第72話:乗っ取られた配信
配信者という人種は、生物学的に見て人間とは別のカテゴリーに分類されるべきだ。
たとえば、目の前で隕石が落ちてきたとしよう。
普通の人間なら「逃げなきゃ」とか「死ぬ」とか考える。
だが、彼らは違う。
コンマ一秒でスマホを取り出し、「【緊急】隕石落ちてきたwww地球終了のお知らせwww(サムネ用自撮り付き)」というタイトルを考え、ベストアングルを探して走り回るのだ。
生存本能よりも承認欲求が上位に来る。DNAの螺旋構造が「いいね!」の形にねじれている。それが彼らだ。
そしてここに、その進化の袋小路に到達した一匹のモンスターがいた。
「……勝った。これ、勝ったわ。今世紀最大の勝利確定」
地下鉄廃トンネルの最深部。
厳重なセキュリティゲートをくぐり抜けた先に広がっていたのは、東京ドームがすっぽり入りそうな巨大な地下空間だった。
その壁一面を埋め尽くしているのは、無数のサーバーラック。青や緑のLEDが星空のように明滅し、数千もの冷却ファンが「ブォォォォン……」と低い唸り声を上げている。
ARテロの震源地。
普通なら、敵の本拠地に乗り込んだ緊張感で胃が痛くなる場面だ。実際、隣にいるハッカーのネオンは「空気が重い……重力三倍くらいになってない……?」と青い顔をしている。
だが、元トップ配信者ピコ・デ・ガマは違った。
彼はスマホのインカメラを起動し、前髪をミリ単位で調整しながら、恍惚の表情を浮かべていた。
「見てよこのロケーション! 最高じゃん! このクールなブルーのLED照明! これ、『サイバーパンクな世界観』を演出するのに完璧すぎる! スタジオでこのセット組んだら幾らかかると思う? ざっと三百万だよ? それがタダ! しかも背景が『悪の組織のサーバーールーム(本物)』とか、リアリティのレベルが違うって!」
「……おい」
先行して周囲を警戒していたジンが、呆れ果てた声で振り返る。
「何してんだクソガキ。ここは観光地じゃねぇぞ。遠足の記念撮影なら、後で遺影用に一枚撮ってやるから大人しくしてろ」
「分かってないなぁオッサン! 今は『映え』の時代なの! テロリストのアジトだろうが何だろうが、映える場所は全てフリー素材なんだよ!」
ピコはポケットから携帯用のリングライトを取り出し、スマホに装着した。戦場にリングライトを持参する神経が分からない。
「いい? 今、渋谷はパニックでしょ? みんな不安で情報を求めてる。そこで! かつて炎上して地に落ちたトップ配信者が! 命懸けで元凶を突き止める『潜入配信』をしたらどうなると思う!?」
ピコは瞳を輝かせ(リングライトの反射で本当に輝いている)、熱弁を振るう。
「一発逆転だよ! 『炎上系迷惑配信者』から『世界を救う救世主系配信者』への華麗なるジョブチェンジ! これで失った好感度もV字回復! アンチも掌返しで信者化! スパチャ(投げ銭)でタワマンの家賃も払えるし、差し押さえられた限定グッチの新作も買い戻せるし、あと、あの高級焼肉店『叙々苑』の游玄亭でシャトーブリアンを浴びるほど食える……!」
「思考回路が欲望に直結しすぎてて清々しいな。お前の脳みそは胃袋と財布で出来てんのか」
ジンは深いため息をついた。
こいつはダメだ。つける薬がない。
「……ボス、放置でいいんじゃない? どうせここ、地下深すぎて電波入らないし……」
「甘いよネオンちゃん! こういう時のために、僕は業務用の中継アンテナ(五〇万円)をリュックに入れてきてるんだよぉ!」
「重かったのそれかよ! 水とか食料とか持ってこいよ馬鹿!」
ピコは聞く耳を持たない。
彼はリュックからアンテナを展開し、配信アプリ『D-Tube Live』の開始ボタンに指をかけた。
その瞬間、彼の表情が切り替わる。
死んだ魚のようなドブ色の瞳が、一瞬で少女漫画のようにキラキラと潤んだ瞳に。口元の歪んだ笑みが、聖母のごとき慈愛に満ちた微笑みに。
『スイッチ・オン』。
それはプロの技であり、ある種のホラーだった。
「――はいドーモ! 視聴者のみんな、生きてるぅー!? みんなの弟、ピコちゃんだよ!」
配信開始。
スマホに向かって手を振るピコ。
その背後で、ジンが「……今のうちに殺しとくか?」と真顔でデッキブラシを構えたが、ピコは華麗にスルーした。
「みんな、外は大変だよね? ドラゴンとか見えて怖いよね? でも安心して! 僕が今、危険を顧みず、敵のアジトに潜入しました! 見てこのサーバー! ここが元凶だよ! 僕たちが世界を救いに来たんだよ!」
ピコがカメラを回し、サーバー群を映す。
途端に、スマホの画面下部にあるコメント欄が、滝のような勢いで流れ始めた。
『うおおおお! マジか!?』
『ピコ生きてたのか!』
『すげえ! 映画みたい!』
『嘘だろ、ガチ潜入じゃん!』
『後ろにいるの、例の掃除屋じゃね? あいつもグルか?』
『頑張れピコ! 日本の希望だ!』
同時接続者数(同接)、一万人、五万人、十万人、三十万人……。
数字がカウンターを振り切る勢いで跳ね上がっていく。
(キタキタキタァァァァ! これだよ! この数字の暴力!)
