーク音と共に、マシロが弾き飛ばされた。

 まるで、チンチンに熱したフライパンに水滴を落とした時のように、あるいは静電気除去グッズを持たずに冬場のドアノブに触れた時のように。


「っきゃあああああああああああああああああっ!?」


 マシロがサーバーラックに叩きつけられる。

 彼女の半透明な身体から、ジュワジュワと白い煙が上がっていた。

 それはエクトプラズムが蒸発する音だった。


「あ、熱っ! 痛っ! なになに!? 今、私、除霊されかけた!? 最強の霊媒師に塩を撒かれたナメクジみたいになったんだけど!?」

「ええっ!? 幽霊って物理的な熱を感じるの!?」

「感じるわよ! っていうか、今の熱さは物理じゃないわ! 魂が焦げる熱さよ! 入ろうとした瞬間、拒絶されたの! 『満員です』って突き返された感じ! セキュリティゲートで金属探知機に引っかかった時みたいな理不尽な拒絶!」


 マシロが涙目で訴える。

 拒絶。

 ジンの身体が、異物の侵入を許さないほどに高密度なエネルギーで満たされているのだ。

 それは「ATフィールド」なんて生易しいものではなく、満員電車でドア付近を死守するサラリーマンの背中くらいの絶対的な拒絶だった。


『――無理よ』


 その時、ネオンのイヤホンから、冷静な声が響いた。

 アリスだ。

 拠点の留守番役である彼女もまた、モニター越しにこの惨状を見ていた。

 紅茶をすする音が聞こえるが、カップを持つ手が震えてソーサーとぶつかるカチャカチャという音がマイクに乗ってしまっている。


『今のジンは、人間じゃないわ。例えるなら『生きた炉心』よ。体内で数千人分の呪いが核分裂反応を起こしてる。霊体マシロごときが触れたら、一瞬で蒸発して、文字通り成仏させられるわよ。三途の川をスキップすることになるわ』

「そんな……じゃあどうすればいいのよ! 水風呂に入れる!? 液体窒素ぶっかける!? 氷枕!? 熱さまシート!?」

『手遅れよ。……外部からの冷却は間に合わない。内側から燃え尽きるのを待つしかないわ。まあ、燃え尽きた時には、ジンも灰になってるでしょうけど。キャンプファイヤーの後の炭みたいにね』


 アリスの声は冷淡だったが、その背後でガタガタと爪を噛む音が聞こえていた。彼女もまた、限界ギリギリの精神状態で、必死に「悪徳医者」の仮面を被っているのだ。

 

 その間にも、状況は悪化の一途をたどっていた。

 

 ズズズズズズ……。

 空間が振動する。

 再構成されたラスボス・ゼロが、そのバグだらけの巨体を揺らして笑った。

 その笑い声には、ノイズ混じりの不協和音が混ざり、聞く者の三半規管を直接攻撃してくる。


『ハハハ……。内輪揉めかい? 見苦しいねぇ。医療崩壊だねぇ。トリアージ(選別)の時間だよ。助からないゴミは切り捨てて、まだ使える臓器だけリサイクルショップに売るのが賢い選択じゃないかな? 今の相場だと、角膜と腎臓くらいなら値がつくんじゃないか?』


 ゼロが右手を上げた。

 その手が、ボワリと膨張し、巨大な白い矢印――マウスカーソルへと変化する。

 PC画面の中で、ファイルを選択し、ドラッグし、ゴミ箱へ捨てるための、あの矢印だ。

 だが、今のサイズは全長3メートル。

 先端が鋭利な刃物のように尖っており、質感はどう見てもアダマンタイト級の硬度を持っている。


『さあ、削除デリートの時間だ。ゴミ箱を空にする準備はいいかい?』


 ヒュンッ!

 巨大なカーソルが、動けないジンを目掛けて振り下ろされる。

 それは物理攻撃であり、同時に「存在の抹消」を意味する概念攻撃だ。

 直撃すれば、肉体ごとデータが消滅し、この世に存在した痕跡すら残らない。

 まさに、右クリックからの「完全削除」。


「させねぇよ!!」


 その軌道上に、飛び込んだ影があった。

 ピコ・デ・ガマ。

 カメラを投げ捨て、配信者の仮面を脱ぎ捨てた少年が、生身の体で割って入ったのだ。


「ピコ君!?」

「くそっ、シールド……盾は……!」


 ピコは反射的に腰のベルトに手を伸ばしたが、そこには何もなかった。

 彼の愛用していた魔導バリア発生装置は、先ほどの戦闘で全損している。

 今の彼にあるのは、ペラペラの衣装(ポリエステル100%)と、自身の華奢な肉体だけ。

 防御力ゼロ。

 スライムの体当たりでもクリティカルヒットしそうな貧弱さだ。


(やべぇ。死ぬ。これ絶対死ぬやつだ。走馬灯が見える。……あれ? ちょっと待って。僕の走馬灯、薄すぎない!?)


