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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
電子の海と、虚構の王子

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第75話:黒歴史のアーカイブ

現代社会において、核兵器よりも、生物兵器よりも、そして隕石の衝突よりも恐ろしい「破滅」とは何か。

 賢明な読者諸君なら即答できるだろう。

 答えは――**『インターネット』**である。


 一度放流された情報は、二度と消えない。

 深夜三時のテンションで書き殴った、意味不明なポエム。

 「盛れたw」と思って投稿したが、背景の鏡に散らかった部屋(と干してある下着)が映り込んでいた自撮り。

 そして、別れた恋人に送りつけた「君がいない世界は、色のないキャンバスだよ……」という、翌朝見返して窓から飛び降りたくなるような長文LINEのスクリーンショット。


 それらはデジタルの海を永遠に漂い、忘れた頃にゾンビのように蘇り、当事者の精神メンタルを物理的な痛みと共に食い破るのだ。

 通称、『デジタル・タトゥー』。

 それは今、七色ネオンという少女の前に、物理的な質量と殺傷力を持って立ちはだかろうとしていた。


 ***


 地下鉄廃トンネルの最深部、サーバーファーム・エリアC。

 敵の中枢「コア・ルーム」へと続く長い廊下は、異様な静寂に包まれていた。


 そこは、まるで巨大な深海魚の胃袋の中だった。

 壁も床も天井も、すべてが継ぎ目のない鏡面仕上げのブラック・ガラス。そこに埋め込まれた無数の青いライン照明が、血管のように不規則に脈打っている。

 空気が重い。

 オゾン臭と、電子機器の排熱、そして高濃度の魔素が混ざり合い、肺に入れるだけで喉がピリピリと痺れる。


「……気持ち悪い廊下だな。胃カメラの映像見てる気分だ」


 ジンは悪態をつきながら、足を引きずって歩いていた。

 鎮痛剤のおかげで激痛は引いているが、副作用で身体の芯が鉛のように重い。視界の端が少しぼやけているのは、薬のせいか、それとも寿命の前借りのせいか。

 隣を歩くピコは、先ほどの興奮が冷めたのか、完全に「終わった人」の顔をしている。


「……痛い。耳が痛い。顔がヒリヒリする……。ねえ、ここ電波入る? エゴサしたいんだけど。僕の勇姿、ちゃんとバズってるかな……」

「黙って歩け。電波より先に脳波を心配しろ」


 軽口を叩きながらも、彼らの警戒レベルは最大だった。

 いつまた、天井からガトリング砲が降ってくるか分からない。


「……気をつけて。ここ、データの密度が異常だよ」


 先頭を歩くネオンが、PCを抱えながら警告した。

 彼女の眼鏡が、微かなノイズを反射して光る。

 ハッカーとしての第六感が、肌にまとわりつく静電気のような、粘着質な「悪意」を感知していたのだ。

 物理的な罠ではない。もっと陰湿で、逃げ場のない何かが、この空間全体に充満している。


 その時だった。


 バチュンッ!!!


 突然、鼓膜を弾くような破裂音と共に、廊下の両壁――全長五十メートルに及ぶ全ての壁面モニターが、一斉に点灯した。

 

「うわっ!? なんだ!?」


 ピコが飛び上がる。

 ジンがデッキブラシを構える。

 だが、そこに映し出されたのは、敵のアバターでも、警告メッセージでもなかった。

 もっと根源的で、もっと個人的で、そしてもっと「見たくない」地獄の記録映像だった。


『――うわ、キモっ。こいつ、またノートに何か書いてるよ』

『見せてみろよ。「漆黒の……堕天使」? ぷっ、あはははは!』

『おい七色、読んでみろよこれ! 皆の前で朗読会しようぜー!』


 大音量で再生される、ノイズ混じりの音声。

 映像は粗い。手ブレのひどいスマホの動画だ。

 だが、ネオンには一瞬で分かった。いや、分かりすぎてしまった。

 

 あの中学校の教室。

 夕暮れの掃除用具入れのカビ臭さ。

 机にコンパスの針で掘られた『死ね』という文字。

 そして、クラスメイトに取り上げられた、自分の魂の結晶――「秘密の創作ノート」。


「……ぁ……あ……」


 ネオンの足が止まる。

 血の気が引く音が聞こえるほど、急速に彼女の顔面が蒼白になっていく。

 心臓が早鐘を打つ。冷や汗が背中を伝う。

 

(なんで……なんでここにあるの……!? あの動画は削除依頼したはず……! サーバーごと消したはずなのに……!)


