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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
電子の海と、虚構の王子

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第79話:映えない背中

配信画面が、凍りついていた。


 いや、物理的にフリーズしているわけではない。

 最新の5G通信網は、今日も今日とて無駄に高スペックを発揮しており、サーバーも落ちていない。画面の右上に表示された同時接続者数のカウンターは、一二〇〇万人という、とある小国の総人口すら凌駕する数字を叩き出し、今もなお秒単位で増え続けている。

 一二〇〇万人。

 全員が同時にジャンプすればマグニチュード1くらいの地震は起こせそうな人数だ。

 あるいは、全員が1円ずつ募金してくれれば、今のこの状況を打破するための強力な装備が買えたかもしれない人数だ。


 だが、凍りついているのは、時間であり、空気であり、そして画面の向こうにいる数千万人の「人間の感情」だった。


 カメラが映し出しているのは、一人の男の背中だ。

 数分前まで、世界を救う英雄として称賛されていた男。

 だが、今の彼は、とても英雄には見えなかった。

 

 端的に言えば、焼き過ぎた秋刀魚だ。

 いや、そんな生易しいものではない。炭素の塊だ。


 ジンの背中は、生物的な瑞々しさを完全に失い、黒く乾いた炭素の層に変貌していた。

 亀裂。

 数年雨が降っていない荒野の大地のように、背骨に沿って無数の亀裂が走っている。その裂け目の奥では、赤い光が――まだ燃え尽きていない命の残り火が、ドクン、ドクンと不気味に脈打っていた。

 時折、パチッという小さな音と共に、皮膚の破片が火の粉となって舞い散る。

 その光景は、人体の神秘というよりは、地質の神秘に近かった。


 匂い。

 この場に充満している匂いを、4DX映画館の機能でお届けできないのが残念でならない。

 肉が焦げる匂い。髪が燃える独特の硫黄臭。そこに、サーバー室特有の無機質なオゾンの匂いと、ネオンがさっきこぼしたコーラの甘ったるい匂いが混ざり合い、とてつもなくカオスな芳香を醸し出している。

 もし香水にするなら、名前は『絶望・プールオム』で決まりだ。


『え、なにこれ』

『グロ』

『特殊メイク? にしてはリアルすぎん?』

『CGだろ。最近のVFXすげーな。ハリウッド級じゃん』

『いや、これマジっぽくない? 湯気出てるぞ』

『気持ち悪い』

『見てられない』

『吐きそう』

『運営仕事しろ。BANしろよ。子供が見てんだぞ』

『飯食いながら見るんじゃなかった。最悪』


 コメント欄が、高速で流れる。

 称賛は消えた。

 そこにあるのは、理解できないものへの拒絶と、生理的嫌悪感と、そして安全圏から石を投げる無責任な「正義感」だけだった。

 人間とは勝手な生き物だ。

 さっきまでは「いけー!」「やっちまえ!」と煽っていたくせに、いざ血が流れ、肉が焼け、リアルな痛みが提示されると、途端に「見たくない」「配慮しろ」と騒ぎ出す。

 コロッセオで剣闘士の殺し合いを見ていた古代ローマ市民から、現代人に至るまで、その本質は一ミリも進化していないらしい。


「……ッ、」


 その男、ジンが小さく呻いた。

 意識が戻ったわけではない。

 痛みという名の暴力的な電気信号が、焼き切れた神経回路を無理やり通電させ、反射的に身体を動かしたのだ。


 ジンの意識は、深い泥の底にあった。

 痛みはある。あるが、それが「痛い」という言葉に変換される前に、脳が処理落ちを起こしている。

 代わりに、どうでもいい思考の断片が、走馬灯のように浮かんでは消えていく。


(……あー、背中、感覚ねぇな。これ、仰向けで寝られないやつだ。うつ伏せ確定か。うつ伏せって、よだれ垂れるんだよな。枕が汚れる。枕カバー、洗うの面倒くさいんだよな……)


 なぜ、人は死に瀕した時、高尚な哲学ではなく、生活感溢れる些事を思い出してしまうのか。

 