ピコの脳内で、脳内麻薬と脳内麻薬と脳内麻薬がカクテルになって噴出した。
気持ちいい。
最高だ。
無数の人間から注目され、称賛され、承認される快感。それは食欲も性欲も睡眠欲も凌駕する、現代病特有の最強のドラッグだ。
「ふふっ、ちょろい……じゃなくて、みんなの応援が力になるよ! ありがとう! ……おっ、赤スパ(一万円以上の投げ銭)ありがとうございます! 『ピコくん逃げて』? 大丈夫、僕はみんなのために戦うよ! ……あ、また赤スパ! 『叙々苑代にして』? ありがとう! 上タン塩三人前追加ァ!」
チャリン、チャリン、と課金音が鳴り止まない。
ピコの計算機のような脳が、瞬時に合計金額を弾き出す。
(開始五分で三十万円……! 時給換算で三六〇万円! これなら借金返済して、余った金でエステ行って、回らない寿司食って、さらに余った金で新しい服買って……!)
妄想が暴走する。
彼は気づいていなかった。
この異常なほどの視聴者の集まり方が、自然なものではないことに。
そして、コメント欄の流れが、徐々に不穏な色を帯び始めていることに。
「……ん?」
異変に気づいたのは、配信開始から十分が過ぎた頃だった。
ピコはふと、コメント欄の違和感に目を細めた。
流れが速すぎて読めないが、何かがおかしい。
いつもの「www」や「8888(パチパチ)」といった単語が消え、代わりに奇妙な記号と、攻撃的な単語が混じり始めている。
『殺せ』
『排除しろ』
『後ろの男を』
『邪魔だ』
『ピコ、ナイフを持て』
『■■■を■せ』
「……え? 何これ? アンチ? いや、これ文字化け……?」
ピコが眉をひそめた瞬間。
ピコンッ!
高額スパチャの通知音が鳴った。金額は五万円。色は、毒々しいほどの赤。
そこに書かれていたメッセージは、感謝でも応援でもなかった。
『■■■を■せ。■■■を■せ。■■■を■せ。■■■を■せ』
「……は?」
ザザッ……ザザザッ……!
スマホの画面がノイズで乱れる。
同時に、ピコの着けている高性能ワイヤレスイヤホン(ノイズキャンセリング機能付き)から、鼓膜を突き刺すような高周波が響いた。
「あぐっ!? ……痛っ、なに、今の音……!」
キィィィィィィン!!!
耳鳴りではない。
脳の奥底、自我と無意識の境界線に、土足で踏み込んでくるような不快な振動。
たとえるなら、真夜中の寝静まった部屋で、突然黒板を爪で引っ掻く音が爆音で流れ始め、同時に一万匹の蚊が耳元で羽音を立て、さらに工事現場のドリルが頭蓋骨を直接削っているような感覚だ。
「おい、どうしたナルシスト。電波障害か? それとも自分の顔に見とれて気絶したか?」
異変を察知したジンが振り返る。
だが、ピコは答えられない。
立っていられない。
膝から崩れ落ち、スマホを取り落とす。
視界が歪む。
落ちたスマホの画面の中で、視聴者たちのコメントが、黒い文字の羅列から、蠢く「蟲」のように変化していく。
『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』
(やめて……何これ……気持ち悪い……虫……? 文字が、ゴキブリみたいに……)
恐怖と共に、過去のトラウマが走馬灯のように脳内を駆け巡る。
――初めて炎上した日。ネット掲示板に書かれた何万件もの誹謗中傷。
――自宅のポストに入っていた、カミソリ入りのファンレター。
――街中で「あ、詐欺師だ」「落ちぶれたな」と指を差されて笑われた記憶。
――小学校の時、給食の牛乳を吹き出してしまい、好きな女の子に「汚い」と言われた記憶(これは関係ない)。
無関係な記憶まで混ざり合って、脳味噌をミキサーにかける。
痛い。痛い痛い痛い。
物理的な痛みではない。もっとおぞましい、「他人の悪意」という名の汚泥が、耳と目から脳内に直接注ぎ込まれる感覚。
「う、あ……あぁ……! やめ……て……! 僕を……いじめないで……!」
ピコは頭を抱えて床を転げ回った。
その時。
ブゥンッ!!!