 映像は次々と切り替わる。

 ネット掲示板のスレッド。『【悲報】ウチのクラスの痛いオタク女子、特定完了w』。

 晒された実家の住所。

 深夜のチャイム。

 郵便受けに詰め込まれた生ゴミ。

 それら全ての「悪意の記録」が、パノラマ映像となって彼女を取り囲む。


 そして極めつけは――。


『――聴いてください。魂の叫びを……』


 モニターの中で、震える声が響き渡った。

 それは、引きこもり始めた当初のネオンが、ネットの片隅にある誰にも見られないはずの音声投稿サイトに、鍵付きでアップロードした、自作ポエムの朗読データだった。


『……私の右目には、いにしえの龍が棲んでいる……。

 世界という名の牢獄プリズンが、私の翼を鎖で縛る……。

 でも、時は来たれり……。

 解き放たれよ、クリムゾン・レクイエム(紅蓮の鎮魂歌)……!

 血の涙を流して、この腐った世界を浄化リセットするの……!』


「ぎゃあああああああああああああ!!!」


 ネオンが絶叫した。

 それは敵の襲撃を受けた時の悲鳴ではない。魂が内側から消滅する音だ。

 彼女はその場に崩れ落ち、ダンゴムシのように丸まり、両手で耳を塞いで床を転げ回った。


「やめて! やめて! 音を消して! 殺して! いっそ殺してぇぇぇ! そのファイルは消したはずなのに! HDDを物理破壊してドリルで穴開けて東京湾に沈めたはずなのにぃぃぃ!」


 恥ずかしい。

 死ぬほど恥ずかしい。

 拷問? 電気ショック? 爪剥がし? そんなものの方が一億倍マシだ。

 これは「公開処刑」だ。自分の過去の未熟で、痛々しくて、セカイ系アニメの影響を丸かぶりした黒歴史ダーク・ヒストリーを、大音量でリフレインされる精神的核攻撃だ。

 特に『クリムゾン・レクイエム』のくだりは、今の彼女の言語センスからすると致死量を超えている。


『……ククク、ハハハハハ!』


 モニターの映像に重なるように、ゼロの嘲笑がステレオ放送で響き渡る。


『素晴らしい作品だね、七色ネオン。君のデータは全てここにある。削除されたブログ、鍵垢のツイート、そして深夜に書き殴った未完の小説『転生したら最強のハッカーだった件』……。逃げても無駄だ。君は永遠に、教室の隅で震える「被害者」であり、痛々しい「妄想少女」なんだよ』


「うぅ……ぐぅ……! やめて……! 私の尊厳をこれ以上踏みにじらないで……!」


 ネオンはもはや虫の息だった。

 精神HPはマイナス突破。再起不能リタイア寸前。

 

 ピコもまた、ドン引きしていた。

 「うわぁ……あれはキツい……。僕も昔の『歌ってみた』動画(音程迷子)掘り起こされたら死ぬけど、あれはレベルが違う……。厨二病の特級呪物だ……。見てるこっちが共感性羞恥で死にそう……」


 しかし。

 この地獄のような空間で、たった一人だけ、全くダメージを受けていない男がいた。


「……あ?」


 ジンである。

 彼は眉をひそめ、モニターを睨みつけていたが、その表情は「苦悶」ではなく、純粋な「困惑」だった。


「なんだこのノイズは。故障か? テレビのアンテナの向きが悪いんじゃねぇのか?」

「……え?」


 ピコが振り返る。

 ジンは目を細め、モニターに顔を近づけたり離したり、あるいは斜めから見たりしている。


「画質が悪すぎて何が映ってんのかさっぱり分からねぇ。砂嵐しか見えねぇぞ。……あと、この音声もガビガビで聞こえねぇな。なんだ? 最近の若者のミュージックビデオか? それとも呪いのビデオか?」


 アナログ人間・ジン。

 彼は老眼ではない(視力2.0)が、デジタル映像特有の圧縮ノイズや、高速で切り替わるサブリミナル映像を脳が処理できていなかった。

 彼に見えているのは、ただの「チカチカする光」と「意味不明な色の点滅」だけ。

 ポエムの内容など、一切届いていなかったのだ。

 彼にとって、デジタルの精神攻撃は「映りの悪いテレビ」と同義だった。


「……マジかよ、このオッサン。最強のフィルタリング機能(老化という名の適応力)搭載してやがる……」


 ピコが呆然と呟く中、ネオンは涙目でジンを見上げた。

 聞こえてない?

 見えてない?

 私の『クリムゾン・レクイエム』が、この人にだけはバレてない!?