(そういえば、昔見たアニメで、全身サイボーグになった主人公がいたな。あいつ、どうやって風呂入ってたんだろ。錆びないのかな。クレ556とか差すのかな。俺の背中も、クレ556で治らねぇかな……。いや、炭だからな。バーベキュー用の着火剤の方が相性いいかもな……ハハ……)


 自嘲する気力すら、煙となって消えていく。

 ジンは、霞む視界の中で、目の前にカメラがあることに気づいた。

 自分に向けられた黒いレンズ。

 ガラス玉の瞳。

 それが、銃口よりも、死神の鎌よりも、恐ろしいものに見えた。

 見世物にされる。

 俺の痛みも、俺の人生も、俺の死に様も、すべてが1バイトのデータに変換されて、誰かの暇つぶしとして消費される。


「……撮るな」


 掠れた声。喉も焼けている。

 声帯が、乾燥した枯れ葉のように擦れ合う音がした。

 ジンは、残った左手を振り上げた。

 攻撃ではない。ただの拒絶だ。

 汚いものを隠そうとする、あるいは、これ以上自分たちの「聖域(仕事場)」に土足で踏み込んでくるなという、悲痛な意思表示。


「撮るな……馬鹿野郎……。映えねぇだろ……こんなの……」


 ドンッ。

 力のない手が、ピコの胸を突いた。

 ピコは踏ん張ることもできず、よろめいて尻餅をついた。

 いや、踏ん張れなかったのは、物理的な衝撃のせいではない。

 突き飛ばされた瞬間に感じた、圧倒的な「熱量」に気圧されたからだ。


「あっ……」


 ピコの手から、スマホが離れる。

 最新型のiPhone Pro Max Ultra(仮)が、スローモーションで床へと落下していく。

 ああ、画面割れませんように。保護フィルム貼っててよかった。いや待て、ケースは軍用規格のタフネス仕様だから大丈夫なはずだ。でもレンズが傷ついたら修理費が……アップルケア入ってたっけ? 

 そんな、どうしようもなく俗物的な心配が一瞬脳裏をよぎる自分に、ピコは絶望した。


 ゴトッ。

 カメラが床に転がり、斜めのアングルで天井を映し出す。

 画面の端に、うずくまるジンの背中が見切れていた。

 その構図は、まるで現代アートの失敗作のようだった。


「おっさん……」


 ピコは、震える手で自分の胸を押さえた。

 突き飛ばされた胸が熱い。

 服の上からでもわかる、火傷しそうなほどの高熱。

 これは体温ではない。命が燃え尽きる寸前の、暴走したエネルギーの余熱だ。


 ピコは、床に落ちたスマホを拾い上げようとした。

 その時、目に入ってしまった。

 画面上の数字。

 

 『同時接続者数:12,450,982人』

 『推定収益:5,400万円(※スパチャ含む)』


 一二〇〇万人。

 五四〇〇万円。

 たった一時間の配信で、サラリーマンの生涯年収の何割かを稼ぎ出した計算になる。

 配信者ストリーマーとして、喉から手が出るほど欲しかった数字。一生かかっても到達できないと思っていた、夢の領域。

 これだけの数字があれば、何でもできる。

 叙々苑どころじゃない。牛を一頭買いできる。

 タワマンも、高級車も、プライベートジェットも……いや、ジェットは維持費がかかるからやめとこう。固定資産税も馬鹿にならないしな。税理士雇わないと。節税対策で法人化して、経費で落とせるものを増やして……。


 ピコの脳裏に、札束の塔が組み上がる幻影が浮かぶ。

 一万円札でできたジェンガ。

 

 だが、次の瞬間、コメント欄の言葉がその塔を粉砕した。


『つまんねーオチ』

『結局、お涙頂戴かよ』

『グロ画像見せられて気分悪いわ』

『ピコ君、こんな奴と関わるのやめなよ。イメージダウンだよ』

『自業自得じゃね?』

『金稼ぎのために体張ってご苦労さんw』

『はい通報通報。ガイドライン違反』

『チャンネル登録解除しました』

『スパチャ返金しろ』


(……あ?)