部屋中の全てのサーバーの冷却ファンが、一斉にジェットエンジンのような爆音を立てて回転数を上げた。
そして、壁面に設置されていた数百台のシステム監視モニターが、バチバチッという音と共に一斉に点灯した。
そこに映し出されたのは、真っ白な背景に、一本の黒い線だけで描かれた、極めてシンプルな笑顔のアバターだった。
『――ようこそ、承認欲求の奴隷たち』
部屋中に、合成音声が響き渡る。
男とも女ともつかない、イントネーションの欠落した、だが確実に「人間を見下している」と分かる冷徹な声。
『そして、初めましてピコ君。君の配信、とても面白いね。……特に、視聴者たちが君という「媒体」を通して、私の支配下に堕ちていく様が、実に滑稽で美しい』
「……あ、あ……?」
「テメェ、何者だ。そのふざけた落書き面、へし折ってやろうか」
ジンがドスを利かせてモニターを睨む。
だが、アバターの口元が、三日月のようににゅっと歪んだ。
『私はゼロ。この素晴らしい「拡張された現実(AR)」の管理者だ。……ああ、君たちのような、解像度の低い旧人類には理解できないかな?』
ゼロと名乗るアバターが、カラカラと笑う。
その笑い声に合わせて、ピコの脳内の頭痛が増幅する。
『ピコ君。君は配信者として、常に数字を求めてきたね? 同接数、いいねの数、スパチャの金額……。それは素晴らしい欲望だ。君のその空虚な心こそが、私の「信号」を拡散させるのに最適な空洞だったんだよ』
「……僕の……心が……空洞……?」
『そうさ。だから私は、君に最高の「数字」をプレゼントしよう』
バチバチバチッ!
床に落ちたピコのスマホが発熱し、火花を散らす。
画面上の同接カウンターが、バグったように回転し、異常な桁数を示し始めた。
百万、五百万、一千万、三千万……。
それは日本中の、いや、世界中の「ARデバイスに接続された人々」が、強制的にこの配信チャンネルに接続されたことを意味していた。
『彼らは今、私の兵隊だ。スマートグラスやスマホを通じて、特殊な視聴覚パターン信号を送っている。……彼らの無意識下にある「悪意」と「殺意」は今、ネットワークを通じて君の脳に集約されている』
「……ぁ、が……ぁああああああ!!!」
ピコが絶叫し、白目を剥いた。
限界だ。
三千万人の「死ね」という囁きが、脳の許容量を超えた。
脳の血管が焼き切れそうな熱量。
自我が溶ける。ピコ・デ・ガマという人格が、黒いノイズに塗りつぶされていく。
『楽になりたいかい? なら、従えばいい。大衆の声は絶対だ。彼らは今、君にこう望んでいる』
モニターのスマイルマークが、顔の半分まで裂けるように開いた。
『――その邪魔な男を、排除しろ、と』
キィィィィィィン……!
決定的な信号が送信される。
ピコの身体から、力が抜けた。
焦点の合わない瞳孔。ダラリと垂れ下がった両腕。口元からは涎が垂れている。
彼はゆらりと立ち上がった。まるで、見えない糸で操られるマリオネットのように。
「……う、るさい……。頭が……割れる……」
「……消せば……楽に……なれる……」
ピコの手が、ジャージのポケットに伸びる。
そこには、護身用に隠し持っていた、セラミック製の折りたたみナイフが入っている。
かつてストーカー被害に遭った際、恐怖で通販でポチったものの、「なんか怖いし」という理由で一度も封を開けていなかった「お守り」。
それを、彼は震える手で取り出し、カチリと刃を開いた。
(ダメだ……何やってるの僕……! それはジンさんだよ……! 口は悪いし足は臭いし性格は最悪だけど、一応恩人なんだよ……!)
脳の片隅に残った、わずかな理性が悲鳴を上げる。
だが、体は動かない。
指先が勝手にナイフを握りしめる。
右足が勝手に前へ出る。
「……ピコ?」
ネオンが、ハッキングの手を止めて振り返る。
彼女は、モニター越しの世界に生きる住人だ。だからこそ、ピコの「異常」に誰よりも早く気づいた。
彼の纏う空気が、いつもの「計算高いクズ」のものではない。
完全に、システムにハックされた「端末」のそれになっていることに。
「……ピコ!? 目が変だよ! そいつ、もうピコじゃない! 接続されてる!」
ネオンの叫びが響く。
だが、遅かった。
ピコは、背中を向けてモニターのゼロと対峙しているジンへと、音もなく近づいていた。
その歩調は、普段の彼なら絶対にできないほど、洗練された「暗殺者」の動きだった。無意識下でリミッターが外れ、火事場の馬鹿力が殺意となって発露しているのだ。
「……消えろ……」
ピコの口から漏れたのは、彼自身の言葉ではなかった。
ネットの闇が凝縮された、呪詛の塊だった。
「……ノイズは……消えろォォォォォ!!!」
カッ!
ピコがナイフを振り上げた。
セラミックの刃が、LEDの光を反射して青白く輝く。
狙うはジンの無防備な背中――心臓の裏側あたり。
時間はスローモーションのように引き伸ばされる。
ピコの涙に濡れた瞳。
ネオンの絶望的な表情。
そして、何も知らずに立っているジンの背中。
善意で集まったはずの視聴者たちが、悪意ある誘導によって凶器に変わる。
現代の魔女狩りが、物理的な刃となって振り下ろされた瞬間だった。