 その時。

 ジンの胸ポケットから、もう一人の「最強のメンタル」が飛び出した。


「もー! うるさいわねゼロ! 人の黒歴史を勝手に上映会しないでよ! JASRACに言いつけるわよ!」


 マシロだ。

 彼女はスマホから霊体化して飛び出すと、なんと手元に「極太の油性マジック(霊具)」を実体化させた。

 そして、空中に浮かび上がり、モニターに映る「ゼロのスマイルマーク」に向かって、キュキュキュッ! と豪快に落書きを始めたのだ。


「ちょ、マシロちゃん!? 何してんの!?」

「何って、上書き保存(物理)よ! こんな辛気臭い映像、こうしてやるわ!」


 マシロが描き足したのは、立派なチョビ髭と、鼻毛と、額の「肉」という文字。そしてほっぺたにはグルグルの渦巻き。

 かつてネオンを追い詰めたトラウマ映像が、一瞬で昭和のギャグ漫画のワンシーンへと変貌する。


『……き、貴様、何をする……! 私の崇高なアバターになんてことを……!』


 ゼロの声が動揺する。

 マシロはペン回しをしながら、鼻で笑った。


「あんたねぇ、過去がどうとか、黒歴史がどうとか、ちっさいのよ! 男なら過去じゃなくて未来を見なさいよ!」


 彼女はネオンの前に降り立ち、うずくまる少女の背中をバシッと叩いた(霊体だが、そこには確かな温度と衝撃があった)。


「いい? ネオンちゃん。過去なんてね、死んだら全部チャラなのよ! 私なんて見てみなさいよ! 生前の記憶なんてサッパリないわよ! 自分が誰かも、何が好きだったかも、どんな痛いポエム書いてたかも、初恋の相手の名前すら忘れちゃったわ!」


「……マシロちゃん……」


「失ったものを数えてメソメソする暇があったら、今夜の夕飯のメニューでも考えなさい! 生きてる人間が、死んだ時間に殺されてどうすんのよ! そんなの、幽霊わたしに対する営業妨害よ!」


 底抜けに明るいニヒリズム。

 記憶喪失の幽霊だからこそ言える、無責任で、しかし圧倒的に正しい「死生観」。

 その言葉は、ネオンの心にこびりついていた「過去の亡霊」を、物理的な平手打ちで吹き飛ばした。


「……っ……」


 ネオンが顔を上げる。

 眼鏡が涙と鼻水で曇っている。

 だが、その奥にある瞳からは、怯えの色が消えていた。

 代わりに宿るのは、ハッカーとしての冷徹な怒りと、羞恥心を燃料に変えた爆発的なエネルギー。


「……そうだよ……。何やってんだろ、私……」


 ネオンは立ち上がった。

 袖で顔を乱暴に拭う。グミの袋をポケットから取り出し、一気に三粒口に放り込む。

 脳に糖分が行き渡り、オーバーヒートしていた思考回路が急速冷却される。


「……私のポエムが痛いのは認める。でもね……」


 彼女はPCを開き、キーボードに指を置いた。


「私の『クリムゾン・レクイエム』をバカにした罪……万死に値するよ、ゼロ……! あとでDドライブの中身全部フォーマットしてやるから覚悟しな!」


 パパパパパパッ!

 ッターン!


 ネオンは歩き出した。

 歩きながら、目にも留まらぬ速さでコードを打ち込んでいく。

 その姿は、ピアノを弾くマエストロのようだ。


「……解析完了。この映像攻撃、廊下のセンサーと連動して、個人の深層心理からトラウマ映像を生成してるだけじゃん。……構造が単純すぎる。私のポエムの比喩表現より浅いよ! もっと捻れよ!」


 バチュン! バチュン!

 ネオンがエンターキーを叩くたびに、モニターの映像がブラックアウトしていく。

 過去の記憶が消され、ただの黒い画面に戻っていく。


「……私の黒歴史より、今のあんたのセキュリティの方がガバガバだよッ!!!」


 ズドォォォォン!!!

 最後の一撃。

 廊下の突き当たりにある、分厚い隔壁の電子ロックが、火花を散らして解除された。

 プシューッ……という排気音と共に、扉が開かれる。


「……へっ、やるじゃねぇか引きこもり」


 ジンがニヤリと笑う。

 ピコも「うわぁ、オタクがキレると怖い……。絶対に敵に回したくないタイプだ……」と引きつつも、安堵の息を漏らす。


 開かれた扉の向こう。

 そこには、都市伝説と化したARの管理者・ゼロの本体が待つ「玉座の間」が広がっていた。


「行くよ、ボス、ピコ、マシロちゃん」


 ネオンは眼鏡の位置を直し(まだ少し手が震えているが)、キッと前を見据えた。


「私の恥ずかしい過去を知ったこいつを、社会的に抹殺デリートしてやる! ついでに私のポエムのデータも完全消去する!」


 黒歴史を乗り越えた――というか、「逆ギレ」で強引に突破した少女は強かった。

 今の彼女は、ただのハッカーではない。

 『漆黒の堕天使(自称)』として覚醒した、中二病全開の戦士なのだから。

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