 死の瞬間にスローモーションになった時間の中で、ピコは自分の人生を振り返った。

 だが、そこにあるのは、ろくでもない記憶ばかりだった。


 ――初めてバズった動画のサムネイル(変顔)。

 ――通帳の残高が増えてニヤニヤしている自分の顔。

 ――炎上した時に書いた嘘の謝罪文。

 ――昨日の晩飯に食べた、半額シールの貼られたコンビニ弁当。

 ――いつか食べたいと思っていた銀座の高級寿司ウニ


(嘘だろ……。僕の人生、金と自分と食欲のことしかねぇじゃん! もっとこう、感動的な思い出とかないのかよ! 小学校の時の初恋とか! ……あ、初恋の相手も『親がIT企業の社長だから』って理由でアプローチしたんだった。最低だな僕! クズじゃん! 走馬灯すら映えないとか、配信者として終わってるだろ!)


 死の瞬間に至っても、ピコの自己愛と俗物根性はブレなかった。

 だが、それでも彼は逃げなかった。

 足が震え、歯がガチガチと鳴り、膀胱の括約筋が限界を訴えながらも、両手を広げてジンの前に立ちふさがった。


(くそっ……どうせ死ぬなら、せめてカッコよく死んでやる! ここで僕が死んだら、最終回直前で主要キャラが死ぬ感動展開としてBlu-rayの売り上げ伸びるかな? 遺族印税生活いけるかな? よし、顔だけは守ろう。死に顔がブサイクだとグッズが売れない!)


「……顔だけはやめてええええええええええ!!」

「そこかよ!」


 ネオンのツッコミが響く中、巨大なカーソルがピコの頭上に迫る。

 死の影が落ちる。

 ピコは目を閉じた。


 その時。


 ドクン。

 

 心臓の音が、戦場全体に響き渡った。

 ピコのものでも、ネオンのものでもない。

 もっと重く、濁った、地底から響くような鼓動。

 まるで、休眠していた火山のマグマ溜まりが、噴火直前に脈打つような音。


「……どけ」


 低い声。

 地獄の底から這い上がってきたような、嗄れた声。

 それは声帯の振動というよりは、空気が摩擦で焼ける音に近かった。


 ドンッ!

 ピコの身体が、背後から突き飛ばされた。

 

「わあっ!?」


 ピコが転がる。

 その場所に、代わりに立っていたのは。


 炭化した背中を晒し、全身から赤い蒸気を噴き上げながら、ゆらりと立ち上がったジンだった。


「ジ、ジンさん!?」


 ネオンが息を呑む。

 立っているのが不思議な状態だ。

 筋肉は断裂し、骨はひび割れ、血液は沸騰しているはずだ。

 医学的に見れば、彼は既に三回くらい死んでいる。

 司法解剖したら死因が多すぎて特定できないレベルだ。

 それでも、彼は立っていた。

 ゾンビ映画のエキストラよりも酷い顔色で、しかし、その瞳だけはギラギラと、溶鉱炉のように赤く燃えていた。


 ジンは、落ちてくる巨大カーソルを見上げた。

 避けない。防御もしない。

 ただ、睨みつけた。


 熱い。

 ジンの視界は、真っ赤に染まっていた。

 全身の血管を溶けた鉛が流れているようだ。

 指先一つ動かすだけで、細胞が数億個死滅していく感覚がある。

 

(ああ、うるせぇな……。死ぬ前に走馬灯が見えるって聞いたけど、全然見えねぇじゃねぇか。見えるのは、アリスの不機嫌な顔と、マシロのアホ面と、レオのビビり顔と、ネオンの眼鏡と、このガキ(ピコ)の泣き顔だけだ。……十分じゃねぇか。お釣りが来るくらいだ)


「……俺の客に、手を出すな」


 ゴォォォォォォォォッ!!

 ジンの身体から、炎のようなオーラが噴出した。

 それは魔力ではない。

 ただの「気迫」。

 いや、「殺気」だ。

 

 何千、何万という遺失物を回収し、死者の未練と向き合い、泥水をすすりながら生きてきた「掃除屋」だけが持つ、死の臭いを纏ったプレッシャー。


 ピタリ。

 巨大なカーソルが、ジンの鼻先数センチで停止した。

 ゼロが止めたのではない。

 プログラム(本能)が、警告を発したのだ。

 ――このオブジェクト(男)に触れると、ヤバい、と。

 ウイルスセキュリティソフトが、危険すぎるマルウェアを前にしてフリーズを起こしたような状態。


「ごふっ」


 ジンが口から血反吐を吐き出す。

 タールのような黒い血が、床に落ちてジュウと音を立てる。

 限界だ。立っているだけで、寿命が秒単位で削れていく。

 砂時計の砂が、最後の数粒になって落ちていく。


 だが、ジンはニヤリと笑った。

 炭化した皮膚が引きつり、裂けて血が滲むのも構わず、凶悪な笑みを浮かべた。

 それは、どんなに加工されたアイドルの笑顔よりも、泥臭く、美しく、そして頼もしい「大人の顔」だった。


「……まだ、閉店時間じゃねえぞ、クソッタレ」


 その姿は、世界を救う勇者でもなければ、華麗な騎士でもない。

 薄汚れて、ボロボロで、今にも壊れそうな、ただの中年作業員。

 しかし、その背中に背負った「執念」の質量だけが、デジタルの神であるゼロを圧倒していた。


 ネオンは震えながらPC画面を見た。

 ジンのバイタルグラフが、ありえない動きをしていた。

 数値はエラーのまま。

 だが、心電図の波形だけが、力強く、規則正しく、脈を刻み始めていた。


 それは、死の淵からの生還リブートの合図であり、最後の反撃(サービス残業)の始まりを告げる狼煙だった。

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