 ピコの思考が停止した。

 脳内の電卓が爆発四散した。

 

 こいつら、何を見てたんだ?

 今、目の前にある惨状が見えていないのか?

 一人の人間が、文字通り身を削って、お前らを守った結果がこれだぞ?

 自分の命と引き換えに、お前らの「悪意」を中和したんだぞ?

 

 それに対して、「気持ち悪い」? 「つまらない」? 「返金」?


(ああ、そうか。こいつらにとっちゃ、これもコンテンツ(暇つぶし)なんだ)


 ピコは、悟った。

 スマホの画面というフィルターを通した瞬間、人の死も、痛みも、絶望も、すべては消費されるだけの「エンタメ」に変わる。

 安全な布団の中で、スナック菓子を齧りながら、鼻をほじりながら眺めるだけの「動画」。

 そこには、痛みへの想像力など一ミリもない。

 画面の向こうにいるのが、血の通った人間だという認識すらない。


 自分が今まで必死に追い求めていた「バズ」の正体が、こんなにも空虚で、薄っぺらくて、残酷なものだったなんて。


「……ふざけんな」


 ピコは、呟いた。

 これまでの「国民の弟」としての、愛想の良い仮面が剥がれ落ちる音がした。

 パリン、と。

 営業用スマイルという名のガラスの仮面が砕け散る。


「ふざけんなよ……ッ!!」


 ピコは叫んだ。

 カメラを地面に叩きつけようとして、思い留まり、逆にカメラを自分の顔の前に突きつけた。

 超広角レンズが、ピコの歪んだ表情を捉える。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、髪は振り乱され、アイドルとしての尊厳など欠片もない、ただの怒れるクソガキの顔。


「うるせええええええええええええええええええ!!」


 マイクが音割れするほどの絶叫。

 視聴者のイヤホンを破壊しかねない音量。

 コメント欄が一瞬止まる。


「気持ち悪いだァ!? グロいだァ!? 当たり前だろ! これが現実なんだよ! アニメじゃねえんだよ! 人が戦って、傷ついて、死にかけてんだぞ! 『ご都合主義』とか『回復魔法』とか、そんな便利なモンはねぇんだよ! 綺麗事だけで終わるわけねぇだろ馬鹿野郎!!」


 ピコは、画面の向こうの一二〇〇万人を睨みつけた。

 顧客ファンではない。敵だ。

 今この瞬間、彼は全世界を敵に回した。

 マーケティング理論で言えば、最悪の行動だ。自殺行為だ。

 だが、知ったことか。


「お前らが『草w』とか書き込んでる間に! お前らが『もっとやれ』って煽ってる間に! この人はお前らの吐き出したゴミ(悪意)を全部引き受けて、こうなったんだよ!」


 ピコは、背後のジンを指差した。

 炭化した背中。

 それは、決して「映える」ものではない。インスタに上げたらアカウント凍結間違いなしのグロ画像だ。

 だが、どんなに美しい夜景よりも、どんなに加工された自撮り写真よりも、圧倒的に「重い」真実。


「見ろよ! 目を逸らすなよ! これが、お前らの『暇つぶし』の代償だ! お前らが面白がって炎上させた結果が、これなんだよ!!」


 ピコの息が荒い。

 酸欠で視界がチカチカする。

 言っちゃった。全部言っちゃった。

 これで終わりだ。

 炎上確定。ファン離れ確実。スポンサー激怒。違約金が数億。

 ピコ・デ・ガマの芸能人生は、これにて終了。

 明日からは「あの放送事故を起こした元配信者」として、コンビニバイトすら断られるかもしれない。


 でも、不思議と後悔はなかった。

 むしろ、胸のつかえが取れて、清々しいくらいだった。

 長年溜まっていた便秘が一気に解消したような爽快感だ。


「……はぁ、はぁ……。もういい。配信終了だ。二度と来んな。全員ブロックしてやる」


 ピコは、震える指で「配信停止」ボタンを押そうとした。

 その時だった。


『――ふふ。なかなか熱い演説だったよ、道化師ピエロくん。君にそんな骨があるとは思わなかったな。見直したよ。ただし、採点するなら30点かな。言葉遣いが汚すぎる』


 冷ややかな声が、スピーカーからではなく、空間そのものから響いた。

 絶対零度の声。


「え?」


 ピコが顔を上げる。

 ネオンが、頭を抱えて悲鳴を上げた。

 

「嘘……反応復活!? ありえない! 完全に消去したはずよ! ゴミ箱も空にしたし、履歴も消したし、キャッシュもクリアしたのよ!?」


 サーバー室の空気が、再び凍りつく。

 消滅したはずの場所。

 そこに漂っていたデータの残滓――煌めく光の粒子が、逆再生されるように集束していく。

 ザザッ、ザザザッ……!

 不快なノイズ音。ダイヤルアップ接続の音を百倍の音量にしたような、鼓膜をやすりで削るような音と共に、空間が歪む。


 そして。

 そこに、再び「彼」が立っていた。


 ラスボス・ゼロ。

 ただし、その姿は先ほどまでの神々しい純白のアバターではない。

 ツギハギだらけの、黒いノイズまみれの、つぎはぎの怪物。

 右腕がテクスチャ抜けしていたり、顔半分がモザイクだったり、明らかに「バグった」状態だ。


『無駄だよ。消せるわけがないだろう』


 ゼロが笑う。

 その口元は、画面のバグのように崩れていたが、嘲笑の響きだけは鮮明だった。


『私は「悪意」だ。ネットワークが存在する限り、誰かが誰かを妬み、憎み、嘲笑う限り、私は無限に湧き出る。バックアップは世界中のサーバーに、そして70億人の心の中にある。君たちのそのスマホの中にも、ね』


「そん、な……」


 ピコの手から、力が抜ける。

 勝てない。

 いくら物理的に破壊しても、いくらデータを浄化しても、根源ソースが人間そのものである限り、こいつは何度でも蘇る。

 ゾンビよりもタチが悪い。

 ゴキブリよりも生命力が強い。

 梅雨時のカビのように、拭いても拭いても生えてくる。

 それが、ネットの悪意という魔物。


『それに比べて……』


 ゼロの視線が、床に倒れ伏したジンに向けられる。


『その男のデータ(命)は、もう限界だね。メモリ残量ゼロ。CPU焼き付き寸前。空冷ファン故障。再起動不可能なジャンク品だ。メルカリに出しても送料の方が高くつくレベルだよ』


「黙れ! てめぇ、まだ……!」


 ピコが叫ぶ。

 だが、ゼロは無視して、中空に指を走らせた。

 パチン。

 指を鳴らす音と共に、ピコの持っていたスマホが勝手に操作される。


「うわっ!? なんだ!?」


 ピコが「配信停止」ボタンを押そうとするが、反応しない。

 タップしても、連打しても、スワイプしても、画面は切り替わらない。

 『操作を受け付けません』『管理者の権限によりロックされています』というエラーメッセージが無慈悲に点滅する。

 まるで、出来の悪いホラーゲームの演出のように。


『切らせないよ』


 ゼロが、愉悦に歪んだ顔をカメラに向けた。

 その瞳の奥には、一二〇〇万人の視聴者と同じ、「他人の不幸を蜜の味とする」どす黒い光が宿っていた。


『せっかく1200万人もの観客オーディエンスが集まっているんだ。最後まで見せてあげようじゃないか。尺稼ぎ? まさか。ここからが本番メインディッシュだよ』


 スマホの画面が、勝手にズームされる。

 瀕死のジンと、絶望するピコと、パニックになるネオンを、逃げ場のないフレームの中に閉じ込める。


『見ろ。そして拡散しろ。ハッシュタグをつけて呟け。

 この愚かな掃除屋が、無意味な正義のために命を使い果たし、無様に死んでいく瞬間を。

 これこそが、世界最高のエンターテインメントだろう?』


 公開処刑の開始。

 カメラの赤い録画ランプ(REC)が、まるで死神の目のように、あるいは視聴者の好奇心そのもののように、いつまでも、いつまでも点滅を続けていた。

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